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6 シュトルヒの事情


 シュトルヒは、あの時なぜ襲われていたのか、事の顛末を淡々と語った。


 ──ハルトベルク帝国の、腹違いの二人の皇子。


 片方は先に生まれたが、血筋と人格で劣る現皇后の皇子・ラオンハルト。

 片方は高貴な血筋を持ち人格が良いが、産まれたのは二番目で、母という一番の後ろ盾を失った、元皇后の皇子・シュトルヒ。


"現皇后が息子を皇帝にすることに執着し、邪魔なシュトルヒを排斥しようとしている"


 そこまでは、政治に詳しいわけでもないメローレアも知っているくらいに有名な話だった。


 けれど。


「殿下のお母様が、病死ではなく暗殺だったなんて……。亡くなられたのは、十年以上前のはず。ということは、そんなにも前から策謀が始まっていたのですね」


 それはつまり、シュトルヒが少なくともそれと同じだけの年数、命を狙われてきたということと同義だ。


「状況が良くないのだろうと予想はしていましたが、そんなにも昔からだなんて……」


「状況が良くない?」


「ええ。今回の旅だけでも暗殺者が二十三人──いえ、昨日森で襲撃してきた影も入れれば二十四人も送り込まれてきたのでしょう? 良いはずはありません」


 メローレアは森で聞こえた会話を思い出してそう答える。

 するとシュトルヒは、暗殺者たちのことを思い出したのか、鋭く目を細めた。


「そうか。……まぁ暗殺者なんて、ほとんど挨拶みたいなものさ。まぁ、昨日の森での影だけは結構気合いが入ってたけどね」


 さらりと語るシュトルヒの様子に、かえって、今聞いたことが現実なのだと突きつけられる。


「姑息だろう? そういう人なんだ、現皇后は。……僕の母を殺して、僕のことも長い間幽閉して毎日毒を盛った。だけど結果的に、僕は死ななかった。今日まで生き残ったんだ」


 それは、どれほど辛い日々だっただろう。


 幼い子どもが母親を奪われ、毒を盛られては襲い来る腹痛や吐き気に耐えながら、明日は死ぬかもしれない、そんな恐怖に怯えて過ごすのだ。

 味方なんて周りに残っているはずもなく、たったひとりで、閉じ込められて。


 どれほど恐ろしい思いを。悲しい思いを。


 幼い頃のシュトルヒを想うと悔しくて、メローレアは唇を噛んだ。


 そんなメローレアに、シュトルヒは首を傾げる。


「怒ってくれてるの?」


「当たり前です! 私の持論ですが、子どもを苛める人には天罰が下るべきです!」


「そうだね。僕もそう思う」


 ふ、とシュトルヒが微笑んだ。

 この華やかで美しい完璧な笑みに、一体どれだけの複雑な気持ちが詰まっているのだろうと、メローレアはふと想像した。


 なにか適切な、彼の心を労るような言葉をかけたかったけれど、何も求めてはいないとでもいうように、シュトルヒは淡々と話を続けた。


「地獄のような幽閉場所から抜け出したのは、十歳の時だった。そのあと数年間、市井に身を潜めて、運良くルペという味方を手に入れた。生き残るために処世術や剣技を磨き力を付けた。

 けど、僕がそうしている間にも、皇后は僕の息の根を確実に止めようと僕を探し回りながら、皇宮中を掌握してスパイをばら撒いていた」


「では、いつ皇宮に戻られたのですか?」


「暗殺から身を守れる力がついた、十七歳の頃だ。あの時の皇后の形相は見ものだったな」


「それは……皇后はたいそう悔しかったでしょうね。けれど、その後は大丈夫だったのですか?」


「うーん。その晩のうちに手練れの暗殺者を七人も送り込むくらいには、悔しかったみたいだね。

 暗殺者なんて面倒なだけだけど、あの日だけは暗殺者が来る度に、それだけ皇后に一矢報いたような気がして、愉快だったな」


 命を狙われたにしてはどこか遊び感覚な返答に、メローレアは眉を顰める。


(軽率、などと簡単に言えてしまうものではない)


