前編
━━お父様、お兄様。私はずっとお2人のために、国のために頑張ってきたつもりです。
ですが、一度たりとも褒めてくださいませんでしたね。
私はお2人にとってどのような存在だったのでしょうか?
国を守るのに便利な道具でしょうか?
はたまた扱いに困る面倒な存在でしょうか?
‥‥お母様がいてくだされば‥‥少しぐらいは私のことを気にかけてくれたでしょうか?
今はもう、直接お聞きすることもなかなか叶いませんが‥‥
あの頃、よく考えていました。
━━私は、なんのために生まれてきたんだろう‥‥と。
*****
私はアンジェリーク・ロラン・アングラード。
ここ、アングラード王国の王女です。
━そして、私が10歳の時だった。
国の危機に現れるという聖女の立場を得てしまった。
聖女の仕事は魔物から国を守る結界を張ったり、維持したりが主だったもの。
だが、魔物が大量発生したりなどがあれば当然、討伐隊が編成されるし、私も回復要員として同行させられる。
━本当に、何度途中で逃げたくなったことだろう‥‥
それでも討伐隊の面々が王女というのもあるからだろうが、優しく接してくれたり、遠征先の民達も歓迎してくれたりと、私の周りは裏切り辛いというか‥‥私がそんなことを考えてることすら気付いてなさそうで‥‥
とてもじゃないが、自分だけ逃げだすなどできなかった。
逃亡して一人で生きていける自信もなかったのもあるが‥‥
そうして、どんなに討伐隊の面々が気を使ってくれようと、遊びに行く訳ではない。
行軍が既に辛いのだ。
私は基本、馬車移動にさせてくれている。
だが、魔物の討伐に向かうのだから、当然歩いて向かうこともある。
夜営や野宿も当たり前。
女性の騎士や魔法師団員ももちろんいるが、男性隊員に比べればやはり、圧倒的に少ない。
なので、私は基本的に女性同士で固まっている。
それでも、やはり怖いものは怖い。
夜遅くに遠吠えを聞くことはあるし、実際に私が眠ったあとに野生の動物達が来たこともある。
━全く気が休まらないのだ。
これは何回討伐隊に参加しようと慣れることはなかった。
辛いのはそれだけではない。
例え、10歳からそんなことをさせられていようと。
例え、目の前で騎士が私を庇って絶命しようと。
‥‥‥例え、実の父や兄に道具の様に「行ってこい」とだけ言われて終わりだろうと。
━いや、その「行ってこい」すら今はもうない。父や兄の姿を見て、声が聞けるのは公の場のみになってしまっている。
私は、聖女としての役目から逃れる道はなかった。
そうして精神を、心をすり減らしながらも耐えて聖女の役目を全うしていた。
‥‥‥私には他の選択肢は与えられなかった。
『聖女として母国のために尽くし、母国のためにこの命が終わるその日まで使い潰される。』
━私は15歳の時点でそれを悟り、全てを諦めていた。
━━私の人生に『幸せ』という言葉はないのだと。━━
**
私が10歳になったばかりの頃、王妃であるお母様が不治の病に罹り、儚くなってしまった。
お母様━━エレーヌ・シャルロワ・アングラード━━は元自国の公爵令嬢であったが、巫女でもあった。
先代の聖女が張った結界を維持する役目の巫女。
もちろん、お母様一人で担っていた訳ではないので、お母様が病でベッドから出られなくなろうと、維持はできるはずだった。
━そう。『だった』なのだ。
覆ったのも私の存在。
巫女の娘が次代の聖女。
私達家族以外の国の上層部や民達はそれに喜んだ。
まだお母様の喪があけてもいないのに。
私達家族は昔は仲が良かったから、お母様が亡くなってからもなかなか気鬱が晴れることはなかった。
そんな中で私の聖女への覚醒。
お父様もお兄様も、私のことを敵を見る様な目で見る様になった。
何故なら、聖女ならばお母様を助けることができたはずだったから。
けれど、それで悔しい思いをしたのはお父様やお兄様だけではない。もちろん、私も悔しくて堪らない思いだった。
私もお母様が大好きだった。
優しくて、笑顔を見ているだけで安心するし、心が温かくなる。
━お母様は私達家族の太陽だった。
だからこそ、お母様が儚くなり、私が聖女として覚醒したあとからお父様もお兄様も、変わってしまった。それが悲しくて寂しくて仕方なかった。
