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伯爵認定勇者ブラッド 6


 自分は強い。

 それはブラッドにとって、唯一と言えるアイデンティティだった。


 彼は自分の未来を、己の力で切り開いてきた。

 それ故に、彼には強さに裏打ちされた絶対の自信がある。


 だが根拠のある自信ほど不安定なものはない。

 なぜならそれは今己が立っている土台がなくなれば崩れてしまう、砂上の楼閣に過ぎないのだから……。









「嘘、だろ……」


 ブラッドは自分の拳の方へゆっくりと首を向けた。

 そしてそのまま呆けたようにガブリエルの方を見る。


 必殺の一撃だった。

 Bランクの魔物であればひとたまりもないであろう、自信が放つことができる最高の一撃だった。

 けれどその結果はどうだ。


「……?」


 唇に人差し指を当てている目の前の天使が、ゆっくりと立ち上がる。

 ふらつくような様子もなく、まったくダメージが通っていないのは火を見るよりも明らかだった。


 全力で殴ったはずの頬には、赤みの一つすら刺していない。

 出会った時と同じ、完璧な美貌だけがそこにあった。


「う……」


 自分の攻撃がまったく通用していない。

 その事実ブラッドにとって、到底許容できるものではなかった。

 彼の矜持が、目の前の現実を認めることができなかったのだ。


 自分は武威を磨き上げ、弱者から奪い取ることが許されるだけの力を持っている。

 彼の一撃を受けて平然としているなどということが、あってはならないのだ。


「うおおおおおおおっっ!!」


 故にブラッドは拳を強く握りそして振るう。

 己の存在価値は強さにしかないと、そう理解しているからこそ。


「マジックアーツ、ファイアフック!」


 火魔法を己の腕に纏わせて放つマジックアーツ。

 上位ジョブである魔法拳士しか放つことの許されぬ必殺の一撃だ。


「ファイアラッシュ! からの――フレイムストレート!」


 ブラッドが拳を振るう度、激しい炎が舞い上がった。

 拳が炎を宿し、殴打のインパクト部分には鉄ですら赤熱してしまうほどの高温が襲いかかる。

 ブラッドの拳から飛び出した炎がガブリエルへと遅いかかり、業火に包まれその姿が消えてゆく。


 その一撃一撃に、ブラッドの渾身の力が込められている。

 にもかかわらず動きはなめらかで、まるで一つの舞踏を見ているかのようだった。

 技の冴えは留まるところを知らず、彼は既に自分の限界を超えた速度で一撃を放っている。

「はあっ、はあっ、はあっ……」


 ブラッドはいくつものスキルを重複させることで圧倒的なスペックし、城壁を一撃で破壊できるような強烈な攻撃を放つことができる。


 攻撃を連打させるほど威力が上がってゆくコンボラッシュを発動させ、マジックアーツの中で最も威力の高い火属性を選択し、その他いくつものスキルを連続で起動させることによって火力を底上げした。


