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ただ神は見ているだけ  作者: kuro
二章
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第39話 旅の帳(とばり)

夜の海風が丘を抜け、焚き火の炎をやわらかく揺らした。

一行はルメリアを発って三日、乾いた街道を北上していた。


瓦礫と灰ばかりの大地は、少しずつ緑を取り戻しつつある。

馬車の代わりに、トオヤが拾ってきた荷車を押し、その上には寝転がるアオイナと荷物とがごちゃ混ぜに積まれていた。


「なぁアオイナ。少しは起きて押すの手伝えよ」

「いやですー。癒やし担当は体力温存が大事なんです」

「担当って言葉の使い方間違ってるだろ……」


燈子は笑いながらその横を歩く。

「まぁまぁ、トオヤ。疲れた時は押して、元気な時は引っ張って。そうやって人は進むんだよ」

「……説法調だな、聖女さま」


そのやり取りにカルディスは微かに笑みを浮かべた。

かつて“観察者”だった男も、今はただの旅人だ。

それでも仲間の声に、世界の輪郭を感じる。


ガロウは少し離れたところで、焚き火の火を弄んでいた。

折れた枝を投げ込みながらぼそりと呟く。


「……静かすぎる夜ってのは、逆に落ち着かねぇな」

「戦場の癖だな」カルディスが応じる。

「寝息と火の音だけで、生きてるか確かめたくなる」

「……お前、そういう台詞サラッと言うの、ズルいんだよ」


トオヤが荷車を止めて振り向いた。

「ねぇ、今のちょっとカッコよくなかった? “寝息と火の音だけで生きてるか確かめたくなる”だってさ」

「詩人ぶってるだけだろ」ガロウが吐き捨てる。

だが、その声に笑いが混じっていた。


燈子が草の上に腰を下ろす。

「ねぇカルディス、次の国ってどんなところ?」

「写本僧のミレナ。書を神とし、文字を祈りに変える修道国家だ」


「文字が祈り? じゃあ、私たちの旅も全部……本にされちゃうのかな」

「……かもしれない」

カルディスの答えは淡々としていたが、どこか遠い響きを帯びていた。


風が一陣、焚き火を揺らした。

小さな火の粉が夜空に舞い上がり、星と混じって消えていく。


「おいカルディス」

ガロウが焚き火越しに声をかけた。

「お前さ、なんで俺の動き、いちいち読めるんだ?」

カルディスは視線を火に落としたまま、短く答えた。

「……昔、人を“観て”ばかりいた時期がある」

「観て? スパイでもやってたのか?」

「似たようなものだ。ただ、記すだけの仕事だ」


「……あの時も、か?」

「君が立ち上がる瞬間を、最後の観察として見届けた」


焚き火がぱち、と音を立てた。

ガロウはわずかに目を細め、乾いた笑いを漏らす。

「……冗談きついな。じゃあ俺の“渋い台詞”も記録されてんのか」

「もちろん。あれは良い文だった」

「……やっぱ気持ち悪ぃな、お前」


そのやり取りに、アオイナが寝返りを打ちながらぼそり。

「……二人とも、静かにしてよ……」

「すまんすまん、癒やし担当さん」

「むぅ……」


笑いが零れ、夜風が和らいだ。

それぞれの胸に、まだ消えない熱が灯っていた。



夜が深まるにつれ、焚き火の炎はゆっくりと小さくなっていった。

誰もが沈黙に慣れ、言葉が要らない静けさがあたりを包む。


カルディスはひとり、火の残りを見つめていた。

赤く崩れる炭の光が、まるで世界の底に灯った記録のように見えた。


「観て、記すだけの仕事か……」

隣でガロウが呟く。

「それ、そんなに面白いもんか?」


カルディスは少しだけ笑った。

「面白いと思っていた時期もある。誰かの生を見届けることが、神聖なことだと信じていた」


「で、今は?」

「……今は、ただの重荷だ」


風が火を撫で、火の粉がひとつ、夜空に舞い上がった。


「観察ってのは、結局“生”の外にいるってことだ。痛みも、喜びも、ただ見て記すだけ。けど……君を見た時、少しだけ違った」


「俺を?」


カルディスは頷いた。

「死んだも同然の男が、何も残らなくても立ち上がった。それを見た時、観察じゃなく“理解したい”と思った。それが、俺が神でいられなくなった瞬間の一つだ」


ガロウはしばらく黙り込み、火の中の赤い芯を見つめていた。

「……そんな立派なもんじゃねぇよ。俺はただ、誰かに見られてると思ったら、負け犬のままじゃいられねぇ気がしてな」


「それで十分だ」カルディスは静かに言った。

「人は誰かに見られて、初めて“生きる”」


「お前は今も、誰かを観てるのか?」

「いや。もう観察者じゃない。今は一緒に歩いて、同じ景色を見てるだけだ」


ガロウは短く笑い、立ち上がった。

「……じゃあ、俺が倒れたらちゃんと起こせよ」

「できる限り努力しよう」

「努力って言うな」


その背中に、カルディスの視線が柔らかく触れた。

火の粉がふっと消え、夜は深く沈む。


トオヤの寝息、アオイナの寝言、燈子の微かな寝返り。

誰もが、それぞれの夢の中で明日へと向かっていた。


カルディスは空を見上げた。

星の瞬きが、まるで新しい観察の頁をめくるように光っている。


(…見届けよう。もう神の視点ではなく、人の目で)


風が丘を渡り、焚き火の灰が舞い上がった。

その流れの先に、新たな国の影がぼんやりと浮かんでいる。


写本僧のミレナ

記録を神とし、記すことを祈りとする者たちの国。

そこには、カルディス自身の罪が眠っていた。

他作品書籍化作業の為、毎日更新を停止します。


落ち着いたらまた連載再開いたします。ここまでご覧いただきありがとうございました!

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