それでも、私はお母様との思い出があるこの国を見殺しになどできなかった。
例えお父様やお兄様に見向きもされなくなったとしても、まだ家族としての情が残っているかもしれないと心の片隅で期待しつつ、私は聖女として役目を全うしていた。
━そんな日々を送っていた私が、心を壊すことなくいられたのは、偏にあの方のお陰なのだ。
アベル・グラニエ・フラム。
隣国、フラム王国の王太子殿下。ちなみに3歳上であるお兄様と同い年。
アングラード王国とフラム王国は長年、貿易が盛んで友好を深めていた。
だから、彼の方も度々我が国にいらっしゃったし、お兄様がフラム王国に向かうこともあった。
私はお母様が存命の間は『まだ早い』と。
聖女に覚醒後は『国から出す訳にはいかない』と。
━そう言われて私は一度たりとも国境を超えたことがない。
そんなことからか、彼の方が来てくださる回数の方が多く、私達は幼なじみの様に仲が良かった。
お母様が存命の頃、私達を婚約させようという話も上がるほどに。
そして、実際にフラム王国の王家から私達を婚約させようとの打診があったらしい。
けれど、それをお父様とお兄様が突っぱねた。
最初に婚約の打診が届いたのは、奇しくもお母様が儚くなった翌日だったから。
『今はそれどころではない』と。
お母様の喪があけた頃、再度打診があったらしいが、お父様達は今度は明確に拒否したそうだ。
『聖女を国外に出すつもりはない』と。
私が聖女として覚醒してからも度々我が国にお越しくださった殿下は、その時に直接お父様やお兄様を説得したそうだが、一度も首を縦に振ることはなかったそうだ。
━『らしい』や『そうだ』と過去形なのは当然のこと。
私がこれらを聞いたのは全てが終わったからと殿下から聞くことになったからだ。
***
殿下に心を支えてもらい、なんとか聖女としての役目を全うしながらの日常を送っていた私。
既に聖女になって8年が経ち、私は18歳になっていた。
この日も殿下が我が国にお越しくださっていた。
私達は2人で庭園の奥にある、東屋で話していた。
━もちろん、2人きりではなく、少し離れた場所にそれぞれの護衛がいる。━
「ねぇ、アンジェ。」
「はい?なんでしょうか?」
「君の父君と兄君は相変わらず手強いよね‥‥8年だよ?8年。アンジェと婚約させてくれと打診し始めて8年。」
「‥‥な、長いですわね‥‥」
「いい加減、諦めてくれないかなって思わないか?」
「思いますけれど‥‥無理でしょうね‥‥」
苦笑いで返した私に、殿下はむっとされました。
「アンジェは諦められるのか?」
「いいえ。諦めたくなどありませんわ。‥‥この聖女の力が私ではなく、他の方なら‥」
「アンジェ!」
私がつい呟いてしまった言葉を、殿下に制されました。
そして、対面に座る私を見据えて続けました。
「‥‥聖女が君だからこそこの国は今、平和を保てているんだ。─婚約して連れ出したいと願っている私が言えることではないが、アンジェだからこそ民も安心できているんだ。」
「‥‥そう‥‥でしょうか‥‥」
「ああ。」
しっかり頷いて答えてくださった殿下。
だが、すぐにその表情は苦笑いに変わった。
「‥‥とはいえ、私が本当にアンジェを連れ出せば国の危機だ。─恨まれるよなぁ‥‥」
「‥‥‥」
がっくりと項垂れた殿下に返す言葉が見つからなかった。
けれど、殿下はすぐに顔を上げ━
「アンジェ。魔物のこと等が解決し、民に影響がなければ、アンジェが我が国に嫁いでくれる可能性はあるよな?アンジェはまだ諦めてないよな?」
「‥‥‥正直に申し上げてよいものか分かりかねますが‥‥殿下に望んで頂けること程嬉しいことはございませんわ。」
「‥‥アンジェ。本音を聞かせてくれ。」
「え?」
「アンジェは私を一人の男として好ましく思ってくれているだろうか?まだ、気持ちは冷めてないと自惚れてよかっただろうか?」
「!!!」
殿下の言葉に驚き、眼を見開く私に殿下はそっと近付き、あろうことか側に跪かれた。
「殿下!?そのような‥!」
私は慌ててそう口にしたのだが、殿下が私の両手をとり見上げてきた。