 ただのパンチでCランクの魔物を倒すことのできる一撃を、幾重にも強化したのだ。

 これを食らえば流石に天使といえど無傷とは……。


 けれどそんなブラッドの考えは、浅はかと言わざるを得ない。

 圧倒的な強さの前には、全ては無力なのだから。


「はぁ……」


 炎がかき消えた後、そこには先ほどまでとまったく変わらぬ姿勢で立っているガブリエルの姿があった。


 その身体に傷一つついていないのはもちろんだが、身につけているトーガに似た衣服にも、一切の焦げ痕がついていない。

 彼女はつまらなそうに下唇を押し上げながら、ふんっと鼻息を吐く。


「うーん……」


 ガブリエルはファサリと翼を広げる。

 光輪から落ちてくる光は後光となって彼女を照らし、その相貌は神聖で侵しがたいものだった。


 けれど彼女の様子はどこかけだるげで、露出度の高い服を着ていることも相まってどこか退廃的にも見える。

 彼女はむずがゆげな吐息を吐き出すと、大きく腕を左右に広げてみせた。


「さっさと全力、出してくれません? 今なら避けずに食らってあげますから。取っておいてある隠し球とか、使ったら命を削る奥義とか、全部使っちゃってくださいよぉ?」


 人の感情の機微に疎いブラッドにも、よくわかった。

 目の前の天使は明らかに、自分を舐めている。


 舐められたままでいるのは、自分の流儀に反する。

 吠え面かかせてやるぜ、と彼は溜めの姿勢に入った。


「後で後悔するんじゃねぇぞ……」


 天使が自分を格下だと舐めているのは、同時に大きなチャンスでもあった。

 火力に特化するブラッドの攻撃の中には、隙は大きいがその分だけ強力な技もある。

 自分が放つことができる最大火力。

 それをぶち込んで、目の前のクソアマを殺す。

 彼の脳裏にはそれ以外の全てが消えていた。


 極限の集中力を以て放つのは、彼の最大最強の一撃。

 放つことにデメリットを伴う諸刃の剣。


「ふしゅうぅ……」


 ブラッドの全身から、黒い煙が吹き出し始める。

 しっかりと観察をすればそれはただの煙ではなく、彼の身体から漏れ出す魔力であることに気付く。

 全身から噴き出す黒い魔力が、彼の全身を覆っていく。


 身体を渦巻くように展開していた煙が物質化し、脈動する筋肉へと変貌を遂げる。

 そこにあるのは赤黒い、むき出しになった筋肉だ。

 生理的な嫌悪感を掻き立たせるようなグロテスクな肉塊が、ビクビクと跳ねながら蠢きだす。

 そしてそれは不気味などぴったりと、ブラッドの身体と一体化してみせた。


 彼は拳闘士系のジョブをいくつも収めているが、それ以外にも一つの上位ジョブを収めている。

 そのジョブの名は……呪術師。禁じられた呪いを操るそのジョブは、持っていることがバレれば勇者を取り消されかねないほどの爆弾であり、ブラッドの正真正銘の奥の手だった。


 ――呪術師としての力は、己の悪名を囁かれる多寡で決まる。

 自分に向けられた負の感情が、呪術師にとっては成長を促す糧になるのだ。


 残虐な手段でその悪名を轟かせているブラッドには、大量の負の感情が向けられている。

 彼が発動させたのはその負の感情を解放し、呪術として己の肉体に纏わせる、禁呪カースフレッシュ。


 己への負の感情と一体化した肉体は悲鳴を上げながらも、その負の感情の吐き出すベクトルを操作させてみせた。

 そして彼は己に向けられた負の感情全てを、目の前の天使へと叩き込む。


 一度放った負の感情は、元には戻らない。

 故にこの技は連発することはできず、チャージをするのに年単位の時間がかかる。


 使えば呪いによって自らの身体を蝕むことになるが、この一撃は竜すら屠る。

 Aランク下位の魔物すら倒してみせる、正真正銘全力の一撃。

 その名は――

 

