5
これは夢だ。
いつかの記憶の回想。
彼女との出会いは些細なきっかけだった。
膝を抱えながら階段に座って泣いている彼女に、なんとなく僕が声を掛けただけ。
その頃の僕は、すでに誰かが泣いていても気に留めなくなっていた。
喜び、悲しみ、痛み、後悔、怒り・・・・・・ここにはいろんな涙があふれている。
涙があって当然の場所なのだから、泣いている人にいちいち声をかける方が厄介だし疲れるということを、ここで暮らしている僕は幼いながらに知っていた。
普段なら何の関心も持たないところだが、目の前にいる僕のことにも気が付かず泣いている女の子は何かが違う。そんな漠然とした何かが日課の散歩中だった僕の足を止めた。
背の高さは七歳の僕とあまり差はないようだから年は同じくらいだろうか。
服装はしっかりとしているし、そもそも僕が今まで見たことが無いからここで暮らしている人じゃない。この場所には多くの来客も来るし、彼女もその一人だろう。だとするとこんな人があまりこない非常階段で座っているのは・・・・・・。
「君、迷子?」
たどり着いた答えを言葉にして発すると、女の子はビクッと震えて顔を上げた。
「ねえ、大丈夫?」
重ねて声をかける。
女の子は僕と目が合うなり、何か驚いたかのように目を見開き、
「霧崎くん・・・・・・?」
彼女は僕の名前を、苗字を呼んだ。
そう。これが彼女との出会い――、
『これはあんたの見るべきものじゃない』
そんな声が聞こえてきて、目の前の記憶は黒く塗りつぶされた。
夢はそこで終わり、俺はまた目を覚ます。
*
「ふあぁぁぁ」
「ずいぶんと大きなあくびだけど、もしかして寝不足かい?」
隣に立つ昴が退屈そうにスマホを弄りながら訊いてくる。
「ああ、いや、なんか変な夢みてさ。ちょっと起きるの早かったんだよな」
「夢?」
「ああ。といっても、ちゃんと覚えてないんだけど・・・・・・」
なんだか懐かしい夢を見ていた気がするし、そうでもなかったような気もする。
「まあ、夢なんてそんなものだろう。それよりもさ、せっかく竜樹が用意してくれたチャンスなんだ。それは大丈夫なのかい?」
「あ、ああ、そうだった」
昴の言う通り、今は夢の内容で悩んでいる場合じゃない。
いったい何のために開園一時間前の遊園地のゲート前に立っているのか。
全ては昨日、竜樹が持ってきた話が発端だった。
これといって予定のなかった俺は近づく中間テストの勉強に勤しんでいた。何かしていないと紅梨のことを思い出して精神的に落ち込むし、とにかく気を紛らわせていたかった。
それがよかったのか勉強は捗り、つつがなく一日が過ぎ去ろうとしている夕食の最中に竜樹から唐突に言われたのだ。
「紅梨と仲直りする機会、作ってきたぞ」と。
俺は昴が若干引くくらいには食い気味にその内容を聞いた。
曰く、再会できたことを祝し、日曜日――つまり今日、皆で遊びに行かないかと紅梨を誘ったそうだ。
場所は隣町の遊園地。有名なところと比べたら小さいながらも、俺達のような高校生が遊びに行くとしたら十分すぎるところだ。そこでチャンスを作るから何とかしてみせろ。とのことだった。
俺は機会を作ってくれた竜樹、協力してくれる昴と理沙に感謝しつつ、夕食を食べ終わり、自分の部屋に戻ってから延々とイメージトレーニングを重ねた。
風呂に入って身体を洗っているときも。
ベッドに入って睡魔を待つ間も。
これでもかというくらいに考えて考え抜いた。
最初に会ったときに掛ける言葉から、道中話しかける言葉、内容・・・・・・別れの際の言葉まで。紅梨にこれ以上不快な思いをさせないように細心の注意を払いつつ、尚且つこれから仲良く過ごすために。
「だからって待ち合わせの三十分前は早すぎだと思うけどね」
「いや、そんなことはないだろ」
休日のテーマパークというのはスタートダッシュが重要だ。いくら規模の小さいものであろうともその混み方は侮れない。万が一の遅刻は許されるものではない・・・・・・と、インターネットで調べて理解したことだ。
「そもそも、君はこの遊園地に来た事ないだろう? たしかに混みはするけど、心配するほどじゃないよ。千葉にある有名な夢の国と同じように考える必要はないからね」
「そこまで極端に考えているつもりはないけどさ、何事も初めが肝心だと・・・・・・」
「君の目的は遊園地で遊ぶことじゃなくて、紅梨と仲直りすることだよ」
「ぐっ・・・・・・」
たしかにその通りである。遊び呆けて目的を見失うわけにはいかない、けれども、遊園地で遊ぶなんて初めてだし、どうも内心で興奮してしまうのだ。
「・・・・・・あれ」
自分の思考に違和感が走る。
本当に俺は遊園地に初めて訪れるのか?
