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約束  作者: 黄昏
10/13

10

『お前、これでよかったのか』

 鞄に荷物を詰めているところで、そんな声が頭に響く。

(あんたも望んだことじゃないか。・・・・・・なんだ、それとも惜しくなったの?)

 皮肉を込めて内心で返す。

『まさか。ただ、お前が望んでいない結果だと思ってな』

 望んでいないといえば、そうだろう。こんな結末は想定していなかった。

 でも、こうなることも運命だったのかもしれない。

(僕の意思も、覚悟も、所詮はこの程度だったってことさ)

 徹のためなら何でもできると思っていた。

 他人を裏切ることも、自分の全てを捧げることだって、何一つ躊躇いはなかった。

 そのつもりだったのに、紅梨ちゃんと話しただけで心は揺れて、今じゃこうやって幻聴と内心で会話をしているだけだ。僕は結局自分以外にはなれなくて、僕として生きることしかできないのだと突き付けられた気分だった。

「荷物も、思いの外少ないものだな」

 自分の私物なんて少しの私服くらいのもので、旅行用のキャリーケース一つで収まってしまった。

 制服やら教科書やら、集めていた本など部屋に残っているものもあるが、それはおいおい処分していくことに――ほとんどは処分を業者に任せることになるだろう。僕がここに戻ってくることはないのだから。

『後悔はないのか?』

(今更ないよ。そんなの)

 答えながら時計を見ると、そろそろ約束の時間だった。

『統眞』

(なんだよ)

『本当にこれでいいのか?』

「うるさいな、いいんだよこれで」

 会話を打ち切るように、ドアホンが鳴る。

 おそらく迎えが来たのだろう。鞄を持ってドアを開けると、

「統眞」

 中年、というよりは初老に差し込んだ男が立っていた。

 記憶よりも老けているように感じるが、それもそのはずか。

 僕自身が父さんと最後に会ったのは、徹が事故に遭う一月ほど前のことだった。それからはずっと徹の人格が前に出ていたし、実家に戻ることなく、用があれば電話やメールでやり取りしていた。

「・・・・・・父さん」

「ああ」

「その、久しぶり」

「うん、なんだ。お前も、その、しばらく見ないうちに、背も伸びたな?」

「うん、三年前よりはそうかもしれない」

 もう二度と会うこともないと考えていたとはいえ、随分と親不孝をしていたものだ。

「わざわざ迎えにまできてもらって、ありがとう、父さん。それに、ごめん。迷惑かけて」

「気にするな。さあ、先に車へ乗ってくれ。荷物はトランクに入れておくから」

「ああ、うん」

「助手席は父さんの荷物が乗っているから、後ろの席な」

「わかった」

 促された通りにキャリーケースを預け、後部座席のドアを開けると、

「こ、こんにちは」

「・・・・・・え?」

 この場所にいるはずのない少女と目が合ってしまう。

「あ、紅梨ちゃん・・・・・・え、なんで・・・・・・?」

「えと、それは・・・・・・」

「彼女――紅梨さんから頼まれてね。久々に故郷へ戻ってみたいという話だったから、目的地は同じだからと招待したのだ」

 運転席に戻ってきた父さんがまるで助け舟を出すかのように言うが、それで納得できるものではないだろう。

「いや、でも、学校だってあるはずだ」

「う、うん。でも、お父さんにもお母さんにも許可はもらったし、今週はテスト返却で授業があるわけじゃないから・・・・・・」

「そういえば、そうだったか」

 そもそも僕が受けたテストじゃない。返却の日程も曖昧なものだったが、そういえば授業なしと予定表には書いてあった気がする。

「いいじゃないか。学校をサボって旅行なんていうのは、それこそ若いうちにしか体験できないからな」

「それは、そうだけど・・・・・・」

 納得はできていないが、ここで食い下がったところで意味はないだろう。諦めるように溜息をこぼしてから、僕はシートベルトを着けた。

「さて、それでは出発するぞ」

「ああ、わかった」

「よろしくお願いします」

 僕たちがそう頷くと、車はゆっくりと動き始める。

 しばらくの間、僕達は無言で車内を過ごしていたが、当然のごとく空気は重い。

(何か会話をした方がいいよな・・・・・・)

