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約束  作者: 黄昏
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4

 学園の廊下とあっちこっちの教室では元気な生徒達の声が響き渡っていた。

 駅近くのカフェで出すパンケーキが美味しかったとか、ファッション誌で載っていた服がどうこうと女子達は盛り上がっている。

 男子も男子で、このグラビアアイドルが可愛いとか、このゲームが面白いとか、あちらこちらでグループを作って話している。

 そんな周りの会話をBGМのように聞き流しながら、俺は自分の席で読書にふけこんでいた。前に何気なく寄った本屋で平積みされていたのを適当に買っただけなのだが、これがなかなか面白い。

「これまた神妙な顔してどうしたんだい?」

「見ての通り読書だよ」

 本から視線を離すことなく答える。

「読書をしているにしては表情が動いていたから気になったんだよ」

「え、そうか?」

 本のページを記憶してから手で自分の顔を触ってみる。感情移入する方だって自覚はあるけど、まさか今まで変顔とか気が付かないうちに晒していたのではないだろうか。そうしていると昴はクスッと笑って、

「冗談だよ。おはよう」

「冗談なのかよ・・・・・・。まあいいや、おはよう。それにしても今日は珍しくゆっくりした登校だな。俺が部屋に寄った時はもう出ていたみたいなのに」

「ちょっと心構えが必要でね。学校には来ていたんだけど、屋上で英気を養っていたのさ」

「心構え?」

「人生に何回かは心構えが必要な時が来るのさ」

 そう言って昴は中央列の先頭にある席へと戻っていき、ホームルームが始まる五分前の予鈴が鳴り響いた。辺りもほんの少しだけ慌ただしく動き始めて、そんな中俺は昴の席へと目を向けるがここからでは彼の表情を見ることはできなかった。

「・・・・・・いったい何を悩んでいるんだろ」

 昴が悩み事をしている姿を見せるのは珍しい、というか、初めてかもしれない。

 普段から馬鹿をやっているようにみせて色々と考えている奴だから、ただ悩んでいる姿を他人に見せていないだけなのだろうが、今回はそんな余裕がないくらいに悩んでいるということか。

 何とか力になりたいとは思うけども、こういう時にいったいどういう言葉をかければいいのか全く分からず、考えている間に教室のドアが開いて思考は中断された。

「お前ら、早く席に座れ」

 身長190センチ越えの巨体が野太い声と共に教室に入ってくる。

 松下吾郎、その巨体と四肢を太く見せる筋肉は学生時代にアメフトで鍛え上げられたものらしい。見た目に恐怖を感じることはあれど、教員として面倒見がいいところや冗談を冗談と受け取ってくれるところから親しみやすい先生と評価は高い。

「今日はまず転入生を紹介する」

 それから「入ってきていいぞ」とドアに向かって声をかける。

 その言葉の後に少しだけ間をおいて、ガラガラと音を立てながらドアが開いた。

 続けて耳に入ってきたのは教室の床を歩く規則正しい足音。

「初めまして、天野紅梨です。よろしくお願いします」

 そして可愛らしい女の子の声が自己紹介をした。

 俺はその声を知っていた。

 記憶よりも少しだけ背は伸びている。けども、赤みの掛かった腰まである長い髪はあの頃のままだ。釣り目がちな瞳とそれを隠すように伸ばされた前髪も、左側のもみあげに結われたレースの白いリボンも。何一つ変わらない、その姿を忘れるわけがない。

