対面
冒険者ギルドマサラダ支部。
二階にある執務室にて日々の雑務を終わらせたギルドマスターのバリスは、目の前に現れた難題に頭を抱えていた。
「ゴルブル兄弟が戻ってこない……」
新種の魔物に関する調査依頼を出したゴルブル兄弟が、二日ほど経ったにもかかわらず、未だに街へ戻ってきていない。
冒険者は不測の事態に陥ることの多い業界ではある。
だが今回の依頼はあくまでも調査。
弟のガルだけならまだしも、兄のミゲルはそのあたりはしっかりとした線引きをする男だ。
二日も帰ってきていないというのは、流石に何かあったとしか思えない。
新たな調査隊を派遣してもいいが、素行に問題はあれどゴルブル兄弟はCランクでは上位の実力者だった。
彼らでダメとなれば、今のマサラダでは他の冒険者を出したところで焼け石に水だろう。
「第一発見者を連れて行かれたのもマズいな……いくら認定勇者といえど、一般人を街の外へ連れ出すのは流石にやりすぎだ……」
更に今回マズいのは、ゴルブル兄弟が案内人として新種の魔物の第一発見者の少女まで連れて行ってしまったことだ。
一般人をわざわざ危険にさらしたとなれば、冒険者ギルドの立場は失墜しかねない。ましてやその少女が、そのまま行方不明にでもなれば……。
ここまで来ればバリスも、自分が人選を間違えたことを認めざるを得なくなっていた。
「とにかく、何人かで手分けをして探してもらう他は……」
「ギルマス、大変です!」
ストレスから葉巻を取り出そうとしているバリスの下に、慌てた様子で階段を駆け上がったマリーがやってくる。
彼女の顔色を見ただけで、バリスはとんでもない厄介ごとが起きたことを悟ってしまう。
マリーは思っているこそがすぐに顔に出てしまう質だ。
人としては善良なはずのその性質は、今のバリスにとっては不吉を告げる黒猫も同然であった。
「シンディさんが帰ってきました! それも身なりの良さそうな男の人と――とんでもなく美人のエルフを連れて!」
(一体、何がどうなっているんだ……?)
先ほどまでより更に重くなった気がする肩を下げながら、ギルドマスターのバリスは執務室の隣にある応接室に腰掛けていた。
やってくる来客を待つその後ろ姿は、死刑宣告を待つ罪人の用にも見える。
机に高速で指を叩きつけている彼の顔は、中間管理職が持つ独特の悲哀に満ちていた。
一体このマサラダの街の近くで何が起こっているのか。
バリスはその全容を、まったく理解できてはいない。
しかしおよそ自分にできる裁量を大きく逸脱した何かに巻き込まれかけている……そんな嬉しくない確信だけはあった。
「ええい、今更あたふたしても仕方がないってのはわかってるんだ、こんちくしょう!」
後先を考えない人間だけが使える必殺技、開き直りを発動させると、今までの緊張が嘘だったようにじっくりとソファーに腰を下ろすことができた。
軽く一服して気分を整え終えると、タイミングを計ったかのように、ドアがノックされる。
ドアの向こうから現れた二人の人物を視界に入れたその刹那――バリスの仮初めの心の安寧は、あっさりと崩壊した。
(この俺の今までの人生経験が言っている! これは――今すぐにでも手を引くべきだと!)