 とは思うのだが、しかし何を話せばいいのか。話題が浮かんでは掴めないまま消えていく。気を使われているのか、紅梨ちゃんも父さんも話しかけてはこなくて、

「・・・・・・逃げようと、思ったんだ」

 車の窓からの景色を眺めつつ、僕はようやく口を開くことができた。

「逃げる?」

「僕は徹になれなかった。結局僕は僕を捨てることができなかった」

 言葉にしてみると、あまりにも自分が情けなくて笑えてくる。

「そうして残った僕は、周りに迷惑をかけ続けていただけ。いや、それどころか皆の思い出を踏み躙って、汚して、ただただ傷つけただけだ。そう考えたら、もうあそこにはいられないと思った」

「うん」

「関係を断って二度と会わないことが罪滅ぼし・・・・・・なんてのも言い訳だな。皆と会ったとき、どんな顔をすればいいのか分からなかったし、面と向かって嫌悪と憎悪の感情を向けられるのが怖かったんだ。皆からも、君からも」

 あれだけ大層なことを口にして、僕は結局その程度の覚悟しかなかったのだ。

「私は統眞のこと嫌いになったりしない」

 紅梨ちゃんは僕の手を握って、

「皆も嫌ってなんかいないよ。ずっと心配してた。今もこうやって私が統眞と一緒にいるのだって皆のおかげなんだから」

「それは、分かっているつもりだ」

 冷静になってみれば想像もつく。今こうして紅梨ちゃんがここにいるのは、ただの旅行なんかじゃないだろう。剛竜樹、柏原理沙、城ノ院昴の三人の差し金、いや、僕の両親や準一先生だって関わっているに違いない。

「それに、もし皆が統眞を嫌っても、私はあなたの味方になるよ」

「どうして」

「統眞はね、私を皆へと繋いでくれた始まりだから」

「・・・・・・始まり?」

 僕の言葉に紅梨ちゃんは頷く。

「そう。・・・・・・統眞は、徹が竜樹と理沙、昴と仲良くなったきっかけって知ってる?」

「小学校のクラブ活動とか授業の一環じゃなかったのか」

 ずっと昔に徹本人からそんな話を聞かされた覚えがある。

「ううん、あの四人はもっと前。保育園の頃からの付き合いなんだよ。一つ年上でガキ大将だった竜樹と徹が喧嘩して、徹がそれに勝ったのがきっかけだったんだって。それから竜樹と一緒にいた理沙が、同じ組にいた昴が徹に声をかけて、あの四人組が集まったの」

「そう、だったのか」

「私は小学校の入学に合わせて引っ越してきて、昔は今以上に人見知りだったから、友達も作れなくて、クラブ活動で上級生と一緒に活動なんて憂鬱でしかなかった。それでなくとも顔見知り程度のクラスメイトと一緒なのに、顔も知らない上級生と一緒に活動するなんて無理だって」

「そういえば、そんな話もしてたな」

 僕の病室に顔を出しては、訊いてもいないのにそんな愚痴を聞かされていた。

「そんな私のことを徹に話してくれたんだよね」

「ああ、そうだよ」

「今だから分かるけど、統眞は私が鬱陶しかったんだよね」

 図星を付かれて、思わず顔を歪めてしまう。

 あの時はまだ仲が良かったわけでもなくて。

「僕としては別の仲の良い友人を作って、病室から離れてほしかった」

 苦笑交じりに白状する。

 そこで兄さんが話してくれたクラブ活動の件だ。

 五人の班を作るそうで、僕のために一人分空けておいてくれたらしい。でも、僕はほとんど学校に登校できないことがわかっていたし、それならと僕は兄さんに紅梨ちゃんをグループに入れたらどうかと提案した。つまりは厄介払いをしたかったのだ。

