6.王都の市場へ
市場へ行きたいというルシアの提案に、アレクシスは思わず笑った。
彼女は時折、貴族らしからぬ発想をする。
それが彼には新鮮だった。
「市場は活気があって、色々なものが見られるわ。」
ルシアは、まるで少女のように目を輝かせながら話す。
「貴族が市場に行くことは珍しいですが……確かに面白いかもしれませんね。」
アレクシスは少し考え、彼女の提案を受け入れることにした。
「分かりました。次の休みに行きましょう。」
「本当に?」
「ええ。ただし、身分を隠して行きますよ。目立っては市場の人々に迷惑をかけますから。」
ルシアは嬉しそうに頷いた。
「いいわ。では、庶民の服を用意しましょう。」
彼女の屈託のない笑顔を見て、アレクシスはふと、昔の自分を思い出した。
まだ幼い頃、父の目を盗んで街へ抜け出し、民の生活を眺めていた日々。
(また、あの頃のように自由な気持ちになれるだろうか……)
彼はそんなことを考えながら、馬を走らせた。
数日後、二人は庶民の服を身にまとい、王都の市場へと出かけた。
ルシアはシンプルなドレスを身につけ、髪をゆるく編み込んでいた。
貴族の華やかさを隠しても、その美しさは目を引くものだった。
「似合っていますよ。」
アレクシスがそう言うと、ルシアは少し照れて小さく笑った。
「ありがとう。でも、あなたも素敵だわ。」
アレクシスも普通の服を着ていても、持ち前の品格を隠せなかった。
それでも、市場の賑わいに紛れれば、二人が貴族だと気づく者はいなかった。
露店には新鮮な果物やパンが並び、人々の活気に満ちていた。
ルシアは店先で、小さな焼き菓子を買い、それをアレクシスに差し出した。
「食べてみて。美味しいわよ。」
アレクシスは微笑み、
「ありがとう」と言ってその焼き菓子を口にした。
香ばしい甘さが口の中に広がる。
「……おいしいですね。」
「でしょう?」
ルシアは得意げに微笑んだ。
庶民の生活は貴族とは違うが、そこには貴族にはない自由がある。
それを、アレクシスは久しぶりに思い出した。
二人は市場の片隅にある小さな広場で休憩をとった。
子供たちが遊び、音楽家が楽器を奏でている。
ルシアはふと、楽しそうに踊る少女を眺めながら呟いた。
「……私は、こういう時間を持てるとは思わなかったわ。」
「どういう意味ですか?」
アレクシスが尋ねると、ルシアは少し寂しそうに微笑んだ。
「私は、貴族の娘として生まれ、幼い頃から『良き妻』になるよう教育されてきたわ。
だから、こうして好きな場所に出かけて、好きなことをするなんて……考えもしなかった。」
彼女の言葉には、どこか孤独な響きがあった。
アレクシスは、彼女もまた貴族の枠に縛られて生きてきたのだと改めて気づいた。
自分と同じように 。
「あなたは、自由を求めているのですね。」
ルシアは驚いたようにアレクシスを見た。
「……そんな風に言われると、恥ずかしいわね。」
「恥ずかしがることではありません。」
アレクシスは微笑みながら言った。
「私たちの結婚が、少しでもあなたにとって自由なものであるなら、それは悪くない。」
「……あなたって、時々優しいことを言うのね。」
ルシアは照れくさそうに微笑んだ。
この瞬間、彼女はアレクシスに対する気持ちが変わっていくのを感じた。
結婚という義務ではなく、この人となら生涯を共に出来るのかもしれない。そう思えた。
結婚は、愛だけではなく信頼関係が最も重要だとルシアは思っていた。
信頼関係が築いていればルシア自身も幸せな生活を送っていけるだろうと感じていた。
夕暮れが市場をオレンジ色に染めるころ、二人は広場のベンチに腰を下ろしていた。
「今日は楽しかったわ。」
「私も、久しぶりに楽しく過ごせました。」
そう言いながら、アレクシスは優しく微笑んだ。
彼はこの時間が、思っていた以上に楽しかったことを認めざるを得なかった。
ルシアはふと、真剣な表情で彼を見つめた。
「アレクシス様……。」
「何でしょう?」
「私たち、これから夫婦になるけれど……お互いに、自由でいられる関係でいましょう。」
「自由……?」
「ええ。貴族の結婚だからって、お互いを縛り合うのではなく、尊重し合える関係になりたいの。」
アレクシスはしばらく考え、それから静かに頷いた。
「……いいですね。尊重し合える関係は大切なことだと思います。私もその考え方に同感です。
約束しましょう。」
アレクシスは優しい表情でそうルシアに自分の気持ちを伝えた。
彼はルシアの手を取り、そっと握り、
「これから、よろしくお願いします。」
ルシアは微笑みながら、その手を握り返した。
「こちらこそ。」
こうして、二人は未来へと向かう小さな誓いを交わした。
それが、彼らにとっての幸福の始まりであり、やがて訪れる波乱の前触れでもあった。