30. 静かなる決着
短い会話の後、応接室には再び沈黙が落ちた。
壁際の時計が、時を刻む音だけを淡々と響かせている。
形式上の確認は、もう済んだ。
互いに離婚の意思を変えることはない。
それでもアレクシスは、何か言い足りないように口を開きかけては閉じ、迷いを繰り返していた。
やがて、低く絞るような声が響く。
「……最後に、エドワードに会わせてほしい」
ルシアは静かに彼を見つめた。
その瞳には、もう愛情も怒りもなく、ただ母としての判断だけが宿っている。
「……あの子の気持ちを第一に考えて。会わせるのは構わないけれど、今は突然すぎるわ。心の準備が必要です」
アレクシスは、何かを言い返そうとしたが、結局、深く息を吐いて頷いた。
「……分かった」
それ以上の言葉は交わされず、ルシアは椅子から立ち上がった。
背後のレオンも同じく立ち上がり、静かに彼女の後を追う。
二人が扉に向かう気配に、アレクシスはただ視線だけを向けた。
重い扉が開き、外の光が差し込む。
その眩しさに一瞬目を細めたルシアは、廊下の向こうに立つ父、エーベルハルト伯爵の姿を見つけた。
「終わったか」
伯爵の問いに、ルシアは小さく頷く。
「ええ……これで、すべて終わりました」
伯爵は深く頷き、娘の肩に手を置いた。
「終わりではない。これは、お前の新しい人生の始まりだ」
その言葉に、ルシアはふと口元を緩めた。
廊下の窓から差し込む午後の光は、どこまでも清らかで、心に絡みついていた暗い影を少しずつ溶かしていくようだった。
――ここから先は、私が選ぶ道を歩いていく。
胸の奥でそう静かに誓いながら、ルシアは一歩、未来へ向かって踏み出した。
アレクシスとの最後の対面は、重く、そして冷たく終わった。
だが、私にはもう振り返る理由はない。
この数日のうちに、侯爵家が私とエドワードのために用意してくれた邸へ移る予定だ。
義父母は、嫡男であるエドワードの将来を思い、そして私に対する申し訳なさから、この新しい住まいを整えてくれたのだ。
そこへは、護衛も兼ねてレオンが同行する。彼はこの一年以上、エドワードの成長と私の心を見守り続けてくれた。
……新しい扉は、もう開かれている。