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7 非日常の始まり・1


 朝、いつもどおり食堂で朝食をとってから仕事に出ようと思って寮の扉を開けた。それだけだった。

 目の前の光景を見て、メローレアは確信した。


 ──度肝を抜かれるとはこのことだ、と。


 メローレアが住むこの聖女寮の廊下は、素朴な木のフローリングと真っ白な壁紙で構成されている。

 清潔ではあるものの味も素っ気もない。もちろん調度品もない。


 そんな質素な廊下に優雅に跪く皇子殿下はといえば、安定の美貌でキラキラと輝いていた。


 いや。時と場所を考慮してきたのか、昨日の装いと比べても一段シンプルな格好をしてはいるようだ。


 白地のシャツに、グレー色のスラックス。装飾品の類も一切つけておらず、服だけ見れば地味と言えないこともないだろう。


 服だけ見れば、だ。


 太陽を手で隠しても光が溢れ出すのと同じだ。

 どんな服を身に付けても、彼は圧倒的な魅力と輝きを放つ。

 

 つまり、質素な廊下とシュトルヒの取り合わせは、あまりにも不似合いで、まるで病気の時に見る幻覚のようだということだ。


「あの……。何して」


「おはよう、メローレア。昨日はよく眠れた? 僕は君のことを考えてたらあまり眠れなかったけど、君と朝食をとりたくて頑張って早起きしたんだ」


(褒めて、みたいな顔をされても……)


 戸惑い以外の感情が生まれてこない。


 その時、聞き慣れた足音が廊下の向こうから近づいてきた。


「あっ、メロー。おーはよっ。一緒に朝ごはん食べ……よ……」


「ああっ、ララ!」


 まずい、と思った時にはすでに、運悪くララがやってきて、憧れの皇子様を目の前に機能停止してしまった。


「ララ! ララ、気を確かに!」


「僕が先にいたのに、その子に構うのか」


「ひぇ、イケボ……」


 ララがガクガクと震え始める。


「殿下、お願いですから静かにしていてください! ララーっ!」







***




(せめてこの状況を夢に見られていれば、心の準備ができたのに。ままならない、私の夢見……)


 神殿の質素な食堂に突如舞い降りた神の如き存在──もといシュトルヒ皇子殿下に、朝食で混む時間にもかかわらず、あたりはしんと静まり返っている。


「ねぇねぇ、殿下はどうしてこちらにいらっしゃったんですか!?」


 ……脅威の適応力でシュトルヒに馴染んだララ以外は。


「神殿に来た偉い人はたいてい、神官長様とか偉い人たち同士でお話しすることが多いんですよ。私たちと顔を合わせるなんてほとんどないのに」


「そうなの? それは勿体ないね。ここにはこんなに素敵な聖女様がいるのに」


 そういってこちらにチラリと視線を送るシュトルヒに、メローレアはどうか自分に話が振られませんようにと願いながら、そっと目を逸らした。


(ああ、これ以上なく目立ってしまっている。普通の見習い聖女から遠ざかりたくないのに……)


 そんなメローレアの願いとは裏腹に、ララはシュトルヒの態度から何かを感じ取ったようだ。カッと目を見開く。


「もしかして! メローと何かあった、とか……!?」


「うん、実はそうなんだよ。ここに来た日に、メローレアに命を救ってもらってね」


「それって、メローが急に用事があるって言って仕事を休んだ日です! メローは仕事熱心だから、そんなこと出会ってから初めてだったんですよ! そんな珍しい日に出会って命を救っただなんて、こんなのって」


 ララがキラキラの瞳でこちらを見る。


「運命……!」


「もちろん、たまたまです!」


 メローレアはすかさず訂正した。


「たまたまだなんて、寂しいな。僕は、神様が定めた運命だって信じてるのに」


「からかわないでください! 違うでしょう? 私が用事に行こうと通った森で、偶然、殿下が襲われていて、偶然、私が攻撃に気付いたのでしたよね?」


「うーん。君がそう言うのなら、そうだってことにしておくよ。君は僕の大切な聖女様だから」


 整いすぎていて表情がなければ彫刻のように冷たく見える美貌が、甘やかな微笑みを湛える。紫色の瞳は優しく蕩けるよう。


 そのまま、綺麗に整った指先がゆっくりと近づいてきて、メローレアの顔にかかった髪をさらりと通り過ぎた。


「……っ」


 どきり、と心臓が激しく波打った。


 けれど近くの席に座って食事をしながら興味津々でこちらの様子を窺っていた聖女が数人、悲鳴をあげて卒倒したので、そちらの方にさらに驚いた。


「大変……! みなさん、気を確かに」


 駆け寄って覗き込めば、目はしっかり開いている。


「大丈夫。大丈夫よ。あまりの眼福にむしろ幸運を噛み締めてるから、そのまま続けて」


「わたくしは絵を描くのが得意なの。今日の光景はあとで絵画にして飾るわ」


「絵だなんて羨ましい。私には絵の才能がないから、瞬きをせずに鑑賞することで心の目に焼き付けるわ」


「ああ。彼の髪は月の光。彼の瞳はアメジスト。素晴らしい詩が浮かぶ予感」


 床に蹲ったまま、全員目だけはしっかりとこちらを見続けている。怖い。


「……どうして肝心のメローレアにだけ、僕の魅力が通用しないんだろう」


 小さくて聞こえない声でシュトルヒが何か呟く。

 背後に控えて沈黙を守っていたルペが、そっと視線を逸らした。


「殿下?」


「何でもないよ。さあ、朝食も終わったことだし、行こうか」


「行くってどこへ……」


「もちろん、診療室へ」


 神官長から許可は取れてるよ、とシュトルヒは上機嫌に告げた。


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