その表情はまるで愛おしいといわんばかりの‥‥
「アンジェ。─『殿下』、じゃないだろ?」
「!!!‥‥‥アベル‥様。」
「ああ。」
私が促されるままに名前で呼ぶと、途端に嬉しそうに表情を綻ばせた。
「アンジェ。本音を聞かせて。」
「‥‥‥」
相変わらず手をとられてる上に殿下は跪いているまま。
大変居たたまれなく、申し訳ない状況。
だが、私は迷っていた。
━━『王女』としての模範解答はいらない。
『アンジェリークの本音』が知りたい。
それに私は正直に答えていいのだろうか? と。
実はこの状況、殿下がいらっしゃる度に起こる。
だが、この8年の間でこんなに粘られたことはなかった。
こうして私が困っていると、殿下は察して『まだか~─アンジェも頑固だな~』と言って諦めてくださってました。
すると、その考えを察したのかは分からないが、殿下は真剣な表情で━
「アンジェ。今回は譲ってあげないよ。─聞かせて。」
「!!!‥‥殿下‥‥?」
私が再び驚き、殿下を窺う様に呼ぶと、途端に非難の声がきた。
「アンジェ~?」
「!‥‥アベル‥様。」
「うん。─で、言う気になった?」
ころころ変わる殿下の表情に戸惑う。
「あ、あの‥アベル‥様。」
「ん?」
「み、耳を貸して頂けますか?」
私は大いに迷ったが、このままだと本当に私が答えるまで待ちそうだと感じて諦めることにした。
元々ずっと言ってしまいたいと思っていたのもある。
けれど、万が一護衛達に聞かれてお父様達の耳に入ったらと思うと怖かったので、殿下の耳元で小声で尚且つ口の動きで護衛達に悟られない様に口元を隠しつつ答えた。
━━『 』
「!!!‥‥アンジェ‥‥」
私の言葉を聞いた殿下はすっと立ち上がり、私を優しく抱きしめた。
「え?あ、あの、」
だが、それもすぐに解かれた。
私が戸惑いつつ見上げると、殿下は真剣な表情で告げた。
「ありがとう、アンジェ。お陰で覚悟が決まった。」
「え?」
「アンジェ。名残惜しいけれど、今回の訪問もそろそろ時間だ。」
「え?‥‥あ‥‥そう‥ですよね‥‥」
一瞬きょとんとするも、そろそろ時間なのは確かで。
私は答えながら俯いてしまった。
「アンジェ。」
だが、殿下に呼ばれて顔を上げてみると━
「 」
音をなさない、口だけの動き。
そして、殿下も私がしたように私の耳元に顔を寄せて━
『 』
「!!!」
そして、殿下は一瞬だけ私に笑顔を向けたあと、去っていった。
私の方に一度たりとも振り返ることなく。
━そうして、殿下はフラム王国に帰っていった。
**
━━3ヶ月後。
それはあまりに突然な知らせだった。
私はお父様に呼ばれて執務室に向かった。
ノックをして中に入れてもらうと、既にお兄様もいた。
お父様でもある国王、ジョルジュ・ヴェル・アングラード。
3つ年上の兄でもある王太子、ベルトラン・ニコラ・アングラード。
その2人が今まで関心がなかったはずの私を、睨んできた。
「え‥‥?」
私が戸惑い、扉付近で固まると、お父様がため息を吐いた。
「アンジェリーク。‥‥そこにいたら話ができんだろ。こっちに。」
「は、はい。」
そうして促されるままに隣あって座る2人の対面のソファーに座ると、お父様が話しだした。
「アンジェリーク。アベル殿に何を言った?」
「は?‥‥え?」
質問の意図が分からず困惑していると、お父様が続けた。
「‥‥隣国が突然開戦を申し渡してきた。」
「え!?か、開戦!?ですか!?」
「ああ。アベル殿が帰国した途端にだ。─一番接点があったのはお前だからな。だから、改めて聞く。アンジェリーク、お前はアベル殿に何を言った?」
「特に何も‥‥いつも通り世間話をして終わりですわ。」
「‥‥本当にか‥‥?」
「ええ。ただただいつも通りお茶を共にさせて頂いただけにございます。」
「‥‥‥そうか。」
お父様はまだ若干疑ってるというか、納得できてない雰囲気はあるものの、それ以上は聞いてこなかった。
なので、答えてくださるかなと不安に思いつつ聞いてみる。
「あの‥‥お父様。」
「‥‥なんだ。」
(不機嫌全快にしないでくださいませ~!!)
「そ、その‥‥伺っても‥‥?」
「だから、なんだ?」
(睨まないでください~!!)
