【コミカライズ】隠れあがり症の令嬢は黒の公爵に甘く溺愛される。
ハッピーバレンタイン!
【『ただ身を委ねて?』系スパダリ溺愛ヤンデレシリーズ第一弾。】バレンタイン仕様です。
キャロット・マリーゴード侯爵令嬢は、『完璧令嬢』と云われる。
ポーカーフェイスで何事もそつなくこなす。
波打つ温かみのある金色の長い髪に包まれた小顔は、人形のように整った造りで大きな瞳はライトブルーの瞳だ。上向きの睫毛に包まれた瞳と、ふっくらした唇と頬。
それでいて身体も華奢で、令嬢達は羨むくびれを見せつけるドレス姿。凛とした伸びた背筋と佇まい。
「キャロット・マリーゴード! お前との婚約をこの場で破棄する!!」
彼女は婚約者の第二王子から婚約破棄を、公衆の面前で言い渡されても、毅然と立っていた。
だがしかし、そう見えたとしても、実は違っていたりする。
「(ひええ~! 無理無理! 無理ぽよ! 夜会で婚約破棄されるとか、詰んだー!! 逃げたい! 逃げたいぃいー!!)」
バクバク跳ねる心臓が、喉から込み上げて口から出ないように、と僅かな力で唇を結んだ。
冷や汗をかかないように、赤面をしないように、平然を装った。
『完璧令嬢』らしく。
○キャロット・マリーゴード侯爵令嬢○
いつだって――――。
心臓よ落ち着け。
――――と言い聞かせている。
周囲にバレないように、深呼吸をして息を整えているの。
さもないと破裂しそうな心臓が送り込む熱で、頬が真っ赤になってしまうから。
「キャロット・マリーゴード! お前との婚約をこの場で破棄する!!」
婚約者から婚約破棄を声高々に言い渡されたことに、心臓はバクバクだ。このバクバクは、マズい。
すぐに血が巡り、顔が真っ赤になってしまいかねない。そうならないように必死に意識をして、ポーカーフェイスを保つ。このしれっとしたおすまし顔のせいで、私はすっかり『完璧令嬢』だと云われているらしいが、長年の努力の賜物だ。
夜会だというのに、婚約破棄。酷い注目の的だ。
じっとりと嫌な汗が背中から湧く。それでも、おすまし顔は崩さない。
第二王子が王家主催のパーティーでやらかしてくれた。
その第二王子の婚約者である私は、失神したい。国王陛下に許しをもらっていないでしょ、絶対。ああ、でも、第二王子を溺愛している王妃様のゴーサインはもらっているのかも。
キラキラした金髪と青い瞳の見目麗しい容姿の青年。だけど、つり上がった眉と笑みは、傲慢さが伺えた。
第二王子のプテルクス・ディロ・ヴァイアス様。
能力は不足しているわけではないのだけれど、見栄っ張りで傲慢なのだ。そして私に劣等感を抱いている。
溺愛している王妃様は、それをくみ取ってやれと何かと苦言を呈してきては、一緒に嫌い始めていた。
学園を卒業して十八歳になっても、結婚の話が進まないのは、きっとそのせい。
王妃様は自分によく似て美しい子だと、自慢なんだとか。
自己投影で、正直気色悪いですわ。二人して自分好き好きでキショいですわ。
そうやって毒舌なことを考えて、熱が集まらないように心掛けた。
「お前は『完璧令嬢』ともてはやされていい気になっているよな?」
いえいえ。必死にポーカーフェイスを保つことで精一杯なだけです。
「お前、学園でピナータに嫌がらせをしていただろ。卑劣極まりないお前を、公衆の面前で断罪する!」
その後ろに立っている儚げ美人のピナータ・ライトリン子爵令嬢のことですか。
白銀髪のロングストレートヘアと碧眼の垂れた瞳。儚げ美人であれど、強かな令嬢だ。なんせ婚約者のいる第二王子にすり寄るんだから。
プテルクス殿下のお気に入りの令嬢。猫を被っておだてるのが上手いのだから、きっと王妃様にも取り入りは成功しているはずだ。あの自分大好き人間には、効果的だろうね。
「これで第二王子のオレの婚約者に相応しくないと証明された!」
いや、不十分すぎるでしょ。
「お言葉ですか、証明はされていません。プテルクス殿下は、証拠を提示しておりません」
しゃんと背筋を伸ばしてそう言葉を返せば、ムキッと眉を吊り上げたプテルクス殿下。短気すぎる。
「わたくし、何も悪いことはしておりませんわ」
威風堂々とした態度を貫いたが、ピナータ嬢がつらそうな表情で俯くから、端から見れば、私はやはり断罪される悪役みたいだ。
「ハッ! 確かにお前は捕らえるような罪は犯していない! だが、精神的に追い詰めた事実は消えやしない! 卑劣だからこそ、オレは容赦しないのだ!」
「つまり、わたくしという婚約者が邪魔で汚名を着せて婚約破棄をして、新たにピナータ嬢と婚約を結びたいがためではないと言えるのですね?」
「っ……!」
図星でしょ。どう声高々に取り繕って、ピナータ嬢を婚約者にすると熱弁する気だったのでしょうか。
でもポーカーフェイスが甘いですね、プテルクス殿下。
貴族達の心証を得て有利にしたいのなら、動揺をしてはいけないでしょうに。
しかし、婚約破棄を突き付けられたのは紛れもない事実。
ので、私は詰んだ。
出端くじいても、私は夜会で第二王子に婚約破棄された傷物令嬢になってしまった。
ひええ~! 無理無理! 無理ぽよ! 逃げたい! 逃げたいぃいー!!
