9.夜明けの誓い
二人は邸宅へ戻る途中、中庭に差し掛かった。
月の光が美しく庭を照らし、風に揺れる花々が静かに香る。
「少しだけ、ここで休んでもいいですか?」
ルシアがそう言うと、アレクシスは微笑みながら頷いた。
「ええ。あなたが疲れていなければ、しばらくここにいましょう。」
二人は、白い石造りのベンチに腰を下ろした。
夜風が心地よく、静けさが二人の間に穏やかな時間をもたらしていた。
「……不思議ね。」
ルシアがふと呟いた。
「何がです?」
「今まで、結婚なんて家のためのものだと思っていたのに……あなたと過ごす時間が、こんなにも心地よくなるなんて。」
アレクシスは静かに彼女を見つめた。
「私も、同じように感じています。」
「……本当?」
「ええ。」
アレクシスは、迷いなく答えた。
「最初は、ただの義務としての婚約でした。しかし、あなたと過ごすうちに、私はあなたを知りたいと思うようになった。」
ルシアは彼の言葉を聞きながら、静かに胸に手を当てた。
(私は……この人のことを、もっと知りたい。)
「私も、あなたをもっと知りたいわ。」
ルシアの言葉に、アレクシスは満足げに微笑んだ。
「ならば、ゆっくりとお互いを知っていきましょう。」
彼はそう言うと、そっとルシアの髪に手を伸ばし、風に揺れる一本の髪をそっと指に絡めた。
「あなたの髪は、夜の空のようですね。」
「……え?」
「月の光を浴びると、柔らかく輝く。」
ルシアは驚いたように彼を見つめた。
彼の指先がほんの一瞬、優しく髪を撫でた。
それは、貴族の社交の場で見せる洗練された仕草ではなく、
本当に大切なものを触れるような、慎重な優しさだった。
その瞬間、ルシアの胸が静かに熱を帯びた。
(この人は……こんなに優しく触れるのね。)
彼の手の温もりが、心の奥にじんわりと染み込んでいく。
「……そろそろお送りしましょうか。」
アレクシスが静かに言った。
ルシアは、名残惜しそうに微笑んだ。
「ええ……ありがとう、アレクシス様。」
彼の名前を呼んだ時、彼の表情がわずかに柔らいだのが分かった。
(この夜を、私はきっと忘れないわ。)
ルシアはそう思いながら、アレクシスの隣を歩き始めた。
ルシアを邸宅まで送り届けた後、アレクシスはしばらくその場に佇んでいた。
彼の胸には、確かな感情が芽生えていた。
(私は……この人と共に生きたいと思っている。)
それは、義務ではない。
彼自身が選び、望んだ道だった。
夜明けが近づき、空がわずかに白み始める。
彼はその光を見上げながら、静かに誓った。
(ルシアを、必ず幸せにしよう。)
騎士としての誓いではなく、ひとりの男としての誓いだった。
迎えた結婚の日
王宮の大聖堂に、荘厳な鐘の音が響き渡った。
この日、ルシア・フォン・エーベルハルトとアレクシス・フォン・リューンハイムは正式に夫婦となる。
高い天井には美しいフレスコ画が描かれ、聖堂のステンドグラスを通して降り注ぐ光が、白い大理石の床に色鮮やかな影を落としていた。
祭壇の前に立つアレクシスは、騎士の礼服を身にまとい、背筋を伸ばして待っていた。
彼の横顔にはいつもと変わらない冷静さがあったが、その瞳には確かな決意が宿っていた。
(今日から、彼女が私の妻になる。)
静かに息を整え、扉の向こうを見つめる。
そして——、聖堂の扉がゆっくりと開いた。
ルシアが父に手を引かれ、ゆっくりとバージンロードを歩いてくる。
純白のウェディングドレスに身を包んだ彼女は、光を浴びてまるで天使のようだった。
長いヴェールが風に揺れ、銀の刺繍が美しく輝く。
(……綺麗だ。)
アレクシスは無意識に息をのんだ。
ルシアもまた、彼を見つめながら歩を進めた。
騎士としての誇りを纏った彼の姿は、堂々としていて、どこか安心感を与えてくれる。
(この人が、私の夫になるのね。)
父の手がアレクシスへと渡される。
彼は静かにルシアの手を取った。
その手は温かく、しっかりとした力を持っていた。
神父が誓いの言葉を告げる。
「汝、アレクシス・フォン・リューンハイム、この女性を生涯の伴侶とすることを誓いますか?」
「誓います。」
アレクシスの声は落ち着いていた。
「汝、ルシア・フォン・エーベルハルト、この男性を生涯の伴侶とすることを誓いますか?」
「誓います。」
ルシアの声は少し震えていたが、迷いはなかった。
指輪を交換し、誓いの口づけを交わす。
この瞬間、二人は正式に夫婦となった。
聖堂に拍手と祝福の声が響き渡る。
(これが、私たちの新しい人生の始まり……。)
ルシアは静かにアレクシスの手を握り返した。
彼もまた、優しく微笑み、彼女の手を包み込んだ。