第12話(荒廃) 準備
救護所の朝は、静かじゃない。
呻き声。
咳。
薬草を潰す音。
布を裂く音。
それでも、昨夜よりはマシだった。
少なくとも“壊される音”はしていない。
しずは寝台の間を歩きながら、淡々と指示を飛ばした。
「水、こっち。
包帯は二枚重ね。
その傷、触るな。洗ってから」
冷たい声。
でも手は止まらない。
レオンが入口の布を直しながら言った。
「しず、ここ……補強できねえのか」
「できるならやってる」
しずは即答した。
「木材も釘も足りない。人手も足りない。
足りないもんは足りない」
言い切りが現実的すぎて、レオンが黙った。
ミラが壁の影から言う。
「本隊は来る」
短い。
それだけで空気が重くなる。
◇
ソラは救護所の隅で座っていた。
膝を抱えてるわけじゃない。
ちゃんと座ってる。ちゃんと呼吸してる。
でも顔色が良くない。
昨夜――あの四つ目を倒した後から、胸の奥が静かだった。
静かすぎて、逆に怖い。
ソラは自分の手を見つめた。
殴った感触。
潰れた感触。
それがまだ皮膚の裏に残っている。
「……俺、やばいことしてない?」
ぽつり、と誰にでもなく言った。
しずが答える。
「やばいことだらけだよ」
慰める気がない。
でもその後、しずは一瞬だけ言葉を選んだ。
「……今さら引き返せない。引き返したら死ぬ」
ソラは息を吐いた。
「……そりゃそうだ」
普段ならここで、胸の奥の声が煽ってくる。
でも今日は来ない。
来ないと、ソラはソラに戻る。
頼りない。現実的。弱い。
レオンがソラの前にしゃがんだ。
「ソラ。怖いか」
「怖いに決まってるだろ」
ソラは即答した。
「俺、ただの――」
言いかけて、言葉が詰まる。
この世界で“ただの一般人”は、免罪符にならない。
言ったところで誰も助けてくれない。
レオンが真っ直ぐ言った。
「怖くていい。
怖いなら、俺が前に立つ」
暑苦しい。
でも、ありがたい。
ミラが横から言った。
「前に立って死ぬな。
前に立つなら勝て」
相変わらず刺し方が冷たい。
◇
しずが救護所の外へ出た。
空を見上げる。
灰色の雲の向こうに、黒い線みたいなものが走っている気がした。
鳥じゃない。
煙でもない。
嫌な線。
しずは舌の裏で小さく息を吐いた。
手首の痕を見ないようにして、手袋を引っ張る。
触ると、思い出す。
思い出すと、戻ってしまう気がする。
しずは救護所の裏手へ回って、瓦礫の山を見た。
「……出入口、増やす」
独り言。
でも決意の声。
レオンが追ってきた。
「何すんだ」
「逃げ道作る。
逃げるためじゃない。人を逃がすため」
しずが言うと、レオンが頷いた。
「分かった。俺もやる」
ミラも出てきた。相変わらず足音がしない。
「私は見張る。来たら知らせる」
しずは短く頷いた。
役割が決まると早い。
ここが、この三人の強さだった。
◇
ソラは置いていかれたみたいに立ち尽くしていた。
やることがない。
やれることがない。
それが一番つらい。
ソラは救護所の中で、負傷者の水を替えた。
布を畳んだ。
器を洗った。
戦いじゃないことをやってる間だけ、手が震えない。
そんなソラを見て、しずが言った。
「……それでいい」
「え?」
「余計なことすんなって意味」
しずは言い換えない。
優しさを包むのが下手だ。
ソラは苦笑した。
「俺、役に立たないな」
しずは即答した。
「役に立つ時だけ立てばいい」
ソラが顔を上げる。
「……そんな都合よく?」
「都合よくなる。
そういう奴は、だいたいそう」
しずの言葉は、断言に近い。
根拠はない。経験だけ。
ソラはその断言に、少しだけ救われた。
◇
夕方。
ミラが戻ってきた。
「来た」
たった二文字で、空気が変わる。
レオンが拳を握る。
「本隊か」
「本隊の前。偵察。数が多い」
しずが救護所の布を押さえ、低く言った。
「……準備、間に合わないな」
レオンが言う。
「じゃあどうする」
しずは言った。
「間に合わせる。
間に合わないなら、その場で作る」
ミラがソラを見る。
「ソラ。隠れろ」
ソラが反射で言い返す。
「隠れてどうすんだよ」
「死ぬな。
死ななければ、次がある」
ミラの言い方は冷たい。
でもそれが“生きろ”と同義なのを、ソラはようやく理解し始めていた。
ソラは頷いた。
「……分かった」
頷いた時、胸の奥が――ほんの少しだけ熱を持った気がした。
しずがソラを見た。
その目は、試す目じゃない。
祈る目でもない。
現実の目。
「ピンチになったら呼ぶ。
その時は――立て」
ソラは息を吸った。
怖い。
でも逃げたくない。
「……うん」
救護所の外で、足音が増えた。




