17 最初の町・1
「メロー、ねえ起きて」
うっかり眠り込んでいたらしい。つんつんとララに腕を突かれる感触で目を開ける。すると馬車の窓から見える風景はすっかり様変わりしていた。
「まあ。森を抜けたのね!」
神殿を囲む広い森を過ぎたようで、外は賑やかな町だった。澄んだ青空を背景に、馬車が通る道に沿うようにして大小さまざまな建物が立ち並んでいる。木造のそれらは、素朴でありながらどこか丸みがあって可愛らしい。
「私、森のこちら側に出るのは初めてだわ」
「あたしも! 人通りも多くて、栄えた町なんだね。いつもの森の反対側がこんな風になってたなんてビックリ!」
会話を聞いていたシュトルヒが解説してくれる。
「この町は宿場町なんだ。こちら側からエルヌム王国の王都に行こうとすると、神殿の森を横切ることになるだろ? 旅人は大抵ここで一泊して、森に入る準備を整えるのさ」
「それで建物のほとんどがお店か宿屋なのですね」
ひっきりなしに馬車や荷車が通る道も、動きやすい格好で忙しそうに過ぎる人々の様子も何もかもが珍しくて好奇心がくすぐられる。
「気になるかい? 降りて見て回れるよ。今日はこの町に一泊する予定なんだ。ここを過ぎるとしばらく町はないからね」
メローレアは目を瞬く。
「そうなのですか? こういった長旅は、野営が前提と思っていました。ハルトベルク帝国までは距離がありますから、このペースだと着くのが遅くなるのでは……」
「まぁ、それはそうなんだけど」
曖昧な返答に、もしかして旅慣れない自分やララを気遣ってくれているのだろうか、という疑問が湧いてくる。
(そうだとしたら、シュトルヒ様の根本はやっぱり優しい方だ。ご自身の運命を切り開くための旅なのに、そして、ゆっくり旅をすればするほど相手に襲撃の隙を与えてしまうだろうに、気遣いを忘れずにいてくださるのだから)
「私のことなら、気になさらないでください」
メローレアは本心からそう告げた。なぜなら過酷な旅は夢見の聖女で経験済みだったから。
国内で災害が起こった時は、被害にあった民たちのために祈りを捧げに行くのもメローレアの仕事だった。
そういったケースだと、目的地に少しでも早く到着しなければならないため、急ぐ旅になる。
その結果天幕を張って野宿をすることも多かったが、メローレアはさほど抵抗なく慣れることができた。適応力はわりとある方だ。
「あたしもお気遣い不要です! どこでも寝られるタイプですから!」
しかしシュトルヒは首を横に振った。
「長旅だからこそ休める時にはしっかり休んだ方がいい。今後もできる限り、宿場町で宿を探して泊まる予定だ。僕も、できるだけちゃんとしたベッドで眠りたいし」
「そう、ですか」
「睡眠は重要だから」
シュトルヒは予定を変える気がないらしい。
(もしかしてシュトルヒ様は意外と寝床にこだわるタイプなのかも。そうは見えないけれど、もしそうだとすれば、あまり野営を推すのもお気の毒よね。急ぐ旅でもないし)
不思議に思っているうちに馬車が止まったので、メローレアはシュトルヒが差し出すエスコートの手を取って馬車を降りた。
目の前のどっしりとした三階建ての建物を見上げる。今日宿泊する宿らしい。
入り口付近に塵ひとつない清潔感のある様子からして、この宿場町の中で一番上等な宿なのだろう。
「いらっしゃいませ!『宿屋 聖なる森の傍ら』へようこ……そ…………」
振り返った宿屋の従業員らしき女性が、シュトルヒを見て腰を抜かした。
「まあ。美しすぎるとは、たいそう苦労することなのですね」
「さすがシュトルヒ殿下!」
「勘弁してくれ……」
女性二人から嬉しくもないコメントを投げられたシュトルヒが頭痛を堪えるように額へ手を当てるので、メローレアは少し気の毒になった。
「どうにかしてお顔を隠せたなら……いえ、それでもシュトルヒ様のキラキラは隠しきれないのでしょうね」
