11
「はぁぁぁああ・・・・・・」
深く、深く、何度目かわからない息を吐きだす。
現在の時刻は午前一時を過ぎたところ。
こんな時間になっても、僕は結局答えを出すことができずに自室の机で延々と溜息をこぼしていた。 我ながら何をやっているのかと自己嫌悪も強くなる。
「本当は悩む必要なんてないのかもな・・・・・・」
ここにきた最初の考えでいればいい。ここで一人生きていけばいいのだ。
でも、それを選ぶと紅梨ちゃんの気持ちを踏み躙ってしまうことになるのでは? そんな思考が過るとこうしてまた堂々巡りだ。頭も痛くなってくる。
(・・・・・・優柔不断だな、僕は)
「まったくな」
独り言に聞き覚えのある声が後ろから答えた。
ただの幻聴。でも、まるで夢の中で聞くような鮮明な声で、僕は慌てて振り向いた。
「よっ」
「と、徹・・・・・・」
兄の姿がはっきりと見える。
いつの間にか眠ってしまったのかと、目をこすり、頬をつねり、太ももを強く叩いてみてもいなくならない。ここにいるはずない存在なのに、徹はたしかに僕の目の前にいた。
「あんたはいったい・・・・・・」
ほぼ反射的に徹の姿に向かって手を伸ばす――が、しかし、僕の手は空をだけを切って何も掴むことはできず、徹の姿は部屋の出口にあった。幻覚の類であることは間違いないらしい。
「ついて来いよ。あんまり時間もないんだ」
「時間って?」
「そういう質問も後だ。早く来いよ」
そんな言葉を残して、徹は部屋から出て行ってしまう。
僕は混乱しながらも言われた通りに幻覚を追う。あの姿は僕の脳が見せているものに過ぎない。そうは分かっていても足を止めることはできなかった。
「ほら、遅いぞ」
「こっちだこっち」
「おーい、ペース落ちてんぞ」
「わ、わかってる、よ・・・・・・!」
誘導するかのように現れては消える幻覚を追いかける。
夢ですら姿は見えなかった。それなのに何故こうしてちゃんと姿が見えるのか、疑問はいくつも湧いてくるのだが、思いのほか早い移動に追いかけているので精一杯だった。
見覚えのない道、紅梨ちゃんと歩いた道、いくつかの景色を越えて。
「ここは・・・・・・」
僕が連れてこられたのは、徹達が約束を交わしたあの公園だった。
「正確にはもう少し歩くけどな。昼間こなかった場所を登ってもらうぜ」
「それって、もしかして」
「ああ。俺達五人の秘密の場所――お前を特別招待だ」
そう言い残して、徹は僕の前から消える。
・・・・・・次に会うのは僕が登った先だろう。
「・・・・・・徹」
あの場所に足を踏み入れるかどうか、僕の中ではまだ躊躇いは残っていたが、覚悟を決めて足を前へと出した。そうして、ゆっくりと、けれどもたしかに足を踏みしめて前へと進んでいく。
少し歩いて、木々で覆われた視界が開けた。
「ああ・・・・・・ここが・・・・・・」
徹の記憶から知った景色と何一つ変わらない。まるでここだけ時間が進んでいないような、そんな錯覚すら覚える。
「お疲れさん」
ひらひらと手を振りながら、徹は僕の目の前に立つ。
「徹・・・・・・」
「昔はちょっとした山登りの気持ちになれたんだが、実はそれほどでもないよな」
「話があったんじゃないのか」
「ああ、そうだった。といっても、お前をここに連れてきた時点で俺の目的はほとんど達成しているんだけどな」
「目的?」
「ああ、お前をここまで連れ出すこと。それが目的だった」
「何の意味があるんだよ、それ」
僕を外に連れ出したところで、いったい何があるというのか。
「待っていればわかるさ。アイツらもきっと気が付く」
「徹、回りくどい話し方はやめてくれ。いったい何をしようとしているんだよ」
「何をしようなんて、そんな大それたことは考えてない。そうだな、強いて言うならお前のこれからのための行動だ」
「僕の、これから?」
「お前だって薄々気が付いてるだろ? 俺はもう間もなく消える」
「それは・・・・・・」
僕がずっと徹にしようとしたことだ。
主人格が決まってしまえば、もう一つは統合されて消えることになる。僕が僕を選んでしまえば消えるのは徹の人格だ。
「なるべくしてなることだ。むしろ安心してるくらいなんだけどな、一つだけ気がかりというか未練がある」
「未練って・・・・・・」
「そりゃ、お前のこれからだよ、統眞」
溜息をこぼして、呆れたように言ってくる。
