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ただ神は見ているだけ  作者: kuro
一章
30/40

第29話 嵐の果て、港町リューネ

潮の匂いが、雨上がりの風に混じっていた。

夜を越えた波打ち際には、砕けた板切れと焦げた木箱が漂着している。

その隙間を縫うように、四人の影が歩いていた。


アオイナが足を止め、砂の上の何かを拾い上げた。

掌の上には、欠けた陶器の小皿。

中央には、焼け焦げた小さな聖印……航海の無事を祈る「祈りの器」だった。


「……これ、祈りの器だよね」

燈子がそっと覗き込む。


アオイナは頷き、焦げた縁を指先でなぞった。

「母が言ってました。海を渡る人たちは、祈りを形にして流すんだって」


ガロウが、手のひらに広がる黒砂を見つめた。

「けど、祈りも焼けりゃただの灰だな……嵐が街ごと飲み込んだってことか」


遠く、半壊した防波堤の向こうで帆柱が折れ、

焦げた縄が風に揺れている。


トオヤは折れた帆柱に登ろうとして、カルディスに首根っこを掴まれた。

「触るな。まだ焦げてる」

「……あんた、なんでわかるんだよ」

「“昔、見たことがある”」

その言葉の意味を、誰も深くは聞かなかった。


カルディスは足を止め、空を見上げた。

「……この風は、彼女の匂いがしない」


「彼女って……ナディアのこと?」

燈子が尋ねる。


カルディスはゆっくり頷いた。

「嵐が街を裂いても、彼女なら動いていると思った。

 だが……静かすぎる」


風が止み、波音が遠ざかる。

焦げた桟橋を渡る足音だけが、広い港に響いていた。


港の通りには、人の気配がなかった。

割れた硝子と、潮に濡れた紙屑が風に転がる。

どこかで扉が軋み、鈴の音が一度だけ鳴って消えた。


 


トオヤが鼻をしかめる。

「……人の匂いが、しねぇな。“商会”ってもっとこう、魚とか香辛料の匂いとかするもんだろ」


カルディスは足元の砂を見つめた。

白かったはずの石畳は、煤で灰色に変わっている。

その先に……崩れかけた倉庫。


焦げた看板には、かろうじて読める文字。


《ナディア商会》


燈子が立ち止まり、小さく息を呑んだ。

「……ほんとに、なくなっちゃったんだ」


アオイナは残骸のそばにしゃがみこみ、

黒焦げた布切れを拾い上げた。

布には、子供の落書きのような線……

二つの手が握り合う“商会旗”の一部。


「これ、きっとナディアさんの旗だよ。“人を信じる商い”って……そんな感じがする」


カルディスは無言でその布を受け取り、

煤を払って胸に握りしめた。


(観察者だった頃、記録しただけの風景。だが今は違う――触れることができる)


アオイナは帳簿の切れ端を拾った。

「“今日も取引成立、子どもたちにパンを”……」

彼女の指が震える。

「この字……優しいですね」

「ああ、商売ってのは、人を救う手段にもなるんだ」

ガロウの声が、潮騒に溶けていった。


ガロウが静かに言った。

「信じるってのは、簡単じゃねぇ。でも……あの人、本気だったんだな」


カルディスは微かに笑った。

「“利益より誇りを残せ”。彼女の口癖だ。……最後まで、それを貫いたんだろう」


波音がまた近づき、崩れた扉を揺らした。

焼け焦げた街に、潮の匂いが広がっていく。


瓦礫の奥、崩れた石壁の陰に“集会所”の跡があった。

壁は黒く焼け、そこかしこにひび割れが走っている。

近づくと、煤の下に奇妙な刻印が見えた。


《光を求めよ、沈む者を裁け》


 


アオイナが声を落とす。

「……祈りの言葉?」


カルディスはその刻印に手をかざし、低く答えた。

「いや。これは祈りの皮を被った命令だ。信仰が燃えるとき、理性は灰になる」



燈子は息を呑んだ。

「じゃあ……これ、教団が?」


「そうだろう」

ガロウが呟く。

「街を守るはずの祈りが、人を焼いたんだ」



アオイナは壊れた聖印を握りしめた。

「祈りが、こんなふうに……燃えるなんて」


カルディスは静かにその横顔を見た。

「火は、使い方を間違えれば破壊になる。けれど同じ火が、人を導く灯にもなる。……ナディアは、それを知っていた」


トオヤが瓦礫をどかしていた手を止め、

「おい、これ……地図じゃないか?」と声を上げた。


彼の掌には、焦げ跡の残る羊皮紙。焼け残った線の先…赤い航路が、北へ伸びている。


ガロウが眉をひそめる。

「北……嵐の中心か。……まさか、止めに行ったのか?」


カルディスは視線を落とし、

地図の端に残る文字を見た。


《リューネ出航:ナディア隊、北行》


(彼女は逃げたのではない。信仰に呑まれた世界を……止めに行った)



風が吹き抜け、灰が舞った。

アオイナが胸の時計を見つめる。

針が、一瞬だけ“止まる”。

すぐにまた動き出した。


トオヤが空を仰ぎ、息を吐いた。

「ったく……どいつもこいつも、動いてばっかだな。でもまあ、悪くない」


カルディスはゆっくりと顔を上げた。

遠くの海は、灰色のまま静まり返っている。


「波の向こうで、誰かの祈りがまだ燃えている」


トオヤ「行くんだろ?」

カルディス「……ああ。彼女が止めようとした“嵐”を、見届ける」

燈子「だったら、わたしたちも行く」

アオイナ「止めるだけじゃない。救えるかもしれない」

カルディスは初めて、ほんのわずかに笑った。

「……観察じゃなく、同行者か」


そして、一行は北を見た。

そこに…次の嵐が待っていた。

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