「カース……インパクトオオオオオオォォォッ!!!」


 轟音が鳴り響く。

 この世のブラッドを呪う全ての者達の怨念が凝集された一撃は、圧倒的なまでの破壊力をもたらした。


 衝撃によって、ドーム状になっていた守護者の間が破壊されてゆく。

 ビリビリと伝わる振動で天上付近からは土がこぼれ落ち、地面はめくれ上がって完全に原型を失っていた。


 圧倒的な、Aランクすら屠ってみせる至高の一撃。

 極限まで圧縮された呪いの拳はしっかりとガブリエルの正中を捉え……そして、何も変わらなかった。


「何が出るかとわくわくしてたのに……呪詛の集約とエネルギー変換ですか。ガブちゃんがっかりです」


「な、え……?」


 呪いが己の肉体を蝕みながら、ずるずると溶け落ちてゆく。

 肉の鎧は剥がれてゆき、内側からは装備が溶けて下着姿になったブラッドが現れた。


「最大火力でこれですか……って、ちょっとほっぺた赤くなってる! いやだ、ガブちゃんもうお嫁にいけない! もらってくださいミツル様!」


 パタパタと翼を羽ばたかせながら飛び上がる天使は、先ほどまでと何も変わっていない。

 ずっとふざけているような調子も、こちらを小馬鹿にした様子も何も変わらない。

 それはつまり自分が放った全力の一撃ですら、彼女にとってはただの児戯にも等しいということで……。


「そ、そんなこと……認められるかッ! 俺は、俺は――伯爵認定勇者『鮮血』のブラッドなんだ! こんなことあるはずが……そうだ! これは幻覚に違いない!」


 ブラッドの脳は、目の前の現実を受け入れることを拒否していた。

 彼は光を失った瞳のままファイティングポーズを取ると、そのままガブリエルへ拳打を放ち始める。


 だが全身を呪いに侵され、おまけに力のほとんどを使い果たしているブラッドの一撃は先ほどまでとは違い、まったく精細を欠くものだった。


 そのひょろひょろとした一撃には欠片ほども鋭さはなく、妙技だったはずの連撃は子供のおままごとを見ているようだった。


 もしかするとまだ何かあるのかと思い黙って観察を続けるガブリエルだったが……彼女は大きなため息を吐く。


「うーん……一体ミツル様はこんな雑魚の何を怖がってるんだろう?」


「雑魚じゃない! 俺は――俺はッ!」


「うっさいよ、ざ~こっ」


 頬に衝撃が走ったかと思うと、ブラッドは殴られていた。

 何度もバウンドしながら吹っ飛ばされている彼は、目に涙を浮かべていた。


 たった一度の攻撃で、彼は死にかけた。

 そして拳打を一度食らえば、彼にはそれだけで全てがわかってしまった。


 今ガブリエルが放った拳打は、拳に全てを捧げてきたブラッドをして、捉えるほどができなかった。

 死にかけている彼の耳に遅れて聞こえてくるのは、パウッと衝撃の音。

 圧倒的なまでに音を置き去りにした神速の拳は、きっとブラッドが生涯を戦いに費やしたとしても手に入れることはできないものだろう。


 目の前の天使は、己の手の届かない領域に住む怪物だ。

 目の前にいる天使に得意分野ですら圧倒されたことで、彼の心は現実と折り合いをつけることを諦めてしまった。


「ざ~こっ、ざ~こっ」


 涙を流しながら地面に倒れているブラッドを、ガブリエルは煽り始める。

 するとブラッドはますます泣き始めた。


「ブラッド君は自分がすぐに泣いちゃうざこだって知らなかったんだぁ?」


 彼女は対勇者のため、ここにやってくるまでのブラッドのことを観察していた。

 退屈に思いながらも彼が奴隷達を意味もなく甚振ったり、かんしゃくを起こして配下を殺したりする様子を見てきたのだ。


 人間とは心の在り方が違う彼女はそれを見ても心を痛めるようなことはない。

 ただ彼女はこんな風に思ったのだ。


 いかにも高慢なこの男のプライドを、ズタズタに引き裂きてぇ~と。


 ガブリエルはミツルに対しては極度のドMなのは周知の事実だが、彼女はそれ以外の全てに対してはSだった。


「ほら、顔を上げろよ」


 ガブリエルは軽くブラッドを蹴り上げる。

 己のプライドをへし折られ現実逃避をしているブラッドは、ここではないどこかを見つめていた。


「僕は……僕は……」


 どうやら現実が嫌すぎるあまり、幼児退行までしているようだ。

 捨て犬のようになりながらもだえている彼は、この場では正しく弱者であった。


 弱肉強食の摂理は、どこまでも残酷だ。

 昨日強かった人間が、今日も強いとは限らない。

 より強い者の前では、自分もまた食われる側の人間でしかないのだ。


「さーて、どうせなら天使のまなざし(マインドスキャン)で全てを見つめちゃおっかなぁ」


 天使は悪魔と同様、精神に対して働きかけを行うことのできる魔物である。


 相手の感情をポジティブにしたり、相手の深層心理や記憶を読み取って精神の回復に役立てたりすることもできるのだが……その力は、使い方によっては刃に勝る凶器にもなる。


 固有スキル、天使のまなざし。

 相手の精神から感情と記憶を読み取ることのできるスキルである。


「ふむふむ……へぇ~、ちっちゃい頃に亜人お父さんを愛玩奴隷に殺されてるんだぁ。なるうほど、それから亜人が嫌いになっちゃったと。お父さんを殺した亜人と自分でいじめてる亜人は何の関係もないと思うんだけど……本当に度しがたいよね、人間って」


 どうやらあんな風に暴虐に振るい奴隷相手に狼藉を繰り返していたブラッドにも、屈折する理由があったらしい。

 けれどガブリエルはそれを確認しても同情する様子もなく、理性が崩壊しかけているブラッドをじっと観察するだけであった。


「あ、ううぅ……」


「大丈夫、これからガブちゃんがあなたの心の歪みを直してあげるからね! せっかくの勇者の素体が手に入ったんだもの、有効活用しない手はないよ! ファスティアは殺しちゃったけど、私はそんなポカはしないもんね! うーん、我ながらガブちゃんってば有能すぎでは……?」


 天使は人の心を読むことができる。

 故に彼女達は人間の汚い部分を発見し、直すことができるのは事実だ。

 けれど修復された心が、以前とまったく同じものであるとは限らない。

 彼女の手にかかったブラッドがどのような人間になるのか。

 それは施術者であるガブリエルにすらわからない。

 けれどそんなことは彼女からすれば知ったことではない。


 ――ガブリエルが心を読めないのは自分達の天敵である悪魔以外にも存在する。

 それこそが、彼女が敬愛してやまないギルドマスターのミツルだ。


 故に彼女は心が読めないミツルのことが気になってたまらない。

 彼を相手にした時だけ、ガブリエルは自分をさらけ出すことができる。


 ガブリエルにとって、ミツルは信仰の対象であり、同時にものすごい異性的な対象でもあった。

 勇者が危険だとミツルが言うのなら、その危険の仕組みを解き明かしてみせる。


 色ぼけ天使のガブリエルは、ふんすと鼻息荒くブラッドを抱え上げた。

 あうあうとうめき声を漏らすことしかできなくなっているブラッド小脇に抱え、ガブリエルはそのまま守護者の間を後にする。


 るんるんとスキップをしている彼女が号泣している大男を抱えているのはシュールを超えてもはやホラーであった。


 ――こうして混沌迷宮の独占のために配下を引き連れてやってきたBランク冒険者にして伯爵認定勇者『鮮血』のブラッドは、配下共々二度と迷宮から戻ってくることはなかった。

 彼が連れてきた冒険者達、そして当のブラッドがどこに消えたのか。


 それを知っている人間は誰一人としていない。

 そう、それを知っている、人間は……。

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