「・・・・・・紅梨・・・・・・ちゃん」

 心臓の鼓動が激しくなる。

 久々に会えた喜びか、突然の再会の驚きか、どれも腑に落ちる動悸じゃない。

 まるで知られちゃいけないことが知られそうになっているときの、あの不安でいっぱいになったときの動悸みたいだ。

「天野はご家族の都合でこちらに越してきたそうだ。城ノ院と霧崎とは同郷らしいな、二人とも彼女のフォローをしてやるように」

 付け足すように松下先生が説明するとクラス全体が騒がしくなる。

「席は・・・・・・霧崎の斜め後ろに用意してあるからそこに頼む」

「はい。わかりました」

 返事をした後、彼女は俺の方へと歩みを進め始める。

 目を合わせてはいけない気がして顔を伏せると、

「――え」

 足音が止まる。ゆっくりと顔を上げると彼女は俺の席の横に立っていた。

「あ、あの・・・・・・」

「私は約束守っていないから」

 おもむろに髪を結っていたリボンを解いて俺の机に置く。

「私はあなたのことを忘れていないから」

 それだけ。付け足すように言ってから今度こそ彼女は自分の席へと向かっていった。

「昔の喧嘩か、霧崎」

 さすがにおかしいやり取りだと思ったのだろう、少し呆れた声で松下先生が聞いてくる。

「い、いえ、そんなことは・・・・・・」

「まあいい。ここではお互いに仲良くやってくれよ、天野もいいな?」

「はい、すみませんでした」

 謝罪の言葉を聞いて先生も納得したのか、気を取り直すように咳払いをして今日の連絡事項を話していく。だが、俺は斜め後ろにいる紅梨が気になって内容が頭に入ってこない。

 紅梨に会えたことは嬉しい。

 また幼馴染が皆揃ったのだから、今よりもずっと楽しい日々になるのは間違いないはずだ。それなのに俺は彼女と過ごすことに不安を感じていて、その上何故だか気まずくなってくる。

 彼女が置いていったリボンに視線を落とす。見覚えのあるそれは当時からずっと使っているのだろうが、端の方がほつれているけども、どれだけ大切にして丁寧に使っているのか伝わってくるくらい綺麗なものだった。

『私は約束守っていないから』

『私はあなたのことを忘れていないから』

 彼女が守っていない約束。

 付き合いも長いし、色々と約束はしてきた気がするけども、マイナス方向で表現されるほどの約束をした覚えがない。むしろする方が珍しいように思える。だが、もしかしたら俺がそれを忘れていて、でも本能的には忘れていることに気が付いているから、彼女の姿を見たときに不安を感じてしまったのかもしれない。

「さて、天野も事前に聞いていると思うが再来週から中間テストだ。まだ大丈夫だと油断していると痛い目を見るかもしれないからな、注意するように!」

 ふと気が付くと先生の話も締めに入っていて、クラス委員の「起立! 礼!」の声に従い身体を動かす。

 その間もずっとリボンを見つめていたが、それが返事を返してくれることはなかった。


       *


「曇ってきたなー」

 今日の天気予報はずっと晴れの予報だった気もするが、五月半ばともなれば天気も安定しなくなるものだろう。すぐにでも雨が降りそうというわけでもないし、チャイムが鳴るまで俺は中庭のベンチから離れる気にはなれなかった。

 紅梨と再会できたことを祝してと昴達から昼食の誘いをもらったが、今日は他のクラスメイトと約束していたからと適当な嘘をついて断り一人で考え事に耽ることにした。

 我ながら何をやっているのかと思う。

 俺だって紅梨に話したいことはたくさんあるし、彼女の話だってたくさん聞きたい。だが朝のやりとりと感じた不安のせいで彼女と顔を合わせづらかった。

「約束・・・・・・約束ね」

 今の今までずっと思い出そうと記憶を漁っていたが、未だ思い出すどころか手がかりの意味さえも分からないでいる。いったい彼女は何を守っていなくて、何を覚えているというのだろうか。

 俺の中で約束と言ったら紅梨が引っ越す前のことだ。

 実家の近所にある公園で集まってした約束は当然覚えている。それは夢で見るくらいには鮮明な記憶だが、あの雰囲気から察するに彼女の言っていた約束はそれとは違うものだろう。

 そうなると紅梨には悪いがまったくもって覚えがない。

 もしかしたら事故の影響で忘れてしまっているだけなのかもしれないが、そうなると簡単に思い出せるものではないだろうし、結局は現状としての約束の記憶がない事と変わりないことになる。

「弱ったな・・・・・・」

 ポケットから紅梨に返しそびれたリボンを取り出す。

 そういえばいつだったか、このリボンは一番のお気に入りと彼女から聞いた覚えがある。

 それを俺に渡してきた意味はわからないが、それほどまでに約束を守らないということが彼女にとって大切だったのかもしれない。もしくはこのリボンが関係しているのか。

 また仲良く過ごしたいし、気まずいままではいたくない。

 かといって紅梨本人に「すみません、約束ってなんのことでしたっけ?」なんて事を言おうものなら、俺のデリカシーの無さと失望から心象は地の底まで落ちることは想像に難しくない。そうはならなくとも理沙達に延々と弄られることは間違いないだろう。