でも、惨めな姿だけは見せまいと、私はツンと顎を上げる。
「婚約破棄は、王家と当家の間で成立させてくださいませ。では、ごきげんよう」
カーテシーを披露して、踵を返す。
カツカツと揺るぎない足取りに見せて、実はガクガクブルグルと震えているので、ずっこけないように全神経を集中した。
前を見据えろ。誰とも目を合わせるな。何も傷ついていないフリを貫け。
そう必死に言い聞かせていたのに、一人、目を合わせてしまった。
艶やかな黒髪の下に、切れ目の夕暮れ色の瞳。
妖しげな色香を漂わせた美貌の黒の公爵様だ。
決して目を合わせていないと自分に言い聞かせて、サッと視線を逸らして、歩き去った。
今頃、父は陛下に抗議をしているところだろうし、私は先に帰らせてもらおう。
傷心しているのだから、これくらい許してほしい。
許してくれるかな……。どうかなぁ。
はぁあああ~!! もう恥ずかしいっ! 嫌ぁああーっ!!
馬車の中に一人になって、私は顔を両手で覆った。
真っ赤になって熱々な顔。パタパタと手を振り回して仰ぐ。
ひぃ~!
公開処刑をされて、もう色々と限界だった。
むしろ、頑張った私……。頑張ったよ……。
あがり症なのに、頑張ったわ。
キャロット・マリーゴード侯爵令嬢である私は、ポーカーフェイスを保つ『完璧令嬢』と云われていても、幼い頃からあがり症だった。
すぐに緊張しては、顔を真っ赤にしてあたふたしてしまう私を、最初だけは可愛いと甘やかしてくれたが、すぐに高位貴族らしくないと叱りつけたのだ。
僅か5歳の私に、母だけではなく、父は激高して赤くなる頬を打った。
幼いながらも怯え切った私は、必死に取り繕うことを身に付けたのだ。
緊張していないと言い聞かせて、心臓を落ち着かせ続けた。淑女の微笑を保つ努力をしたのだ。
決して頬が熱を帯びないように心掛けてきたし、緊張で手が震えたり、声が裏返らないようにしてきた。
第二王子の婚約者となったあとも、学園に入って才女になって『完璧令嬢』と呼ばれても。
私はポーカーフェイスを保っていた。微動だにしない方が、赤面しないから。
でも、いつしか、その私の努力には誰も気付かなくなったし、知ることもなくなってしまった。
だって、父も母も、あれほど怒っていたのに。叱りつけて手まで上げたのに。
あがり症だった過去なんて、綺麗さっぱり忘れているのだもの。
使用人の誰も彼も、婚約者も両親も、私のあがり症を知らない。
これこそ『完璧令嬢』だろうか。
なんて皮肉に考えてしまう。
頑張ってきたのに。まぁ、頑張りすぎて、第二王子とこじれてしまったのだけど。
いや、頑張りすぎてだめって酷くない? 劣等感のダメ王子め。けっ!
王妃様だって、もっと第二王子を立てろとネチネチネチネチ。けっ!
自尊心がちっぽけだわ! もうっ!
すぅーはぁー、と深呼吸して、窓を開けて風を受ける。なんとか火照る頬を冷ます。
家に着いた頃には、なんとか平常時に戻れた。しれっとした顔で馬車を降りて、帰宅だ。
両親が帰ってくるまで大人しく待っていたのは、正解だった。
二人が帰るなり、執事が呼びにきたのだ。
たいそうお怒りではあったが、公衆の面前で婚約破棄をする悪手をしたから、慰謝料はふんだくると息巻いていた。
やはり王妃の独断で許可を出して、第二王子は暴挙に出たのだという。
国王陛下だけではなく、王太子殿下までもが謝罪してくれたとか。
私にも直接謝りたいとまで言っていたらしい。
私へのお咎めは、とりあえず小言で済んだ。
「お前がもっと上手くやっていれば」とか「もっと他に立ち回り方があったでしょ」とか。
これは今のところは小言だけど、次第に鬱憤を晴らすためにお叱りと称してぶつけてくるパターンに違いない。
それでも今のところは解放されたので、部屋に戻って寝支度を済ませてもらい、やっと一人となった。
ベッドの上に倒れ込み、息を深々と吐き捨てる。気持ち的にはドラゴンブレスを吐いている感じで。
もうやだやだ。外聞悪すぎるぅ~。『完璧令嬢』が婚約破棄されてやんのプクッ、って感じでこれから話題になるんだよ、嫌だ嫌だぁああ! 陰でこそこそこそこそ……! ううっ! 想像するだけで胃もたれ!
心臓が嫌な感じでバクバクするー! 眠れなーい!!
第二王子との婚約関係は最悪解消されかねないとは思っていたけれど、夜会で盛大に婚約破棄を言い渡されるとは……。
王家も王妃と第二王子の独断だとしても、身内の保身に走るだろうし、多額な慰謝料で手打ちにしたいだろう。
残るは、傷物の私である。新しい縁談が見込めるかどうか。そうでなくとも、隠れあがり症の私は、また新しい婚約者と交流しないといけないことに心臓吐きそうだわ……ゲロッ。
うーんうーん、と呻いた夜を過ごした翌朝。
早朝から押しかけた父から、とんでもないことを告げられた。
「……ロジェット公爵様から縁談の申し込み、ですか?」
昨日の今日で新しい縁談、だと……!?
しかも、相手は昨日、目がチラッと合ったあの美貌の公爵様だ。
ロジェット公爵様は、二十三歳という若さで最近家督を継いだばかりの若い公爵様である。
名前は、クローディオ様だ。
縁談の話が上がったと浮き立つ令嬢はもれなくその後、寝込む事態になるほどに縁談が進まないお相手。妖しげな色香がこれまた魅惑に惹きつけるのに、難攻不落な男。
ロジェット公爵家は、王家に準ずる由緒正しい家であり、彼自身にも王位継承権があるくらいだ。
王子に続いて身分の高いお方なわけで、どの令嬢も射止めたいのに手が届かずに、ハンカチを噛みしめる。
そんなロジェット公爵様から、私に縁談? 傷物なのに? なんで?
