8
これは夢だ。
誰かの空想、不変的な日常にある非日常。そうでないといけない。
――その中で僕は一人で過ごしているのだ。
『よお、今日は体調良さそうだな?』
声を掛けられる。
僕とそっくりな顔、似たような背丈、僕の大切な家族。
「ああ、今日は比較的ね」
『そっか、じゃあ、俺の話も最後まで聞けるな』
彼はいつも色々な話をしてくれた。真っ白なこの部屋と、本から知った上辺だけの世界しか持たない僕に色んなことを教えてくれる。彼との時間は大切なものだった。
暗転。
『こ、こんにちは』
声を掛けられる。
医者と看護師を除けばこの部屋に来訪者は少ない。だいたい四人ほどで、兄、両親、そして彼女だ。
「・・・・・・やあ、紅梨ちゃん」
何がきっかけで懐かれたのか、迷子になっていた彼女をナースステーションに連れていくというごく当たり前の事をしただけなのだが、それからというもの結構な頻度で見舞いに訪れてきている。
『今日は体調大丈夫?』
「大丈夫だけど、こんなところに来たって何もないし、君も退屈じゃないの?」
『退屈じゃないよ。あなたとのお話は楽しい』
そう言って、にっこりと笑顔を見せてくれる。
僕は溜息を零しつつ、でも内心では彼女がこうして訪れてくれることを喜んでいた。いつのまにか彼女も僕の世界を広げてくれる大切な人になっていたのだ。
暗転。
『どうしてだよ』
怒気の籠った声。
『どうして、お前が紅梨を泣かせるんだよ!』
胸倉を掴まれて、怒号を浴びせられる。
こんな兄の姿を見たの初めてだ。
『何とか言えよっ!』
言える事なんて何もない。
紅梨ちゃんを泣かしたのは事実だ。それが最善だと思ったからだ。
『お前だって、紅梨の気持ちが分かってたんだろ、だったら!』
ああ、そうだ。分かっていた。分かっていたから僕は・・・・・・。
「君こそ、いったい何が分かるっていうんだ」
『何・・・・・・?』
「君はいいな。健康で、丈夫で、未来を考えることができる」
ああ、いけない。言葉にするべきじゃない。声に出しては駄目だ。
そう思うのに止められない。
「僕にはそれができない。自分の終わりが見えているんだ。そんな僕が紅梨ちゃんと一緒の時間を過ごせると思うのか?」
『な・・・・・・』
手の力が緩み、今度は僕が彼の胸倉を掴んだ。
「僕は死ぬ。それは君とは違う、近い未来の話だ。これから先を生きていくのは君なんだ」
死神はきっと傍にいる。ずっと抱いてきた感覚だ。
「僕の死が彼女を傷つけるのなら、僕はいっそ彼女の中から消えてなくなりたい」
それは本心だった。
僕は誰の足枷にもなりたくない。紅梨ちゃんにも、徹にも、両親にだってもうこれ以上の迷惑を掛けたくなかった。
「帰ってくれ、もう誰とも話したくない」
手を放して、吐き出すように言う。
これが最期の会話となった、なってしまった。
暗転。
ゆっくりと目を開く。
見覚えのある、というより記憶のどこかに引っかかる白い天井。
鼻にまとわりつくような消毒の匂い。
「・・・・・・病院、か?」
頭がゆっくりと動き出して、自分のいる場所を予想する。
そうだ、ここは病室――ともなれば見覚えもあるし、既視感だって感じられるのも納得できるのだが、
「なんで、こんなところに・・・・・・」
ぼやけた思考の中で、身体を起こしつつ記憶を取り戻そうと思考を動かす。
たしか、俺は幼馴染四人と合流したはずだ。そう、たしか何かを相談したかったんだ。
そのはずなのに。
「いったい、何を相談したかったんだ?」
全く思い出せない。
校門の前で待ち合わせをしたはずだ、そう、それで昴と合流した。それから何かの話をした気がする。そんな話をしているうちに竜樹と理沙が来て、理沙に紅梨を誘わなかったことを少し咎められて、それから、
「・・・・・・それから、それから、なんだっけ?」