 彼女の言っていた言葉から考えてみる。

 俺が過去に何か恥ずかしい失敗をして、紅梨にそれを忘れてくれるようにお願いして約束した。そして再会した今日の彼女の言葉だ。文脈だけで言うのならば辻褄は合うような気がするのだが、しかしながら話の流れと雰囲気が絶望的に噛み合っていないし、このリボンは謎のままだ。

「・・・・・・背に腹は代えられないか」

 もはや俺一人で解決できる気がしなくなってきた――というか、そもそも当事者の一人である俺が思い出せないのだから、誰かの記憶を借りないと答えまで辿り着けるわけがない。

 俺や紅梨と同年齢である昴に相談することも考えたが、ここは紅梨と同性である理沙の方が的確なアドバイスを貰えるかもしれない。

 腕時計を確認すると、昼休みの終了まであと十分といったところだった。

 今から急いで三年の教室に向かったら少しくらいは話せる時間が取れるだろう。おそらく屋上で紅梨達と昼食を取っているだろうけど、真面目な理沙のことだしこの時間だったら教室に戻っている可能性が高い。

 俺はベンチから立ち上がると早足で旧校舎へと向かう。

 広い土地を持っている学校ではあるが、最上級生である三年の教室は俺達の教室の階下にあり距離が離れているわけでもない。自分の教室に戻るときにちょっとした寄り道となるだけだから俺自身も授業に遅刻することはないだろう。

 日頃の運動不足が祟ってか少しだけ息を切らせながらも、その甲斐あってか三分程度で理沙達の教室にたどり着く。

 開けっ放しのドアから顔を出して理沙の姿を探すと、自分の席に座ってバッグから教科書を取り出しているところだった。ドア近くの席に座っている顔見知りの先輩に理沙を呼んでもらう。

声に呼ばれて俺のことに気が付いた理沙は少し驚いた様子こっちに近づきながら、

「どうかしたの? というか、用があるなら入ってくればいいのに」

「俺だって先輩方の教室に堂々と入っていくことは躊躇うよ」

「そう? まあいいけど。それで何か用事かしら、もうすぐチャイム鳴るわよ?」

「ああ、ちょっと聞きたいことがあって――」

 言いながらポケットから紅梨のリボンを取り出そうとしたところで、

「ちょっとまって。あなた呼吸が少し乱れてない? まだ体調良くなってないの?」

「え、い、いや、そんなことないよ、ただちょっと急いで来たから」

 怠けてないで少しは運動した方がいいなと思いつつそう言うと、何故だか理沙は目を見開いて俺の肩をガシッとつかんできた。廊下にいる先輩たちの視線が集まるのが分かる。

「急いだって、あなたここまで走ってきたのっ?」

「少し早歩きしただけだけど・・・・・・」

 突然の剣幕に気圧されながらも答える。

「早歩きでも身体に負担のかかることはしちゃダメ。今のあなたが元気でもどんなことが原因でまた悪くなるか分からないんだから。何か用事があるときは電話やメールで連絡取れるじゃない。急ぎの用なら私が行くから」

「そこまで心配しなくても大丈夫だよ。そりゃ激しいスポーツは禁止されてるけどさ、準一さんだって健常者以上に健常な状態だって言ってたし」

「そういう問題じゃないの!」

「ご、ごめん」

 素直に謝るしかない。事故の直前直後の記憶はほとんどないのだが、きっと理沙にとてつもなく心配をかけたのだろう。時に過剰ではないかと思うくらいではあるけど、それは彼女の優しさだ。

「わかればいいの。・・・・・・それで、用事はなに?」

「あ、ああ、これなんだけど」

 今度こそポケットからリボンを取り出す。

「これって――たしか紅梨のリボンよね? 確か一番気に入っていたものだけど、そういえばお昼のとき髪を結ってなかったわ」

「朝、ホームルームで出会い頭に渡されたんだよ。『私は約束を守っていない』って言葉と一緒に」

「・・・・・・そう」

「理沙はこれにまつわることって覚えていないか? 紅梨には申し訳ないんだけど、どうしても彼女の言う約束が思い出せないんだ。守らなくていい約束をしたってことなのか、それとも守ってはいけない約束をしたのか・・・・・・」

