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ただ神は見ているだけ  作者: kuro
一章
29/40

第28話 薬師の娘

風が止んでいた。

夜明けの光が、波に砕けた泡を金に染めていく。


燈子は小屋の外で濡れた外套を干しながら、

ふと、背後の戸口を見た。


「……まだ寝てる?」


中ではカルディスが粗末な寝台に横たわっていた。

包帯が額から頬にかけて巻かれ、胸元にはまだ血の滲んだ跡が残る。


小瓶を抱えたハーフエルフの少女…アオイナが、その傍らに座っていた。

彼女の指は器用に薬草をすり潰し、灰色の薬液を混ぜている。


「もう少しで熱は下がると思う」

声は小さいが、芯がある。


燈子が首を傾げる。

「……その薬、どこで覚えたの?」


アオイナは小さく息を吐いた。

「覚えたってほどじゃないの。ただ、旅の途中で見よう見まねで……」

「師匠とかは?」

「いない。……でも、母が少しだけ薬のことを知ってた。だから、残された本を読んで、独りで試してたの」


彼女の指先には、無数の小さな火傷や切り傷がある。

それでも薬草を混ぜる手つきに迷いはなかった。


「不思議ね」

燈子は微笑む。

「さっきの夜、あなたの手に触れた時……あったかかったの。普通の熱とは違う感じ」


アオイナは一瞬だけ目を伏せ、照れたように笑った。

「え、えっと……緊張してたからかも。ほら、初めてちゃんと人を助けたから……」


彼女の胸元、懐中時計の針が……また、ほんの一瞬だけ微かに震えた。

けれど、誰もそれには気づかない。



小屋の奥で、木の軋む音がした。

アオイナが顔を上げる。


カルディスの指が、わずかに動いた。


「……意識が戻った?」

燈子が駆け寄る。


アオイナは頷き、小さく安堵の息を漏らす。

「よかった……効いてるみたい」


その声に反応するように、カルディスの瞼がゆっくりと開いた。

薄い光が、焦点を取り戻す。


「……ここは?」


「海辺の小屋。漂着したのを、わたしたちが運んだの」

燈子が短く説明する。


カルディスは周囲を見回し、そしてアオイナに視線を止めた。

「君が……助けてくれたのか」


アオイナは首を振る。

「いえ……ただ、応急処置をしただけです。

 でも、本当はもっと早く処置できてたら……」


言葉が詰まる。

悔しさと、自責の影がその瞳に浮かんでいた。


カルディスは少しだけ目を細めた。

その表情は、かつて“観察者”として人間を記録していた頃と同じ……

けれどそこには、温度があった。


「君は、よくやった」


「……え?」


「命というものは、治すものではない。繋ぎ止めるものだ。

 君はそれをやった。迷いながらも」


アオイナは唇を噛み、そして小さく頷いた。

「……母も言ってました。

“治すより、寄り添うことを覚えなさい”って。

そして父も……“繋ぐ”って……」


言葉の続きは、波の音に消えた。


「いい言葉だ」

カルディスの声がわずかに柔らぐ。


外では波音がゆるやかに続いていた。

燈子とトオヤは互いに目を合わせ、小さく笑い合う。


(この人……悪い人じゃない)

トオヤは小声で呟いた。

「だってさぁ〜、もう旅の仲間決まりだろ?」


燈子が肘で軽く突く。

「そういうのは、もう少しタイミング見なさい」



波打ち際の風が、カーテンをそっと揺らした。

カルディスは上体を起こし、まだ痛む肩を押さえながら、外の光を見た。


水平線の向こうで、雲の切れ間から細い陽光が差している。

灰のような夜を越えて、ようやく訪れた朝だった。


アオイナが薬箱を閉じ、少し照れたように笑う。

「もう動いても大丈夫……だと思います。

 でも無理はしないでくださいね」


「助かった。……礼を言う」

カルディスは静かに言葉を落とす。

彼の視線は、まだどこか遠くにあった。


「これから、どこへ?」

アオイナの問いに、燈子が肩を竦める。

「西の港町。ナディアって人を探してるんだ」


「ナディアさん……?」

アオイナは首を傾げるが、その名に何かを感じたように眉を寄せた。


ガロウが笑って言う。

「とりあえず、生きてるだけでもう上出来だ。

 お嬢ちゃんも無理せず帰りな」


だが、アオイナは首を横に振った。

「わたしも……行きます」


その言葉に、全員が目を向けた。


「理由は?」カルディスが尋ねる。


アオイナは胸の前で時計を握りしめた。

「……父さんの言葉が、まだ全部わからないんです。

 “勇気は、繋ぐことだ”って。

 でも、その意味を確かめたい。

 あなたたちと旅をすれば、何か見える気がするから」


沈黙が、波音の合間に落ちた。



カルディスは短く息をつき、そして頷いた。

「ならば来るといい。……責任を持って、生き延びろ」


アオイナは力強く頷き、微笑んだ。


その時……

彼女の胸元で、止まっていた懐中時計が一瞬だけ“カチリ”と動いた。


誰も気づかなかった。

ただ、カルディスだけがその音に目を細める。


(……時間が、揺れた)


沈黙を破るように、トオヤが勢いよく手を上げた。

「よっしゃ! 新しい仲間ゲットだな!」


燈子が吹き出す。

「また“団長ごっこ”?」


「ごっこじゃねぇって! 燈子姉ちゃんが一人目で、

 この子が二人目! 義賊団リターンズだ!」


アオイナは目を瞬かせて笑った。

「……団長さん、頼りにしていいの?」


「だってさぁ〜、もちろんだ!」

トオヤは胸を叩く。


カルディスが小さく息をつき、

「喧騒も悪くないな」とだけ呟いた。


遠くの空に、わずかな歪みが走る。

雲がねじれ、光が一拍遅れて瞬いた。


カルディスは空を見上げ、微かに呟く。

「観測の帳が……再び開くのか」


風が吹く。

塩の匂いとともに、旅の始まりを告げるように。

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