すっぽりと記憶が抜け落ちていて気持ちが悪い。昔の記憶が曖昧なのは事故のせいにもできるが、直近の記憶まで無くなるっていうのは普通の事とは思えない。しかも病室で目覚めることだってつい最近も経験したことだ。もしかしたら自覚がないだけで何らかの病気を患っているのかもしれないと不安になってくるが、
「とりあえず、皆に連絡しないとな」
また迷惑を掛けたに違いない。とにかく目を覚ましたことを伝えないといけないだろうと思いつつ、ポケットに入ったままのスマホを取り出したところで、
「おや、お目覚めだったか」
病室のドアが開き、幼馴染の一人が入ってきた。
「す、昴・・・・・・」
「気分はどうだい?」
「あ、ああ、今は何ともない。それよりも、ごめん、なんかまた迷惑かけたみたいで」
「迷惑、迷惑か。・・・・・・君はその迷惑の内容を覚えているのか?」
昴の声はどことなく冷たく感じて、やはり怒らせてしまったかと内心焦る。
しかし、何も覚えていないのは事実だし、ここで嘘をついても意味がないだろう。
「ごめん。皆と合流したことは覚えているんだけど、そこから先は・・・・・・」
「なるほど、まあ大方予想通りではあるけど」
「ごめん」
「君が謝ることじゃないさ。いや、もちろん、あれだけのショックを受けたのにその人格を未だに保てるなんて君も随分タフだなとは思うよ。それとも厚顔無恥ってやつか、どちらにしても面倒極まりないところけど」
「な、いったい、どういう・・・・・・」
「君さ、いい加減夢から覚めるべきじゃない?」
「ゆ、夢って」
言葉の途中で昴は俺の胸倉を掴んできた。突然の衝撃で咳き込むように息を吐き出すが、彼は力を緩めることなく、
「君は霧崎徹じゃないんだよ」
言葉の意味ができなかった。
「彼は、徹はもういない」
突然何を言っているんだ。そう思うのに、口が動かない。
俺はここにいる。
お前の目の前にいるじゃないか。
意識だってあるし、記憶もある。
それなのに俺が徹じゃないだって? そんな人間はいないだって? 何を言っているんだよ、冗談きついぜ。
そう思っているのに、声に出そうとしてるのに、
「・・・・・・嘘だ」
実際に声に出せたのはそんな言葉だった。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、大嘘だ。
「俺は、俺は徹だ」
「いいや、違う。偽者なんだよ、君は」
「なにやってんだ、昴っ!」
怒気の籠った声と共に荒々しく病室のドアが開く。思わず視線を向けると、竜樹と理沙、そして紅梨が部屋に入ってきた。
「自分が何やってるかわかってんのか、早く離してやれ」
「ここまできて、こいつはまだ徹の真似をしているんだ。自分が徹だと思い込んでいるんだよ。君はそんなことが許せるのか?」
「許すも許さないもないだろ、俺達は見守っていくしかできねえんだ」
「見守ったって何にもならないじゃないか」
「それは、だけどさ・・・・・・」
「徹との約束なんだ、僕も協力してきたつもりだよ、徹が僕達に託したんだからっ! でもさ、見守ったって辛いだけで何一つ変わらないじゃないか。だったら無理矢理にでも前に進ませるしか、もう直接教えてやるしかないじゃないか」
「す、すばる・・・・・・」
「お前が、その顔で、僕の名前を呼ばないでくれ!」
怒りよりも、悲痛がこもった声。
「いいか、何度でも言ってあげよう。君は徹じゃない。徹はもういない。この数年間に君は僕達から名前を呼ばれたことはあったか? なかったはずだ。僕達は君の名前を意地でも呼ばなかった。君は徹じゃない、偽物だからだ」
「・・・・・・俺、が・・・・・・偽者・・・・・・」
「そうだ、徹は死んだんだ。君に会おうとして事故に巻き込まれた。君の記憶も、喋り方も、立ち振る舞いも、何もかもが偽物なんだよ」
偽物?