「私はそのおかげで徹達と友達になれた。今も昔もずっと感謝してる」

「僕の目論みは外れたし」

 そう。僕の目論みは完全に外れてしまった。紅梨ちゃんに仲の良い友達ができたことから始まり、その友達との日常という話題を持って、紅梨ちゃんは今までと変わらない頻度で僕の病室に訪れてきたのだ。

「統眞はやっぱり一人でいたかった?」

「・・・・・・そうだな。でも、これでよかったのかもしれない」

 紅梨ちゃんがいてくれたおかげで僕の世界は広がった。

 徹が話してくれたこと、本で得た知識、それだけでは分からなかったものを知ることができた。本当は僕の方こそ感謝しなくてはいけないだろう。

「そうか、そういうことだったのかな」

 僕の世界は僕だけでは成立していない。そんな単純なことさえ目を向けていなかった。

『なんだ、ようやく気が付いたのかよ』

 茶化すような幻聴に頷く。

「僕はどこまでも自分本位なんだな。必要の有無ではなく、こんなのは事実確認だ」

「どうかしたの?」

「なんでもないよ。・・・・・・それよりさ、徹の話、もっと聞かせてもらってもいいかな」

「うん、いいよ。私が知っていること全部教えてあげる」

 それから車が目的地に着くまでの数時間の間、色んな徹の姿を話してくれた。

 そのほとんどが年相応の姿で、武勇伝よりも失敗談の数々。僕に語ってくれた徹の姿はほとんどいなくて、話が進むにつれて僕の中にあったヒーロー像が崩れていく。

(いや、違うな)

 僕が勝手にヒーローとしていただけ。徹に僕の理想を押し付けていただけなのだ。

「ああ、僕と話していたときは随分と盛って話していたことがよくわかったよ」

「うん、徹、見栄っ張りだから」

 昔話をする紅梨ちゃんの優しい声。

 車窓から見える景色も、どこか見覚えのあるようなものになってきた。

「あの頃の僕達は・・・・・・」

 病室で過ごしてきた記憶が思い起こされる。

 僕がベッドで本を読んでいると、控えめにドアが開かれて紅梨ちゃんが顔を出し、それから今度は勢いよくドアが開いて徹がやってきて。あの頃が僕にとっての全てだった。僕の幸福そのものだった。

「統眞?」

「いや、大丈夫」

 紅梨ちゃんの心配そうな声に首を振って答える。

 脳裏に浮かんだ過去の思い出を一緒に振り払うように。

あの景色はもう戻ってこないのだから。

「さあ、もうすぐ到着だ」

 そう言った父さんの言葉通り、五分もしないうちに見知った一軒家の前に車は止まった。

「覚えているか?」

「あ、ああ、そうだね、朧気ではあるけど・・・・・・」

 一時退院で何回か、数えられる範囲で帰ってきたことはあるはずだ。でも、ここが自分の家だと言われても実感は湧かなかった。病院の病室の方が馴染み深いのだから当然のことではあるのだが。