「ネガティブだし、人付き合い下手そうだし、一人に慣れているし、これからどうやって生きていくんだよと心配は尽きない」
「悪かったな」
しかし徹の言う通りであることは間違いない。独りでやっていけると思う気持ちも当然あるが、器用な生き方ができるとは自分でも思えないでいる。
「まあ、でも、そこまで心配しなくてもよさそうだよな。お前にはアイツらが付いていてくれているし」
「アイツらって」
そう言われて思い当たる節は四人しかいない。
「いくらなんでもここまでは来ないだろ。ここまで付いてきた紅梨ちゃんはまだしも、剛竜樹、柏原理沙、城野院昴、三人とも自分達の生活があるんだから」
「それはどうかな? お前が思っているよりも行動派だからな」
「今はそんなこと別にいいよ、それより徹が消えない方法を考えるほうが・・・・・・」
何よりも一番考えるべきことだ。そんな言葉は徹の溜息でかき消された。
「俺が消えて、お前が残る。今までそうあるべきだったことを捻じ曲げてきただけだ。お前だってわかってるだろ」
「そ、それは、そうだけど」
「いつまでも俺にしがみついてどうする。お前がこれから生きていくのは、お前の人生なんだ。そこに今の俺はもう必要ない、必要としちゃいけないんだよ」
「でも、そうしたら、どうやって僕は徹に償えばいいんだ」
もう何度か分からない後悔の念が口から出る。
「徹にだって自分の人生が、これからの未来があった。それを奪った僕は、結局自分を捨てきれなくてこうしてのうのうと生きている、いったいどうしたらいいんだ・・・・・・」
「償うも何も、あの事故は俺の運が悪かっただけだ。あの終わり方に未練がないと言えば嘘になる、後悔や悔しさだってあるよ。でも、それ以上にこれでよかったんだと思っている自分もいる。こうしてお前に未来を渡せたんだから」
「僕はそんなこと望んでいなかったよ」
「かもな。でも、なっちまったものは仕方ないだろ」
徹は困ったように笑って、
「俺を思ってくれるなら、俺の分まで生きる気概でいてくれよ。これからどんな形であれ苦労してくのはお前なんだぜ?」
「そんな簡単に割り切ることなんて、僕には・・・・・・」
「ああ、そうだろうさ。だから、お前は一人になるべきじゃないんだ」
数歩だけ、僕から距離を取ると、
「お前は俺みたいな亡霊と一緒にいるべきじゃない」
「亡霊?」
「ああ、もう少し、間もなく来るよ。お前を迎えに来る声だ」
懐かしむような声でそう言う。
そして、
「とーうーまー!」
聞き覚えのある、大きな声が聞こえた。
「統眞、いるなら返事をしておくれ!」
聞き覚えのある、独特な口調の声が聞こえた。
「統眞くーん?」
聞き覚えのある、女性の声が聞こえた。
「統眞、返事してよ!」
聞き覚えのある、大好きな人の声が聞こえた。
「な、なんで・・・・・・」
「言っただろ。アイツらは来るってな」
そう自慢げに言ってから、
「統眞、お前がお前を許せないのだとしても、それならせめてお前を想ってくれる人達のために生きてくれ。お前もアイツらを想ってやってくれ。こんなところまでお前を追いかてくれる奴らなんだぜ? そんな奴らの手を払わないでくれよ」
「でも、僕には、わからないんだ。どうやって手を掴めばいいのか・・・・・・」
「分からないなら教えてもらえばいい。手を伸ばせ。そうしたら掴んでくれる。やってみろよ」
「手を、伸ばす・・・・・・」
言われた通りに手を伸ばして、そしてすぐさま僕の手は温かい温もりに包まれた。
視界が暗転する。
まるで夢から引き戻されるような感覚を味わいつつ目を開くと、
「え・・・・・・?」
気が付けば僕は横たわっていて、すぐ傍に僕を覗き込む四人の姿があった。
「ど、どうして、僕は・・・・・・」
「馬鹿! 心配かけて!」
力いっぱい紅梨ちゃんに抱きしめられた。
「あ、紅梨ちゃん?」
「部屋を覗いてみたらあなたがいなくなっていたからって、私達に連絡をくれてずっと探していたのよ」
僕のことを抱きしめたまま泣いている紅梨ちゃんの代わりに柏原理沙が答えてくれる。
「そ、そうなのか・・・・・・ごめん。だけど、なんであなた達までここにいるんだ」
「ああ、そりゃなんだ」
「紅梨に丸投げしたのはいいものの、それはそれで罪悪感と心配がこみあげてきてね。何か協力できないかと三人でレンタカーで追いかけてきたんだよ。とはいっても、まさかこんな形の協力になるとは思ってもいなかったけど」