「お前の能力は買ってくださっているのだろう! いいか、逃すなよ! どうせお前にはあとがない! これ以上の嫁ぎ先を逃す手はない! 私達は慰謝料の件で城に行かねばならんから、自分でなんとかしろ!」
拒否権なしの丸投げ!?
いや、確かに今日はすぐに王城に行くって聞いてたけども!!
第二王子の婚約者経由で挨拶しかしたことない方と二人きりとか無理ぽよ~!! いや、厳密には二人にはならないけれど!
私の返事も聞かずに、慌ただしく部屋を去ってしまった父を見送るしかなかった。
……。
…………。
考えてみたけれど、無理じゃなくて!?
公爵夫人!? あの美貌の!? 色香で人を卒倒させそうな公爵様の!? 無理無理無理ぽよん!
私への縁談理由は、王子妃教育を終えた『完璧令嬢』だから、だろうけれど、本当はただの隠れあがり症なのよー!!
もう無理。隠れるの無理。もう頑張れない無理。
私は、意を決した。
ロジェット公爵様には、ありのままを打ち明けて縁談をお断りさせてもらおう!!
●クローディオ・ロジェット公爵●
キャロット・マリーゴード侯爵令嬢のことは、以前から知っていて気になってはいた。
第二王子の婚約者となったその令嬢は、『完璧令嬢』ともてはやされるほどに威風堂々とした態度と姿勢、そして能力を兼ね備えていたのだ。
そんな彼女に婚約破棄を突き付ける第二王子には、ほとほと呆れた。
公衆の面前で突き付けなければ、婚約を破綻に出来なかったのだろうかとさえ勘ぐる。
それほど彼女には、瑕疵がないのだろう。
やれやれ。陛下は何をやっておられるのだろうか。
流石は『完璧令嬢』と呼ばれるマリーゴード侯爵令嬢。
何も悪くないと言い切っては歩き去ろうとした。
ちゃんと第二王子の思惑を阻止するような釘さしもしたのだ。そう上手くは、婚約者のすげ替えも出来まい。
ふと。
歩き去る彼女と目が合った。
ほんの一瞬の出来事。
それこそ瞬き一つで終わるような刹那。
温かみある色合いの金髪をふわりと包まれた小顔の彼女の瞳は、正反対に凍てつくようなライトブルーの瞳だと云われていたのだが、その瞬間だけは、そうは見えなかった。
そのライトブルーの瞳は、潤んでいたのだから――――。
あんなに毅然としていたのに……泣くのか?
心配が過ったが、逃げるようではなく、威風堂々と立ち去った彼女の後ろ姿は、そうには見えなかった。
だからこそ、追いかけなかったのだが、どうにも気になって仕方ない。
早めに終わった夜会中も、馬車に揺られている間も、目に焼き付いて離れなかった。
夜中でも彼女のことばかりを考えてしまった私は、彼女に縁談を申し込む結論を出す。
頭から離れないマリーゴード侯爵令嬢は、能力が申し分ない人材だ。『完璧令嬢』の彼女を求めるのは、何も不思議なことでもないし、なんなら縁談が殺到しかねない。ならば善は急げだ。
夜中だったため、朝一番に先触れが届くように手配をした。
念のために、国王陛下宛にも、マリーゴード侯爵令嬢に縁談を申し込む旨を伝える手紙を送る。それは一言伝えるためでもあったし、国王陛下から新たな縁談を押し付けないように先回りするためでもあった。お詫びと称して縁談を出されてはたまったものではない。
なんなら、私こそがお詫びの縁談先になっても構わなかった。
ロジェット公爵家は、王家のスペア的存在なのだから、お詫びには十分だろう。
両親から受け継いだ美貌は、両親をも超えて、人を惹きつけるものとなった。
何もしていなくとも惑わしているとまで言われるこの容姿が原因で起こりうることを防ぐために、両親は人員を惜しまなかったので、酷い目に遭わずに済んだ。ただ、どんな目に遭いかねないのか、幼少期から言い聞かせられたから、その頃から人間不信に陥っていってはいたが。
それ相応の年齢になって、婚約者決めを始めたが、相手の令嬢は私の容姿に目を奪われすぎてロクに交流が出来ない問題が起きて、婚約は不成立に終わることが立て続けに起きた。
それは家督を継ぐまで続いてしまい、結局、公爵夫人になるよきパートナーには巡り合えなかったと、私は未婚のままとなった。
『完璧令嬢』と呼ばれるマリーゴード侯爵令嬢ならば……。
そう過ったことは、一度や二度ではない。
その時は第二王子の婚約者だからと諦めていたが、こうなればぜひともよきパートナーになってもらおう。
頭に浮かぶのは、あの刹那の潤んだ瞳だが、朝になってから余裕を持ってマリーゴード侯爵邸へと出向いた。
先触れの返事では、マリーゴード侯爵夫妻は王城に行かないといけないと書かれていたため、ご令嬢と二人で交流を深めてくれと暗に記されていた。
マリーゴード侯爵は、私との縁結びはやぶさかではないということだろう。
他に縁談相手がいないようなので、一先ず安心だ。
あとは、本人の意思か。
さて。どうなることか。
「ようこそ、ロジェット公爵様。マリーゴード侯爵夫妻は不在のため、わたくしが対応させていただきます」
玄関先で出迎えてくれたマリーゴード侯爵令嬢は、優雅なカーテシーを披露した。
温かみのある金髪の彼女に似合うオレンジ色のドレス姿。手には薔薇色の扇子を持っていた。
昨日は貴族達の公衆の面前で恥をかかされたというのに、やはり毅然とした姿勢と態度だ。
あの潤んだ目は気のせいだったのだろうか、と思い始めた。
応接室へと案内されて、お茶でもてなされる。
こうして二人向き合っていても、見惚れた様子はない。流石だな。
「昨日は災難でしたね、マリーゴード侯爵令嬢」
「ええ、そうですね。わたくしに非がないとはいえ、大恥をかかされてしまいました」
昨夜の心情を探ってみたが、フッと目が伏せられる。
おや、と思う。やはり傷ついていないわけではないのか。
「そんなわたくしに縁談とは……。どんなお考えの元でしょうか?」
「それはもちろん、あなたほどの能力をお持ちの令嬢などいません。ぜひともよきパートナーとして、公爵夫人となっていただきたいと思い、我先にと申し込ませていただきました。……こちらの配慮が足りないのは重々承知。申し訳ございません。しかし、あなたの評判は皆が知るところ。殺到する前に、と思いまして」
「……」
おや……?