いや、そんなことはない。
小学生の頃、俺は今日と同じメンバーで、皆と遊園地に遊びに来ている記憶がある。
「急にどうかしたのかい?」
「あ、い、いや、なんでもない」
そうだ。事故の影響だ。記憶が混濁しているだけだ。
「なんでもないんだ」
自分に言い聞かせる。そうしないと自分が崩れていくような恐怖を感じた。
紅梨と会うことに緊張しているからか、思いの外心が弱っているのかもしれない。
「・・・・・・俺ってメンタル弱いのかな」
「え、本当にいきなりどうしたのさ」
「いや、ごめん。深い意味はないんだけど」
「メンタルはともかく、体調が悪いなら無理しない方がいいよ。仲直りしようとするのも大切だけどさ、無理をした結果で体調崩して迷惑をかけるなんて流れになったらかなり恰好悪いし、最悪もっと関係が悪くなるかもしれない」
昴の言うことはもっともだ。しかし、だからといって帰るわけにもいかない。せっかくのチャンスを無駄にしたくはなかった。
「いや、体調は大丈夫」
「まあ君が大丈夫だって言うならいいけども。無理はしないでくれよ」
「わかってる」
そもそも体調が悪くなったわけじゃない。ただメンタルが参っているだけだ。それなら身体を休ませるよりも、中身が無い会話でもいいから適当に話をしている方が気を紛らわすことができる。
「しかし、君も好きだね」
ふと呆れた声で言ってきた。
「何がだよ」
「紅梨のこと」
たった一言なのに、俺はそれをすぐに理解することができなかった。
好き? 紅梨のことを?
「いやいや、動揺しすぎでしょ」
「そ、そんなことない。ないけど、いったい突然なんだよ」
「ふと思っただけ。昔から君は紅梨に心を開いていたし、仲もすごく良かったし、今でも好きなんだなろうなーって」
昴は何気ない普段通りの口調で言うが、その茶化した様子もない様子が俺を焦らせる。
「そりゃもちろん友人として、幼馴染としては好きというか好ましいというか、悪くなんて思ってないけど、そんな恋愛感情があるかどうかなんてのは・・・・・・」
「恋愛感情として好きかどうかなんて話はしてないけど」
「ぐっ・・・・・・」
たしかにそうだ。焦って思いつくままに喋ってしまった。
「盛大な自爆だったね」
「うるせえよ」
「まあでも、あながち間違いじゃないでしょ、君が紅梨に恋をしてるってこと。昔から君は紅梨のことしか見ていないし」
そんな言葉に、少し前に同じことを言ってきた一つ年上の幼馴染の姿を思い出す。
「・・・・・・それさ、前にも言われたんだよ。俺は紅梨しか見てないって。そんなことはないと思うんだけどな」
「僕以外にも言われたってことはそう思われているってことだね。まったく君然り彼女の何がいいんだか」
「昴は紅梨の事、嫌いなのか?」
「いいや。そんなことはないよ。でも、まあ彼女との付き合いも長いじゃないか。性格も考え方も違うし、少しの擦れ違いでちょっとした因縁――いや、確執かな。そういうものも生まれてくるんだよ」
「確執、か」
そんなものがあるのは全く知らなかった。
それはもちろん長い付き合いになれば、相手に対しての気持ちの変化というものはあるだろう。それは恋愛感情かもしれないし、もっと違う仲間意識かもしれない。だけども因縁や確執といったマイナスの気持ちは俺達の仲では無縁なものだと思っていた。
「誰にだってあることさ、昔の喧嘩をいつまでも引きずっているなんてことは」
本当になんでもないといった様子で「そもそも昔と言っても数年前だし、言うほどそこまで長くは引きずってないか」なんて笑いながら付け足す。
「だったら、昴も仲直りしないとな」
色々と言いたいことはあったし、訊きたいこともあったが、どうにも踏み込んではいけないような気がして、俺はそれだけしか言えなかった。
「・・・・・・何にしても今日は君の番だ。ほら、お姫様ご一行が到着したみたいだよ」
昴の目線の先を追うと、遠くの方にこちらへ向かってくる見知った三人の姿が見えた。
それだけで心臓がいつもより速く跳ね始める。
「あのさ、昴」
「どうしたんだい」
