2
俺、昴、竜樹の三人は私立藤ヶ峰学園大学付属高校の所有するアパートで生活している。
アパートから学園まで徒歩十分のおかげで、余程の事がない限り遅刻はありえない。
古い建物だから壁は薄いし、火は使えないし、色々と不便を感じられるところもたくさんあるが、学生寮よりも自由な上に憧れの一人暮らしが格安でできているわけだから文句も言えまい。
学校も都心に近いわけじゃないが、この辺では一番の大学付属の進学校だ。
普通の教室などがある第一校舎。理科室やPCルームなどの特別教室から、食堂や売店などがある第二校舎。色々な部室がある部室棟の三つの校舎で成り立っている、所謂マンモス校と呼ばれる学校だ。
本校である藤ヶ峰学園大学は医学部があり、附属の大学病院もあることで医学系の進路に強いという 話は聞いた事があるけど、その方面に興味のない俺には関係のない話。
俺がこの学園を選んだ理由は理紗と竜樹が先にこの学校へと進学したからだ。・・・・・・実家の方がド田舎で、こういう都会に出たかったって気持ちも当然あるのだが。
気が付けばゴールデンウィークも終わり、桜の花びらが散った通学路もすっかり綺麗になっている。そんな事に目を向けながら校門をくぐると、多分一年生であろう生徒の話が聞こえてきた。
「おい、校庭見たか?」
「校庭?」
「二年の城ノ院先輩と三年の剛先輩が、運動場で首から看板ぶら下げて吊るされているんだよ」
「看板? なんて書いてあったんだ?」
「それが『僕達は清くあるべき学校所有のアパートで朝から変態行為をしました』って書いてあったんだよ」
「うわぁ・・・・・・けど城ノ院先輩、これで女子からの人気落ちたんじゃない?」
「いや、一周回って格好いいって、更に好感度が上がって――あっ」
一人が俺の存在に気がついたのか、軽く頭を下げて逃げるように去っていった。
別にとって食ったりするわけでもないし、咎めたりする気もないのだから逃げることはないだろうにとは思うが、いつもあの二人といるから当然の反応か。
「しかし、理紗も容赦ないな」
一瞬だけ助けに行こうか考えたが、俺は自分の教室に向かうことにした。
あの二人――というか、とくに昴は女子から結構人気がある。
俺が助けなくてもきっと彼のファンである女子集団が助けてあげるだろう。逆に助けに行った方が 無粋と言われて責められる可能性だってある。
それにしても、だ。
(何であいつは異性に好かれるんだろう?)
顔は整っているし、美形と言われる部類だろう。
しかし、如何せん中身は普通どころか問題しかない。昴の性癖はちょっと特殊で変態的。それなのにも関わらず結構な頻度で告白されていることを考えると不条理な何かを感じずにはいられない。
「顔か? やっぱり顔なのか? 顔が良ければ何でも有りなのか?」
「そうだね。昴、顔だけは良いからね」
「ああ、確かにあいつはイケメンだよ。いやでも、人は心も大事だと思うん・・・・・・だけど?」
ゆっくりと横へ目線を向けると、そこには何事もなかった様子で頷いている理紗がいた。
「り、理紗・・・・・・、教室に行ったんじゃないの?」
「いいえ、昴と竜樹が吊るされて笑われているところを、バッチリ撮影していた帰りよ」
「そ、そうなんだ」
吊るしたのはあなたですけどね。
「そう言う君は? どうして昴や竜樹よりモテないんだろうなって拗ねてるところ?」
「拗ねてない。拗ねてないけど、疑問に思っただけ」
「ふーん、ま、どっちでもいいけど」
理沙は意味深な笑みを浮かべて、
「君がモテない理由、教えてあげようか?」
「どうせダサいからとかだろ? 竜樹や昴と違って二人と比べて目立つような点もないし」
「そう言うマイナス的な事じゃないよ」
「マイナスじゃないなら・・・・・・いったい何だよ?」
「うーん、それはね――」
想像もしてなかった言葉を聴き、俺は思わず足を止めてしまう。理沙はそんな俺の反応を見て微笑むと「それじゃあお先に」と先を歩いて校内へ入っていった。
・・・・・・偶然に決まっている。
夢も理紗の言葉も繋がっているわけじゃない。
『君がモテないのはね、紅梨の事しか考えていなくて、自分の周りを見ないからだよ』
けど、何故か偶然だと思えない。
いや、俺が偶然だと思いたくないからか。
「・・・・・・教室、行こ」
そう呟いて、俺は昇降口へと足を進めた。
*
「さて、キリもいいですし、室町幕府の話でもしましょうか」
四時間目の授業は数学。
そのはずだ。