「ゆっくり慣れていけばいい。なんであれ、ここはお前の家なんだから」

「うん、そうするよ」

 頷いて車から降りる。そうだ、今日からここで暮らしていくことになるのだ。しばらくすれば違和感もなくなり、いつしかこの場所にいることが当たり前になることだろう。

「まずはその一歩か」

 呟きつつ玄関のドアノブへと手を伸ばそうとしたところで、不意にドアが開く。

「あ・・・・・・」

「とう、ま」

 これまた僕の記憶よりも少しは老けたような、優しさと脆さを感じさせる女性が現れた。

「母さん」

 もともと体も心も強かった人ではない。

 僕の行動は、存在は、さぞ心労の原因だったはずだ。そのうえ出来のいい兄を奪ったのだ。さぞ僕のことが憎く見えているに違いない――そう思った矢先に、

「え、あ・・・・・・」

 不意に細い腕で抱きしめられて、困惑するしかなかった。

「ああ、統眞。よかったわ、帰ってきてくれて。本当に」

 幼少のときだってそう何度もあったことじゃなかったし、ずっと嫌われていると,、疎まれていると思っていたから、こんな対応をされるなんて思ってもいなかった。

「あの、うん、久しぶり」

 後ろには紅梨ちゃんだっているし、年相応の恥ずかしさもある。背中を軽く叩くと、母さんはすんなりと解放してくれて、

「ごめんなさい、ちょっと感極まってしまって・・・・・・統眞も、紅梨ちゃんもよく来てくれました」

「はい。ご無沙汰しています。おば様」

「そういえば、紅梨ちゃんはこれからどうするんだ?」

「あ、それは・・・・・・」

「あら、統眞は何も聞いていないの? ここに泊まるという話だったのだけれど」

 まったくもって初耳だ。けども、なんとなくこうなることも予想出来ていて。

「泊まれる部屋ってあるんだっけ」

「ええ、徹の部屋がそのままだから、そこに泊まってもらうつもりだったの。こまめに掃除はしてあるし、徹もお友達が使うなら悪い気はしないと思って・・・・・・」

「そうか」

 泊まれる場所があるなら異論はない。

「話はまとまったか?」

 そう声を掛けられると、父さんが僕の荷物を持って立っていて、

「あ、ああ、ごめん。荷物持たせちゃって」

「そんなことはいい。それよりも、統眞」

 父さんと母さんが優しげな瞳を僕に向けていた。

 紅梨ちゃんも何か察したように笑顔を浮かべている。

「え、な、なんだよ」

 三人の表情に身構えるが、掛けられた言葉は何のことはないものだった。

「「「おかえり」」」

 たった一言。揃って言われた言葉に、僕はすぐ返事をすることができなかった。

 そんな言葉を言われるなんて思っていなかった。迎えに来てくれて、迎えてくれて、それでもまだ僕は誰も信用することができないでいたのだと改めて気づかされる。

『ほら、答えてやれよ』

 幻聴にまで急かされて、そうして僕はようやく笑顔を作った。

「ただいま」

 僕はようやく、僕の時間に帰ってきたのかもしれない。

 ふと、そう思った。


      *


「ふう・・・・・・」

 自分の部屋のベッドに横たわり、深々と溜息をこぼす。

「さすがに疲れたな」

 久々に過ごした家族との時間、肉体的というよりは気疲れが大きい。

 初めはどんな話をすればいいのか分からなくて戸惑っていたが、紅梨ちゃんが上手く会話を繋げたり、広げたりしてくれたおかげで楽しく過ごすことができたと思う。

母さんが作ったちょっと豪華な夕食も美味しくて、家族団欒とはこういうものだったのかもしれないと懐かしい気持ちにもなれた。

「ずっと嫌われていたと思ってたんだけどな」

 父さんも、母さんも、そんな様子は一度も見せることなく僕を家族の一人として迎え入れてくれた。思い返してみれば両親から直接罵られたことはない。疎まれていたと思っていたのは僕の被害妄想でしかなかったのかではないだろうか。

「そうだとしたら、僕は本当に馬鹿だな」

 思わず苦笑してしまう。

 しかし、こうやって素直に受け入れることが出来たのも紅梨ちゃんのおかげなんだと思う。紅梨ちゃんには今日一日助けられてばかりだ。

「いや、今日だけの話じゃないか」

 ずっと、これまでずっと助けられている。

 目を閉じて彼女の顔を思い浮かべていると、コツコツと部屋のドアがノックされた。

『統眞、起きてる?』

「ん? ああ、起きてるよ」

 返事をすると、控えめにドアが開いて、思い浮かべていた少女が顔を出した。

「お邪魔します」

「どうぞ。何かあった?」

「ううん、ただ統眞とお話したくて」

「奇遇だな。僕も君と話したかったんだ。あ、椅子座ってよ」

 椅子を指さして促すと、紅梨ちゃんは首を振って、

「あ、よければ私の部屋――じゃなくて、徹の部屋に来ない?」

「徹の部屋か、別にいいよ」

 思えば戻ってきてから自分の部屋とリビング、ダイニング程度しか入っていない。この機会に覗いてみるのもいいだろう。紅梨ちゃんに付いていって徹の部屋を訪れる。

「ここが・・・・・・」

 なんというか、年相応というのが奇麗に当てはまる部屋だった。

 勉強机には中学校で使っていた教科書。飾り棚には少し前に流行ったロボットのプラモデル、本棚にはこれまた少し前に流行った漫画や、ゲームの攻略本が入っていて、徹が過ごした日のまま残してあるのがよく分かる。

