13 街歩き・2
控えめに言っても、馬の二人乗りはハードだった。
いや。乗馬自体は良かったのだ。
シュトルヒの愛馬の歩みは安定していて、揺れもほとんど気にならなかった。
問題は、これでもかと身体が密着してしまう体勢の方だった。
前回薬を買うために森を駆け抜けた際には必死すぎて気付かなかったけれど、普通に乗ると、メローレアの背中とシュトルヒの胸が、それはもう温かい体温がはっきり感じられるほどにくっついてしまうのだ。
だからメローレアは何とかそれを避けるため、あまり発達していない腹筋を全力で駆使して僅かばかりの隙間を確保しようと試みた。
けれど馬が段差を越える時や角を曲がる時などは、どうしても触れてしまう。あと、道半ばで腹筋が悲鳴を上げた。
途中、何かを察したシュトルヒがクスクスと笑う振動を背中で感じてしまった時には、すぐに森へ穴を掘って埋まりたいと思った。
そんなわけで、街に着いて馬を預ける頃には、メローレアはすっかり気力を使い果たしてしまったのだった。
「ねえ、メローレア。小腹も空いたことだし、まずは王都で有名なスイーツを食べに行くのはどうかな」
との聞き逃せない言葉に、くたくただったはずのメローレアはぴくりと反応する。
「スイーツ、ですか?」
「うん。乗馬もしたしね。いい運動の後には美味しいものを食べるべきだろ?」
「それは……素晴らしい考えです! 非常に健康的で、理にかなっていると思います。ええ、とても」
脳内を、王都内の名だたるスイーツ店が駆け巡っていく。
チョコレート、マカロン、クッキー、ケーキ、プリン、カヌレ、マドレーヌ……。
「ちなみに、ご予算は」
するとシュトルヒはあっけらかんと答える。
「特にないかな。さすがに、今日一日遊んだくらいで尽きるような貧弱な財産じゃないからね」
その言葉を聞いた瞬間、メローレアの脳裏にひとつのパティスリーが浮かんだ。
そこは、死ぬまでに一度は食べてみたい憧れの味として、王都神殿の全聖女の──いや、王都に住まう全女性の憧れを一挙に集めるパティスリーだ。専門はパイ。
香ばしくて外はサクサク、中にはとろけるほど煮詰められた季節のフルーツがこれでもかと詰め込まれた天上の味……らしい。噂では。
メローレアもずっと気になっていたけれど、とても高級で手の届くものではなかった。
けれど今日ならば。
メローレアは、ふっと笑みを浮かべる。シュトルヒの「メローレアー? おーい。聞こえてる?」との呼びかけも、今は耳に入らない。
(そう。勇気を持って、神殿の高い祭壇から飛び降りるくらいのつもりで天上のパイに挑むべき時が来たようだわ。
新米聖女のお財布には優しくないお値段だけれど、他国から来たシュトルヒ様に王都一美味しいスイーツを食べてもらうため、という免罪符がある今日を逃せば、私は一生、天上のパイを食べることができないに違いないもの。
もはや今日の私はこのために来たと言っても過言ではない! 天上のパイが食べられるのであれば、私にとって今日は最高の休日になるはず!)
「はい。行き先が決まりました。"天上のパイ"にチャレンジします。あちら、王都の北側に向かって歩きましょう!」
「君が楽しんでくれてるようで僕も嬉しいよ」
乗馬での徒労感を忘れ去り、颯爽と道を歩き始める、甘党のメローレアだった。
果たして、お目当ての店に着くと、そこには色とりどりのドレスを着た女性たちで華麗なる長蛇の列ができていた。
「そ、それはそうですよね……」
メローレアはがっくりと肩を落とす。
はしゃいでいたせいで思い当たらなかったけれど、王都中の女性の憧れを集めるパティスリーだ。
最も店が混むであろうティータイム時に来れば、こうなっているに決まっている。
「申し訳ありません、シュトルヒ様。案内役にも関わらず私の考えが足りなくて……」
「いや? まあ、そうかなとは思ってたし」
「ご指摘くださってよかったですのに……。これほど並んでいては店に入る頃には日が沈んでしまいます。今日は別の店に」
泣く泣くそう発言するが、シュトルヒはメローレアの手を引いて列に連れて行く。
「……シュトルヒ様?」
「意外と早く入れるかもしれないだろ。試しに少し並んでみよう」
と、列に並ぶと同時に周囲がざわめいたのに、メローレアはハッとした。
(しまった! この女性だらけの行列に、いつにも増して美貌が限界突破状態のシュトルヒ様を投入してしまうなどという愚行を……!)