 理沙は少し悩んで、

「ごめんなさい、私もわからないわ。紅梨と一番仲が良かったのはあなただし、あなたが覚えていないのなら紅梨本人しか分からないと思う」

「仲の良さに差はないと思うけど・・・・・・でも、やっぱりそうだよな」

「一応だけど竜樹にも聞いてみる。あの馬鹿、昼に先生から呼び出されていたのを無視して私達と一緒にお昼ご飯食べていたから今頃生徒指導室だけど」

「道理で静かなわけだ。悪いけどお願い」

 理沙が分からないなら竜樹も分からないと思うが、今は可能性に縋るしかない。

 腕時計を確認すると思いの外時間が経っていた。少し急がないと授業に遅刻してしまいそうだが、理沙もそれに気が付いたのかジトッと睨みつけてきて、

「授業遅刻しても走っちゃだめよ」

「それはそれでどうなんだ」

「文句でも?」

「いや、はい、ないです」

「素直でよろしい。それじゃあね。今度の昼休みは私達の方を優先しなさいね」

 そう言って理沙は教室に戻っていく。

「あ、理沙」

「ん、どうかした?」

「あ、い、いや、なんでもない。ごめん」

「そう? それなら君も早く教室に戻りなさい」

 今度こそ教室に入っていった理沙を見送る。

 ふと見えた横顔は何故だか憂いを帯びている気がして、思わず呼び止めてしまったが気のせいだったのだろうか。もしくは俺が想像している以上に心配をかけてしまったのか。

思い返せば昨日の倒れた件といい、日頃から心配かけてばかりのような気がするし、少しは考えて行動した方がいいのかもしれない。

 罪悪感を誤魔化すように頭を掻きながら、俺は自分の教室に戻るため歩みを向けた。


        *


 物事そう上手くいくものではない。

 放課後、周りが部活に行こうと準備をしたり帰り支度を進めたりする中で俺は竜樹から来た連絡を見て机に突っ伏した。

「まあ、予想はしてたんだけどさ・・・・・・」

 竜樹から届いたメッセージの内容は短く『悪いけど知らねえな。知ったかするか本人に謝りな』というものだった。昴にも授業の合間の休み時間に聞いてみたのだが「君と紅梨の仲だよ? 僕が知るわけないじゃないか」と一蹴されてしまった。

理沙が分からなかった時点であまりいい予想はしていなかったのだが、結局、紅梨としていた(はず)の約束は昴も竜樹も知らなかったのだ。

 誰かに話を聞いてもらいたかったが、こういうときに限って誰も捕まらない。

 昴は用事があるそうで「また夜に」と言い残して足早に帰ってしまったし、竜樹も理沙も教室にはいなかった。メッセージも送ったが二人とも反応が無い。

「まあ、そういうこともあるか」

 皆も色んな用事があるのだ。俺だけじゃなく他の友達だっているだろうし、約束だってあるはずだ。

「・・・・・・約束、か」

 約束という言葉に紅梨の姿がチラついた。

 きっと多くの約束をしてきた。

それらは些細ものだけじゃなくて大切な記憶もあるはずだ。

俺はそのことをほとんど覚えていない。それは紅梨だけなくて理沙や竜樹、昴としてきたはずの約束も含まれているはずで、俺が気付かないうちにたくさん傷つけていたのかもしれない。

 思い出したい。せめて紅梨とした約束は。

 そう思った刹那、

「・・・・・・ぐうっ!」

 頭を締め付けるような酷い頭痛が襲う。

 まるで思い出すなというようで、いや、そんなことはない。きっと昨日の体調不良がまだ残っているのだろう。俺は自分にそう言い聞かせながら、もう少し休んだら帰ろうと決めてもう一度机に突っ伏す。