俺のすべてが?
「ぐうぅ・・・・・・」
頭が割れるように痛い。激痛の中、夢でみた景色が延々と脳裏に浮かんでくる。
真っ白の病室、消毒の匂い。あの場所での日々。
それが現実だとしたら、俺の持っている記憶はなんだ。
俺は、いったい誰なんだ。
『あんたは徹だよ、心配することはない。他人の言葉なんて聞く必要はない』
声がすぐ傍から聞こえてくる。
『少し疲れただろう? 今は休んだ方がいい』
声はとても優しくて、ゆっくりと意識が現実から離れていく。
休む・・・・・・そうか、それでいいか・・・・・・。
もう何も考えられなかった。ゆっくりと力を抜いていき、そのまま闇に身を委ねる。
沈んでいく意識の中で、誰かとすれ違ったような、そんな気がした。
『ああ、おやすみ』
答えたと同時に意識が昇ってくる。
夢を見ているような、そんなぼやけた思考がだんだんと鮮明になってきて、
「おい、なんとか言えよっ!」
「もうやめろって」
「昴っ」
城ノ院昴の怒声と剛竜樹と柏原理沙が止めようとする声。
止める必要なんてない。彼の言うことはもっともだ。
「・・・・・・あんたの怒りは正しいよ」
胸倉を掴む腕を掴み返した。
「だけどね、それはあんた達に言われなくても分かっているんだ」
「え、なっ」
城ノ院昴は思わぬ動作に驚いたのか、僕から手を放して数歩後ずさる。
彼だけじゃない。部屋にいる誰もが、心底驚いた顔で僕の顔を見ていた。
「ははは、なんだよ、そんなにも驚かなくていいじゃないか」
すう、ふう、と息を吸って吐きだす。ああ、この消毒の匂い。病院の匂いだ。
「僕を引きずり出したくて今まで色々とやってきたんだ、この通り、君達の望んだ通りになっただろう?」
言いながらベッドから降りようとする――が、三年振りに戻ってきた手足の感覚は違和感しかない。ふらつきながら立ち上がるも、少しでも気を抜けばその場に崩れてしまいそうだ。
「お、お前」
「君が・・・・・・徹の弟・・・・・・」
「霧崎・・・・・・」
三人とも上手く言葉が出ない様子で、僕は「やれやれ」と溜息をこぼす。
「とう、ま」
その中で一人だけ、違う表情を向ける女の子がいた。
「霧崎、統眞」
「随分と久しぶりに名前を呼ばれたな」
存在に気が付いていなかったわけじゃない。ただ僕が認識したくなかっただけだ。
でも、それは僕個人の都合だ。そうも言っていられない。
「もう二度と呼ばれることはないと思っていたんだけどな、・・・・・・紅梨ちゃん」
「あなたは、本物なの?」
「その言い方じゃまるでさっきまでの徹が偽者みたいだ」
「偽物みたい、じゃない。だって徹は・・・・・・」
紅梨ちゃんはそこで言葉を切った。
「徹はここに、僕の中にいるんだ」
右手の親指で自分の心臓を指差す。
「ただ不幸な事故で徹は身体を失ってしまった。だから、僕はそれを補う存在となろうとしているんだよ」
「そんなこと、できるわけない」
「できるんだよ、現にさっきまで徹はここにいた」
「いいえ、徹はいなかったわ」
調子が戻ってきたのか、割り込むように柏原理沙が前に出てきた。
「あなたがどれだけ言おうと、あなたは徹になれない」
「・・・・・・ほう?」
「あなたが作ろうとしているのは徹なんかじゃない。徹と名乗る別人よ。だって本当の徹は私達の記憶の中に、思い出の中にあるんだもの」
柏原理沙の言葉に城ノ院昴も剛竜樹も同意するように頷く。
「思い出の中ね」
それがなんだっていうんだ。
それこそ偽物だ。僕の中には本人がいる。
「理沙さん。別に否定するのはいいけど、それなら君達はこれから先の時間、徹の素性を、学校を卒業してから作っていく人間関係も把握して管理していくつもりなのか。「徹と名乗っているけど、本当は全くの別人」なんていちいち説明していくなんてできるのか?」
