55. 立ち上がる影
レオンの療養は着実に進んでいた。
侍医が診立てを終えると、帳面を閉じて静かに告げる。
「回復は順調にございます。まだ剣を握るには早いですが、日に日に力を取り戻しておられます」
安堵の息が胸に広がる。だが同時に、ルシアは寝台の上に座す男の眼差しに、別の色を読み取った。
窓の外では、木剣を振るエドワードの声が響いている。
その姿を見つめるレオンの瞳は、静かな湖面に燃える火のように揺れていた。
(……誇らしさだけではない。焦り、か)
ルシアは察していた。
戦場を渡り歩いてきた男にとって、自分が寝台に縛られている間に少年が「誓い」を立てたことは、決して安らぎだけではないのだと。
その日の午後。
レオンは身を起こし、傍らの杖を手に取った。
「レオン、まだ――」
「無理ではない」
遮るような声音に、ルシアは言葉を飲み込む。
「……御嫡男が立ったのだ。叔父である私が臥していてはならぬ」
まるで自分の子に向けたような響きに、ルシアの胸が熱くなる。
「レオン……。今まで一緒にいてくれたから、エドワードも貴方を頼りにしているの。あの子は“これからは自分が支える”とも言っていたわ」
そう告げると、レオンは優しい眼差しでルシアを見つめ、低く囁いた。
「ルシア……兄が裏切り、この屋敷に二度と足を踏み入れられなくなったあの日から、私は誓ったのだ。ルシアとエドワードを、私が見守り続ける、と」
その声音は、愛の告白にも似ていた。
頬を赤らめ、俯くルシア。
「……ありがとう、レオン。私たちも、あなたのおかげでここまで来られたの。これからは、私たちもあなたを支えたい。共に歩んでいけたら……」
震える声でそう告げると、レオンは静かに彼女を抱き寄せた。
今まで大人の距離を保ってきた二人だった。だが、この危機と傷が、そしてエドワードの成長が、その壁を取り払った。抱擁は確かな絆へと変わっていく。
やがてレオンは、まだ治り切らぬ足取りで、エドワードの元へと歩み出した。
稽古を終えた少年が駆け寄る。
「叔父上! まだ歩かれるのは……」
驚きと心配を隠さぬ声。だがレオンは、その肩に手を置き、静かに微笑んだ。
「心配をかけたな。だが――お前の誓いが私を目覚めさせた。お前が剣を握るなら、私も再び握らねばならぬ」
エドワードの瞳が大きく見開かれる。その姿を見守りながら、ルシアの胸に熱いものが込み上げた。
(この子の言葉が、レオンを立ち上がらせた……。私たちは、一人ではないのだ)
そしてエドワードは胸の奥で静かに思った。
(レオン叔父上こそ、僕の本当の父上だ。――こんなにも愛情深い眼差しで、行動で、僕を見守ってくれているのだから)
夜。
寝台に横たわったレオンは深い呼吸を繰り返し、静かな眠りに落ちていた。
その傍らで、ルシアは灯を落としながら心に誓う。
(この家を支えるのは、彼一人ではない。――エドワードも、私も。三人で)
だが屋敷の外では、別の気配が動いていた。
闇に紛れた影が、巡回の足音に合わせるように姿を潜める。
「次の手を打つ時が来た」
冷ややかな囁きは、夜風に紛れて誰の耳にも届かない。
嵐の前の静けさが、確かに満ちていた。