「今更で悪いんだけど、姿が見えてきたらなんか緊張してきた」
「緊張したって何かが変わるわけじゃないんだ、いつも通りでいるべきだよ」
「そうだな、そうだよな」
昴の言う通りだ。いくら緊張したところでするべきことは変わらない。
「よし・・・・・・!」
深呼吸して気合を入れる。
ちょうどそのタイミングで三人――竜樹、理沙、紅梨は俺達の近くまで到着した。
「よお、こんな早くに来ているとはお兄さん感心だ」
「お姉さんも感心。いつもより気合の入れ方が違うわね」
「そうだろう? まあ僕は巻き添えを食らっているだけで、気合が入っているのは彼だけだけどね」
竜樹達が俺の方をチラチラと見てそんな事を言う。
きっと三人の意図は紅梨に俺の印象を良く見せようとしている、と思うのだが、二人ともその喋り方は何とかならなかったのか、ほとんど棒読みじゃないか。
「あ、ああ、まあね」
とりあえず話を合わせるように頷くと、
「気合いと言えば、どう? この紅梨の服! すっごく可愛くないっ?」
理沙はまたもチラチラと俺に向かってそんなことを言い出した。
言われて視線を向けて、思わず息を呑む。
紅梨の服装は可愛いというよりは綺麗というイメージを抱く服装だった。春コーデとかでファッション誌に紹介されているものだろうか。白いフリルブラウスに水色のロングスカートから年相応な雰囲気も感じさせられる。
「ね、どうどう?」
「あ、ああ・・・・・・」
俺に何を言わせようとしているかはだいたい分かっている。そりゃもう一瞬見惚れるくらいには良いと思ったわけだし。しかし、それをそのまま伝えるのも――
「伝えるのよ」
思っていたことが顔に出ていたのか、まだ何も言ってないのに返された。
しかし本人を目の前にして服装を褒めるというのはなんとも恥ずかしい。でも、それが仲直りに繋がるならやるしかない。
気を取り直して、紅梨の方へと向き直ると、
「・・・・・・っ」
彼女と目が合う。
その瞳はまるで、俺に俺以外の何かを見ているような・・・・・・そんな印象を覚えた。
何故だか目を合わせていられなくなって視線を逸らす。
「あ、と、その・・・・・・」
頭の奥がズキズキと痛みだしてくる。
言おうと決めていたことがあったはずだ。挨拶、謝罪の言葉――そうだ、私服を褒めようとしたんだ。言葉の数々が浮かんでは消えて口を閉じるしかなくなる。
「ねえ」
とても近くで声が聞こえた。
その声に空回りしていた思考が途端にクリアとなって、
「大丈夫? 顔色良くないけど・・・・・・」
紅梨と目が合う。
心の底から心配しているのが分かるくらいの表情で俺を見ていた。
「あ、ああ、大丈夫・・・・・・きっとただの貧血だから」
「本当に?」
何故だろうか。彼女のこんな表情を見ていると夢の光景がフラッシュバックする。
病室の白さが、
消毒の匂いが、
誰かの泣き声が聴こえてくる。
「・・・・・・本当だよ」
そう答えるのがやっとだった。
どうしてこんなにも彼女の姿が安心するのか、どうして彼女の姿が俺の心をかき乱すのか分からない。頭の中でいろんなものがグルグル回って気持ち悪くなる。
「無理、しないで。あなたは昔から無理ばかりするから」
「そうだったかな・・・・・・」
「そうだよ。だから、辛い時はちゃんと言って。約束」
「あ、ああ、わかったよ。約束する」
俺がそう頷くと、紅梨は小さく微笑んで数歩だけ離れた。すると、スーッと引いていくように頭痛も治まっていく。
「本当に大丈夫か?」
そんなに顔色が良くないのか、竜樹も理沙も心配そうな表情を浮かべていた。
「ああ、大丈夫」
少し彼女に対して緊張しすぎているのかもしれない。
「ならいいんだけどな、ヤバい時はちゃんと言うんだぞ」
そこまで念を押さなくてもいいじゃないかもと思うが、こっちは心配してもらっている身だ。「分かってる」と頷く。竜樹も納得したように表情を崩して、
「じゃあ、気を取り直していくか! いざ遊園地へ!」
「私、遊園地って結構久しぶりなのよね、紅梨は?」
「私も久しぶり」
竜樹に続いて理沙と、紅梨が歩き出す。
