第12話 偽りの聖女
観察者の声が記す。
——少女、刃を振るい、民を救う。
——だが歓声はやがて鎖となり、信仰は縄となる。
——帳簿に残るは“束縛”。
燈子の名は、すでに村から村へと駆け抜けていた。
盗賊を退け、獣を斬り、魔物を払った少女。
「聖女」「剣聖」と呼ばれ、祈りと賛美がついて回る。
ユアンは胸を張って彼女を支えた。
「燈子、みんなお前を信じてる。俺だって誇らしいよ」
燈子は笑顔を返すが、心の奥にはわずかな不安が沈んでいた。
(……本当に、わたしは聖女なの?)
その不安を掻き消すように、神父の声が群衆に響いた。
「見よ! 神はこの娘を遣わされた!
その刃こそ審判、血こそ聖なる供物!」
彼の瞳は狂気に濡れ、両手は天を仰いで震えていた。
祈りはやがて絶叫となり、群衆は涙ながらにひれ伏す。
「聖女様……! お導きを!」
「どうか救いを!」
燈子は剣を胸に抱きしめた。
(わたしは……守るために戦うんだ)
だが、その熱狂を冷ややかに眺める目もあった。
領主、代官、そして神殿の上層。
彼らは互いに視線を交わし、密やかに笑う。
「使えるな。信仰は剣より鋭い」
「この娘を掲げれば、民心は我らのものだ」
その囁きは燈子に届かない。
ただ、群衆の声に押されるまま、剣を掲げ続けるしかなかった。
観察者の声が記す。
——少女、偶像となる。
——信仰は剣を奪い、意志を縛る。
——帳簿に残るは“操り人形”。
だが、その文字は再び滲んだ。
——彼女の瞳にはまだ、自らの意志が残っている。
夜、燈子はユアンと並んで焚き火に当たっていた。
「……なんだか、怖いんだ」
彼女は呟く。
「みんな、わたしを聖女って呼ぶけど……わたしは、ただ戦ってるだけで……」
ユアンは泥だらけの手で火をかき回し、真っ直ぐに言った。
「俺は知ってるよ。燈子は聖女でも剣聖でもない。俺の隣で必死に泥にまみれてきた燈子だ」
その言葉に、胸の重石が少しだけ軽くなった。
だが翌日もまた、祈りと歓声は燈子を追い立てる。
そしてその熱狂は、やがて彼女を罠へと導いていくのだった。
観察者の声が記す。
——少女、称えられた名を奪われる。
——信仰は権力に絡め取られ、裏切りは縄となる。
——帳簿に残るは“陥落”。
広場には群衆の渦ができていた。
壇上に立たされたのは、両手を縛られた燈子。
わずか数日前まで「聖女」と崇められた少女は、いま「偽りの剣聖」と罵られていた。
領主は冷たい声で告げる。
「この者は権威を乱し、民を惑わす偽りの聖女である」
神父は壇の下から叫んだ。
「炎は浄め! 彼女の魂を神へ返すのだ!」
陶酔に濡れたその顔は、信仰ではなく狂気の色を帯びていた。
燈子は視線を彷徨わせた。
(……どうして、こんなことに……)
群衆の隅で、ユアンが必死に叫ぶ。
「燈子! 行くな! 一緒に帰ろう!」
兵に押さえ込まれ、顔を血に染めながらも声を張り上げる。
「お前は本物だ! 神なんかじゃなく……俺が知ってる燈子なんだ!」
その叫びが胸を抉る。
燈子の頬を涙が伝った。
さらに、農民兵の一人が血を吐きながら声を張った。
「お前ならきっと……本物の聖女になれる……!」
そのまま兵士の槍に胸を貫かれ、地に崩れ落ちる。
燈子は目を閉じ、縛られた拳を握りしめた。
(……わたしは……聖女じゃない。けど……)
壇上の神父が両手を天に突き上げる。
「魂は救われる! 炎は審判の御業なり!」
陶酔に震える祈りが、群衆をさらに熱狂させた。
観察者の声が記す。
——仲間は走るも間に合わず。
——祈りは届かず。
——帳簿に残るは“殉教”。
火刑台の下で火が灯される。
炎が木組みを舐め、じわじわと熱が迫ってくる。
ユアンの絶叫が広場を震わせた。
「やめろぉぉぉぉぉぉ!!」
農民兵の亡骸が転がる。
神父の祈りが響く。
群衆の歓声が渦を巻く。
そして…
炎が、燈子を包み込んだ。
観察者の筆先が震える。
記すべきは“死”。
だが黒いインクは滲み、頁に広がっていった。
——なぜ、手が止まる。
炎の中、少女の影が揺れる。
歓声は轟き、祈りは天へ昇る。
観察者はただ見下ろす。
その胸に、今までにない痛みが走っていた。
——少女、ここに果てる。
帳簿の文字がそう刻まれた瞬間、頁が赤く染まった。
物語は、幕を閉じた。