手ごたえがない。期待した反応とは違う。
マリーゴード侯爵令嬢の顔は、曇って見えた。
噂の『完璧令嬢』なら、ポーカーフェイスを保ちつつ、喜んでこちらの手を取って返り咲きそうなものなのに……。
何か懸念でもあるのだろうか。
「もしや、第二王子殿下にまだ御心が?」
「は? いえ?」
「……おや」
思いもしなかった質問だったようで、素っ頓狂気味な声が零れて、マリーゴード侯爵令嬢は扇子で口元を隠した。
特に第二王子を慕っていたわけではなかったのか。見た目通り冷めていたということ。
それは安心だが、他にすぐに手を取ってくれない理由が思いつかない。
「……公爵様。申し訳ございませんが、二人きりでお話したいことがあります」
「…………わかりました」
応接室の中には、彼女の侍女や護衛、そして私の側近と護衛もいた。
未婚の令嬢だから扉は片方だけ開ける処置をして、他は退室してもらった。
躊躇する理由はなんだろうか。深刻な雰囲気だと感じ取れた。
「第二王子殿下に婚約破棄を突き付けられても、このわたくしの能力を買われてこうしてありがたい縁談を申し込んでくださったことを、心より感謝いたしております」
建前だな……。
やや重たい口調で一体何が言いたいのか、私は黙って待った。
「ですが……。わたくし……」
ふっくらした唇が、開閉しては僅かに震える。
その唇から出される声を聞き逃さまいと、少し身を乗り出す。
「その……」
「……?」
「私、実は……」
マリーゴード侯爵令嬢の頬に赤みがさし始めた。
ライトブルーの瞳は潤み、恥ずかし気に伏せられるその表情で。
「あがり症なんですっ!!」
と、小声で叫んだ。
「……あがりしょう」
じっくり噛み砕いて、理解しようとした。
別名、対人恐怖症だったか……?
不安などで緊張してしまい、まともに交流が出来ないような症状……。
「はいっ! 幼少期から極度のあがり症でしてっ! 人と接するとすぐに顔を真っ赤にしては緊張で震えてしまって!」
よく聞けば、震えて聞こえるか細い声。
女性らしい膨らみのある頬は、真っ赤になってしまっていて、それを隠すように扇子で口元を覆う。
「な、なんとか、ポーカーフェイスを保って社交界でも隠し通してきましたっ……! 第二王子の婚約者として努力をしてきました……でも、でも……」
うるうるとしたライトブルーの瞳から、涙が落ちそうだった。
「もう持ちませんっ……! このあがり症を隠し通して、公爵夫人を務める自信がないのですっ……!」
今にも泣いてしまいそうな令嬢は。
あまりにも。
そう。
――――可愛い。
え。かわ。可愛い。
なんて可愛いのだろう。
このときめきはなんだ。
今までどの令嬢を見ても、こんな気持ちになったことはない。
小動物の赤子を見ても、これほど心を動かされたことはない。
胸が高鳴る。可愛い。ああなんて可愛らしいんだ。
あんなに気丈で、威風堂々としていた『完璧令嬢』なのに、一転。
耳まで顔を真っ赤にして、プルプルと震えた幼く見える少女。
「こ、こういう事情なので、能力を買っていただいても、わた、私にはこの縁談を受ける資格は」
「断らないでくれ」
「はい?」
彼女の口から断りの言葉が出る前に阻止して、私は立ち上がると、彼女の横で跪いた。
「あがり症なのは理解した。でもそんな君でもいい。どうか私の妻になってくれ」
彼女の右手を両手で包み、求婚する。
「へっ……!?」と、びくりと震え上がるマリーゴード侯爵令嬢。
「どんなあなたでも受け入れるよ」
自分でも甘ったるい声を出してしまっていることを自覚してしまう。
だって、彼女があまりにも愛おしいのだ。
誰かが私には人を惑わす色香が漂っていると言っていたが、それを使ってでも彼女を逃がしたくなかった。
さらに真っ赤になった気がするマリーゴード侯爵令嬢は、パクパクと口を動かして呆気にとられている。
毅然としていた『完璧令嬢』から、この恥じらう真っ赤な顔を見てしまっては、胸が異様に締め付けられた。
これがギャップにやられるということなのだろう。
それは意図したことではないのだから、堪らない。
当の本人は、逃げたそうに身を引き始めた。
「キャロット嬢……いえ、キャロット。どうか、私の妻に」
ほう、と吐息を零して、キャロットの手の甲に口付けを落として希う。
公爵夫人に見合う能力を発揮出来なくても構わない。
私はこの令嬢が欲しい。何としてでも手に入れる。
こんなにも愛らしいあなたを、逃がさない。
どんな手を使ってでも――――。
○キャロット○
実はあがり症だって打ち明けたのに、何故かその場で求婚されてしまった……!