「懐かしいよ、この部屋。小学生の頃からほとんど変わってない」

「そうなのか?」

「うん、ほんと、昔と全然変わらない」

 机を撫でながら懐かしむように言う。

「紅梨ちゃんはよく遊びにきてたの?」

「あなたの病室ほどじゃないけど。皆で宿題やったり、ゲームしたり、そういう時に集まる場所だった。ここも思い出の場所の一つだね」

「思い出の場所、か」

「統眞にとっては違う?」

「徹の持っているものが欲しくなるのが嫌だったからさ、一時退院したときもこの部屋は避けていたんだ。だから、思い出ってほどのものはないかな」

「そう、なんだ」

「あ、でも僕の部屋のことは話題になったよ」

「統眞の部屋?」

「ああ。ほら、僕の部屋はここに比べてつまらないものだろう? だから徹が『殺風景で面白くない』って文句をつけてきたんだ。入院中もそんなことを言ってくるから困らされたんだよ」

 徹と部屋と同じなのは勉強机とベッドだけ。あとは病室で読み終えた本が乱雑に積まれているだけの部屋だ。ゲームや漫画、そういった類は全く存在しないし、僕からしても同い年の人達が楽しめる空間とはとても思えない。

「私は統眞の部屋も嫌いじゃないけど・・・・・・。たしかに、ちょっと殺風景かな」

「これからは他の物も増えていくさ」

 ずっと暮らしていくことになるのだ。本ばかり増えるということはないだろう。

「・・・・・・統眞は」

「なに?」

「統眞はもう戻ってくるつもりはないの?」

「戻るって、どこにさ」

 言いながら、意地の悪い言葉だなと思う。彼女の言いたいことは察しがついていた。

「それはその、皆のところ・・・・・・。ほら、学校だってあるし」

「今更戻れないさ。学校はここから通える場所に転入するつもり。全日制じゃなくても定時制とか、通信制とか、拘りもないから。ここで何とか上手くやっていくよ」

「・・・・・・そっか」

 一言だけこぼすように言って、紅梨ちゃんは口をつぐんでしまう。

「まあ、なんだ。本来あるべき形、元通りになるだけなんだ」

「え?」

「なんて言えばいいのかな。僕は徹の言葉を聞いて、徹の幼馴染が通う学校を選んだけどさ。僕の意思だけの話だったら、病気のこともあるし、あの学校はきっと選ばなかったと思うから。だから、その通りになるだけ」