「・・・・・・何やってるの?」

「うおおっとっ?」

 突然の声に椅子から転げ落ちそうになる。

 声の方へと顔を向けると、訝しげな目で俺を見る紅梨の姿があった。

「教室にいるのはあなただけみたいだけど」

「あ、ああ、ちょっと考え事を・・・・・・」

 思いの外考え事に呆けている時間が長かったみたいだ。紅梨は「まあ別にいいけど」と興味なさげに呟くと、素早く帰り支度を済ませて教室から出ていこうとする。

「あ、あのさ」

 俺はその後ろ姿に声を掛けた。

「なに?」

「あ、いや、あの、よろしければ途中まで一緒に帰りませんか・・・・・・ね?」

 沈黙が流れる。紅梨は少し驚いた様子で俺のことを見ていた。

 朝の件の気まずさもあるし、もしかしたら俺と一緒にいることが不快だと思っているかもしれない。だとすれば誘ったのは迷惑だろう。一瞬でネガティブに染まった思考が心の中を支配していく感じに耐えられなくなって、「ごめん、なんでもない」と俺が口を開こうとしたところで――

「ふふ、変なの」

 そう言って紅梨はクスッと笑った。

「そんなに身構えることないのに」

「い、いや、断られるんじゃないかって、思って・・・・・・」

「そんなことしないわ。・・・・・・一緒に帰るんだったら早くいきましょう。のんびりしていたら暗くなっちゃうから」

「あ、ああ、すぐに準備するよ!」

 準備といってもそんな時間が掛かることをするわけじゃない。机の横にかけてある鞄を開けて、来週が提出期限の課題をちゃんと入れたかどうかだけ確認して、椅子から立ち上がる。

「ごめん、おまたせ」

「うん、じゃあ行きましょうか」

 先に教室を出る紅梨の後ろについていく形で俺も続く。

 学校を出る間、俺達はとくに喋ることはなかったが、久しぶりに一緒に歩く喜びからかさっき感じた不快な静けさは感じなかった、というよりも話したいことはいくつも浮かんでくるのだが、上手く言葉にできなくて沈黙を感じている余裕がなかった。

「あっと」

「ん? どうしたの?」

「そういえばさ、紅梨って今どこに住んでるの?」

 校門を出たところでふと気になったことを質問する。

 一緒に帰ろうとは言ったものの、もしかしたら紅梨の住んでいる場所は俺が暮らしている寮と逆方向かもしれない。そうなるとここで別れることになる。

「あなたは竜樹や昴と同じアパートだっけ。それなら途中までは一緒。私はその先の住宅街の方だから」

「そっか。それならよかったよ、誘ったのに帰り道が逆だったらどうしようかと思った」

「・・・・・・それって普通は誘う前に聞いておくべきことじゃないの?」

「まったくごもっとも」

 しかし帰り道は同じだということが分かっても、寮までは十分ほどしかないのだから話せる時間は短い。これが最後で話す機会がなくなるということはないけど、せっかくの機会を無駄にしたくはなかった。