大混乱を覚悟した刹那、店の中から店長らしき男性が猛スピードで飛び出してきた。
「ああ、なんということだ! 高貴な方にお並びいただくなんてとんでもないことでございます。どうぞ、どうぞこちらへ!」
「へ?」
「ほら。並んでみるものだろ? 行こう」
メローレアがポカンとしている間に、店内の特別室らしき場所に通されてしまった。
「…………今、何が起こったのでしょうか」
「うん? メローレアがよほど高貴なオーラを放ってたのかな。今日のドレスはすごく似合ってるし、店主が心を打たれて他の客より先に通したくなるのも頷けるよね」
「そのような話のわけがありません。ここのお店のスイーツはとても高価なので、店に並んでいた女性たちは全員私よりもはるかに高級なドレスを着ていました」
「そうかな?」
「間違いありません。ですからそういった事態が起こるのであれば、原因は間違いなくシュトルヒ様の方だと思います。けれどいくらシュトルヒ様が隣国の皇子殿下であっても、エルヌム王国内ではほとんど顔を知られていないので、自己紹介もなしで正体に気付いて優先してくれるというのはあり得るのでしょうか」
「どうだろう。それか店主が、メローレアが神殿でお世話した患者かその身内なんじゃない? それで感謝の気持ちから僕たちを優先してくれたとか」
煙に巻くような態度で微笑むシュトルヒを、メローレアは疑わしい視線で見つめる。
(怪しい。シュトルヒ様が何かしたんじゃ……)
実際には、護衛を兼ねて影のように付いてきていたルペが先回りして手配しているので、メローレアの勘は当たりだった。
けれどシュトルヒは、行列を飛ばす特別待遇を好まなさそうなメローレアにそのことを黙っているつもりなので、メローレアが真実を知る時は来ない。
「うーん」
と首を捻っているうちに、目の前にほかほかと湯気を立てながら甘い匂いを振り撒く大ぶりのパイが置かれた。
さらには、パイの味に合わせてプロが選んだ紅茶もサーブされたので、今まで考えていたことが思考の彼方に吹き飛んでいく。
「これは……! ああ、なんて素晴らしい香り。中に挟まれているのはブドウね。つやつやと輝いてまるで宝石のよう」
フォークを刺してみると、サクリと柔らかな音がした。
胸を高ならせながら、パイ生地とブドウの両方を、同時に口に含む。
「〜〜〜っ、美味しい! このパイはなんて美味しいの。噛むたびにパイ生地の甘さとブドウの甘酸っぱい果汁が広がって……まさに、天上……!」
「メローレアはお菓子を食べるとき、すごく幸せそうだよね。そしてその幸せを全力で味わってるよね」
こちらを眺めていたシュトルヒがそんな風に評するので、メローレアは頷く。
「その通りです。お菓子も幸せも、いつも手に入るものとは限りません。ですから、味わえるときに全力で噛み締めるべきなのです」
辛い状況に陥ったときに自分を支えてくれるのは、幸せな記憶だけだから。
それは夢見も含めた色々な経験から、メローレアが導き出した人生の鉄則だった。
「……ふぅん。箱入りの聖女様にしては珍しいポリシーだ」
「シュトルヒ様?」
よく聞こえなかったので聞き返すが、シュトルヒは話を変えるように、こちらへ向かって自分の皿を押し出した。
「良かったら僕の分も少し食べないか? こっちにはリンゴが入ってるよ。僕は甘い物をあまり多く食べられないんだ」
「更なる幸せを私に!? でしたら、遠慮なくいただきます」




