1 見習い聖女の日常
王都神殿の朝は早い。今日も日が昇ると同時に、怪我や病気で悩む王都の市民たちが我先にと神殿へ押し寄せた。
人混みでごった返す神殿の診療室を、メローレアは駆け回る。
「メローレア、その水桶をこちらに持ってきてちょうだい」
「はい、先輩。今すぐに」
「メローレア、薬草がなくなったわ」
「はい、すぐに行きます!」
「メローレア〜!」
「ここにいます!」
夢見の聖女であることを隠し、見習い聖女として神殿に入ったメローレアは、こうして三年を過ごしてきた。
夢見の聖女として生きていた時よりもやや艶を失った黒い髪を邪魔にならぬよう一つに括り、今日も水桶を、薬草を、清潔な布を、食事を、腕いっぱいに抱えて診療室を駆け回る。先輩聖女の手が足りない時は、聖力を扱って治療も行う。
忙しいけれど充実した日々に、メローレアは満足している。
神殿に関わらずに生きていくことも考えたけれどそうしなかったのは、夢見の聖女としてではなく、どこにでもいる普通の聖女として普通に誰かの役に立ってみたかったからだ。
夢見の聖女であった頃には、神殿ですれ違う聖女たちの明るく楽しそうな様子を見ては、あんな風に暮らせたらどんなにか幸せだろうと、密かに憧れを抱いていた。
──それに。
「薬草をお持ちしましたよ。……あ」
診療室のすみで薬草を待っていた老人と目があった瞬間、メローレアは既視感を覚えた。
(この人、昨日の"夢"で)
元気がない理由が身体の不調ではないことを、メローレアは知っていた。
薬草を手渡しながら、さりげなく声をかける。
「お大事にしてください。ところで私、占いにハマっているのですけれど、付き合ってくれますか?」
「聖女様? はぁ、もちろん構いませんが」
不思議そうな顔で首を傾げる老人に向かって、あえて難しい表情を作ってみせる。
「うーん。あなたは、最近大切なものを失くしましたね? うむ……結婚指輪、かしら?」
チラリ、と老人を見ると、驚きの表情でこちらを凝視している。
「どうやって分かったのですか!?」
「えっ、どうやって……? それはですね、ええとあの、つまり占いで、失せ物の相が」
「すごいですな! それはどんな占いで!?」
「ど、どんな……」
夢で見たのだ。
このまま行くと彼の奥様が井戸から桶を引き上げて、その際に彼の結婚指輪が落ちているのを発見してしまうはずだった。
そして、それはもう気の毒なほどの大喧嘩に発展する。奥様の容赦のない口撃、攻撃の嵐。病気ではないにせよ、彼の寿命がゴリゴリと縮んでいく未来を、メローレアははっきりと目撃した。
(……などとは言えないのだから、先にもっと詳しい言い訳を考えておくべきだった)
占いの種類に詳しくないから、急いで考えても具体的な話がでてこない。
心の中で、これから勉強することリストに占いをそっと追加する。そして取り急ぎ今は。
「どんな占いかというと」
興味津々な老人に視線を戻す。
「──企業秘密です! とにかくあなたには家の近くの井戸で結婚指輪を失くした相が出ているのです。そこを探してみると、出てくるかもしれませんよ。では、さようなら!」
勢いで押し切ってなんとかその場を後にできた。
これで、老人が帰ってすぐに井戸を探せば、大喧嘩を回避できるはず。
(夫婦円満に貢献できて良かった)
夢見の聖女の地位に立っていないメローレアは、このような、なんて事のない夢をよく見る。
おそらく夢見で見る夢は、聖女本人の心の状態や、置かれた環境に、自然と影響を受けるのだと思う。
もしかしたら、国の未来を左右するような大きな夢を見ることを、メローレア自身が心のどこかで拒否してしまっているのかもしれないけれど。
でも、それで良いとメローレアは思っている。
夢見の聖女として生きる時のように、人々の尊敬を集めることも、美しい聖衣を身につけることもないけれど、今日みたいに小さな人助けを重ねていけたら。
──そんな"普通の聖女"でいられたらとても幸せだと、メローレアは思う。
と、物思いに耽っていたメローレアの目の前で、ひらりひらりと手を振る者がいた。
「おーい、メロー? どうしたの、ぼうっとして?」
「まあ、ララ。ごめんなさい。仕事中に考え事を」
友人のララに声をかけられて、今が仕事の真っ最中だと思い出した。
「メローはいつも頑張りすぎなんだから、それくらいでちょうど良いよ! 先輩からなんか頼まれるたびに走って対応するのなんて、メローくらいなんだから。具合が悪いんじゃないなら、良かった!」
「ありがとう、ララ」
メローレアとお揃いの聖衣を身につけたララは、茶髪に丸い緑の瞳が可愛らしい、見習い聖女仲間だ。
聞けば実家は騎士の家系らしく、そのイメージ通りに明るく快活な彼女は一緒にいて心地良い。
この神殿に入ったばかりの時に出会って以来、いつも一緒にいる親友。これも夢見の聖女には与えられなかった宝物だ。
メローレアの大切な親友は、そんな事情を知ることなく、情けない表情をしてこちらを見つめている。