「そう、そうかもしれない」

 紅梨ちゃんは頷いて、「でも」と言葉を続ける。

「私は、これからも統眞と同じ学校に通っていたい」

「紅梨ちゃん・・・・・・」

「ずっと、憧れだったんだ。統眞と、一緒に登校して、勉強して、帰って、また明日の約束をするの。ごく当たり前のことだけど、統眞とはずっとできてなかったから」

「それは、ごめん」

 僕だったそうだ。過去にはいつかそうなればと思うこともあった。

 でも、今の僕には叶えられない。僕はもうあの場所には戻れない。

「この話は終わり! 先のことはその時に考えよう!」

 重くなっていく空気を振り払うように、紅梨ちゃんは少し大きめな声で言うと、

「ごめんね、話を振ったのは私なのに」

「あ、ああ、いや、謝るようなことじゃないから」

「お詫びってわけじゃないけど、明日って何か予定はあるかな」

「いいや、これといってないよ」

 明日どころかその先すら現状真っ白だ。

「じゃあ、明日はこの町の案内してあげる」

「それは助かるな。一度は歩き回らないといけないって思っていたんだ」

 徹の記憶もあるが、それも三年前のものだし、うっすらとしていて曖昧なものになっているからその申し出は有難い限りだ。

「任せておいて――って、胸張って言いたいところなんだけど、私の知識も五年前のものなんだけどね」

「全然いいよ。一人で歩くより君と一緒のほうがきっと楽しい」

「うん、それじゃ明日。約束ね?」

「ああ、約束だ」

 差し出された小指に、自分の小指を絡める。

 指切りなんて何年ぶりにしただろうか、懐かしさと気恥ずかしさで僕達は笑いあった。

 それから僕達はまた他愛のない話を広げて、その日の夜は更けていった。


        *


 夢を見た。

 懐かしい匂いのする夢だった。

『しっかし、本当にさ。なんでこんなところまで戻ってきちまうかね』

 暗闇の中でそんな声が聞こえてくる。

 声の主の姿は見えないが、誰の声なのかすぐに理解できた。

「こんなところなんて言うなよ。あんたにとっても実家――故郷じゃないか」

『そうだとしても、だ。今のお前にとってはこんなところって表現が相応しいよ。ここで過ごしたってお前に得るものはないだろう』

「そんなことはないさ。僕はこの町をほとんど知らない。ここで過ごしてこそわかる生き方だって・・・・・・」

『本当にそう思ってるのか?』

 声はどこか非難しているように聞こえた。

「どうして」

『いいか、統眞。もうお前は一人を求めちゃいけない、孤独を受け入れちゃダメなんだ』

「一人じゃないさ。こうして徹だっている」

『いないよ。俺はもうお前の幻想でしかないんだ』

 寂しげな声。

「徹?」

『お前は今一人になっちゃいけない。アイツらから逃げないでくれ』

 そんな言葉を残して、声は聞こえなくなった。呼びかけても誰も答えない。

「・・・・・・そう言われたって、もう、どうしようもないじゃないか」

 こうしてここまで来てしまったのだから。

ここまで逃げてしまったのだから。


「――ま? とうま・・・・・・統眞?」


 声に呼ばれて我に返る。

 夢を思い出してぼーっとしていた。

「え、あ、なにかな?」

「大丈夫? またぼーっとしてたけど」

「あ、ああ、ごめん」

「もう、今朝からずっとそんな感じ。体調悪いなら無理しなくてもいいんだから」

「大丈夫。本当に何でもないんだ」

 昨日の夜に約束した通り、僕は紅梨ちゃんと一緒に町を歩いている。

 いくつもの遊び場だった場所を巡り、小学校、僕の入院していた病院、思い出の詰まった場所を二人で巡っていく予定を立てたのだが、僕は昨日見た夢が何度も脳内で再生されて目の前のことに集中できないでいた。

