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ただ神は見ているだけ  作者: kuro
二章
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第33話 歪みの都ルメリア

人が神を必要とするのは、恐れを忘れないためだ。

だが恐れが、祈りを歪ませることもある。

そのとき、信仰は“安らぎ”ではなく“鎖”へと変わる。


私はかつて、何百もの国を観た。

祈りの形は違えど、どの国にも「神の名を借りた人」がいた。


神の沈黙は、いつの時代も同じだ。

だが沈黙を恐れる者ほど、

“声を聞いた”と言い張る。


そして今…また一つ、

その“声”に支配された国がある。



カルディスは、濃い靄の向こうに浮かぶ岸を見つめていた。

ルメリア……地図上では王国と呼ばれているが、実態はひとつの教団国家だった。

宗都を中心に、すべての市民が「祈りの帳簿」を持ち、

善行と贖罪を数値で管理される。


船の甲板に立つカルディスの外套が潮風に揺れる。

その隣で燈子が、モーニングスターの鎖を点検していた。


「まるで“観察”を制度にしたみたいね」

彼女の声には皮肉と、かすかな怯えが混ざっていた。


「観察の模倣は、いつも制御を失う」

カルディスは答えた。

「本来、見るだけだった記録が、裁きに変わる。それがこの国の歪みだ」


ガロウが舳先から身を乗り出し、遠くの尖塔を見据えた。

「教会の塔が……赤く染まってやがるな。夕陽か?」


「いいえ、炎の跡よ」

アオイナが囁くように言った。

彼女の指先の懐中時計が、ひとりでに揺れていた。

針がわずかに震え、時間を測りかねている。


「……この街、どこかで“時間”が狂ってる」


その一言に、カルディスの眉がわずかに動く。

観察者としての感覚が、久しぶりに疼いた。



港に着くと、香と血の混ざったような匂いが鼻を刺した。

波止場には膝をついた信者たちが列をなし、

頭上には白布で覆われた巨大な像が掲げられている。


その布の隙間から、うっすらと覗く人影の輪郭。

燈子は足を止めた。

「……この像、まさか……」


風が吹いた。

白布がめくれ、光の中に現れたその顔は……

燈子自身だった。


群衆が一斉にひれ伏す。

「聖女が……帰られた!」

「火を逃れ、再び我らを導く!」


ざわめきが波のように広がる。

燈子は後ずさりし、モーニングスターを握り締めた。

カルディスが彼女の前に立ち、声を低く落とす。


「……偽物だ。君を模した“偶像”だ」


「でも、どうして……」


「“狂ったあの神父”の声が届いている」

カルディスの眼が細められた。

「彼は、ここを支配している。神の名を騙り、“観察”を預言に変えた」


遠く、鐘が鳴った。

その音は祈りではなく、処刑の報せのように重く響いた。


カルディスは帽子の庇を下げ、低く呟く。


「観察者を失った世界は、観られることを求め、自らを見世物に変えた…」



ルメリアの街は、祈りの音で満ちていた。

鐘が鳴るたびに、札の数字がひとつ変わる。

人々は立ち止まり、胸元の金属札を確かめてから再び歩き出す。

それが、ここでの“信仰”の証だった。


「……あれは?」

トオヤが眉をひそめた。


カルディスは指先で示す。

「善行の記録板。誰かが、祈りを“取引”に変えたんだ」


ガロウが鼻を鳴らす。

「取引? まるで商人の帳簿だな」


「実際、そうだ」

カルディスは低く続けた。

「形式は古い。ナディア商会が使っていた“信用札”を模している。祈りの量を数値化し、善を数字で測る……悪質な模倣だ」


アオイナが目を伏せた。

「彼女が知ったら、きっと怒るね。“取引は祈りじゃない”って、いつも言ってたのに」


カルディスは黙って頷いた。

街を支配しているのは、理性ではなく信仰の模造品。

本来は人と人を繋ぐ道具だった記録が、

いまや“神の帳簿”として命を裁いている。


その時、奥の通りで鈍い音がした。

金槌で石を叩くような、規則的な衝撃。


角を曲がると、広場に人の輪ができていた。

中央に跪くのは、一人の老人。

白い布を被り、震える手で札を掲げている。


「私は善を偽った。記録を誤魔化した」


群衆の中から、金属棒を持った神官が進み出る。

顔の半分を布で覆い、その瞳だけが異様に光っていた。


「罪を認めるか」


「……認めます」


「ならば、清算を」


乾いた音が響いた。

老人の札が割れ、赤い光が溢れ出す。

光が消えたとき、そこに人影はなかった。


燈子が息を呑む。

「……今、消えた?」


「“救済”の形をとった処刑だ」

カルディスの声は静かだった。

「信仰を商いに変えた連中の行き着く先だよ」


トオヤが怒りを隠さず言う。

「人の命、数字で決めていいわけねぇだろ……!」


「彼らにとっては、数字こそ信仰なんだ」

ガロウが唸る。

「神の帳簿に赤字を出したら消されるって寸法か」


アオイナは震える声で言った。

「……でも、どうして“帳簿”なんて形を選んだの?」


カルディスは少しだけ目を細めた。

「人は“見られている”と思うことで、自らを正そうとする。観察者が消えたあと、その不安を埋めるには……帳簿という“神の眼”が最も手っ取り早かった」


風が吹いた。

広場の上空に、低い声が響いた。


《偽りの者は塵と化せ》


空気が震えた。

耳で聞こえるのではなく、胸の奥を叩くような声。


カルディスと燈子はその声を知っていた。

「神父ルシオン……」


燈子が拳を握りしめる。

「あの人……まだ、追ってきてるの?」


「生きている。いや、“神の声”として生き延びたつもりでいるんだろう」


群衆は一斉に膝をついた。

誰も顔を上げない。

祈りという名の恐怖が、街全体を覆っていた。


カルディスは空を見上げた。

かつて自分が“観察者”として俯瞰していたはずの空。

そこに、今は誰の視線もない。

だが、人々は“見られている”と信じている。


「神が沈黙しても、人は“見られること”をやめられない……」


アオイナが小さく問う。

「じゃあ、どうしたらいいの?」


カルディスは静かに答える。

「見るんだ。恐れではなく、理解のために。観察は罰じゃない。赦すための記録だ」


その言葉に、燈子は頷いた。

「なら、私たちが見る。誰も裁かれないように」


トオヤは顔を上げて言う。

「悪い奴らは俺が見張る! だってさぁ〜、団長だし!」


笑いがわずかに生まれた。

ほんの一瞬、歪んだ祈りの国に人の温度が戻った。


風が通り抜け、札の鎖が鳴る。

その音はまだ冷たかったが、確かに…

誰かが見ている、ではなく、「共に見ている」という響きだった。

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