15 かりそめの約束
"この指輪は君のものだ"
聞き間違いでなければ、確かにそう聞こえた。
「シュトルヒ様、何を言って……。これはどういうことですか」
「この指輪は君にあげたい。これを君の薬指に嵌める許可がほしいんだ。……愛してる、メローレア。僕と婚約してくれませんか?」
一体、どうしてこうなったのか。
メローレアは自分の心臓が、動揺のあまり驚くほど早く鼓動するのを感じた。
(愛……。私はシュトルヒ様のことをそんなふうに考えたことはない。彼は──とても苦労して生きてきたひと。私の夢見の能力を占いと勘違いしながらも欲しているひと。私に生きがいを思い出させてくれたひと。難しい性格だけれど、根本では優しくて、いつも私を助けてくれるひと。
でも私は彼を愛していない。なぜなら彼が自分ではない誰かに指輪をあげると思った時も平気だったし、きちんとその人のために指輪を選んで)
本当に?
(……本当に平気だった? 私はあの時、何も感じなかった?)
混乱する思考の中で、縋るように見つめたのはシュトルヒの瞳だった。
今まさに自分を混乱させている張本人なのに、ここ数週間ずっと一緒に行動していた影響か、困った時にシュトルヒを頼る癖が付いてしまっているようで情けない。
メローレアは自分でも分からない何かを探してシュトルヒの瞳を覗き込み──そして、息を飲んだ。
「ああ……シュトルヒ様は、不安なのですね」
メローレアは静かに呟いた。激しかった鼓動が、すうっと落ち着いていく。
なぜなら、覗き込んだシュトルヒの瞳の中にメローレアが見つけたのは、愛ではなく、切実な必死さだったからだ。
「あなたは、私の事を愛していません」
分かっていた。
数週間を共に過ごして、随分と親しくはなったけれど、シュトルヒがメローレアに飾らない素の表情を見せてくれたのは、たったの一度だけだった。
それ以外は、いつだって越えられない一線を引いてメローレアに接していた。
少し、信頼している。
少し、好意を持っている。
けれど警戒している。
信じ切れない。
彼はいつだってメローレアに裏切られる可能性を念頭に置いていた。そして、どうにか捕える準備をしていた。
心の底から溢れ出る感情をメローレアに向けることはほとんどなかった。
彼の生い立ちから、それは仕方ない事だと分かっている。責める気持ちは微塵も湧かない。
(それでもできれば、愛しているという言葉だけは簡単に言わないでほしかったけれど)
メローレアは一瞬舞い上がりかけた自分に苦笑する。
ひどい仕打ちだ。でもそれすら、シュトルヒがそれほど必死だったのだと分かるから、何も言うまいとメローレアは思った。
「私の助けがどうしても必要で、帝国へ連れて帰りたいのでしょう?」
「メローレア、違う。僕は本当に」
シュトルヒが言い募ろうとするのを遮る。
「シュトルヒ様、聞いてください」
シュトルヒの手から、そっとアメジストの指輪を抜き取る。
「あなたの力になります。本当に力になりたいのです、心から。一緒にいた数週間で、この思いはずっと強まりました。
あなたは、なかなか心のうちを見せてくれないけれど……そして裏の思惑もあったのだろうけれど……それでも、いつだって真剣に私と向き合って、私の事を助けてくれた。そのことに報いたいのです。
あなたが死ぬのは絶対に嫌です。生き残って、どうか幸せになってほしい」
手の中のアメジストを見つめる。
メローレアは少し躊躇ったけれど──自らの手で、指輪を薬指に嵌めた。
「こうしたら、あなたは安心してくれますか?」
シュトルヒが大きく目を見開いた。
(これは、素の表情。記念すべき二回目ね)
こんな状況なのに、彼のありのままの感情を見られて嬉しい気分になってしまう。
「この指輪はあなたの問題が解決するまで、お借りすることにします。あなたが私を必要とするなら、一緒に帝国へ行きます。……だからもう少しだけ、私を信じてみませんか?」
警戒心の強い彼だけど、どうかこの気持ちだけは伝わってくれますように。そんな思いを込めて告げると、シュトルヒは混乱した様子でポツリと呟いた。
「君は善人すぎる」
「そうですか?」
「そんなにチョロくて、僕以外の者にも簡単に優しさを振り撒くだろうから心配だ」
「きちんと相手は選んでいるつもりです」
「僕は──君を騙そうとした」
そう言って沈黙するシュトルヒが、正しい方向を見失って困り果てる幼い迷子のように見えて、メローレアはどうにか慰めたい気持ちになった。
「私は、騙されませんでした。あなたが私に真剣に向き合ってくれた分だけ、私もあなたのことを知れましたから」
「愛してないのに、愛してると言った。酷い事をした」
「ええ、酷いですね。でもそれだけ必死だったのでしょう?」
まだ元の調子に戻らないシュトルヒに、そっと薬指の指輪を見せる。
「見てください。この指輪、中央のアメジストに周囲のダイヤの光が屈折して、とても複雑に輝いているのです。これを見て、まるであなたみたいだと思いました。
シュトルヒ様、あなたは正直、屈折したところがあります。けれどそれは、あなたがそれほど必死に生きてきた結果だと思うから。
だから私はそんなところも含めて、あなたのことを好きになっているのですよ。……友人として」
メローレアはシュトルヒがいつもしてくれるように、彼の長い髪をさらりと梳いてみた。
「約束します、シュトルヒ様。あなたが幸せを掴むまで、私がそばであなたを助けます」
銀色のたっぷりとした髪が指の隙間から流れていって、その艶やかさに、やっぱりこの人はどこを取っても美しいわと関係ない事を考える。
「……僕は、屈折してるのか」
「ええ。とっても」
メローレアが冗談混じりに笑いかけてみると、シュトルヒは我に返ったような顔をして、それからいつもよりも少しだけ華やかさの減った──きっと心からの、微笑を浮かべた。
「ごめん。それにありがとう。メローレア」