俺もそれに続こうと足を前に出したところで、
「ちょっと訊いてもいいかい?」
「なに?」
昴に呼び止められて、彼の方へと顔を向ける。
「いや、まあ、もちろん何事も無い方がいいんだし、こんなことを訊くのもどうかとは思うんだけども・・・・・・。君、紅梨と喧嘩していたんじゃなかったの? 何なのさっきのラブラブ空間」
「そ、そんな空間はなかっただろ」
と言いつつも、昴の言いたいことは分かる。
当然の出来事で失念していたが、少なくとも紅梨は俺に対して怒っていたはずだが、俺を心配する彼女の姿からはそんな気配全く感じられなかった。
「君が思っていたよりもそんなに怒っていなかった、とか?」
「そうだと、いいんだけどな」
怒らせてから時間も経っているし、今は怒っていないというのも十分に考えられる。
(だからと言って、謝らなくていいわけじゃないしな)
彼女がこれといって怒っていないなら、何事もなかったように過ごすこともできる。でも、それは不誠実だ。もちろん蒸し返したいわけじゃないが、紅梨が不快だと思ったならちゃんと謝りたい。独りよがりと言ったらそれまでだけど。
何にしても、まずは会話をしなければ。
心の中でもう一度自分に喝を入れて、今度こそ先を歩く三人についていく。
さっきも何だかんだ話せていたわけだし、イメージトレーニングだってしたし、何とかなるだろう。帰るころには仲良し五人組に戻っているに違いない。
――と思っていたのだが、
「はあぁぁ・・・・・・」
深々と溜息をつく。
正直に言おう。
甘く見ていた。楽観視していた。
案外簡単に今まで通りの会話ができると思いこんでいたのだ。
しかし、そんなことは全然なかった。現実はそんなに甘くなかったのだ。
「あー・・・・・・」
広場のベンチにもたれかかってもう一度息を吐き出す。
青かったはずの空は気が付けばオレンジ色に染まりつつあって、あと一時間もしないうちに暗くなるだろう。
取りつく島もない。ということはまさにこのことと思い知らされた。
俺が紅梨に何か話しかけようとしても、基本的に彼女は他の誰かと話しているし、遊園地のアトラクションへ俺以外の誰かを誘って何処かへ行ってしまう。
なんとかタイミングを作ってもらって話しかけてみても、
「なに?」
「別に」
「しつこい」
この三言で終了するから、仲直りどころかまともな会話にすらならない。ただ時間だけが経過していくだけだ。朝のやりとりが夢だったかのように感じられる塩対応である。
「随分と魂抜けた顔してんな、大丈夫か?」
「ああ、竜樹・・・・・・他の皆は?」
「紅梨が家族へのお土産みたいからって理沙と一緒に行ったよ。昴もそれに付いていった」
「そっか」
紅梨がいないことに少しだけ安心して、それがまた自己嫌悪になる。
「隣、座ってもいいか」
「あ、ごめん――どうぞ」
謝りつつ横にそれると、竜樹がドカッと座って大きく溜息をついた。
「なんだかんだ遊園地にきたのは久しぶりだったが、結構遊び疲れるもんだな」
「そうだね」
「お前は気疲れの方が酷そうだな」
全く持って否定できない。
「その、ごめん」
「おいおい、紅梨に謝れないからって俺に謝ってもしょうがねえだろ」
「いや、そうじゃなくて・・・・・・いや、もちろんそのことも重要なんだけどさ、竜樹達が協力してくれて、こうやって仲直りする機会とか用意してもらったのに、俺は紅梨とまともに話すこともできてなくて、なんかそれがすごく申し訳なくて」
紅梨を怒らせたのは俺で、紅梨と仲直りしたいのも俺で。
全部が全部俺の都合で皆を振り回してしまっているのに、それなのに何の成果も出せていないことに焦りと罪悪感が強くなる。
「お前はほんと、どっかの誰かと違って不器用な奴だな」
「え?」
「いや、なんでもない」
そう言いつつも、竜樹は何かを懐かしむような表情で空を見上げる。
目線の先にあるのは、この遊園地の目玉でもある大きな観覧車だった。
「まだ終わってないんだから謝るのは早いだろ。この遊園地で行っていないアトラクションが残ってるんだからな」
「あの観覧車のこと?」