「え、そ、それは・・・・・・」
「ここに残ったのだって僕の意思じゃない。だが、徹が君達と同じ学校に通いたい、君達と同じ時間を過ごしたいと思ったからそうしただけだ」
徹のために、徹の持っていた願いはできる限り汲み取ったつもりだ。
「でも、この先はどうなるかわからない。君達だって卒業して、それぞれの進路に向かっていく。徹だってそうだ。もうお互いにいつも一緒なんて歳じゃないだろう?」
「どういう意味だよ、それ」
「そのままの意味だよ、竜樹さん。よくある話じゃないか、どれだけ仲の良い幼馴染でもさ、学校を卒業したらだんだんと疎遠になって友情が薄れていくなんて。君達もそう思えばいいじゃないか」
何のことはない自然な流れだ。
そう思っていたのだが、どうやら四人にとってはそうではないようで納得している雰囲気ではなかった。
「君達は思い出とやらを大切にして生きていけばいい。僕は徹を完全なものとするだけだ。君達が関わらなくても徹は生き続ける」
「・・・・・・君、おかしいだろ。もう徹はいないんだ、死んでしまったんだよ。君が今更何をしようと徹は生き返らないんだ」
「昴さん、そもそも徹が死んだって考え方がおかしい。徹は身体を失っただけ、僕の中で生きているんだよ。だけども、そうなってしまったのは僕なんかに構って事故にあったからだ。だから僕は徹のために身体を渡している。僕の身体を使うことで徹は徹として生きることができる」
「狂っているよ、君」
「どう思っていただこうと結構だ」
元より僕が他人の目なんて考える必要もない。
「ああ、そうだ、そうだったな」
僕にはもう他人なんて必要ないのだ。
「さて、話はそれだけかな? それなら、そろそろ出ていってほしいな。今回の件で迷惑をかけたことは近いうちに徹から謝罪させるよ」
「そうさせてもらう、君と話しているとこっちまでおかしくなりそうだ」
真っ先に城ノ院昴が部屋から出ていき、続くように剛竜樹が、柏原理沙は何か言いたそうな表情を向けながらも「いくぞ」と声を掛けられて去っていく。
「・・・・・・統眞」
「紅梨ちゃん」
部屋に残った唯一の友達。
僕のことは忘れていてほしかったんだけど、『忘れてほしい』なんて約束をしたせいでむしろ忘れてくれなかったのかもしれない。そうだとすれば彼女に掛ける言葉を間違えたなと今更ながら後悔する。
「君は友達を追いかけた方がいい」
「・・・・・・わかってる」
紅梨ちゃんは僕の言葉に頷いて部屋から出ていき、そして、病室のドアノブに手を掛けたところで立ち止まると、
「私は、私は統眞に会いたかった」
今にも泣きだしてしまいそうな声だった。
「引っ越してからも、ずっと、ずっと、統眞のこと考えてた」
「・・・・・・」
「今日はどんな本読んでるのかな、ちゃんと薬飲んだのかな、しっかりとご飯食べたのかな、徹と喧嘩してないかな、たまには私のこと思い出してくれてるかな、他にもたくさん色んなこと考えてた。統眞を忘れられたことなんて一度もなかった。あんな約束なんて守れなかった」
「・・・・・・そう」
「どうして、こうなっちゃったの。私が統眞に会いたいって思ったから? あなたの病気が治ってほしいって、また一緒に話したいって、一緒に笑いたいって、そう願ったから?」
「それは違う」
そんなことはありえない。誰かが祈ったくらいで物事が変わることなんてないんだ。
「君が気にすることなんて何一つない」
事故に遭う原因を作ったのは僕だ。僕の存在だ。
紅梨ちゃんが罪の意識を感じる必要なんてどこにもない。
