表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/16

第5話 異界への扉

観察者の声が、低く響いた。

「次に観測するのは、凡人とエルフの間に生まれた娘。

 父を知らずに育った彼女アオイナは、残された言葉と影を追おうとしている」


母は火を灯した炉の前で、静かに髪を梳いていた。

アオイナは膝を抱えて、その横顔を見つめていた。


「ねえ、母さん。父さんって……どんな人だったの?」


問いかけに、母は少し目を伏せ、炎を映した瞳を細めた。

「……頼りない人だったよ。剣も魔法も使えない。ただの人間だった」


アオイナは唇を噛んだ。

胸の奥で、父の姿を思い描こうとした。

けれど浮かぶのは母の言葉だけ。


「それじゃ、どうして母さんを守れたの?」


母は柔らかく笑った。

「勇気ってね、強さとは違うの。弱い人が、それでも誰かのために立つこと……あの人は、そういう人だった」


母の手が棚の奥を探り、小さな箱を取り出す。

中には古びた懐中時計が収められていた。

銀の縁は擦れて光を失い、針は止まったままだ。


「これを持っていなさい。父さんが若い頃から肌身離さず持っていたもの。……でもね、もう動かないの」


アオイナはそれを両手で受け取った。

冷たい重みが、胸の奥に沈む。

「どうして止まったままなの?」


「きっと……あの人の時間が終わったから」


その声は淡々としていた。

だが瞳の奥には、深い哀しみが沈んでいた。


アオイナは唇を噛み、拳を握った。

「……そんなの、嫌だ」


母は首を振る。

「私もそう思った。でも、彼が残してくれたものがある。私を守ってくれたこと。あなたをこの世に託してくれたこと。それがすべて」


夜が更ける。炉の火が小さくなる頃、母はアオイナを抱き寄せ、髪に口づけた。

「会いたいな……父さんに」


その言葉は静かに宙に溶けた。


夜明け前、家の裏手にある石畳の広場。

アオイナはひとり立っていた。

白い息を吐きながら、止まった時計を強く握る。


「……父さんの生まれ育った世界を見てみたい」


小さく呟き、石畳に指で〇を描いた。

母から聞いた伝承——命の危機に瀕した時、異界の扉が開き、異なる世界へ。父はこの世界へ、そうやってやってきた。


「それならわたしだって行けるかも…」


母から聞いた話にすがるように、アオイナは挑戦を始めた。


「火に飛び込めば……開くかもしれない!」

アオイナは焚き火に手を突っ込んだ。


「ぎゃあっっつ!!」

指先をじゅっと焦がし、涙目で転げ回る。

…もちろん、狭間は開かない。


「なら、この毒草を食べれば……」

青黒い草を口に入れた瞬間——


「おえええええ!!!ムリムリムリ!」

盛大に吐き戻し、地面にうずくまる。

——やはり、異界の扉は開かない。


「じゃあ……高い所から逆さまに落ちれば!」

近くの崖に逆立ちして挑むアオイナ。


バランスを崩し、

「ひゃあああああ!!」

……泥だらけでずっこけただけ。どこにも開いた扉は見当たらない。


「どうして……どうして動かないの!」

アオイナは時計を振り回し、涙声で叫んだ。

「父さんの世界に連れてってよ!!」


返事はない。

ただ時計の針は沈黙したまま。


歯を食いしばり、彼女は立ち上がる。


「……もう、これしかない」


夜明け、滝壺に立つアオイナ。


「……本当にやるつもりなのか……? いや、まさか」

まだ観察者の声は冷静を装っていたが、その響きにはかすかな動揺が滲んでいた。


轟音と水煙の中で、拳を握る。息は白く、手は震えていたが、瞳は強い光を宿していた。


「…たとえ亡くなっていても。…私は、父さんをもっと知りたい!」


足を踏み出した、その瞬間。


「やめろ! それ以上は取り返しがつかない!」

今まで冷ややかに記録するだけだった観察者が、思わず声を張り上げた。

その声には焦りと——確かな恐怖が混じっていた。


ざわり、と世界が揺れる。空気がざらつき、光が滲む。


「……悪い子だね」

低く甘やかな声が響いた。観察者を嗤うような声音。


「記録者が情で介入するなんて、規範違反だよ。——なら、僕から“サービス”してあげよう」


言葉と同時に、石畳に黒い亀裂が走った。光の糸が漏れ、空気そのものが悲鳴を上げる。

亀裂は渦を巻き、眩い白光がアオイナを包み込んだ。


「っ……う、うあああああッ!」


観察者の声が掻き消される中、彼女は光に呑まれ、落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