少なくともさっきまでは数学のなんちゃらかんちゃらと話をしていたのだが、授業の途中で数学担当の多田先生は何故かそう切り出した。授業も分かりやすく、親しみやすいおじいちゃん先生で趣味は歴史らしい。何故数学を担当しているのかは分からない。
「え、あの、授業はいいんですか?」
クラスの誰かが少し困惑した様子で訊くと、
「このクラスは優秀な方が多いですから、授業速度としては少し早いくらいなんです。キリもいいですし、残りの時間は他の話でもしようかなと。好きなんですよ、室町幕府」
「そ、そうですか」
だったら自習の時間にしろよ! とクラスの雰囲気は語りかけているのだが、どうやら先生には届いていないようだった。
だがまあ、俺個人としてはずっと室町幕府を熱く語っていてほしいくらいである。
数学はあまり得意な科目ではないし、先生も自分が語っているだけで、誰かを指して問題を答えさせるわけじゃないからその間はずっと眠っていられる。
だけど今日は睡魔が訪れることなく、延々と昔の事を思い出していた。
俺は全ての記憶を持っているわけではない。
物心ついた頃から三年ぐらい前の記憶にどうも曖昧なところがあったり、抜けているところがあったりする。ただの物忘れでは片付けられないくらいごっそりと覚えていないことがあるし、こんがらがった記憶も目立つ。
時には外で元気に走り回っていたり、時には真っ白な部屋の窓から退屈そうに外を見ていたりと対照的な記憶がるのも症状のそれだ。
(・・・・・・まあ)
原因はだいたい予想できている。というか、それくらいしか考えられない。
三年前――俺が中学二年の冬に起きた電車の脱線事故。それに巻き込まれたことだ。
俺が目覚めたのは事故から三週間ほど経ってからで、事故直前のことはほとんど覚えていないのだが、それはとてつもなく悲惨なものだったらしい。怪我人や亡くなった人も多く出たということは後のニュースで知った。
俺も中学の三年次はほとんど学校に通えずリハビリやら検査に費やすこととなった。
今だからこそ普通の生活が送れているが、それでも一生飲み続けなければいけない薬もあるし、過度の運動はやめるよう強く言われている状態だ。記憶が混濁しているのもきっと事故の後遺症みたいなものだろう。
記憶がこんがらがってるのは悲観すべきことなのかもしれないけど、俺はそこまでマイナスに考えていない。家族の顔は分かるし、親友五人一緒にいたときの記憶は、曖昧な個所がありながらも覚えている。
剛竜樹。
柏原理紗。
城ノ院昴。
天野紅梨。
出会った時はたしか小学校の時。
上級生と交流する何かのクラブ活動で5人一緒になったんだ。
それから仲良くなって、クラスが違うことになっても、休み時間になればいつも五人で揃って悪ふざけをしていたような覚えがある。小学六年生の夏頃に紅梨は引っ越してしまったから、そこから四人になって今に至ると言った感じだ。
『君がモテないのはね、紅梨の事しか考えていなくて、自分の周りを見ないからだよ』
理沙に言われた言葉が頭の中で再生され続けている。
俺がモテるモテないは置いといて、あの話題のどこから紅梨の存在が出てきたのか。理沙が言ったことだし、俺が悩んだところで答えが出る事でもないのだろうが、どうも気になってくる。
もちろん紅梨のことを特別ずっと考えていたということはない。
思い出話や近況が気になったことは当然あるけども、俺は彼女が引っ越してしまってから先のことをまったく知らないのだ。引っ越した先だってどこか知らないし、当然手紙も出すこともできなければ、それを訊くための電話番号だって知らない。
しかし俺は紅梨しか考えていないと理紗は言った。
紅梨、紅梨・・・・・・天野紅梨。
俺の記憶にある紅梨の姿を思い出す。
腰まで髪を飛ばしていて、頭の左側だけ白黒ストライプのリボンで結っているのが特徴的で、ちょっと内気なところがあって、そしてとても優しい女の子だった。
「――っ」
彼女の姿が頭に過った瞬間、頭に鋭い痛みが走る。
まるで思い出してはいけないと警告するかのように。
・・・・・・そんなことはないだろうが、たしかに思い出しても仕方ないことか。
「紅梨に会えるわけじゃないしな」
思わずそんな言葉が声に出た。
「君。今が授業中だったらヤバかったね」
「うぉおおっ?」
突然声を掛けられて椅子ごとひっくり返りそうになる。
「そこまで驚かなくてもいいじゃないか。もう授業も終わったよ?」
「えっ」
その言葉に辺りを見回すと、クラスメイトの連中は各々で持参の弁当やら、購買のパンを開けたりしていて、どうやら物思いに耽けている間に多田先生の室町幕府トークは終わっていたらしい。時計をみると授業終了から五分はとうに過ぎていた。