むしろもっと僕を謗るべきだ。恨むべきだ。憎むべきだ。それは紅梨ちゃんだけじゃない。剛竜樹も、柏原理沙もそうだ。城ノ院昴のもつ感情こそ僕に向けるべき正しい感情だ。
でも、それを言葉にして伝えたところで、きっと納得してくれないだろう。
「・・・・・・紅梨ちゃん、皆が待ってるよ」
僕にできることはここから離れるように促すことだけだ。
紅梨ちゃんは僕を知っているからこそ、これ以上関わるべきじゃない。
「統眞」
「なに?」
「私は、私は・・・・・・」
何かを言おうとして、しかし言葉が出てこないのか「・・・・・・ごめんなさい」と一言だけ残して紅梨ちゃんは今度こそ外へと出ていった。
ドアの閉まる音が耳に入ってきたと同時に、足から力が抜けてベッドへと倒れこんでしまう。情けないことにしばらく立ち上がれそうにない。徹が使っていた体だから筋力は問題ないはずだ、まだ僕が肉体に慣れていないだけだろう。
「謝るのは僕のほうなんだけどな」
紅梨ちゃんの姿を思い返して呟く。
傷つけたいわけじゃない。悲しませたいわけじゃない。
僕は徹のことだけじゃない、君の幸せだって祈り続けていた。
「・・・・・・でも、大丈夫さ」
もう少しの辛抱だ。そうすればきっと、すべて元通りになる。
徹が目を覚ますまで。
僕は自分に言い聞かせるように、言葉を繰り返した。
*
「やあ。話は終わったのかな?」
病室を出た私達は、とりあえず病院から出ようと出口に向かって歩いていると、ロビーで準一さんに声を掛けられた。
「僕もちょうど休憩中でね。よければお茶でもいかがかな?」
「・・・・・・はい」
言われるがままに頷き、私達は病院内の喫茶店へと案内される。
椅子に座ったと同時に疲労感がどっと押し寄せてきた。これは当分の間立ち上がれそうにないと思いつつ皆へと視線を向けると、どうやら同じ気持ちのようで各々が椅子に腰を深く沈めていた。
「お疲れ様、大変だったようだね」
「あ、す、すみません」
準一さんの言葉に姿勢を正そうとして、
「気にしないでいいよ、楽にしていてくれ」
「ほんと、申し訳ないです」
準一さんはテキパキと全員分の飲み物を注文して、それらを受け取り、一口飲んだところでようやく心を落ち着かせることができた。
「さて・・・・・・それじゃあ何があったのか、聞かせてもらってもいいかな」
「うん、それは私から説明する」
そう言って理沙は準一さんに事の顛末を伝える。
準一さんは口を挟むことなく最後まで聞いていた。
「今の統眞君と一緒に過ごせば、きっと何かしらのトラブルも起きる事は予想もしていたけど、統眞君と揉めてからではなく、真実を知ってしまった段階で連絡してほしかったな」
「ごめんなさい、兄さん」
「すみませんでした」
理沙と竜樹、そして昴も深々と頭を下げる。
「いいや、君達に押し付けるような形なっていたからね、僕も悪かった。三人とも頭を上げてくれよ、起きてしまったことを悔やんだって仕方ないじゃないか」
「はい、本当にすみませんでした」
「次からはちゃんと話してくれよ、竜樹君。理沙も昴君も」
その言葉に三人が頷いたところを見て、準一さんは「とにかく事情はわかった」と話を前に進める。
「しかし、統眞君のことが気になるな。彼は自分の中に作られたもう一つの人格を徹君本人だと思っているのか」
「そうみたいです。自分のせいで徹は身体を失ってしまったのだから、今度は徹のために自分の身体を提供するんだって」
「そうか・・・・・・」
深々と溜息を零して、言葉を続ける。
