7
幼い頃、僕はいつも一人で過ごしていた。
両親は僕のことを避けていたようだし、医師も看護師も必要最低限の関わりしかなかった。
それもそうだろうと思う。
両親も生まれてすぐは可愛がるつもりでいたそうだ。
しかし、どれだけ生きられるか分からない健康状態、決して安くない治療費、母は罪悪感から心労で倒れたとなったら、僕の扱いなんて煩わしい邪魔者でしかなかっただろう。健康体である兄もいるのだから尚更だ。
幼いながらに僕は自分の立ち位置を理解していたつもりだ。
だからこそ我儘も言う気はなかったし、自分から誰かと関わろうとも思わなかった。その態度がまた医師や看護師にとっては異質に見ていたのかもしれない。「可愛げのないガキ」なんて陰口は何回聞いたかわからない。
僕は一人だった。
僕は一人でよかったのだ。
そんな僕の世界を色づけてくれた人が二人いた。
一人は紅梨ちゃん――天野紅梨。
出会いはただの偶然だった。
彼女の父親が入院することになって病院に訪れたのだが、母親とはぐれて迷子になっていたらしい。僕は泣いている彼女の手を引いて近くのナースセンターまで案内しただけなのだが、それから何故か毎日のように僕の病室に来るようになっていた。
面倒だし、しつこいし、冷たく接していたつもりだったのに、気が付いたら僕も彼女と話すことが楽しみになっていて、いつからかははっきりしないけど、きっと僕は彼女に恋をしていたのだろう。
そして、その恋が叶わないものだということも知っていた。
だから僕は彼女の言葉を否定した。
もう一人は実の兄――。
僕達は双子だった。
兄は僕と真逆に真逆の明るい性格で、底なしに元気で、そんな奴だった。
病院の外の世界もたくさん教えてもらった。
近所の公園で遊んだ話、学校で学んでいる勉強の話、周りで流行っているゲームの話、僕の知らない世界を話してくれる彼はいつも輝いて見えて、僕はそんな彼をいつも尊敬していた。
それに、両親に疎まれている僕にとって、彼だけが家族として扱ってくれた。
だからだろうか。
僕は兄に対して憧れはあっても、彼の健康な身体を嫉妬することなく過ごすことができた。
――いや、嫉妬していないつもりだった、という方が正しいか。
妬んでいたからこそ最後は喧嘩別れだったのかもしれない。
彼女のことも、兄のことも、僕は結局傷つけてしかいない。後悔だけが募っていく。
こんなことになるなら、僕はずっと一人でよかった。一人でいたかった。
「・・・・・・兄、さん・・・・・・」
ほぼ無意識に呟く。
どうも奇妙な夢だった。
いや、夢なのだから奇妙なのも当然と言えばそうなのかもしれないが。
主な登場人物は孤独に生きている少年と少年の兄、そして紅梨。
少年の兄の名前はどうも思い出せないが『霧崎なんちゃら』だった。つまりその弟である少年も霧崎だ、多分。俺と同じ苗字だし、俺の見た夢なのだから、少年=俺と考えられるのだが、孤独だった記憶もないし、そもそも兄弟がいない。
「当てはまっていることと言えば、あれか。両親との確執か?」
とはいっても特別不仲というわけでもない。たしかに話すことはほとんどないが、俺のことが煩わしいというわけでなく、二人とも仕事で忙しいと聞いている。
ここまで当てはまらないのだから、ただの変な夢としてすっぱり忘れてしまえば済む話なのだが、一つだけどうも気になる点がある。
紅梨との出会いの部分だ。
夢でみた初めて出会ったときの光景、あれと同じ光景をいつかの夢で見た気がする。
いつ見たのかも思い出せないし、記憶もおぼろげで曖昧なものなのだが、たしか、泣いている彼女に 声をかけて、それから――
「おおうっ?」
記憶の海を漁っていると、突如背筋に悪寒が走って思わず奇声を上げてしまう。
「相変わらず背中が弱点だね」
「お、おい、来たなら普通に声をかけてくれよ、昴・・・・・・」
「ちゃんと声はかけたさ。でも無反応だったからついつい」
「そりゃ悪かったけど、ついついで背骨をなぞるのは勘弁してくれ」
何度もやられてきているが、あの感覚はどうにも慣れない。
「それで、今度はいったい何の悩み事だい? 君が僕達を集めるのも珍しいし」
「ああ、いや、皆を呼んだのはまったくの別件で・・・・・・。今はちょっと今朝見た夢について考えてた」
「夢?」
「ああ、それもなんか奇妙な夢でさ」
覚えている範囲で夢の説明をする。『たしかに奇妙な夢だね』と苦笑しながら同意を得られるものと思っていたのだが、昴は何故だか真剣な表情をしていて、
「・・・・・・君、そういう昔の出来事みたいな夢は何度も見てきたのかい?」
