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45. 囁かれた名

戦いの余韻は、まだ館を離れなかった。

 焼け焦げた木の匂いと、血の生臭さが交じり合い、夜明けの冷気と共に広間を支配している。倒れた家具の隙間から差し込む朝日は、まるで勝者と敗者を選り分ける裁きの光のように冷たく鋭かった。


 レオンは傷口を押さえながらも毅然と立ち、声を張る。

「生きている者をすべて捕えろ! 地下牢に収容するのだ!」


 命を受けた兵や援軍の騎士たちは素早く動き、呻き声をあげる敵兵を次々と縄で縛り上げていく。その場の空気は、戦闘の喧騒が去った後だからこそ、ひときわ緊張に満ちていた。


 ルシアは広間の片隅に立ち尽くし、その光景から目を逸らせなかった。

(どうして……どうして彼らは、この館を……)

 彼女は思わずレオンの方へ駆け寄り、血に濡れた胸元を見て声を震わせる。

「レオン、まずは傷の手当を……」


 しかし、彼は痛みに顔を歪めながらも首を横に振った。

「ルシア、大丈夫だ。これくらいの傷……ぐっ……」

 その瞬間、彼の膝がかすかに折れ、血が指の間から滴り落ちる。


「レオン!」

 涙がこみ上げるが、ここで取り乱してはならないと自分に言い聞かせる。胸の奥がギリギリと締め付けられる。


 その時、隣にいたエドワードが二人の手を握った。

 少年の手は冷たく、それでも小さな力で強く握り返す。その震えは恐怖か、それとも怒りか。


「お母様……叔父上……」

 その声には、不安と同時に決意が滲んでいた。

(僕は……リューンハイム侯爵家の嫡男だ。逃げてはいけない……)

 まだ幼いながらも、戦火の中で芽生えた覚悟が、彼の心に静かに根を下ろしていた。


 やがて捕虜の一人が、兵に押し立てられてレオンの前に跪かされた。

 額から血を流し、必死に言い訳を始める。

「俺たちは……ただの山賊だ。食い扶持に困って……たまたま、この館を……」


 レオンの目は冷徹に光った。

「山賊が、統率された動きで門を破り、重装の戦斧まで揃えているというのか?」


 広間が凍りつく。騎士たちの間から怒声が飛んだ。

「嘘をつくな!」

「山賊風情に、あの動きが出来るものか!」


 捕虜は怯え、必死に否定する。だが、その背後で別の捕虜が苛立ったように吐き捨てた。

「もうやめろ! 俺たちは――」

 すぐに隣の者が慌ててその口を塞ぐ。縄に縛られたまま、互いに肩でぶつかり合い、仲間割れを始める。


 兵士の一人が剣を抜きかけ、鋭い声を浴びせた。

「観念しろ! 貴様らは何者の手先だ!」


 レオンは一歩前に出て、捕虜たちを見下ろす。

「……やはり裏があるな」

 声は低く、刃のように鋭い。


 沈黙が広間を支配する。縛られた男たちの顔には焦燥と恐怖が入り混じり、血の匂いと共に息遣いが荒くなる。


 やがて、一人の若い捕虜が観念したように、震える声で口を開いた。

「……聞いたんだ。影で囁かれる名を……」


「名だと?」レオンが鋭く問い返す。


 男は唇を噛み、声を絞り出す。

「“レティシア様”……俺たちを集めた主の名だ……」


 その言葉と同時に、広間は息を呑むような沈黙に包まれた。


 ルシアの胸が一気に締めつけられる。

(……レティシア……! まさか、私とエドワードを……)

 頭の奥で血が轟音を立て、視界が揺らぐ。


 エドワードも目を見開き、母の手をぎゅっと握った。幼いながらも「裏切り」という言葉の意味を理解し、胸に深く刻みつけていた。


 捕虜は縄に締め付けられながら叫ぶ。

「俺はただ雇われただけだ! 本当なんだ! 死にたくなかった……」


 だが兵士たちの怒声がそれをかき消す。

「黙れ!」

「貴様の口から吐かれた名、もはや聞き逃せぬ!」


 ルシアは凍りついた声で呟いた。

「……レティシア……あなたは……わたしたちを……」

 彼女の体に鳥肌が立ち、背筋を氷が這うような感覚が走る。


 捕虜の告白は、館に集う全員の心に暗い影を落とした。

 侯爵家の奥底に、さらに深い陰謀の気配が忍び寄っている――。

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