「統眞君はとても兄思いだ。徹君のためとなるならできるなら本当にそうするだろうし、実際そのつもりで過ごしてきたのだろう。この三年間、一度も自分の人格を表に出すことはなかったということがその証左だと思う」
「・・・・・・そう、ですね」
「僕が三年前にした説明は覚えているかな」
「はい。たしか、ショックのあまり本来の人格が眠ってしまい、新しく作られた人格が前に出てきている状態という話だったと・・・・・・」
「うん。まあでも、正直に言うと、僕も統眞君がどうなっているのか、あの人格が誰なのか、はっきりとした答えを持っているわけじゃない」
「そうなんですか?」
「解離性同一性障害というものは、精神的苦痛から逃れるために記憶や感情を切り離す防衛本能が原因でね、切り離した感情の一部が成長してあたかも別人格のように現れるものというのが定説なんだ」
「じゃあ、あの徹だと名乗っていた人格も、統眞本人だと・・・・・・」
そう言われても、にわかには信じがたい。
徹を名乗っていたあの人格は、統眞本人と全然違っていた。
「そういうことになる。君達は記憶転移というものは知っているかな。ドナー・・・・・・つまり臓器提供者の記憶の一部が受容者であるレシピエントに入ることなんだけど」
「聞き覚えはあります。けど、それに科学的根拠はなかったはずですよね」
答えた昴に、準一さんは「うん」と頷き、
「そうだね、昴君の言う通り。科学的根拠はないし、通常、レシピエントとドナーの家族が接触することは禁じられているから確認できたという実例も少ない。・・・・・・でも、だからといって否定できるものでもないし、それに二人は・・・・・・統眞君と徹君は特別だ」
「特別か・・・・・・。たしかにそうですね、二人は兄弟だ」
「彼のカウンセリングをしていた先生から聞いた話になってしまうんだが、統眞君は徹君を失ってしまったショックから、記憶転移で得た記憶と徹君から聞かされていた思い出の記憶を切り離して、それらが合わさり――この三年間、徹と名乗っていた人格になったのではないかと話していたよ」
その説明に竜樹は「なるほど」と納得した様子で頷く。
「何か心当たりでもあったのかい?」
「ああ、はい。アイツ・・・・・・統眞のもう一つの人格と話しているときなんすけど、ふとしたきっかけで本来の人格みたいなことを言っていたことがあって。だから、やっぱり統眞が徹を演じているんじゃないかって思うこともあったんです。でも、徹と統眞の記憶を元にして作られたってことなら理解できるなと」
「それには私も覚えがあるわ」
竜樹の言葉に賛同するように理沙が口を開いた。
「少し前に統眞君の別人格と紅梨の話していたんだけど、彼が「紅梨ちゃんは僕のことを覚えていない、忘れてくれって約束したから」って、そう言ったの。その時の統眞君は別人格のときとは思えなかった」
二人の話を聞いて、私も観覧車での出来事が頭に過る。
あのとき話した彼は徹よりも統眞の性格が色濃く出ていた。でも、さっきのように明確に切り替わったというわけではなかったし、もう一つの人格が無意識に徹ではなく統眞の記憶を元に話していたとすれば辻褄が合う。
「統眞君のもう一つの人格が何者なのか見えてきた気がするわね」
「そうだな。徹の記憶と統眞の記憶を元にした存在・・・・・・なんかオカルトだけどな」
「いいや、本当にそうかな」
確信したように頷く二人に、昴が割って入る。
「その仮説だと、彼が徹の人格だと言い切るのは難しいんじゃないか」
「どういう意味だ?」
「認めるのは癪だけどね、彼が徹へと向ける親愛は本物だ。霧崎統眞にとって徹の存在は信仰対象だと言っても過言じゃないと思っているよ。そんな彼があからさまに紛い物の人格を本物の徹として扱うのか・・・・・・紅梨はどう思う?」
