第23話 水路を抜けて
水路の奥は、ひどく静かだった。
滴る水の音が、やけに遠くに感じる。
燈子は濡れた髪を払い、足を止めた。
「……空気が違う。外の風、だよね?」
カルディスは剣の柄に手を添えたまま、視線を奥へ向ける。
「……違う。これは“流れ”の匂いだ。強い水が動いている」
ガロウが杖で足元を突いた。
ぬるりとした感触。
「おい……床が……」
トオヤが松明をかざす。
その灯に照らされて、壁のひび割れから何かが滲み出した。
透明な粘液が水に溶け、ゆらりと動く。
「スライム……?」燈子が息を呑む。
だが、いつものように襲いかかってはこない。
それは形を保てず、まるで命を失ったように崩れ落ち…
次の瞬間、水面へと溶けて消えた。
「……おかしいな」トオヤが首をかしげる。
カルディスの声が低く響く。
「逃げたんじゃない。押し流されたんだ。水の流れが……変わっている」
その直後、遠くで鈍い轟音が響いた。
まるで巨獣の咆哮のように、地下を揺らす。
ガロウが顔を上げた。
「嫌な予感がする。……おい、天井、ひび入ってるぞ!」
次の瞬間…
大地が鳴った。
奥の闇から、凶暴な水の唸りが走る。
「全員、掴まれッ!」
カルディスの叫びと同時に、濁流が押し寄せた。
濁流は獣のように唸りを上げて突き進んできた。
黒い水が壁を削り、瓦礫を巻き込みながら押し寄せる。
「うわぁぁぁっ!!」
トオヤが足を取られ、宙に浮いた。
「トオヤ!」
燈子は叫ぶと、反射的にモーニングスターを投げた。
鎖の先端が壁の格子に絡みつき、鉄の鈍い音を響かせる。
その鎖を左腕に巻きつけ、もう片方の手でトオヤの袖を掴んだ。
「……離さないで!」
「離さねぇよッ!」
二人の手を濁流が叩き、皮膚が切れる。
それでも、繋がった指は離れなかった。
ガロウは剣を抜こうとしたが、
柄を握った瞬間に激痛が腕を走った。
「クソッ……もう、剣は……!」
迷っている暇はない。
彼は背中の杖を掴み、流木を支えるように差し出した。
「掴めぇっ!」
燈子がトオヤを押し上げ、
トオヤが杖を掴む。
その瞬間、ガロウの体ごと引きずられるほどの重み。
「おいおい……折れるなよ、相棒……!」
歯を食いしばって踏みとどまり、
杖が水の勢いを受け止める。
その背後で、カルディスが剣を振り抜いた。
崩れ落ちてきた鉄柵を斬り落とし、
流れの一部を壁際に逸らす。
「トオヤ、上へ! 高台にロープを結べ!」
「了解!」
少年は水の上を飛ぶように駆けた。
足場もないのに、
瓦礫の浮き石から次の足場へ、猫のように軽やかに跳ぶ。
濁流の中で、松明の灯が小さく瞬き、
少年の影を追った。
「……やるな」ガロウが唸る。
カルディスが低く答える。
「生きる術を知っているだけだ。だが、見事だ」
トオヤが高台に辿り着き、
濡れた手でロープを引き上げ、必死に結ぶ。
「……よし、これで!」
カルディスが頷き、
「全員、掴まれ!」
四人は一斉に身体を持ち上げた。
濁流が真下を通り抜け、
天井の亀裂から光の筋が落ちる。
その光を浴びながら、
ガロウは杖を見下ろした。
焦げた木肌に、わずかな熱が残っている。
「……剣より、しっくりくるな。お前は」
カルディスがその横顔をちらりと見て、
「なら、それを極めろ」
ガロウは鼻を鳴らし、口の端を上げた。
「へっ、魔法棒士の誕生か」
轟音がようやく遠のいた。
壁際に上がった四人は、しばし荒い息を吐きながら沈黙していた。
濁流が通り過ぎた通路は、もはや原形を留めていない。
崩れた橋脚、砕けた石壁、漂う松明の火。
水はなお音を立てて流れていたが、
その向こうに…淡い光が見えた。
「……外だ」
トオヤが立ち上がる。泥まみれの顔に笑みを浮かべ、
胸を張って言った。
「ほらな! 俺がロープ結んだから助かったろ? やっぱり団長は頼りになるんだ!」
燈子が吹き出した。
「うん、義賊団の団長さま。かっこよかったよ」
「だろ!? これが“義”ってやつさ!」
誇らしげに胸を張る少年の背で、
ガロウが杖を肩に担ぎながら笑った。
「おい、団長。次はこの魔法棒士にも称号をくれねえか?」
トオヤが首を傾げる。
「魔法棒士?バカにすんなって怒ってたじゃん?」
「剣は振れねぇけど杖は振れる。
魔法も少しは撃てる。……つまり俺は“棒”の勇者だ」
カルディスが小さくため息をつく。
「聞き慣れない職業だな」
燈子が笑いを堪えきれずに吹き出した。
「いいじゃん、棒の勇者ガロウ!」
ガロウは肩をすくめ、
「おう、笑ってろ。今に見てろよ。
この棒一本で世界救ってやるからな」
水音が次第に静まり、
闇の奥から、風が吹き抜けてきた。
生暖かいが、確かに外の空気。
カルディスはふと背後を振り返る。
暗闇に沈んだ水路の奥には、
数えきれないほどの水滴が光を受けて煌めいていた。
「……この子たちは、どこまで行くのだろう」
誰にともなく呟いたその言葉は、
かつての“記録者”としての名残に似ていた。
彼の胸の奥で、かすかな声が囁く。
…この流れの先に、また別の物語が待っている。
…ならば、記すよりも“見届けて”みよう。
カルディスは静かに歩き出す。
その背を追い、三人も足を進めた。
やがて、遠くの天井が裂けるように光を差した。
夜の水路に、地上の月光が注ぎ込む。
トオヤが目を細め、
「……綺麗だな」
燈子は頷き、濡れた髪を掻き上げた。
「うん。やっと……外に出られる」
四人はゆっくりと光の方へ進む。
足元に響く水音が、まるで新しい旅立ちの鼓動のように続いていた。