「そうだ。しかも二人きりになることができて、お互いに逃げることもできない、今のお前たちにはお誂え向きの場所だろ?」
たしかに観覧車に乗ってしまえば一周するまでは地上に戻ってくることはできない。何が何でも俺と紅梨はお互いに向き合わなければならなくなる、はずだ。ずっと無視される可能性も捨てきれないが。
「そもそも今の紅梨が一緒に乗ってくれると思うか?」
「そこは何とかしてやる。任せろ」
「でも、もし仲直りできなかったら・・・・・・」
「そうしたら、また次の機会頑張ればいいんだ。お前も、紅梨も、今回が最後のチャンスってわけじゃない。死に別れるわけじゃないんだから、いくらでもチャンスは転がってるはずだろ」
竜樹はベンチから立ち上がると、俺に手を差し伸べてくる。
「だが覚えておけ。俺達はチャンスを作ってやることだけ。頑張るのは、お前だ」
「ああ、うん、わかってる」
差し伸べられた手を掴んで立ち上がった。それが何故だかとても懐かしい気持ちになる。
昔、誰かにこうやって手を差し伸べられたことがあったのだろうか。
「ああ、そうだ。一つだけアドバイスがあるぜ」
「アドバイス?」
「紅梨が聞きたいのはきっとお前の言葉だ。変に格好つけようとするな。アイツはお前の嘘だけには敏感なんだ。お前の外側が発した言葉はアイツを傷つけるだけだぞ」
「あ、ああ・・・・・・」
頷きながらも、竜樹の言うアドバイスが今一つ理解できない。
紅梨に対して嘘をつきつつ接したつもりはないし、『外側が発した言葉』なんてもっと意味が分からない。言葉を出すのに外側とか内側とかがあるのだろうかと内心で疑問を浮かべていると、
「今は分からなくてもいい。とりあえず、お前の気持ちでぶつかっていけってことだ」
そう言い終えると竜樹は力でバンッと一回だけ俺の背中を叩いてきた。
「いってぇ! めっちゃ痛いっ、 何すんだよっ!」
加減をしているつもりなのかどうかはわからないが、とてつもない痛みが叩かれた部分から広がってヒリヒリする。
「背中を押してやったんだよ」
「せ、背中を押すって――、あ・・・・・・」
正面に視線を戻すと、どこか呆れた様子の昴と理沙。どことなく仏頂面の紅梨の姿。
「僕達がいないうちに何があったの? 急にスポコン?」
「おう。根性注入ってな」
根性よりも痛みの方が注入率高かった気がするのだが。
そんな恨み節を込めて竜樹を睨むと、それに気が付いているのかいないのか、彼は俺達を見渡して、
「そろそろ時間も時間だし、最後のアトラクションに行こうと思う」
竜樹のそんな言葉に、理沙が溜息を零す。
「最後のアトラクションって、さっきは「結構いい時間だからお土産とか買ってきたらどうだ」ってあなたが言ったんじゃない」
「さっきはさっき。今は今だ。臨機応変に行動しないと上手に生きられないぞ」
「あなたの無茶ぶりに臨機応変なんて言葉が通用するとは思えないんだけど」
「よーし、それじゃ二手に分かれるぞ」
理沙の抗議は軽く無視されたが、こんなのは日常茶飯事の流れだ。後で竜樹がどうなるのかは知らないが、いつものことだから大丈夫だろう、多分。
「それで二手に分かれてどうするの?」
「よくぞ聞いてくれた、紅梨。この遊園地の基本的なアトラクションはほとんど回ったのだが、実は二つ、回っていない大きなアトラクションがある」
「二つ・・・・・・一つはあの観覧車だよね? あと何か残っていたっけ・・・・・・」
言いながら紅梨はバッグからパンフレットを取り出して、アトラクションのリストを確認しだす。俺も二つ目のアトラクションは覚えていなかった。
小さなヒーローショーや子供向けのアトラクションはさすがに回らなかったが、定番のジェットコースターやゴーカートに回るコーヒーカップ、メリーゴーランドまでも制覇したはずだ。(といっても、俺は体調を心配されて比較的に優しいアトラクションしか乗っていないが)しかし観覧車に並ぶくらいのアトラクションなんて――
「いや、まてよ・・・・・・」
たしか期間限定で有名となっているものが一つあった。