「え、あ、ああ、そうだな。ちゃんと覚えてないけど」
「そうか、いや、そうだろうね・・・・・・君にとっては夢の出来事でしかない」
「俺にとってって、それは――」
呟くように言った昴の言葉の意味が俺には分からず、訊き返そうとしたところで、
「わりわり、待たせたな」
「八割、いえ九割くらい竜樹のせいなんだけど、ごめんね」
見知った二人が手を振りながら声をかけてくる。
「あ、ああ、竜樹、理沙も」
「ん? なんだ、どうかしたのか?」
「いや、大した話じゃないんだ。昴に今朝見た夢の話を――」
「そう。君達があまりにも待たせるものだから他愛ない話をしていたんだ。それで彼の見た夢があまりにも奇妙だったというものだからその話を聞かせてもらっていたわけさ」
俺が言おうとしたところで、昴が割り込むように説明する。
「昴・・・・・・?」
「さて、メンバーも集まってきたわけだしこの話は後でにしようじゃないか。全く持って他愛のない話だったのだから、覚えていたら後で語り合おう」
「・・・・・・そう、だな」
どうにも腑に落ちないが昴はこの話をここでしたくない、いや、竜樹や理沙に聞かせたくないということは伝わってきて、俺は引き下がるしかなかった。
「よくわかんねえけど、まあいいか。じゃ、ぼちぼち移動すっかい?」
「ええ、でも、紅梨がまだ来てないようだけど」
「あ、実は今日の話に紅梨は誘っていないんだ」
「え、そうなの?」
理沙が意外そうな声で言い、竜樹と昴も少しだけ驚いた表情を浮かべる。
「仲間外れっていうのは感心しないわよ?」
「い、いや、そんなつもりはないんだ。本当にまったく。ただちょっと紅梨に話を聞かれると不都合があるというか、とても話しにくいというか・・・・・・」
理沙の疑念を慌てて否定する。
これから紅梨との話を聞こうと言うのに本人がいたら話しづらい――どころか最初から本人に聞けばいいだけの話だ。それができればなのだが。
「紅梨の悪口、とかじゃないでしょうね?」
「そんなことするわけないだろ」
「まあ、わかったわ。でも後でちゃんとフォローしておきなさいね? あの子、あなたに誘われなかったって知ったらすごく落ち込むから」
溜息を零しながらの理沙の言葉に俺も頷く。
「話がまとまったならそろそろ移動するか。行く場所とか決めてんのか」
「・・・・・・あ」
話が聞けると浮かれていてどこで話すかどうかまでは決めてなかった。そんな俺に竜樹はやれやれと肩を竦めつつ、
「俺達の部屋でもいいけど、そうだな。ファミレスでもいくか。最近駅の近くにできて話題になってたやつ。ちょっと気になってたんだよな」
「あ、私クラスの友達と行ったわ。なんか話題になってるらしくて夕方でも結構混んでたけど、この時間なら尚更混んでいるんじゃないかしら? ちょうど昼時だし」
「かもしれないけど、四人で話してたらあっという間だろ」
「僕は賛成だよ。せっかくだし写真撮って紅梨に送ってやろうじゃないか」
「昴?」
「じょ、冗談だよ」
理沙に睨めつけられて縮こまる昴。
「じゃあファミレスに決定だな。お前もそれでいいよな」
「ああ、大丈夫。ごめん、決めてもらっちゃって」
「いいってことよ。そいじゃ、ぼちぼち行くとするか」
お店の場所を知っている竜樹を先頭に他愛ない話をしながら歩き出す。
「そういえば竜樹。結局テストの方はどうだったんだ?」
「あー、まあ、なんとかなってんじゃね」
「おや? てっきり相変わらずの赤点祭りだと思っていたんだけど」
「おいこら昴。これでもやるときはやる男なんだよ、俺は」
「よく言うわよ。泣きながら教科書読んでたくせに」
「椅子にがっちり縛り付けられた挙句、お前の暴力に怯えながら延々と勉強させられたら誰だってそうなるわっ!」
「話を聞いただけでその光景が目に浮かぶよ・・・・・・ご愁傷様」
げんなりとした表情で言う昴。
「つーかお前たちこそ大丈夫なのかよ」
「僕はいつも通り――と言いたいところだけど、去年の冬はダークホースのおかげで危なかったからね、張り切って勉強させてもらったよ」
昴はそう言いながら俺の方を見る。
そういえば去年の期末テストで俺が学年四位の成績を出した時、昴が三位――俺と四点くらいの差だった。知らぬ間にライバル視されていたのか。
「いやでも、去年のテストは本当にマグレだったんだって。実際今回のテストもほとんど自信が無いんだ」
「またまた。マグレだけじゃあれだけの高得点は出せないさ。君が自分で思っているよりも知識を持っているんだ。実力は相当高いのだと僕は思うよ」