 呼びかけてみても昨日のような反応もなく、僕は一人で悩んでいる他ない。

「一人を求めるな、か・・・・・・」

 そんなつもりはない、とは言えなかった。

 逃げて、離れようとして、僕はここで一人になろうとしている。

 今更どんな顔をして三人に会えばいいのか、どれだけ言われても僕と彼らは他人でしかなくて、優しくて、お人好しで、そう知っていても僕は彼らを信じることができないのだ。

「また考え込んでる」

「あ、ごめん、つい・・・・・・」

「でも、そうやって急に物思いに耽るの、なんか統眞らしいかな」

 紅梨ちゃんはくすくすと笑って、そんなことを言う。

「え、そう?」

「うん、だって、昔からその癖あるもん。急に黙ったと思えば、何か考え事をしているようで声も掛けづらくなるし、ちょっと懐かしい」

「そうか、ごめん、かなり失礼な癖だよな」

 意識していなかったけど、癖になっているなら直したほうがいいだろう。

「そうしてください。それじゃ、気を取り直していこ?」

「ああ、うん」

 紅梨ちゃんから差し出された手を、その場の空気に流されるように取った。

 気恥ずかしさはもちろんある。だけど、こうして彼女と触れ合うのも最後になるだろうと思えば手を放す気にはなれなかった。

 僕達は手をつないで、徹と、紅梨ちゃんと、二人の幼馴染達が過ごした町を歩いていく。

 近所にある寂れてしまった商店街。

 五人が通い、僕も在籍していた小学校。

 遊び場だったいくつかの公園。

 僕が今までのほとんどを過ごした病院。

 僕がわかるのは自分の過ごした病院くらいで、紅梨ちゃんは案内してくれた場所の思い出を語ってくれた。話をしている彼女の声は楽し気で、この町にはたくさんの思い出があるのだと実感する。

 しばらく歩き回って、僕達は小さな公園で休憩しようと並んでベンチに座った。

「さすがにちょっと疲れたかも。昔はいくらでも歩き回れたんだけど」

「若さは偉大ってことだな。お互いそこまで歳は取ってないけど」

 近くにあった自販機でお互い飲み物を買って一息つく。

「うーん、やっぱり記憶と違っている場所もあるね」

「そうなのか?」

「うん。例えばこの公園。昔はもっと遊具とかあったんだよ。今は何にもないけど」

「そうだったのか」

 そういえば遊具は危険だから撤去されていっている――みたいなニュースをいつだったか観た記憶がある。ここもその対象なったということだろう。

「何年経っても変わらない景色だってあるけどさ、ずっと変わらないものってないんだよね。わかっていたつもりなんだけど、改めてそう思った」

「そうだな」

 僕はそう遠くない未来に自分が終わると思って生きていて、徹の日常は不変的に続くと思っていて、でもそんなことはなかった。時間は何かを変えていくものだと思い知らされた。

(不変的なものなんて何もない)

 ここで別れても、戻って一緒にいても、僕達の関係は変わり続けるのだ。その最後にはいつか別れが来てしまうのなら、それならここで別れたほうが傷つかないで済むかもしれない。

「・・・・・・次は、次はどこに行こうか?」

 頭に過った考えを振り払うように言うと、紅梨ちゃんは少しだけ悩んで、

「あ、ここからならあの場所が近いかも」

「あの場所?」

「そう、私達――私と徹、理沙に竜樹に昴。五人の約束の場所。・・・・・・行ってみる?」

「そうだな、行きたい、かな」

「うん。それじゃ、行ってみようか」

 言いながら紅梨ちゃんはぴょんと立ち上がって、さっきと同じように手を差し出してくる。彼女にとっては深い意味のない、さっきまでの延長線なのだろうけど、僕にとっては心に入り込んできた暗い気持ちから救い出されるような気持ちだった。