「あ、あのさ」

 ポケットの中のリボンを掴む。

 来週からは昔と同じように皆で仲良く過ごしたい。

「その、謝りたいんだ」

「謝るって?」

「朝、紅梨が言っていた約束。・・・・・・ごめん、どうしても思い出せないんだ」

 リボンを差し出しながら深々と頭を下げる。校門の前で謝罪する様は第三者が見たら何事かと思うかもしれないが幸いにも今は誰もいない。

「・・・・・・そう」

 それに対して紅梨の返事は簡素なものだった。

「え、あ、あの、怒ってないの?」

「怒ってほしいの?」

「そんなのことはないけど・・・・・・」

 もちろん好き好んで怒られたいとは思わないが、非があるのは俺だ。

「私の方こそごめんなさい。あなたの事情は知っているし、私自身もあんな約束忘れた方がいいと思っていて、だから気にしないで」

「いやでも・・・・・・」

「ほんとに全然気にしなくていいの。朝はちょっと感情的になっちゃったというか、心境的にどうしても言っておかなければならなかったというか」

「そ、そうなのか」

 気にしなくていいという彼女の声から圧を感じて、思わず頷いてしまう。

 だが、彼女が感情的になってしまう約束に興味が出てくる。

「なあ、その約束ってどんなものだったんだ?」

「今のあなたには内緒」

 紅梨はそう言って俺の手からリボンを取った。それを丁寧にポケットへ入れると「いきましょう」と帰り道を歩き出してしまう。

 何はともあれ、危惧していた関係の面は解決したみたいだ。

しかし、約束に関しては謎だけが深まっていく。釈然としない気持ちになりながら紅梨と並んで歩くと、彼女は何故か俺のことをジッと見ていて、

「どうかした?」

「背、伸びたね」

 突拍子もなくそんなことを言う。

「声も低くなった。昔は高めで可愛らしい印象だったけど、すっかり男の人って感じ」

「そ、そうかな?」

「うん。ほら、手もこんなに大きくなってる。昔は私と同じくらいだったのに、今じゃあなたの方が大きい」

 紅梨と俺の手はちょうど指の一関節くらいの差があった。

 そんな些細なことを何故か嬉しそうに話す彼女の姿と、手と手が触れ合って伝わってくる温もりが相まって顔が熱くなっていく。

「ふふっ、顔赤い」

「自分でもわかるから指摘しないでよ・・・・・・」

 昔から手を繋ぐなんて機会は結構あったはずなのに、紅梨を異性として認識しているからか、俺の免疫が無さすぎるのかどうかは分からないけども、今こうして経験するとこんなにもドキドキする。

「あ、あのさ」

 この羞恥心に似た気持ちから逃れようと俺は口を開いた。

「なに?」

「これからさ、いろんなことしような」

「うん」

「あ、その、皆で、な。この辺だって都会ってほどのそれじゃないけどゲームセンターとかカラオケとか色々あるし、少しバスに乗れば小さな遊園地もあるんだよ。小さいといっても定番のアトラクションとかは揃っていてさ――」

 口早に思い浮かんだ言葉を並べる。紅梨はそれを微笑みながら聞いてくれる。

 それだけで終えておけばよかった。

「あ、そうだ。夏休みに入ったらさ、あの公園に行かないか?」

「・・・・・・公園?」

 明確に紅梨の声色が変わった。それが分かっているのに口を開けてしまう。

「ほ、ほら、五年前にタイムカプセルを埋めて約束した場所にさ。せっかく五人揃ったんだし、竜樹達と一緒に――」

 言葉はそこまでしか続かなかった。

「あなたからその話は聞きたくない」

 紅梨の声はいろんな感情が綯交ぜになったようなものだった。

「もう五人が揃うことなんてありえないから」

「どう、して」

「・・・・・・そう、そうだった。今のあなたはどうしようもなく『徹』だったね」

 彼女の言葉が理解できなかった。

 何を当たり前なことを言っているんだ、俺が俺じゃなかったらいったい誰だっていうんだよ。しかし、言い返そうともさっきまで饒舌だった口はまったく開かない。

「さようなら」

 明確な早歩きで紅梨は俺から離れていく。

 ふと足元をみると紅梨のリボンが落ちていた。ポケットに入れていたはずなのに、入れ方が浅かったのだろうか。

「あ、あの――」

 返さないといけない。声を掛けないといけない。

 けれども、血が出るんじゃないかって心配になるくらい強く握れた手と、どこか寂しげな背中は明確な拒絶を感じ取れて俺は立ち尽くす事しか出来なかった。

 そんな出来事があった夜、部屋に訪ねてきた竜樹が、

「思いの外元気そうじゃねえか、あれ、でも目の下は腫れ気味?」

 明確な煽りを感じて、俺は全力でドアを閉めようとする。

 竜樹もドアを押さえて対抗してくる。だが、開け幅を考えたらいくら竜樹の力が俺より強くともこちらのほうが有利だ。

「冷やかしなら間に合ってる」

「おいおい、そんなつもりじゃないって。晩飯も食わず傷心している弟分を心配してきたんだよ」

「そういう優しい兄貴分は、いちいち冷やかしに来ない」

「ただの事実確認をしただけだって。お前だって誰かに話を聞いてもらいたいって思ってたところだろ? そこで俺が空気を読んできたわけだよ、本当だからこれ以上力を入れるな! いくらなんでも指が潰れる! つか、ほら時間も時間だし言い争ってたら近所迷惑だし不審だろ! とりあえず部屋に入れてくれよ!」

