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ただ神は見ているだけ  作者: kuro
二章
38/40

第37話 預言波

朝靄が晴れるより早く、街が鳴り始めた。

それは鐘の音でも、市場の喧噪でもない。

声だ。

昨日まで地の底で囁かれていた祈りの声が、今は空から降ってきていた。


…善行一点。奉仕三点。偽善一点。

……懺悔、登録済。赦し、処理中。


低い反響が建物の壁を伝い、窓ガラスを震わせる。

それはまるで、都市全体が巨大な喉を持ったようだった。


「……カルディス、やったのはあなた?」

燈子が言う。

「いや。俺たちは“声を止めた”だけだ。今流れているのは…“止まった記録”が、再生を始めたんだ」


カルディスの目に、わずかな迷いが宿る。

干渉の痕跡が、逆流して世界に溢れ出していた。

アオイナが空を見上げ、震える指で指す。

「あれ……札が、浮かんでる」


空には、善行の札が風船のように舞っていた。

焼かれたはずの札たちが再構築され、

ひとつ、またひとつと祈りを読み上げながら降り注いでくる。


…記録者、カルディス。観察を偽造。赦しの定義、逸脱。


トオヤが息を呑んだ。

「……おい、今の、名前言ったぞ。なんでバレてんだ?」

カルディスは沈黙し、地面に落ちた札を拾い上げる。

そこには、焦げた文字でこう記されていた。


【異端観察者 赦しを以て神を模倣す】


燈子が一歩前に出る。

「これ、誰が書いたの……」

風が吹き抜け、街の鐘楼が鳴った。

その鐘の音の中に、聞き覚えのある声が混ざる。


「あぁ、見よ。神が沈黙するのは、赦しが嘘だからだ。」


カルディスの胸が軋んだ。

ルシオンの声だった。

あの神父が、この街そのものを“預言の身体”として使っている。


アオイナが震えた声で問う。

「これって……人の声を、使ってる?」

カルディスは頷く。

「昨夜、俺たちが触れた井戸。あれが媒介だ。

 声の根が、街の祈りを“預言波”に変えている」


壁の札がひとつ、赤く燃え上がった。

続いて、二つ、三つ。

街全体の光が同調し、信仰の電流が走る。


トオヤが顔をしかめた。

「おいおい、爆発するぞこれ!」

「違う、焼いてるんだ」

カルディスの声が低く落ちる。

「“偽りの善”を炙り出すために。……ルシオンは世界を浄化すると信じている」


燈子が振り向いた。

「カルディス、止められるの?」

「……止めるんじゃない。

 見るしかない。俺が観察者だった頃に撒いた記録が、今、神の声に使われている」


風が強まる。

空に浮かぶ札が一斉に回転し、巨大な文字を描き出す。


【神はまだ見ている】


その光景に、誰も言葉を発せなかった。

街の喧噪も消え、ただ札の声だけが降り注ぐ。

祈りが呪詛に変わる瞬間。

理性の街ルメリアが、ゆっくりと狂い始めていた。



空が鳴った。

白昼のはずなのに、光が灰色に変わっていく。

札が燃え、灰が風に乗って舞うたび、祈りの声がひとつずつ死んでいく。


…善行、失効。赦し、無効。


どこからともなく、無機質な宣告が響いた。

街はまるで“帳簿そのもの”のように律動している。


「カルディス、これ……人々の善行が、取引みたいに消されてる!」

アオイナが叫ぶ。

カルディスは頷く。

「神の声が“観察の帳簿”を乗っ取った。……俺が書いた構造を、そのまま信仰が再生してる」


燈子が怒りを込めて空を見上げた。

「赦しの言葉を、こんな風に使うなんて……!」


その時、空気が歪んだ。

鐘楼の影が波のように揺れ、音が反転する。

次の瞬間、街中の祈りが“逆再生”された。


…焼けた女、赦されざる者…。


燈子の肩が震える。

炎の記憶が一瞬、脳裏に走った。

「……ルシオン!」

風が渦を巻き、灰の中から“声の幻影”が姿を取る。


ローブの中は空虚。

だが顔の輪郭だけが浮かび上がり、歪んだ微笑を見せた。


「赦しを掲げて人を惑わす者よ……お前が神を堕としたのだ」


カルディスは即座に剣を抜いた。

「お前がまだ“声”を使うなら、俺は“沈黙”で答える」


幻影が嗤う。

「沈黙こそ神の言葉。…お前はそれを忘れた」


その瞬間、地面が脈動した。

札の光が人々の影を吸い込み、祈る者の記憶を“巻き戻す”ように蠢く。

アオイナが倒れそうになり、膝をついた。


「時間が……勝手に、戻っていく……」

手のひらが淡く光り、空気の流れが逆巻く。

彼女の髪が宙に浮き、周囲の灰が静止した。


カルディスが駆け寄った。

「やめろ、アオイナ! それ以上は“時間”が君を喰う!」


アオイナは震える声で応えた。

「でも、このままじゃ……みんなが!」


「代償を払えば救えると思うな!」

カルディスの叫びは、祈りよりも鋭かった。

「俺もかつて“止められなかった”。だが今度は、見届ける前に止める!」


光が弾け、時間が一瞬だけ反転した。

人々の影が再び地に戻り……


アオイナの口から、血が滲んだ。


「……だめ、誰かが……消える……」

光が弾けて消え、時間の流れが戻る。

カルディスがすぐに抱き起こす。

「巻き戻しは“救い”じゃない。君が代わりに、削られてる……」


アオイナは微笑もうとして、うまく笑えなかった。

「でも……誰かが生きてるなら……いい、です」


燈子がその手を握る。

カルディスは、彼女の額の汗を拭いながら呟いた。

「赦しと救いの違いを、俺たちはまだ分かっていないのかもしれない」


灰の中で、幻影が嗤う。

「人は、記録を改竄する。それを愛と呼び、救いと呼ぶ。……愚かだ」


その声に、カルディスは剣を構えた。

「それでも見る。神の代わりに、人が見届ける世界を」


風が収まり、幻影は煙のように消えた。

だが街の空気はまだ震えている。

預言波は止まっていない。

ルシオンの声はどこかで、まだ次の神託を準備している。


カルディスは空を見上げた。

灰が降る空に、誰かの記録がまた燃えていく。


「……俺たちが、止めなきゃな」


その言葉が、灰色の風に溶けた。



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