歯切れの悪い剛竜樹の言葉に、城ノ院昴が補足するように言う。
「つーか、お前こそなんでこんなところで転がってんだよ」
「い、いや、僕は」
先ほどまでの出来事は全て夢だったのだろうか。
「徹に・・・・・・」
僕は寝ぼけていたのか、夢遊病でも患ったのか。――いや、そんなことはない。
「・・・・・・徹に呼ばれたんだ。ここまで呼ばれて、連れてこられたんだ」
自分でも突拍子もないことを口にしたと思ったが、竜樹はどこか納得した表情で「そうか」と笑う。
「あいつは昔から突拍子もないことを始める奴だったからな、らしいと言えばらしいよな」
「ああ、僕達がここに来ることすら計算ずくかもしれない」
「ずる賢いというかなんというか、昔から人を動かすのが上手いのよね」
言いながら三人は頷くが、そこで会話は途切れてしまう。
「あ、あの・・・・・・」
僕も、きっと皆も、何を言ったらいいのか分からなくなっていた。このまま黙っていることもできたが、徹の言葉が頭に過る。きっとこのままじゃいけないんだと体が動く。
「統眞?」
紅梨ちゃんから離れて、四人に向かって深々と頭を下げた。
「すみませんでした!」
「な、なんだい、急に」
「本当はもっと早く頭を下げるべきでした。竜樹さん、理沙さん、昴さん、紅梨ちゃんにも・・・・・・。今まで僕の勝手な考えが皆さんの思い出を汚して、傷つけてしまった。取り返しがつくことではないけど、本当にごめんなさい」
許されるなんて思ってもいないけど、今は頭を下げることしかできない。これが僕にできる精一杯だ。
「よし、許す――ってことには、簡単にはいかないな!」
代表するように声を出したのは剛竜樹だった。
「たしかにそうね」
「右に同じだ」
樫原理沙も城ノ院昴も同意を示す。
「え、ま、待ってよ、竜樹! 皆も!」
「まあ、落ち着けよ、紅梨。お前の気持ちだって分かるけど、今までのことを考えて一回頭を下げられたくらいで納得するほうが難しいだろう?」
「そ、それは、でも」
「いいんだ、紅梨ちゃん。僕がやってきたことを考えれば当然のことだ」
「いやいや、統眞。お前も早とちりするなよ。何も許さないとは言ってないだろ」
「え、あ、ああ・・・・・・」
たしかに言われてはいないけども、しかし、それをそのまま受け取るというのはあまりにも虫のいい話な気がしてならない。
「そうだな、まずは自己紹介か」
そんな僕の気持ちを他所に竜樹は話を進める。
「じ、自己紹介?」
「おお、だってしたことないだろ。初対面ならほぼ必ずするもんだ」
当たり前のことだろ。と言わんばかりの雰囲気。
「それは、たしかにそうだけど」
「だろ、じゃあほら。俺は剛。剛竜樹だ。よろしくな!」
言いながら手を差し出されて、流されるように握手をする。
「次は私ね。柏原理沙よ。あなたことは何度も徹から聞かされていたわ。直接話す機会はなかったけど、これからはたくさんお話しましょう?」
言いながら手を差し出されて、僕はまた握手をする。
「次は僕か、僕は城ノ院昴。君に一つだけ言っておかなければならないことがある」
キッと僕を睨みつけて、
「僕の方が君よりもずっと徹のことが好きだった! それだけは忘れないでもらいたい」
言いながら差し出された手を僕は握った。
「次はお前の番だな」
「ぼ、僕の?」
「ああ、俺達は名乗ったんだから、次はお前が名乗る番だろ」
剛竜樹の言葉に、柏原理沙、城ノ院昴は頷き、紅梨ちゃんも優しく微笑むと、
「ほら、統眞。答えてあげて?」
「僕は・・・・・・」
紅梨ちゃんに促されて、一度は本気で捨てようと思った名前を、僕自身を言葉にする。
「僕は・・・・・・えっと」
いざ名乗るとなると何か気恥ずかしくて、視線を下に向ける。
「霧崎、統眞。霧崎徹の弟、です」
「よおし、統眞。これでお前は晴れて俺達の仲間入りだ!」
背中を叩かれて、
「大変だと思うけど貴重なツッコミ要員が増えて助かるわ。よろしくね、統眞」
手を握られて、
「僕としてはライバルポジションのつもりなんだが、まあ、仲良くしようじゃないか」
肩に手を置かれて、
三人の言葉や雰囲気は徹の記憶にあったものとまるで同じ――友達に向けるような優しさがあって、僕はどうすればいいのか分からなくなる。
「ま、待ってくれ、竜樹さん。僕を、簡単には許さないんじゃなかったのか」