 これはきっと。


「……命の危険に対して心が動かなくなってしまうほど、あなたにとって、それが日常なのですね」


 命をやりとりする恐怖は、夢見の時に経験済みのメローレアだ。

 だからこそそういった感情は、並大抵のことでは拭いきれないものであり、同時に自分を守ってくれるものでもあると深く理解している。


 メローレアは例の夢見以来、死の恐怖に怯えている。だからこそ能力を隠すことで身を守ることができている。恐怖は、自分を守るためのものでもあるのだ。


 にも関わらず彼は。シュトルヒは。

 あまりにも長い間、命の危険に晒され続けた結果、恐怖の感情が抜け落ちてしまっているのだ。


 もはや彼の紫色の瞳はアメジストの宝石のように一定で、恐怖を宿すことはなく、ただ冷静に──あるいは冷徹に、敵を滅ぼす未来だけを見つめている。


 その紫色が、ふっと切実な色合いを孕んで自分捉えたのに、メローレアは息を呑んだ。


「この戦いは、皇后か僕、どちらかが死ぬまで終わらないだろう。そして僕は、死んでやるつもりなんてない。

 僕のためにも……僕についてきてくれるルペのためにもね。だから、メローレア」


 どうか、とシュトルヒが跪く。


「力を貸してくれないか?」


 それは、夢見の聖女として生きる代わりに与えられた使命のように思えた。


(傷だらけになりながら戦う彼を、助けたい)


 "安心安全平穏"の標語も、シュトルヒに関わるべきではないと考えていたことも、すべて思考の彼方に吹き飛んでしまっていた。


 強い使命感に突き動かされて、メローレアは自らシュトルヒの手を取り、ぎゅっと握る。


「もちろん協力します。私に任せてください!」


 と、力強く言い切ってしまってから、今の言い方は自信満々すぎたかもしれないと気付き、慌てて付け加える。


「ただしですね、私のは本当にただの占いですからね。当たるも八卦当たらぬも八卦です。あまり信じすぎてはいけませんし、当たらなくても文句は受け付けられませんし」


「分かってる。これからよろしくね、メローレア」

 

 ……本当に分かっているのだろうか。


 ご機嫌麗しく相槌を打つシュトルヒに、メローレアは少し不安になった。







***




 神殿に相応しい、清浄な月の光が窓から差し込む時間。


 シュトルヒは、神殿から提供されたこの建物の中で一等良い部屋のソファに腰掛け、メローレアに助けられた時のことを思い出していた。


「……ルペ、彼女は間違いなく夢見の聖女だね」


「はい」


 彼女が駆けこんできたのは、自分の胸を影が貫かんとする、まさにその瞬間だった。


 暗殺者の数を二十四人と言い切ったメローレアを思い出しながら、シュトルヒは葡萄酒の入ったグラスをゆらりと傾ける。


 暗殺者の数を話していたのは、影に襲われるより数分も前のことだった。

 それ以来その情報は話していないし、神殿のどこにも知る者はいない。


 真っ直ぐで、純粋無垢で、苦労も恐怖も存在しない明るい世界で生きてきただろう、世間知らずな聖女様。


 そんなだから、嘘すら満足に吐けなくて、身元は特定され、隠したい能力もすぐに露呈する。


(ただ、そんなふうに生きられるのは、狂おしいほど妬ましくて、眩しい──)


 一瞬そんなことを考えて、自分らしくない思考にゆるゆると頭を振る。

 昨日から色々なことがあったせいか、少し酔ってしまったらしい。


 理由は不明だが、彼女は能力のことを隠したがっている。

 シュトルヒが"能力"と口にしただけで真っ青になっていた様子からも間違いないだろう。


 そしてこの状況はシュトルヒにとって好都合だった。


 なぜなら、至高の存在である夢見の聖女をどうこうするのは至難の業だが、見習い聖女一人くらいならば攫っていくのはわけもないのだから。


「僕たちは確実に彼女を手に入れなければならない」


「……力を貸してくださると仰っていましたし、これ以上何かする必要はないのでは?」


「もし気が変わったらどうする。そんな風に詰めが甘いのはお前らしくないな」


「申し訳ありません」


「いいか、確実に手に入れなければならないんだ。どんな手を使っても。必ず、だ」


「……はい」


(強引なやり方はいけない。欲しい夢見をしてもらうには、常に僕のことを考えて、関心を向けてくれるように仕向けなければ。やり方はいくらでもある)


 せっかくの静かな夜だ。

 シュトルヒはそのままじっくりと思考を巡らせることにする。


 ルペは物言いたげにこちらを見ていたが、目線が合わないことを悟ると、やがて静かに叩頭した。


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