内心で絶叫しながら、バリスはやってきた二人を観察する。
その風采は、事前に受付嬢のマリーから聞いていた通りだ。
先に入ってきたのは、黒髪黒目の中背の男。
着ている服は、一張羅に見える漆黒の軍服。金のボタンがあしらわれており、首元には金の糸でモンスターの意匠が縫い込まれている。
その生地は何で作られたものかはわからないが、その表面は一目見てわかるほどになめらかであった。
間違いなく、超がつくほどの一級品だ。
バリスは仕事柄様々な軍人と接する機会があるが、以前一度だけ拝謁したラテラント王国の総大将であるツヴァイト公爵も、これほど絢爛なものを着てはいなかった。
だが彼の方はまだいい。
いや、正直言うとまったく良くはないのだが……それより問題は、彼の後ろに控えているエルフだ。
陽光を凝縮したかのような美しい金の髪と、空を閉じ込めたようなスカイブルーの瞳、そして長い笹穂の耳を特徴とする亜人である。
ラテラント王国において、エルフを目にする機会自体は少ない。
排他的で多種族と関わりを持たぬエルフの民は、めったなことで人里に下りてくることがないからだ。
だが中には好奇心が旺盛で冒険者となるようなエルフもいるため、当然ながらバリスにもエルフの顔見知りはいる。
なので彼も、エルフが皆美男美女揃いであることは、実体験として知っていた。
しかし――目の前にいるエルフの美しさは、半ば人知を超えていた。
既に男としての盛りを過ぎているはずのバリスをして、思わず生唾を飲み込んでしまうほどの圧倒的なまでの美貌。
『傾国の美姫』や『傾城の魔性』……逸話で語り継がれている美女達ですら、彼女を前にすれば己が顔を恥じ、隠さずにはいられないだろう。
人外じみた美しさを持つ彼女に放心しつつも、そこは流石ギルドマスターというべきか、身体は自然と動き、黒服の男と握手を交わしていた。
「ギルドマスターのバリスだ」
「俺は――ミツル・サンジョウだ」
男の名前を聞き、バリスの意識が夢の世界から帰ってきた。
やはり貴族だったか……考えれば当然のことだ。
宝飾にも匹敵する服を着込み、本来であればもてはやされる容姿を持つエルフ達を鼻で笑えるような圧倒的な美を持つエルフを持つ彼が、ただの平民であるはずがない。
だがだとすると、彼はなぜこんなへんぴな街へやってきたのだろうか。
そもそもまず話をすべきは自分ではなく、この町を治めているリングバード子爵なのではあるまいか。
当たり障りのない挨拶に続いてシンディを送ってくれたことへの礼を述べながらも、バリスは未だかつてないほどの早さで、ぐるぐると思考を回していた。
けれど残念ながら答えは彼の灰色の脳細胞からではなく、相手の方からやってきた。
「この国で、罪人に対する処罰を教えてほしいのだが。この国では婦女子への暴行が許されているような国なのか?」
「まさか! 基本的に暴行罪に関してはむち打ちか、悪質であれば死罪も十分に考えられますが……」
「ほう、それを聞いて安心したよ。あの子――シンディから話を聞けば、見知らぬ男達から暴行を加えられていたというではないか。そんな無体がまかり通る場所であれば、流石に取引などできそうもないと思ってな」
「彼ら――ゴルブル兄弟には我らもほとほと困っておりましてな。けれど勇者として任命されている以上、あまりおおっぴらに非難を浴びせることもできず……」
苦い顔をしながら呟くバリス。
シンディを助けたのであれば、彼女から事情を聞いているのは当然のこと。
自分の国の人間がしでかしたこととはいえ、やはり恥部を晒すのは良い気分はしない。
バリスは顔を俯かせながら謝ることしかできなかった。
彼とて、ゴルブル兄弟に対しては忸怩たる気持ちを抱いている。
勇者だから何をしてもいいわけではない。
むしろ勇者だからこそ、その行動には規範があるべきだ。
バリスは形骸化してしまっている現状の勇者制度を憂いている人間の一人だった。
そういえば、目の前の彼――ミツルはゴルブル兄弟の所在を知っているのだろうか。
であればわざわざ調査依頼を出す手間が省けるのだが……と思っていたバリスだったが、続くミツルの一言で、彼の思考は完全にフリーズする。
「そうか。あのゴルブル兄弟は魔物の餌にしたんだが……それなら問題はなさそうだな」
(問題がないわけないだろ!)
内心そう突っ込みたいバリスだったが、思っていることを口にしないくらいの分別は今もまだ残っていた。
けれど限界を超える瞬間は、実にあっけなく訪れる。
「実は俺はダンジョンを経営している、いわゆるダンジョンマスターというやつでな」