「ずっと、引っ張ってもらってばかりだな」

「ん、なんか言った?」

「ああ、いや、何でもない」

 手を取って立ち上がり、「じゃあ、行こう」と僕達は足を前に進める。

 徹の記憶の中で一番はっきりと覚えている場所だ。

「ここは・・・・・・」

 その記憶の通りの場所が、目の前に広がっていた。

「この辺りだと一番大きな公園だから、私達も一番遊んだ場所かも」

「そうなんだろうな」

 山の麓にあるが故、当然広い。子供達が体を動かして遊ぶ場所としては最適だろう。

「ここは全然変わってなくて安心した。これならあの場所も残ってるかも」

「あの場所って、ああ、徹達が約束に使った場所か。あの場所はあっちの方だっけ」

 記憶を頼りにその場所の方向を指差す。ここからじゃ見ることはできないが、山を少し登ると森林から抜けて開けた平地に出るはずだ。紅梨ちゃんは「うん」と頷いて、

「行ってみようか?」

「いや、そこまではいいよ。僕なんかが足を踏み入れるのは烏滸がましい気がする」

 僕のそんな言葉に紅梨ちゃんは苦笑して、

「烏滸がましいも何もないよ。私達が勝手に作った遊び場でしかないんだもん。他の子供達だって同じように遊んでいたかもしれないし」

「それでもさ、僕にとっては徹達五人だけの場所なんだよ」

 僕はじっと見えない約束の場所へと視線を投げる。

「夢を見たんだ」

 景色を見つめながら、そんな言葉をこぼす。

 口に出してみて誰かに話したかったんだと気が付いた。

「夢?」

「ああ、徹の出てくる夢だった。とはいっても真っ暗で彼の姿は見えなかったけどね、徹は言うんだ。僕は一人を求めちゃいけないって」

「うん」

「そんなつもりはない、なんて言えなかった。僕はここに逃げてきたわけだし」

「うん」

「僕は自分がどうすればいいかわからないんだ。そんなこと言われても、僕は君しか知らない。三人はただの顔見知りでしかなくて、そんな三人を傷つけて、どうしたら元のように戻れるって言うんだ」

「統眞は、どうしたいの?」

 紅梨ちゃんは優しい声でそう言った。

「とっくに気づいていると思うけど、私は竜樹達と、あなたのご両親と結託して、統眞を迎えに来たんだよ。また一緒に過ごしたいから、また一緒に過ごしてほしいからって」

「・・・・・・ああ」

「でも、統眞がここに残ったほうが幸せなら、それもいいと思う」

 紅梨ちゃんは笑顔を作って言った。

「つらいよね、知らない人ばかりの空間って。私はこの町に来たのは小学校入学と同時だったから、幼稚園や保育園からの友達なんていなかったし、人見知りだから友達も上手く作れなくて、学校なんて行きたくなかった」

 今でも思い出せる。そんな表情で紅梨ちゃんは言葉を続ける。

「小学校六年生の時に転校した時もつらかった。今すぐにでもこの町に戻りたいって毎晩思ってたもん。・・・・・・統眞も今同じ気持ちでいるなら、ここに残って生活するのもきっと間違いじゃないよ」

「そう、なのかな」

「でも、あなたを本当に一人にすることはできないから、私もここに残る」

「そんなの無理だろ」

「親だって説得する。アルバイトだってする。学校だって辞められる。私は統眞と離れないためならどんなことでも捨てられる」

 彼女の声から冗談ななんてものは感じられなかった。

「どうして、そこまで」

「あなたが好きだから」

 ごく当たり前のことだとでもいうのように。

 二度目の告白ではあるが、やっぱり不意打ちでドキリと胸が跳ねる。

「あなたに代えられるものなんてないからだよ、統眞」

「で、でもさ、そんな気持ちだって、いつか変わるかもしれない。もしかしたら後悔するかもしれない、無駄になってしまうかもしれない。君達五人がした約束のように・・・・・・不変的なものなんて存在しないんだ」

 先ほど感じた苦い感情が、また胸に押し寄せる。

「僕はもう・・・・・・」

 傷つきたくない。そんな独りよがりの気持ちが全てだ。

「私の気持ちは決まってるから、ここから先は統眞次第だよ。統眞の考えた答えならどんな答えでもちゃんと聞く」

「・・・・・・君は強いな。いや、僕が弱すぎるのか」

 ここまで想われて、僕はそれでも前に進めないでいる。

「ごめん。今ここで返事することはできない」

「ううん、私こそ重いことばっか言ってるよね、ごめん」

「そんなことない、決められない僕が悪いんだ」

「でも、私こそ性急で・・・・・・」

 二人で何度も謝りあって、ようやく軽い笑みを浮かべることができた。

「ふふふ、そろそろ次のところへ行こうか」

「あ、ああ、そうだな」

 目の前の問題を棚上げしているような罪悪感もあったが、紅梨ちゃんの提案に乗って僕達は次の目的地に向かって歩き始める。

 でも、いつまでもこのままではいかないというのも分かっていて。

(紅梨ちゃんだって、明日の午後には戻らないといけないと言っていた)

 僕も学校を転校するならその手続きをしないといけない。

 今みたいな宙ぶらりの状態でいられるのは、本当に僅かな時間なのだ。今日明日には僕も答えを出さなければならない。

(そう、今だけなんだ・・・・・・)

 心の中で反芻しながら、僕は足を前へと進めた。


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