 不審に思われたくなかったら自分の部屋に帰ればいいだろと思うが、誰かに話を聞いてもらいたいと思っていたことは否定できない。しかしながらそれを正直に認めるのは癪だ。俺は深い溜息を零してから仕方なくを装いつつドアノブを握る手から力を抜く。

「ああ・・・・・・本気で潰されるかと思った」

「口は災いのものってやつだよ、竜樹の兄貴」

「それ、特大ブーメランじゃねえのか弟分よ」

 部屋から蹴り出してやろうかと思ったが、部屋に入れてしまった以上だと物理的な力では敵わないからグッと堪える。あとで理紗に連絡して社会的に抹殺してもらおう。理由は適当にでっち上げて。

「んで、落ち込みの原因は紅梨だよな?」

 竜樹は床に置いたままのクッションに腰を下ろして、俺は机を挟んで対面となる形でベッドの上に座る。

「見ていたからこっちに来たんじゃないの?」

「帰り道で知っている奴らを見かけて、とりあえず声を掛けようとしたら、なんか修羅場の空気。さすがに俺も空気を読んで回り道して帰ってきた」

「見ていて空気を読んだっていうなら、そのまま放っておいてくれてもいいのに」

「そういうわけにもいかねえだろ。何も知らなかったらそれでいいけど、あんなに仲睦ましい様子から一転して修羅場だぞ?」

「俺も何が何だか分からないよ」

 最初はそんなに悪い雰囲気ではなかった、むしろその逆だったはず。いったい何がいけなかったのか部屋に戻ってから、今の今までずっと考えていたのだが全く持って見当がつかないでいる。

「いったい何の話をしたんだよ」

「俺の背が高くなったとか、声が低くなったとか、それに皆でいろんなことしようって」

 その光景を思い出しながら言う。ここまでは決して悪くなかった。

「それと、約束の話をしたんだ」

「約束? お前と紅梨がしていたはずのってやつか?」

「いや、ちがうんだ。五年前の夏・・・・・・あの公園でした約束の話のことだよ」

 この話をしたとき、紅梨から感じる気配が変わった。

 そして、その時と同じように竜樹は少しだけ目を見開いて、それから「なるほど」と全てを理解したように頷いた。

「そりゃ、お前。なんだ、なんというか盛大に地雷を踏み抜いたな・・・・・・。そりゃたしかに紅梨は我慢できないかもな」

「それってどういう意味だよ?」

「こっちの話だ。けどまあ、そうだな」

 竜樹は何考えるように少しの間目を閉じて、

「仲直りする機会、俺が作ってやろう」

「ほ、本当か?」

「ああ、もちろん。俺としても紅梨にはお前と仲良くしていてほしいからな」

 そう言いながら立ち上がる竜樹の顔は、昼間に理沙がしていた物憂げな表情とどこか似ていた。

 だが、それもすぐ消えてニヤリと笑うと、ぐしゃぐしゃと俺の頭を撫でて、

「ちょ、おい――」

「まあ手助けはしてやるが、頑張るのはお前だ」

 引き留める間もなく「じゃあな」と部屋から出ていってしまった。

 部屋のドアが閉まり、俺は一人になったことを実感すると大きく息を吐きだした。

「本当に嵐のような奴だな」

 仲直りする機会を作ってもらえるのはありがたいし感謝はする。

するけども、彼はいったいどんな手段と方法でいつ実行に移すつもりなのだろうか。竜樹のことだから唐突に始めることはわかっているけども。

「・・・・・・しかし、どうしたんだ皆」

 紅梨との仲直りの機会も重要だが、三人の見せた表情がどうも引っかかる。

 昴も、理沙も、竜樹も、どうして何か思いつめた表情を浮かべていたのだろうか。俺達だっていつも一緒にいるわけじゃないし、お互いに言えない秘密だってあるだろうが、どうも三人の考えていることは同じような気がして、それに俺と紅梨も無関係ではないように思えた。

「気のせいかな」

 そうは思っても、何故か疑念は強まっていく。

俺が知らないところで、俺の不変的な日常は綻び始めているのかもしれない。

 何故だか、そんな気がした。


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