表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私の夫は昔愛した彼女を選んだ。さようなら旦那様、私は孤独に耐えられませんので家を出ます  作者: 吉乃


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/67

52. 黒き策謀、愛という名の盲目

同じ夜。

 月光がかすかに床を撫でる部屋で、濃い帳がゆっくりと揺れた。

 帳の向こうから、囁きが落ちる。


「広間は凍りついたそうです、“あの名”の効果は上々かと」

 膝をつく男が報告すると、椅子に凭れた女は唇だけで笑った。

 レティシア。紅のグラスを軽く傾け、琥珀の液を細く揺らす。


「ひびは最初は小さいほどいいのよ。見えないところで広がるから」

「次の手は」

「屋敷の中に風を入れる。写字生として間者を一人、厨房にはもう一人。扉は中から開く時がいちばん静かだわ」


 そのとき、帳の影がもう一つ揺れた。

 踏み入ってきた男の顔に、迷いとも執着ともつかぬ影が走る。


「遅かったわね、アレクシス」

 レティシアは視線だけで彼を迎えた。


 アレクシスは一瞬、報告の男を見遣り、静かに言う。

「下がれ。彼女の前では、私事は耳に毒だ」


 従者が去る。

 扉の音が遠のくやいなや、レティシアは躊躇なく言い放った。


「——ルシアも、あの子も。ここで終わらせるべきよ」


 アレクシスの頬から、血の気がわずかに引いた。だが、すぐに口元が歪む。

「お前は、本当に残酷だな」

 低く吐かれた声は冷たいのに、瞳には熱が宿る。

「……だが、その残酷さごと、俺はお前を愛している」


 レティシアは瞼を半ば閉じ、愉しげに息を漏らす。

「なら、証を見せて。言葉より、行いで」


 アレクシスは窓辺に歩み寄り、月を仰いだ。

 白い光が頬を撫でる。しばし沈黙ののち、彼は自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「——俺は、追い出されたわけじゃない」

「ええ、知ってるわ」

「だが、あいつらがいる限り、俺の居場所は戻らなかった。……そう思ってきた」


 言い切ると、苦笑ではない、乾いた笑みがわずかに浮かぶ。

「戻ろうと思えば、戻れた。レティシアを捨てれば、ルシアとエドワードのもとへ帰る道はあった」

 彼は自分の胸に手を置き、指先に力を込めた。

「だが、俺は選んだ。お前をだ。お前の冷たさも、野心も、刃みたいな言葉も。全部抱えて生きるほうを」


 レティシアの口角がわずかに上がる。

「じゃあ簡単よ。あなたが“選んだ”方を、最後まで守ればいいだけ」


 アレクシスはうなずき、声を落とす。

「……ルシアと、あの子がいる限り、俺は客間の椅子に座り直すことすら許されない。

 あの家は“鷹”の家門。だが、鷹の翼を折れば——王家という“獅子”は、別の翼を求めるはずだ」


 言葉は静かだが、芯に狂おしい熱が灯っている。

「俺が扉を開ける。お前と……お前の子を、正殿の階段に立たせる。

 “リューンハイム”の名のもとに」


 レティシアは立ち上がり、彼の間近まで歩み寄った。

 指先で、アレクシスの胸元の襞を整える仕草。

「甘いわね」

 囁きは蜜のように柔らかい。

「でも、甘い男は嫌いじゃない。——間者は三日後。裏手の小門を“偶然”閉め忘れる手筈にしてあるわ」


 アレクシスは息を吸い、目を閉じた。

「三日だな。……レオンも、止めねばならない」

「ええ。鷹の片翼が折れれば、もう片方は空で迷うだけ」


 レティシアは踵を返し、窓の外の月を見上げた。

「忘れないで、アレクシス。あなたは“奪われた”のではない。あなたが“選んだ”の」


 それは嘲りにも救いにも聞こえる刃だった。

 アレクシスは、静かに笑う。今度の笑みは、熱と氷が同居していた。


「ああ。俺が選んだ。だから、誰のせいにもできない。

 ——だからこそ、やり遂げる」


 部屋の空気が、月光より冷たくなる。

遠く、夜の風が唸り、黒い帳がわずかに震えた。

目に見えないひびが、静かに、確実に広がっていく。


——その裂け目を塞ぐように、二人は互いの存在にすがった。

月明かりに照らされた二つの影が、ゆっくりと重なり合う。

確かめ合うように、熱い口づけを交わす二人。

それは愛なのか、狂気なのか——境目はとうに消えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