呆れた様子で昴は溜息をついて、
「なんだい」
「ん?」
「紅梨といちゃいちゃラブラブな記憶でも思い出していたのかい?」
「いえ、その前にそんな関係でもないんですが」
「僕にはそう見えるぐらい二人が仲良く見えたんだけどね。・・・・・・さて、昼食を食べに行こうじゃないか。今日は屋上に集まるってさ」
「ああ、じゃあ購買でなんか買ってこないと」
俺の言葉を聞くと、昴はさっきよりも深い溜息を洩らした。
「竜樹が買いにいってくれたよ。後で三割増しにして返せってさ。君も一応、頷いていたんだけど、あの様子じゃ聞いているわけがないか」
「まったく聞いてない。しかも三割増しって、今月財布の中ピンチなんだけど」
「そこは竜樹と交渉してくれ」
「・・・・・・そうする」
広げたままの教科書類を机の中に入れて立ち上がる。
今日はもしかしたら厄日なのかもしれない。
理沙の謎の言葉に振り回され、竜樹からは三割高くパン代を払うことになりそうで、昴には思わず呟いた言葉を聞かれてしまったのだから、これから屋上で広がる話のネタは決まったようなものである。
「――でさ、竜樹が購買に行った後も、ずーっと考え込んでいてさ、顔を上げたと思ったら『紅梨に会えるわけじゃないしな』だってさ。いったい何を思い出していたんだろうねえ?」
「そりゃあ、紅梨と過ごしたラブラブな日々を思い出していたんだろうよ」
ほら、予想通りの展開だ。
昴と竜樹は嫌な笑みを浮かべてさっきのことを話している。
二人はちらちらとわざとらしく俺の方を見てくるが、気にしないようにしてパンに噛りつく。
交渉の余地なく三割増しで払わされたこのパン。そんな予感はしていたのだが竜樹は購買で一番高いパンのゴールデンカツサンド(お値段六三五円)を買ってきやがった。年長者がやるべきではない。許されざる行為だが、しかし値段が値段だけあって結構美味しくてパン自体には何癖付けられない。
故に俺は無言を突き通してパンを食べることに徹底する。
・・・・・・けども、珍しいこともあるものだ。
こういう話は理紗も混ざって騒ぎ立ててくると思っていたけど、どうも昴達の話に参加する様子はないようで少し離れた位置から二人を見ているだけだった。
不意に理紗と目が合う。
彼女は俺の傍まで近づいてくると小声で話しかけてきた。
「私が紅梨の名前を出したけど、そんなに悩むことだったの?」
理紗の声は何故か真剣で、少しだけ戸惑う。
「いや、ちょっとね。悩むというかなんというか、ただ、久しぶりに聞いた名前だったから、それで少し考えていたというか」
そう、特に理由はないはずだ。
たまたま昔の夢を見て、たまたま昔の友達の名前を聞いただけ。ただの偶然が続いただけでこんなにも悩むようなことではないはずなんだ。それなのに不思議と頭から離れてくれない。今の俺は天野紅梨という存在がどうしようもなく気になっている。
「紅梨は元気にやっているのかな・・・・・・」
俺の言葉に理沙は神妙な表情を浮かべて、それから冗談めかしに笑った。
「会えるかもよ、紅梨に」
「いや、それはありえないだろ」
「どうして?」
「どうしてって・・・・・・」
純粋な返しに俺は返す言葉を続けられなくなる。
だって彼女は父親の転勤で遠くへ引っ越すこととなったんだ。
彼女がこの学校にやってくるとしたらまた家の事情か、もしくは彼女が一人暮らしをするためか、何にしてもそう簡単にありえるようなことじゃない。
「・・・・・・それに、彼女は俺のことを覚えてないだろうし」
「覚えてないってことはないでしょ。だってあなた達は幼馴染で親友だったんだから」
「そうだけど、そうだからこそ覚えていないんじゃないかな」
目を閉じてあの日の光景を思い出す。
今にも泣きだしそうな表情で何かを訴えかける彼女の姿。
それに対して何かを言う俺の姿。
「――そうだよ、紅梨ちゃんは僕のこと覚えていないさ」
だって僕は彼女に忘れてほしいと言った。
忘れてくれと約束したから――
「ぐあっ・・・・・・」
その記憶にほんの少しだけ触れた瞬間、朝のときとは比べ物にならないくらいの激しい頭痛が襲い掛かってきた。
「どうしたのっ?」
「おい、何があったんだ。何に反応して――」
「話は後だ。まずはすぐに保健室へ連れていこう」
理沙の声に続いて竜樹と昴の声が聞こえる。
しかし、その声はどこか遠くから聞こえてくるようで頭に入ってこない。
(・・・・・・前にも、こんなことがあった気がする・・・・・・)
ふと過った記憶を手繰り寄せようとする。
しかし、酷い頭痛の中でできるわけもなく、僕はそのまま意識と一緒に手放した。