クオリティーが高いことで評判だとネットでもちょっと話題になっていたアトラクションが。その答えに俺がたどり着いたのと同時に紅梨の顔色が変わった。悪い方に。
「・・・・・・ねえ、竜樹」
「なんだ?」
「私がそういうの苦手だって、知ってるよね?」
「もちろん」
まったく悪気のない様子で頷く。
「だから二手に分かれるって言ってるだろ。ネットで話題のリアリティ溢れるお化け屋敷か、カップルに大人気の観覧車か、どちらか好きな方を選びたまえ」
「その選択肢ならたとえ一人でも観覧車乗る」
「いや、一人じゃねえぞ」
「え?」
「こいつがどうしても観覧車に乗りたいんだが、一人で乗る勇気はない。とんだチキンハートだ。笑ってくれ罵ってくれって、さっきまで涙浮かべて呟いていたからな。よかったな、勇気のある相方ができて」
俺を指差しながらそんなことを言う。
「あ、ああ、まったくだよ・・・・・・」
全く身に覚えのない内容で思わず言い返しそうになるが、これはきっと紅梨と観覧車に乗るチャンスを作ろうしてくれているのだとグッと堪える。おそらく今日最後の機会だ。それを潰すわけにはいかない。
しかし、それを聞いた紅梨は心底嫌そうな表情を浮かべていて心に刺さる。
「どっちもいかないっていうのは」
「もちろん却下だ。ちなみにお化け屋敷に行きたい奴らは?」
「僕は断然お化け屋敷」
「私も。やっぱり評判聞いちゃうと行ってみたくなるわよね」
昴と理沙が示し合わせていたかのように小さく手を上げる。
「俺もお化け屋敷にいきたいし、三人と二人で綺麗に分かれた感じだな。じゃあアトラクションが終わったらまたここに集合しようぜ」
「ちょっと待ってよ、私はまだ行くなんて一言も――」
「紅梨」
さっきまでとは打って変わって真剣な声色。
「俺達は、いや、俺はそれでも構わないぜ。でも、お前はそれで後悔しないのか?」
「そ、それは・・・・・・」
言い淀む紅梨を置いて、話を進めてしまう。
「それじゃあ俺達はお化け屋敷を拝んでくるとするわ。あとはお二方で決めてくれ」
竜樹はヒラヒラと手を振りながらお化け屋敷の方へと向かって歩き出してしまい、それに続くように昴と理沙も「頑張って」と応援の言葉だけ残して行ってしまった。
(・・・・・・さて)
チャンスはありがたい。
気遣いにも感謝している。
しかしながらこんな微妙な空気にしておきながら、二人きりにされても何をどうすればいいのかさっぱりわからないし、ここまで俺と一緒に行動するのが嫌だと知ると心が折れそうになる。
「あー・・・・・・その、無理して観覧車に乗る必要なんてないしさ、竜樹達が戻ってくるまでお互い適当に時間潰せばいいんじゃないかな」
何はともあれ、ここで立ち止まっていても仕方ない。
それでなくとも待ち合わせに丁度いい広場にいるのだ。さっきからだんだんと人目にもついてきたし、ここで万が一学校の知り合いに出くわして修羅場と噂されたら、それこそたまったものじゃない。
「紅梨?」
名前を呼んだところでようやく顔を上げてくれて、一瞬だけ目が合う。
紅梨は眉間にしわを寄せながらも何かを決意したような表情だった。そして、彼女は俺に何か言うわけでもなく後ろに振り向き歩き出してしまう。
(ま、こうなるよな・・・・・・)
ここまで嫌われてしまったらどうしようもない。
竜樹達にはまた後でちゃんと謝ることにして、俺もどこか適当に歩き回って時間を潰そう。そう決めて紅梨の向かった方向とは逆の方へ歩き出して、
「どこいくの」
「へ?」
後ろから声を投げられ、素っ頓狂な声を出してしまう。
「観覧車。乗りたかったんでしょ、チキンハートさん?」
腕を組み、挑発するかのように言う紅梨。
とりあえず竜樹達への謝罪の言葉はまだ考えなくていいようだ。
「ああ、助かるよ。乗りたくて仕方なかったんだ」
俺の言葉に対して「じゃあ、こっち」と紅梨は観覧車の方へと向かっていき、彼女の背中を追いかける。
どういった心境の変化で彼女が観覧車に乗ってくれる気になったのかはわからない。