とフォローのはずがかえって傷口に塩を塗る発言になってしまい、シュトルヒはさらに不服な顔になった。
「ああっ、でも大丈夫です。神殿の皆さんも慣れれば倒れなかったではないですか。元気を出してください」
そんなやりとりをしている間に、正気に戻った宿の女性従業員が恐るおそる声を掛けてくる。
「あ、あのう……お待たせして申し訳ございませんでした。ご夫婦でお泊まりでしょうか? でしたら、従者の方用の続き間もある一部屋をご用意できますが」
メローレアの指輪を見つけたのか、彼女は夫婦一部屋を勧めてきた。それに対してシュトルヒは首を横に振る。
「いや、別々の部屋を」
「シュトルヒ様、私は相部屋でも構いませんよ。その方が宿賃が安く済むでしょうし。ねえ、ララ?」
「うん! あたしも気にしません。何なら四人部屋はないんですか? きっとその方が安いですよね」
すると、シュトルヒが信じられないとばかりに目を剥いた。
「……なんだって!? 君たちは自分が何を言ってるか分かってるのか?」
「? 相部屋の方が宿賃を安く済ませられますし、夜までお喋りできて楽しいではないですか。
あ、もし私たちが同室にいると落ち着かないようでしたら、やはり従者部屋付きのお部屋にして、ルペ様にシュトルヒ様と相部屋していただいても構いません。私とララは従者用のお部屋を使いますから」
「従者用の部屋は鍵がかからないだろう……」
極めて真っ当な提案をしたつもりだったのに、シュトルヒは絶句すると、従業員に断ってから受付の横に置かれた小さな木の椅子にメローレアとララを座らせた。
「あの、こんなところに座ってどうするのですか?」
と顔を上げて、メローレアはぎくりとした。最近見ていなかった、シュトルヒの華やかで美しい作り笑顔が発動していたからだ。
この笑顔は危ないとメローレアは知っている。
「あの……、シュトルヒ様……?」
そして当たってほしくない勘ほど当たってしまうことも、知っている。
「さて、よく聞いてくれ。前から思ってたけど、君には淑女としての危機感がなさすぎる。ララもだ。友人同士揃って、まったく。この際、今後のためにもちゃんと伝えておくよ。そもそも──」
急遽始まったシュトルヒによる淑女の心得と男女間で起きうる危険についてのお説教は、それはもう丁寧……もといしつこいほどで、メローレアはつい遠い目になってしまった。
「メローレア、ちゃんと聞いてるかい?」
「はい。聞いています」
(ララは、……まあ! 飽きてうとうとしているわ)
とメローレアが気づくと同時にシュトルヒも気づいたらしい。
「ララ。君、もしかして寝てる?」
「むにゃ……殺気!? ひぇっシュトルヒ殿下! ごめんなさい!」
(以前のシュトルヒ様ならともかく、こんなふうに言い聞かせてくれるシュトルヒ様を警戒する必要はないのでは)
と思わなくもなかったが、それを言うとお説教がさらに追加になりそうだったので、メローレアは口をつぐんでひたすらシュトルヒの話を拝聴する。
「──というわけだ。わかったかい?」
信じられないことに、シュトルヒが言いたいことを全て言い切って満足げな顔をするまでに、なんと一刻も要した。
「はい、申し訳ありません。私の認識不足でした……」
「ううう、ごめんなさい……」
生温く微笑む従業員から男部屋・女部屋の二つの鍵を受け取り、部屋に入ることができたときには、メローレアもララもフラフラだった。
「…………長かったわね、ララ」
「…………そうだね、メロー」
疲れ切って顔を見合わせた二人だったが、この町での思い出をお説教に終わらせてなるものかという思いが、やがて膨らんでくる。
「あの。もしララが良ければ、外に遊びに行くのはどうかしら?」
「賛成! あんなに長いお説教に耐えたんだからご褒美がないと。行こう、メロー!」