「買い被りだと思うんだけど」
しかし、そう言われて悪い気はしない。
「後輩たちは優秀で嬉しいわ。あんたにはこの子たちの爪の垢を煎じて飲んでほしい」
理沙は溜息を零しつつジロリと竜樹を睨み、
「あ? そう言うからにはお前も随分と自信があるんだな」
「もちろん。少なくともあんたよりは成績良いもの」
「喧嘩なら買うぞコラ。腕っぷしならわかんねえぞ」
「ま、まあまあ。落ち着きなって竜樹。たかがテスト。客観的評価なんだからさ」
「社会で重要視されるのは自己評価よりも客観的評価だけどね」
「理沙もいちいち煽るのやめてくれよっ!」
こんなやり取りも久しぶりな気がして内心楽しいのだが、止めないとこの二人は本当に喧嘩しかねないし、腕っぷしの喧嘩となっても竜樹が理沙に勝てる未来が見えない。もしコテンパンにされたら竜樹だって立ち直れないだろう。
「今なんか失礼こと考えてなかったか?」
「き、気のせい気のせい」
こういったときの勘の良さはなんなのか。
「それよりもさ――」
「あの、すみません」
話を逸らそうと竜樹達に別の話題を振ろうとしたところで、知らない女性の声が間に入ってきた。
「え、あ、はい、何ですか?」
「はい、やっぱりそうだ。会えてよかったわ!」
そう言って笑顔を見せる女性は二十代後半くらいか。しっかりとビジネススーツを着込んだその姿は出来るキャリアウーマンといった風貌だ。
「知り合いかい?」
「いや、全然知らない」
「ああ、そうですよね。あなたに直接会うのは初めてでした。私、こういうもので・・・・・・」
そう言いながら女性は名刺を差し出してくる。「どうも」と受け取ってみると、記載されていた社名は俺でも知っている週刊誌を出している出版社だ。それ見た瞬間俺以外の三人の雰囲気が変わった。
「おい、マスコミがコイツに何の用だってんだよ」
そう横から言葉を発した竜樹の声は、理沙と喧嘩しそうになっていたときとは比べ物にならないくらい低いものだった。
「あなたは先に行って、ううん、今日はもう帰った方がいいわね。昴?」
「ああ、わかっているよ」
理沙が俺の前に庇うように立って、昴は「さあ行こう」と手を掴んでくる。
「い、いやいや、いったいなんだってんだよ」
急な展開過ぎてまったく状況が飲み込めない。しかし、有無を言わさない力に引かれて歩き出そうとしたところで、
「ちょっとだけ、ちょっとだけ話がしたいんです!」
「話って・・・・・・」
「聞く必要はねえって。とっとと行けよ」
竜樹がそう割り込んでくるが、女性の方は開いた口を止めることなく、
「三年前の冬、この街の駅に向かっていた電車の脱線事故。その悲惨な事故の中であった奇跡に!」
女性の興奮気味に発せられた言葉に思考が止まる。
「脱線、事故・・・・・・?」
俺が巻き込まれた事故の話か?
「あの事故から三年経った今、復興とその中にあった一つの奇跡について記事を作っているところでして、どうしてもあなたの話が聞きたいんです」
「な、なんで、奇跡っていったい・・・・・・」
「聞かなくていい。もう帰ろう」
昴が俺の手を引く力を更に込めてきた。
竜樹も理沙も女性のことを止めようとしている。事情は分からないがここは三人の言う通りにした方がいい。きっと、この話は俺が聞いてはいけない。それだけは理解できて足を前に出そうとする、
「あなた、霧崎――君なんですよね?」
名前だけがかすれて聞こえた。
何を言ったのか聞き取れなかったのに、何かを理解してしまった。
俺の中で何かが壊れたような、そんな気がした。
「あの事故は本当に悲惨なものでした。ですが、その中で繋がれた命もあったんです。それがあなた。あの事故で脳死したお兄さんの心臓を移植されることで、重い病だったあなたは結果として一命を取り留めることができて――」
「これ以上喋るんじゃねえ、ぶっ殺すぞ!」
竜樹の怒声が辺りに響いて、その声に通行人の視線が集まってくる。
目の前で起きている出来事が現実ように思えなくて、俺はその場から動けなかった。ただ彼女の発した名前が、言葉が、グルグルと頭の中で駆け回り、それが締め付けるような激痛を生む。
何を言ってるんだ、この人は。
痛みと混乱で思考がぐちゃぐちゃになっていく。
脱線事故?
死んだ兄?
移植された心臓?
どれも理解できないのに、胃の中がかき回されるみたいで、酷い吐き気がする。
頭に浮かんだのは夢の光景。
真っ白の病室、大人の陰口、好きになった女の子の姿、それから・・・・・・。
その光景を最後に、ブツンと思考が途切れて意識は闇へと沈んでいった。