色香が……! 色香がすごすぎる……!!
久しぶりに人前で赤面したこともあって昨日の婚約破棄を遥かに超える緊張に襲われて心臓が破裂寸前だったのに、色香で迫られて心肺停止寸前だ! 心臓の前に、頭が熱で爆発するかも!
「で、で、ですがっ、公爵様っ」
「キャロット。どうか、クローディオと呼んで?」
すっごい距離詰めてきた!? 呼び捨てだし! 嫌じゃないから別にいいのだけれど、でも、でもっ!
声が甘すぎて、痺れてくる不思議な感覚に襲われます!!
「く、クローディオ様っ……」
声が上ずるけれど、そのまま言葉を続けないと! 話が進まない!
「私は公爵夫人を、つ、務めら」
「ああ、いいんだ。無理させない。だから安心して嫁いでくれ」
え? む、無理させない? え??
ど、どういうことかと瞠目してしまう。
「キャロットは無理してあがり症を隠して務められないことが心配なのだろう? ならば、無理しなくていい。私は妻をとことん甘やかすことにした」
「え? した? え? で、でも、そんな、公爵夫人のお仕事をしないと、意味がないのでは」
「私の妻になる君は、ただ私に愛されればいいんだ。それがお仕事だよ」
ふわりと微笑むクローディオ様は、甘い。なんというか、雰囲気が甘ったるすぎる。
呑まれてクラクラしてしまった。
いや、言っていることに理解が追い付かなくて、混乱を極めてもいるせいだけれども。
「キャロットは、私に愛される妻になることは嫌かい?」
「へっ!? ひえ?」
反射的に、いえと否定したかったのに、思いっきり裏返った。
「それならいいじゃないか。私の元へ嫁いでおくれ」
優しく笑いかけるクローディオ様は、やはり……甘い! なんて甘さなんですか!
黒髪だから、なんというか、まるでチョコレートです!! チョコレートの甘さに似てます!!
「今まで頑張ってきた君のご褒美は、私の妻の座だ。とことん妻を甘やかす私の元へおいで」
あれ。これ私、誘惑されていない?
チョコレートのような甘さで、惑わされていない? 色香やべーですわ。
身を引きたい私の隣に腰を下ろして、ギュッと両手で手を包み込むクローディオ様は離れてくれない。
「ところで、君のあがり症は他に誰が知っているんだ?」
「え? あ、えっと……誰も」
「誰も? じゃあ私だけ?」
驚いたように夕暮れ色の瞳を見開いたクローディオ様だったけれど、嬉しそうに顔を綻ばせた。
うっ! なんて心臓に悪い笑顔なんでしょう! ズキュンと貫いてくるわ!
「ちゃんと明かしてお断りをしないとと思い」
「そうか、誠実だね。今まで一人で頑張ってきてえらいね」
クローディオ様の手が、私の頭を撫でた。
労われるなんていつぶりだろうか。それもあがり症を隠していることに対してなんて、初めてかもしれない。
だから、じわりと涙がにじんできてしまい、ツンと鼻先が痛くなった。
「ああ、可愛いキャロット」
可愛いキャロット!?
かけられた言葉に驚く間もなく、ギュッと抱き締められてカッチーンと硬直した。
「もう大丈夫だよ。私がなんとかするから……君はただ身を委ねて?」
ドロドロに溶かしたチョコレートのように絡みつく甘さ。
妖艶な低い声が耳に吹きかけられて、やっぱりクラクラしてしまう。
どうやら、私はクラクラしている間に、返事をしてしまったようで、満足げな顔をしたクローディオ様が「決まりだね」と言って放してくれた。
「キャロットは公爵夫人教育を受けるという名目ですぐに公爵家に移ってくれ」
「え! すぐに!? ですか!?」
「うん。その方がゆっくり出来るだろうからね」
「い、いえ、でも、私……昨日の今日ですし」
新しい婚約者の元に移り住むってことでしょ?
もっとほとぼりが冷めた頃に調節した方がいいのでは。
「君のことを理解した私の元に移り住んだ方が、絶対いいよ」
私の手をまた取っては包み込んで、真剣に言い聞かせてくるクローディオ様に、な、なるほど……? と戸惑いながらも納得する。
…………めちゃくちゃ流されていないかしら? 私。
「とりあえず、今日は君の部屋を用意させるから、チラッとこの家の君の部屋を覗かせてもらってもいいかな? それに合わせる感じで準備させるから」
「えっ、そ、そこまで気を遣わなくても」
「だめだよ。君に不自由をさせない。慣れ親しんだ場所でゆっくりしてほしいからね」
そう言ってクローディオ様は私の手を引いて立たせる。これは私の部屋に案内すべきか。
ちゃんと頬の赤みを引かせてから、エスコートをしてもらおう形で、私は廊下を出た。
「そうだ、今回の婚約破棄の件だけど、一体どういうことなんだい?」
「えっと……それは」
「第二王子の暴挙なのだろう? それを許したのは、第二王子を溺愛している王妃ってところ?」
「……あくまでわたくしの予想ですが、恐らくそうでしょう。両親があの直後に国王陛下と話をしましたが、国王陛下と王太子殿下から謝罪をいただけたそうです。慰謝料で手打ちという形になります」
やれやれとクローディオ様は呆れたため息をつく。
王妃が自分によく似た第二王子を溺愛していることは有名なのね、としみじみ思う。
「第二王子殿下はわたくしが優れていることが気に入らなかったようで、学園に通っている頃から拗れてはいました。王妃様は第二王子殿下を立てろと執拗に言ってきましたけれど、すでに嫌われていました。逆に、くだんのご令嬢は人を立てることに長けているようなので、次の婚約者にしたかったでしょうね」
「でも君がそれを阻止した」
おすまし顔で淡々と語ると、隣でクローディオ様は面白そうに笑いかけた。
そうですね。恐らく、婚約破棄を突き付けて、私が動揺している隙に、新たな婚約者を発表することが、計画だったのだと思います。
私は先回りして、発表出来ないように阻止したけれども。
公衆の面前で婚約破棄を受けた私からの精一杯の意趣返しである。
私の部屋を廊下から覗き込んだクローディオ様は「何か要望はあるかい?」と私の部屋の希望を尋ねてくれたが、特にないと答えたのに「では後々変えていこうね」と言われてしまった。
いや本当にないのですが……。
「あ、そうだ。私達の婚姻は王命でなるべくすぐに済ませられるようにするから、そのつもりでね」
帰り際に爆弾発言を置いて行って、クローディオ様は私の手の甲にキスを落として、帰っていった。
……。
…………王命ですぐ結婚とは!!? なにゆえ!!?