それでも、どんな理由であれ一緒に行動できるのは嬉しい――と思ったのだが、これはこれできついのだと直面してから理解した。
「・・・・・・なに?」
「・・・・・・いや、なんでも」
周りは家族連れとカップルばかり。
ほとんどの人たちが笑顔で楽しそうにパートナーと話を広げている空間。
その中で俺達はほぼ無言で列に並んでいる。
傍から見たら確実に浮いているだろうし、修羅場か罰ゲームと思われても何ら不思議なことじゃない。空気を察してか俺達の前後に並んでいる人たちが声を抑えて会話をしているところも胸に来る。その優しさがつらい。
「あ、あの・・・・・・二名様でよろしいでしょうか?」
お互い黙ったまま列は進み、ようやく順番が来たのだが、俺達の雰囲気を察してかスタッフのお姉さんは営業スマイルというより苦笑いといった表情で声をかけてきた。
「あ、はい。二名で」
空気を悪くしてごめんなさいと内心で謝りつつ、スタッフの誘導に従ってゴンドラに乗り込むと、ドアが閉められて鍵が掛かる。それからゆっくりと上に向かって動き出した。
これから少なくとも十分近くは二人きりの状態だ。
何としてでもこの時間のうちに仲直り――とまではいかなくとも、普通の会話くらいは成立するようにしたい。そうは思うのだが、長い沈黙のせいで喋り方を忘れてしまったのか声を出すことができなかった。ゴンドラの窓の景色だけが変わっていく。心の中で焦りだけが募る。
「・・・・・・ごめんなさい」
そんな謝罪の言葉が耳に入ってきた。
紅梨の方へと目を向けると、彼女は俯いたまま言葉を続ける。
「金曜日のことも、今日のことも。あなたのことを責めても仕方ないって、あなたは何も悪くないんだって分かってる。分かってるの。それでも、どうしても納得できなくて、心がもやもやして・・・・・・」
「・・・・・・紅梨」
「本当にごめんなさい。今日も気分悪くさせちゃったよね・・・・・・」
さっきまでの強気な態度はどこに行ってしまったのか。
紅梨は俺に顔を向けてくれなかったが、少しだけ肩を震わせていて、どんな表情をしているのかは容易に想像できた。・・・・・・できてしまったからこそ、尚更言葉が出なくなってしまう。
しかし、このまま無言でいるわけにはいかない。
紅梨から謝罪の言葉を述べたのだから、俺もちゃんと謝らないといけない。
口を開こうとしたところで、俺達を乗せたゴンドラはちょうど観覧車の天辺に差し掛かろうとしていていることに気が付いた。
「あ・・・・・・」
思わず息を呑む。
日が沈もうとしている夕焼けの赤に、夜の闇が浸食していくかのような空色。
ゴンドラの窓から広がる景色は、学校の屋上から見る景色とは――いや僕の記憶にあるどの景色とも違っていた。
こんなにも空は広かったのか。
こんなにも高い場所にあるのか。
こんなにも夕焼けは赤くて、夜は暗いのか。
知っていたはずなのに知らなかった感動が心に押し寄せてくる。
「すごい、すごいな・・・・・・!」
この感動を共有したい。さっきまで何か言おうとしていたことすら忘れて、紅梨の方へと顔を向けると、彼女は何故だか驚いたような表情で僕のことを見ていた。
「紅梨?」
「あなたは、いったい誰?」
「突然何さ、俺は俺だよ」
「そう、そうだよね・・・・・・あなたはあなただよね、他の誰でもない・・・・・・」
紅梨は自分に言い聞かせるように言って、それから優しく微笑んだ。
いったいどうしたのか少し気になったが、それよりも目の前に広がる景色の話がしたくて仕方がない。「それよりも空がすごいんだ」と思った瞬間に口から出るくらいには。
「ふふふっ」
「なんだよ」
「ううん、あなたがそんなに興奮しているところ初めて見たから」
「そんなこと――いや、たしかにそうかもしれない。こんな観覧車から見る景色がこんなに綺麗だなんて知らなかったんだ。写真や小説だけじゃ分からないものだったんだな・・・・・・」
窓へと視線を向けたまま紅梨ちゃんと会話――といっても僕が「すごい」と言っているだけだったが、僕達を乗せたゴンドラも着実に地上へと近づいていき、そしてスタッフの誘導でゴンドラを降りてからも僕の視線は空へと釘付けだった。