「か、彼の国が開戦の通達をした意図は何か記載ありましたか?」
「む?‥‥『降伏してこちらの要望を叶えるなら、軍の侵攻はしないし、これまで通りの友好関係に戻す。』とだけだった。」
(あ、あら‥‥?
あっさり答えてくださいましたわ?)
そう思いつつ続けてみる。
「要望とは‥‥?」
「書いとらん。交渉の場に立つ時に話すと。」
それに私は「え~‥‥」と思わず王女らしからぬ声をこぼしてしまう。
「‥‥ふわっとしてますわね‥‥」
「そうなのだ。」
「どう‥なさるおつもりでいらっしゃるのですか?」
「決まっとる。─こんな曖昧な要求に屈するなど、我が国でなくともありえんぞ。開戦するというなら向かい打つまで。─だろう?ベルトラン。」
と、お父様はこれまでだんまりを決め込んでいたお兄様にも話を向けた。
「ええ。─なに当たり前のことを聞いているんだ。アンジェリーク。それに、開戦してくるようならお前も前線に向かうのだからな?むしろこんな曖昧な要求をしてきたアベルに我が国を愚弄するなと言って止めろ。」
こうして家族のみで話すのはいつぶりだろう?ともう何年ぶりかも分からないくらい久しぶりに話したというのに、やはりお兄様も冷たい態度のままだった。
それに。
(私が前線に出るのは当たり前なのね‥‥
しかも殿下を止めろなど‥‥あの方は意味もなくこんなことをするような方ではないわ。私の説得など無意味でしょうに‥‥)
そうして黙ってしまったのが気に入らなかった様で、お兄様が声を荒げた。
「聞いているのか!?アンジェリーク!!」
「‥‥はい。聞いております、お兄様。」
「ならば返事ぐらいしろ!!」
「‥‥‥申し訳ありません‥‥」
「全く。‥‥お前は聖女としては優秀だが、それ以外は駄目だな。本当に俺の妹かと疑いたくなる。」
「!!!」
(どうしてそこまで‥‥)
もちろん、私は王女としてしっかり教育は受けている。
聖女として活動しているとはいえ、立場でいえば王女でもあるので、世間に堂々と姿を見せて恥ずかしくない様にと、むしろ厳しい教育を受けた。
私が受けた教育が普通なのか分からず、アベル様に聞いてみたことがあったが、アベル様曰く『王族の教育の中でも厳しい類いのものだと思う。国によって違うだろうが、王太子教育と同等かもしれない』とのことだった。
直接教育係に聞いたこともある。
すると━
『確かに王女殿下の教育は厳しくする様に承っております。王女殿下の場合は聖女としても勉強して頂く必要がございますので、もしかしたら王太子殿下よりも‥‥』
と最後は濁されたが、似たような反応が返ってきた。
その厳しい教育もちゃんと終わらせてあるし、身に付いていると教育係にもお墨付きをもらっている。
それをお兄様が知らないはずはないのに、どうしてこんなことを言われないといけないのだろうか‥‥
(私は‥‥徹底的にお兄様に嫌われているのですね‥‥)
私が思わず俯いてしまうと、対面に座るお兄様が続けた。
「‥‥反論すらしないとは情けない‥‥」
(徹底的に、一方的に嫌ってきたお兄様に何を言っても怒って言葉で黙らせてきたのに‥‥10歳の時から変わらないのだから、いい加減怖がられてると気付いてほしいところです‥‥)
そんな私達の様子を見てもお父様も変わらず。
私から情報は得られないと思ったのか━
「もういい。─アンジェリーク。フラム王国が軍を率いてくるようなら、お前にも出てもらう。準備だけは怠るなよ。それと、聖女としてのお前は我が国に必要だからな。戦死なんぞ許さんぞ?」
「‥‥‥はい。承知しました。」
俯いたまま答えると、お父様は興味はなくなったと言わんばかりに投げやりに続けた。
「ならばもう用はない。部屋に戻れ、アンジェリーク。」
「はい。」
そうして、私は部屋に戻った。
久しぶりの家族の会話はやっぱり冷めきったものだった。
きっと、私が聖女でなければここに‥この国に居場所はないだろう。
━いや、そもそも私が聖女の力を覚醒させなければ、こうしてお父様やお兄様に嫌われることなどなく、普通に王女として婚約者がいたかもしれない。
そういった諸々が悔しかったのか、なんなのかは分からないが‥‥
私は王女としてあるまじき行動だが、部屋に着くなりベッドに倒れ込む様にうつ伏せで寝転び、そのまま涙を耐えていたのだった‥‥