「私が知っている統眞は・・・・・・」
思い出の中の彼を思い出す。
統眞は昔から誰かと関わろうとはしない、他人には無関心な子供だった。
私が仲良くなれたのは、どれだけ冷たく接されてもしつこく病室に通った結果で、彼が根負けしてパーソナルスペースを少し広げてくれただけだと今でも思う。
でも、徹に対しては違った。兄弟という関係を抜きにしても彼は特別だった。
尊敬していると、憧れていると、徹の話題になるといつも笑顔で話していた。
「きっと偽物を受け入れない、と思う」
そんな統眞が、偽物を徹だと思い込むとは思えない。
「でも、それじゃあ、あの人格はいったい・・・・・・」
「まあまあ、皆、一度落ち着いてくれ。カウンセラーの先生も言っていたことだし、竜樹君や理沙の気持ちも分かる。同じように昴君や紅梨君の考えも一理ある。だが、今は統眞君の中にある人格が誰なのか考えるよりも重要なことがあるはずだ」
堂々巡りとなりかけていた会話に、準一さんが話を本題に戻してくれる。
「徹君を名乗っていた人格は統眞君本人に気が付いていなかったけど、皆の話を聞いた限り統眞君は全てを知っているようだ。彼と話してカウンセリングとか精神的な治療を施すことで、もしかしたら人格の統合を大きく促せるかもしれない」
「ほ、本当なの、兄さん」
「ああ、もちろん最後は彼自身によるところが大きいし、心の問題だから長い時間が掛かるかもしれないけどね。カウンセラーの先生に連絡してみるよ、統眞君にも僕の方から一度病院に来てもらえないか話してみるつもりだ」
準一さんの言葉を聞いて、理沙達は少しだけ安堵した表情を見せる。
「やれやれ、これで偽者のお守りは一段落だね」
昴は溜息交じりに言って、
「そういう言い方やめろよ」
「竜樹だって一段落とは思ってるんだろ?」
「それは、そうだな。これでようやく徹にまともな報告ができるかもしれないけどさ」
「二人とも簡単に解決するわけじゃないわよ。兄さんが言っていた通り、統眞君の心の問題なんだからすぐに改善するわけじゃないんだから」
「そんなこと言って、君も安堵した表情じゃないか」
「そ、それは、そうなるに決まってるでしょ!」
どこか落ち着いた様子で話す三人の輪に、私は入ることができなかった。
統眞が統眞として生きてくれる。
それはすごく嬉しい。でも、それはこの三年間色んな感情を抑えて支えてきた三人のおかげだ。私は何もできていない、いや、それどころか関わろうともせずに逃げただけ。この中で一番統眞に近かったはずなのに。
「あ、あの、準一さん」
「うん、なにかな?」
「今の統眞にできることって、私に何かありますか?」
私の言葉に、準一さんは少し困った顔をして、
「そうだね・・・・・・今はまだ見守っていてあげてほしい。本当はそれが一番しんどいことなのかもしれないけどね、統眞君が自分の人生を歩めるようになったとき、彼にはきっと君の力が必要になるはずだから」
「・・・・・・わかりました」
「ごめんね、こんなことしか言えなくて」
「いえ、大丈夫です。私こそ困らせるような質問してごめんなさい」
準一さんの言いたいことは分かっている。
良かれと思って私が今の統眞に関わっても、きっと余計なことにしかならない。
あまりの無力感に悔しさすら覚える。
(私、ずっと誰かに手を引いてもらってばっかだ)
統眞に、徹に、竜樹、理沙、昴、いつも誰かに助けてもらってばかり。
私は何もできていなくて、できることも何一つなくて。
(・・・・・・だけど)
それでも私は今、統眞の力になりたい。
その気持ちは胸の中で高まってく一方だった。