取り残された私は、流石に冗談ではないと思い、一先ず荷造りを指示した。
慰謝料を盛大にいただく確約を得て帰ってきた両親にも、縁談は先方の希望ですぐに婚姻をしたい上に、公爵夫人教育を受けるために家に移り住んでほしいと言われたと伝えた。
呆気にとられた両親は、よっぽど能力を買っていると解釈して「でかした」と褒めるだけで特に反対をしなかった。
能力はともかく、とりあえず嫁いでほしいと言われているのだけれど……。
それは私も消化出来ない疑問が大きいので、伝えないことにした。
「クローディオ様は王命で婚姻を確約するつもりのようです」
と、付け加えるには衝撃な一言も伝えたら、目を点にされた。
ですよね。私も自信なくなってきました。もしかしたら、空耳かもしれません……。
そう思ったのに、翌日、彼は王命の勅命書を持ってやってきた。
クローディオ・ロジェット公爵とキャロット・マリーゴード侯爵令嬢の婚姻を直ちに認めるというもの。
「キャロットを、私の嫁にいただきます」
清々しいほどに爽やかな気分の様子で、煌びやな喜びがこもった瞳を細めて、笑いかけたクローディオ様。
そんな彼に、婚約破棄をされた翌日に求婚されて、そのまた翌日には嫁に貰われてしまいました。
正直、あまりにも展開の速さについていけないし、彼の仕事の速さに震えた。
●○○○●
サリヴァン・ディロ・ヴァイアス国王は、疲れを感じていた。
ティアラナ・ディロ・ヴァイアス王妃が第二王子の暴挙を許したせいで、何年も王子妃教育を受けて誠意を尽くしてくれていた家臣の令嬢を辱めたのだ。こちらもそれ相応の誠意を返して謝罪を示さないといけない。
よって、怒気を放つマリーゴード侯爵家には、誠意を込めての謝罪をしたあとに納得いく慰謝料を提示したかった。なのに、ティアラナ王妃は不貞腐れてまともな謝罪をしてくれない。
原因は王妃の財産からも、慰謝料を加えたのだが、それでへそを曲げているのだ。当然の罰だというのに。
王妃といえど、その態度はよくない。
目をカッと見開いて殺気立つ侯爵夫妻と子どものような態度の王妃の板挟み。
辟易する国王は、なんとか乗り越えた。
なのに、ほぼ入れ違いで、クローディオ・ロジェット公爵が、登城してきたのだ。
なんとか乗り越えられたのは、クローディオがくだんの婚約破棄の相手の令嬢であるキャロットに縁談を申し込みたいと話を通してくれたからだ。クローディオが新たな縁談を申し込んだことは、切り札となってくれた。だから、無下には出来ず、会うことを承諾した。
「キャロット嬢から承諾を得られましたので、すぐにでも婚姻します。その許可を王命でください」
国王も王妃も、にこやかに宣言したクローディオの要求に、ポカンと呆気にとられる。
「王命であれば、婚約期間をすっ飛ばして婚姻が出来ましょう。王家のスペアであるロジェット公爵には、夫人が必要です。キャロット嬢は申し分のないご令嬢だと周知の事実ですので、このままでは縁談が殺到してしまいます。よって、王命で知らしめてください。私の伴侶になるのだと」
通常、貴族の初婚は婚約期間を設けるのだが、それをすっ飛ばすために王命を出す。
国王は理解が追い付かず、瞠目した。
「理由は、王家の失態のお詫びという名目でお願いします。それで私が切望したためにこの婚姻が成立したと」
「ま、待って! 王家の失態!? それではわたくしの息子が悪いと全面的に認めることになるじゃない!」
ハッと我に返った王妃が、待ったをかける。
王家のお詫びとして、他からの縁談を阻止して婚姻を成立させる王命など、冗談じゃない。
愛おしい息子が全面的に悪いことになってしまう。
そこで夕暮れ色の瞳が鋭くなり、気のせいであってほしいが、鋭利に赤く光って、王妃は肩を僅かに震わせた。
「全面的に認めていないということでしょうか? 一体、キャロット嬢にどんな瑕疵があって、あのような暴挙を受けることとなったのでしょうか?」
「だ、だから、ピナータ嬢を精神的に……追い、詰め」
クローディオはゆったりした口調なのに、締め付けるような圧迫を感じる問いかけに、王妃は息苦しさを感じる。言葉に詰まった。
「夜会の場でも聞きましたが、その証拠はあるのですか? 目撃証言だとか」
「それは……」
「精神的に弱いとなれば、次の王子妃候補には向きませんね」
「っ!!」
にこりと言って退けるクローディオは、キャロットを真似た。先回りして、阻止してやったのだ。
精神的に追い詰められたと主張するピナータは、王子妃を務められる精神を持ち合わせていない、と。
真っ赤になって扇子を握り締める王妃を見る限り、ピナータを次の息子の婚約者にしたかったのは明白だろう。例え、それらしい目撃証言を揃えられようとも、こちらはこちらで手が打てる。
キャロットの意趣返しに便乗出来てよかったと、ほくそ笑むクローディオ。
「それでは王家の威厳が保てませんわっ!」
足掻く王妃を冷たく見据えたクローディオは、長い足を組み直した。
「威厳を損なったのは第二王子殿下の行いでは? 我がロジェット公爵家が尻拭いをしましょう」
最も、それは建前だが。
動揺して真っ赤な顔でキッと睨みつける王妃と、先程会っていたキャロットが違いすぎて、クローディオは冷めた気分で告げた。