「本当にすごかった、空ってあんなに高いんだな」
「ふふっ、さっきからそればっかり」
「いや、他に言葉が出てこないんだよ。どう表現すればいいのか全然分からない、とにかくすごい!って感じで、景色だけで感動したのはもしかしたら初めてだよ」
「ちょっと大げさじゃない?」
「そんなことないよ、だって僕はそもそも遊園地なんて初めて――」
ほぼ無意識に僕は――俺はそう言葉を発していた。
そんなことはありえないのに。
朝にも感じた違和感と同じだ。
まるで遊園地に来たことが初めてのような、でも、たしかに俺は覚えているのだ。小学生の頃に俺は遊園地に来ている。観覧車にだって乗っている。それなのにほんの少し前まで俺は初めての経験だと本気で思っていた。
記憶が曖昧になっていくような気味の悪さと、割れるような頭の痛みが襲ってくる。
「ど、どうかしたの? 大丈夫?」
「いや、大丈夫――」
それでも心配かけまいと強がろうと思ったのだが、朝に彼女とした約束が頭に過った。
紅梨との約束はそれが些細なことであっても破りたくない。そう思った時には本音が口から出ていた。
「ごめん、あんまり大丈夫じゃない、ちょっと座って休んでもいいかな」
「う、うん、もちろん。そうしよう」
紅梨は頷きながら俺の身体を支えてくれた。
ふらつきながらも近くのベンチまで何とか歩いて、そして崩れるように座り込む。
「お水とか飲める? 私買ってくるよ?」
「大丈夫・・・・・・」
それよりも君と話がしていたい。声には出さなかったが、紅梨は何か察してくれたのか俺の横に座って背中をさすってくれた。
「謝らなきゃって、思ったんだ」
まともに言葉を選べるほど体調はよくない。俺は思いつくままに口を開いた。
「あなたは何も悪くないんだから謝る必要なんて・・・・・・」
「いや、あるんだ。謝らなきゃいけないこと」
竜樹も地雷と言っていたし、きっと五年前の約束はタブーになっていたのだろう。
本当はそのことも謝りたかったが、俺は知らないのか忘れているのか、その理由がわからない。それを知らないまま謝ろうものなら、俺と紅梨の溝はさらに深まってしまうことは明白だ。だから、彼女に対して今の俺に謝れるのはこれだけ。
「これ・・・・・・返しそびれていたから」
ポケットからリボンを取り出す。紅梨が落としていったものだ。
「本当は追いかけてでも返さなくちゃいけなった。きっとこれは大切なものだと思うから、でもどうしても声が出せなくて、足を動かせなくて、ごめん。返すのが遅くなった」
「・・・・・・うん」
紅梨はリボンを受け取ると、慣れた手つきでもみあげの髪をリボンでまとめていく。
「・・・・・・どう?」
「うん、似合ってる、とっても」
見知った彼女の姿だ。
素直な感想を告げると、彼女は恥ずかしそうにはにかんでくれる。
その表情はどこかで見覚えがあって、
「ぐうっ?」
一際強い頭痛といつかの記憶がフラッシュバックする。
真っ白の部屋に、窓から差し込んでくる夕日のオレンジ。
今と同じような笑みを見せてくれる彼女の姿。
(ああ、そうか)
どうして忘れていたのだろうか、あのリボンは――僕がプレゼントしたものだ。
それを思い出すと、プレゼントしたときの記憶が鮮明に浮かんでくる。
『少し遅れたけど、これ誕生日プレゼント。気に入ってもらえるか自信はないんだけど』
『ううん。そんなことない、とっても、とっても嬉しい・・・・・・つけてみてもいい?』
『もちろん』
『・・・・・・どう?』
『うん、似合ってる。よかったよ、紅梨ちゃんに渡せて』
あの日の会話も夕日が夜へと染まりそうなときだったか。
「大丈夫っ? しっかりしてよっ!」
遠くから紅梨ちゃんの声が聞こえる。そうか、僕は今彼女と一緒にいたのだったか。
頭に過る大切で懐かしい記憶と、その記憶を拒むように締め付けてくる頭痛が混ざって意識がぐちゃぐちゃになっていく。
(大丈夫、大丈夫・・・・・・)
心の中で呟きながら、僕の意識はゆっくりと闇に沈んでいった。