「あのさ、ちょっと早いけどお昼ご飯にしない? あたしもう、お腹が減っちゃって力が出なくて……」
「ふふっ。じゃあ、行きましょうか」
食いしん坊なところもとっても可愛いと思う。
「そういえば明日、ハルトベルク帝国の皇子殿下が神殿に来るんだって!」
食堂で席に着くなり、ララが楽しげに言う。
「皇子というと……あの国にはお二人の皇子がいらっしゃるけれど」
「うん! 一番目の皇子は、ラオンヘルト様って言って、次期皇帝だからあまり国外には出ないの。だから今回来るのは、二番目の皇子。たしかお名前は、シュトルヒ様?」
ララの目の前には、山盛りに積まれたパンと、サラダにスープに、メインの肉料理数種類。
ララの顔を見ただけで給仕のおばさんが腕まくりしだすのだから、相当だ。
ほっそりした身体のどこに、この量が収納されるのだろう。
一方、メローレアの前には、パンが二つとサラダにスープ。ララに比べるとかなり少なく見えるが、これが常識的な昼食の量だ。
ララはパンの山から一つを選んで、幸せそうに頬張りながら続ける。
「ずっと立派な神殿を持ってる帝国から、どうしてわざわざうちへ来るのかなぁ」
ララの疑問にメローレアは同意する。
「確かに、不思議ですね。ハルトベルク帝国は、この大陸の半分を所有する大国だから」
メローレアたちがいるエルヌム王国とて決して小さくはないが、ハルトベルク帝国にとっては取るに足らない存在だろう。
ましてや、皇家に連なる人間がわざわざエルヌム王国の神殿に来る理由などないはずだ。
うーん、とメローレアは夢見での記憶を辿ってみた。
メローレアが体験する現実の人生では、夢見で起こったことと変わらない出来事もあれば、変わらず起こる出来事もある。
(そういえば、あの時も来ていたような)
たとえばメローレアがララと友人になれたことは"変わった"こと。それに対して皇子の訪問はどうやら"変わらなかった"ことらしい。
(夢見のときには、国一番の聖女として、神殿の一等高い場所から皇子に歓待の声をかける役割を担ったはず。その時、何か言っていたかしら)
考えてみるものの、あまり記憶がない。
かなり距離を設けての対面だったので顔はもちろん声すらよく分からないくらいだった。
そんな状況なので、会話もほとんど交わさなかったはずだ。
記憶を掘り返すメローレアに、ララがススっと身を寄せる。
「それでね。その皇子様、噂では実は……」
とっておきの情報らしく、ララがもったいぶるように言葉を切る。
「実は?」
メローレアは釣られて、ゴクリと息を飲んだ。
「実は……。──すーっごく、イケメンなんだって! ひとこと囁くだけで女性がみんな虜になっちゃうらしいの」
「虜」
と、隣のテーブルから聖女見習い仲間が口を挟む。
「違うわよ。女性だけでなく、男性も片っ端から虜になってしまうって聞いたわ」
「月の光のように輝く銀色の髪。アメジストを思わせる紫色の瞳。神に愛された麗しい美貌」
「彼が一歩歩けば周囲は魂を抜かれたように立ち尽くし、その美しさに見惚れるの……」
朝なのに酔っ払ったような様子でポエムを唱え始める隣人たちに、メローレアは心配になった。
けれどララの方は、気になるイケメン皇子の新たな情報でものすごくテンションが上がったらしい。
「メロー、聞いた!? ねえ、すごくない? 気になるよね?」
「まあ……ええ、本当なら人智を越えた美しさなのでしょうね。遠くの方から少しだけ見てみたい気も」
「どうして遠くからなの!? みんなが憧れる超素敵な皇子様だよ? せっかくなら近くが良くない? 至近距離でメロメロにされてみたくない!?」
「ふふっ。メロメロにしたいじゃなくて、されたい、なのね」
「美貌の皇子様をあたしがメロメロに!?」
その発想はなかった、と目から鱗を落とす無邪気なララに思わず笑みがこぼれる。
「ララが楽しみにしているのは分かるけれど……私は遠くから眺めるくらいが良いわ」
なにせ、メローレアの人生の標語は安心安全平凡なのだ。
皆から崇められるような非凡な能力なんて誰にも知られたくない。命を削るような働き方はしない。国家レベルの有事には関わらない。
ただ日々を安心で、安全で、平凡に過ごして、普通の人生を歩むのだ。
なにやら訳アリらしき平凡とかけ離れた人物と関わって、万が一大変なことに巻き込まれたら困ってしまう。
(まあ、今の私はしがない見習い聖女だもの。万が一の事態なんて起こりようがないでしょうけれどね)
そんな気持ちを口には出さず、曖昧に微笑むと、ララはガックリと肩を落とした。
「うう、遠くからなんて勿体ない。メローは控えめすぎるよぅ」
「そんなこと。ひと目見られる機会があると良いなとは思うわ。どんな方か気になるし」
「結構長く滞在されるみたいだから、絶対に会えるよ!」
他愛無い会話をしながら、メローレアはいつも通りの穏やかなランチタイムを過ごした。