「それとキャロット嬢は私の妻となります。ロジェット公爵家の人間となる彼女に無用な手出しをするなら、それ相応の代償を支払うことになるとゆめゆめ忘れないでください」
これは親切な警告。
ロジェット公爵家は、王家のスペア。王家が民を裏切るようなことをすれば、新たな王となるべく存在している。
いつの時代でも、王家を押し退ける力を有する公爵家は、いつでも寝首を掻く力さえ持っているということだった。
すでに、第二王子が私欲に走った暴挙をしたあと。尻拭いと称されたあとでは、脅しも効果的。
暗に、王家に成り代わるぞ、と脅されているように解釈も出来てしまう。
相応しくない王家は、淘汰される。その力が集うのは、王家のスペアである公爵家の下だ。
国王と王妃は、肝が冷えた。
完全にクローディオの冷たい黒の威圧に呑まれたのだ。
国王もこんなことで玉座を奪われてはたまったものではない。
すぐさま、玉璽を捺した勅命書を作成して、クローディオに渡したのだった。
満足げにクローディオは「婚姻発表のパーティーの主催もお願いしますね」とだけ告げて去る。
確かに王家主催のパーティーが効果的だろうが、丸投げであった……。
「これでは、プテルクスの新しい婚約がっ」
悔しいとハンカチを噛みしめる王妃。
愛しい息子の恋の成就が出来ないと涙をにじませるが、そんな母親心など国王は理解したくはなかった。
「もう余計なことをするな。キャロット嬢に関して、何かしてみろ。私はお前もプテルクスも切り捨てるぞ」
「なっ……!!」
「理由はわかっているだろ」
「っ……!」
淘汰される王族にはなりたくない。
ロジェット公爵家は敵に回してはいけないのだ。
「プテルクスには、くだんの令嬢のことは諦めろと伝えろ」
もう関わりたくないと国王は、執務室から王妃を追い出す。
どう息子にお気に入りの令嬢を諦めさせればいいのか、王妃はオロオロと視線を泳がせ始めた。
間もなくして、急遽開かれた王家主催のパーティーにて。
クローディオの瞳の色の夕暮れ色のドレスを身にまとったキャロットは、彼との婚姻を発表された。
王家からは「優れたキャロット・マリーゴード侯爵令嬢へのお詫びとして、誰にも邪魔されない婚姻を与えたのだ」と言い、クローディオ本人は「完璧なキャロット・マリーゴード侯爵令嬢を我が妻として手に入れるために王命で守っていただき、婚姻に至りました」と公表した。
二人の婚姻は、王命に硬く守られたものであり、揺るぎないという証明は、一度王家の方から婚約破棄した謝意も示されているし、クローディオが強く望んでいる証明もされた。
あまりにも速い異例な展開に呆気にとられる貴族達は、クローディオがとろけるほどに熱い眼差しをキャロットに注ぐ光景を目の当たりにして、納得することとなった。
難攻不落な男を射止めたのは『完璧令嬢』なのだと――――。
こうして、キャロット・マリーゴード侯爵令嬢は、キャロット・ロジェット公爵夫人となった。
その後。
公爵家に住み始めたキャロットは、初めは何もさせてもらえなかった。
執事に侍女に「奥様はゆっくりなさってください」「旦那様から休ませて差し上げるようにと仰せつかっております」と言われてしまい、王家主催のパーティーの公表から数日はじっとしていたのが耐え切れなくなって、クローディオへ直談判した。
「私が何かしたらご迷惑ですかっ?」
能力は評価されていても、働きは期待されていないのか。逆に迷惑なのかと不安になったキャロットは、すでにあがり症を告白したこともあって、クローディオに尋ねた時には涙目になってプルプルと真っ赤になって震えていた。
ズドンと、クローディオの胸を撃ち抜いた一撃だった。
我が妻が尊い。
「そんなことはないよ。したいことをしてもいい。でも約束して? 絶対に無理はしないように」
クローディオは優しく包み込むように抱き締めたあと、両頬を包み込んで言い聞かせた。
許可がすんなり下りて、キャロットはぱぁああっと明るい笑顔を咲かせた。
その次の瞬間、唇を奪われた。初めてのキスだった。
そもそも、キャロットに公爵夫人の教育はさほど必要なかった。
あと必要だったのは、ロジェット公爵家についての知識だ。
王子妃教育で、ロジェット公爵家が王家のスペアと学んでいても、想像を超える力を持っていると知って慄いた。
第二王子の婚約者時代よりも、軽く超える護衛態勢で守られていることに驚いている。
やりすぎでは? と執事に確認したが「奥様に汚い指が一本触れただけで、我々の首が物理的に飛ぶので」と涼しい笑みで言い退けられた。
指が触れただけでアウト判定なんだ……。
しかも、連帯責任で物理的に首が飛ぶの……。誰に、とかは絶対に聞かない方がいいよね。
キャロットはおすまし顔で引き下がっておいた。
侍女だけではなく、令嬢や夫人も暗部に関わっているまたは理解ある者だけに近付くことをクローディオが許可しており、キャロットは完全に安全地帯にいる状態だった。
それでも、あがり症のキャロットを考慮して、お茶会による交流は最小限にされている。そこはキャロットが頑張ると言い張る前に「お願いだ」と両手を握り締めて見つめて、クローディオは頷かせていた。
そしてあがり症のキャロットのために、最小限の結婚式を行うことになっている。