「お? そりゃ、他人ならそうだけど。友達ならそんなことないだろ」
「いや、それは」
あまりにも寛容すぎる。
「私達の仲間入りってことはこういうことよ」
「理沙さん、でも、僕のやったことはこんな簡単に許されていいものじゃ・・・・・・」
「君は本当にネガティブだな。もっと肩の力を抜いたらどうだい」
「昴さん・・・・・・」
そう言われても簡単にできることじゃない。
「さーて、メンバーは変われどまたこの場所に集まれたんだ。何か記念にやっておくか!」
竜樹さんは身体を伸ばしながらそんな提案をして、
「いいけど。何やるのよ?」
「またタイムカプセルを埋めるわけにもいかないしね、何も持ってきていないし」
三人は騒がしくも感じるやり取りを始めてしまう。
「い、いや、あの・・・・・・」
僕はやり場を失った罪悪感と一緒に取り残された気分になって――不意に右手が温かい感触に包まれた。視線を向けると僕の手を握る紅梨ちゃんがいて、
「統眞」
「紅梨ちゃん」
「すぐ慣れるよ。私もそうだったし」
「そう、かな。・・・・・・まったく自信ないんだけど」
「じゃあ、慣れるまで手を引いてあげるよ」
紅梨ちゃんは握ったままの手を持ち上げて、
「統眞、あなたはあなた自身のことをいつか許してあげてほしい」
「・・・・・・それは、先の長くなりそうな話だ」
「いいんだよ、ゆっくりで。その分だけ私も統眞と手を繋いでいられるし」
はにかみながらの言葉に、僕もつられて笑みをこぼす。
「おい、何イチャついてんだよ。お前達もなんか考えろ」
「独り身には目に毒よね」
「まったくだよ。そういうのは二人きりでやってくれ」
三人からのブーイングを受けて、僕達はようやくお互いから目を離す。
「え、えへへ、ごめん。・・・・・・それじゃ、統眞?」
「ああ、うん」
一歩を踏み出す。それに合わせるように、背中が押されたような気がした。
『お別れだ、統眞』
そんな声がどこからか聞こえてくる。
同時に背中が押されて、僕は一歩前に足を出した。
「・・・・・・ああ、さようなら。徹」
僕は一言だけ、そう返す。
紅梨ちゃんに手を引かれて、徹に背中を押されたのだ。もう振り向いちゃいけない。
「どうかした?」
「なんでもないよ。なんでもないんだ」
自分に言い聞かせるように言って、前を向く。
「皆、提案があるんだけど」
「提案?」
四人の視線が僕に向く。
注目されることは慣れていないけど、きっとこれから何度もあるシチュエーションだ。
これを霧崎統眞の最初の一歩としよう。そんな覚悟を持って僕は口を開いた。
「約束をしよう。ここに新しい約束を残そう」
「新しい約束って、いったい何を約束するんだ?」
「友情を・・・・・・徹も含めて、ここにいる全員の友情を約束しよう。形が変わるかもしれない、離れ離れになることもある、だけど、僕達の友情は永遠だって、ずっと友達なんだって言えるように」
そんなこと約束するまでもないことだと言われてしまえばそれまでだし、こんなこと僕が提案していいことではないかもしれない。でも、今すべきことはこれなのだと僕の心が言っている。
「賛成!」
一瞬の間を置いてから真っ先に紅梨ちゃんが手を挙げてくれた。
「ま、ここでやることって言ったらそれだわな」
「いいじゃない。永遠の友情って響き」
「ちょっとカッコつけすぎだけどね。異議なしだ」
三人も同意してくれる。
「皆、その、ありがとう」
「こちらこそだ。それじゃあ、輪になって手を繋ごうぜ」
「え、そこまで再現するの?」
「今更何言ってんだ理沙。約束なんだから当たり前だろ」
「そ、そうよね、ちょっと恥ずかしくなってきたわ」
「まあまあ、気にしたほうがさらに恥ずかしくなるってものだよ」
「昴の言う通り。ほら、手を出して?」
そんな会話をしながら僕達五人は手を繋いで輪を作る。
「さて、次は名前を言い合って、それから約束事を言う。言い出しっぺのお前からだな。そこから時計回りでいいだろ」
竜樹の言葉に「わかった」と頷いて、
「霧崎統眞は」
「剛竜樹は」
「城ノ院昴は」
「柏原理沙は」
「天野紅梨は」
紅梨が名乗り終わってすぐ強い風が吹いた。
音が聞こえるくらいの風だったが、誰も口を挟むことはなく、僕は大きな声で約束を口にする。
「僕達は、これから先、永遠に友達でいることを約束しますっ!」