王命の婚姻なら盛大の方がいいのでは? とキャロットは首を傾げたが、そこは質を最大限に高めるとクローディオは言い切った。
そういうことでキャロットが身に着けるウエディングドレスなどは最高級な素材をふんだんにあしらうため、職人が悲鳴を上げながら取り掛かっていたりする。
本当に信用が足りる身近な者達だけに参加を許す”身内だけでこぢんまりの挙式”が、着実に準備されていた。
ちなみに、クローディオは言い訳で「妻のために最大限にいい結婚式を挙げるが、短時間の準備だからこぢんまりになってしまう」と言いふらしている。
本当の意味で結ばれるのは結婚式まで待つ。
そういうことで、書類上は夫婦関係にあるキャロットとクローディオだが、夜の寝る前の時間はたっぷりと戯れている。
クローディオはキャロットを膝の上に乗せて、じっくりと愛でるように長い長い啄む口付けをした。
何日経とうが、キャロットは真っ赤になってしまい、必死に息継ぎをしてきゅうっと目を閉じている。
その顔がその反応が、愛しくて堪らないと、目を細めて眺めて口元を緩ませるクローディオ。
「まだ緊張する? キャロット」
とびっきり甘く呼びかけて、頬を撫でつける。
「す、すみません……ドキドキが止まらなくて」
開かれた瞳は潤んでいて、キャロットは胸を押さえる。
その仕草にも言葉にも、ゾクゾクしてしまうクローディオがそこにいた。
「どんな風にドキドキするの?」
「あっ……」
唇を寄せて囁くが、またキスをすると思わせて、焦らす。
期待が外れたのか、残念そうな声がキャロットの唇から零れ落ちる。
今すぐ掻き抱きたい衝動をグッと堪えて、クローディオは鼻先をこすり合わせて答えを促す。
「クローディオ様は……甘いんです……とろとろに溶けてしまいそうです。チョコみたいに」
自分の両頬を押さえ込み、うるうるしたライトブルーの瞳を、二人の前にあるテーブルの上に置かれたチョコレートに向けた。
「ふむ……チョコか」
クローディオ様は一つ、手に取る。ブランデーのおつまみに置かれた生チョコの一粒。ココアパウダーが指につくが、お構いなしでクローディオはキャロットの口に押し込んだ。
「では本当にチョコみたいか、確かめてみよう」
「ん!?」
間も置かず、クローディオはキャロットの唇を奪う。もちろん、キャロットの口の中には生チョコがある。
それを転がすようにねじ込んだ舌で動かしていく。
二つの異物が口の中に入ってきて、キャロットは「ふうぅ」と息苦しそうにもがくが、クローディオは片腕で抱き締めて離さない。
二人の熱ですぐにとろける生チョコが、甘さを広げていく。その生チョコのとろみがキャロットの口の中からなくなるほどに、クローディオは舐めとった。終わる頃には、キャロットもくたりと力を抜けて、息も絶え絶えだ。
「んー? すまない、キャロット。よくわからなかった。でも君はチョコが好きだよね? だから私の甘さだって好きだってことだよね? ね?」
とろける熱のこもった夕暮れの眼差しで、腕の中で呆けているキャロットにとびっきり甘く問いかけるクローディオ。
「好き、です……」
「ふふっ……私も大好きだよ、キャロット」
ちゅ、と唇に軽く吸い付くクローディオは、そのまま少し横にずれて、かぷりと真っ赤なキャロットの頬を軽く歯を立てるようにかじりつく。
「真っ赤な頬、可愛すぎて食べちゃいたい」
ちゅっ、とリップ音を立てて、頬から唇を離す。
……もう食べてませんか……?
真っ赤に呆けたキャロットは、生チョコと一緒に食べられた気がしてならない。
「もう一個食べる? 生チョコ」
「んぅっ」
またもや生チョコを口に入れられたキャロットは、再び生チョコの深い口付けで味わわれることになり、そして終わった頃にはクローディオの腕の中で力尽きた。
愛らしく真っ赤になるキャロットを、たっぷり甘やかすクローディオの溺愛は、まだまだ止まらない――――。
ハッピーエンド。
【『ただ身を委ねて?』系スパダリ溺愛ヤンデレシリーズ第一弾。】
バレンタイン仕様で、仕上げてみました。
私からのハッピーバレンタインですわよ!!
読んでくださり、ありがとうございます!
本当はもっと、スパダリ発揮して、ヤンデレな溺愛でイチャラブ書きたかったのですが、
やる気になった時にイベントに乗らないと!(`・ω・´)
【自力で現状打破する令嬢シリーズ】とは真逆で、ざまぁもお任せヤンデレヒーローモノを書こうかってなりました。
ひたすら甘やかしてデロデロにしちゃうスパダリ。
まだまだやる気があれば、長編バージョンも書いてみたいですね! もっとデロ甘い感じで!
書いてて思ったのは、ややソフトSっ気出てるなこのヒーロー……でした。ヒロインがMっ気出てるせいでもあるんでしょうかね。イチャラブしてくれ!
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ポイント、ブクマも、大歓迎です!
2024/02/14◇
【追記2024/10/30】
コミカライズ発売しました!
あがり症キャロットちゃんと美の黒公爵様が表紙!
『不幸令嬢でしたが、ハッピーエンドを迎えました アンソロジーコミック③』
他作品もワクワクしていたので、読みます(^^)
皆さんも、ぜひ買って読んでくださいね!