11 事件・3
皆が回復し、神殿は少しずつ日常を取り戻した。
メローレアはその日も仕事を終えてシュトルヒと一緒に歩いていた。そうしながらも、気分は晴れない。
「今回の事件……毒が混ぜられていたのですよね。神殿の井戸に」
「そうだね。犯人がまだ捕まってないのが不安?」
「ええ、不安です。ですが、それよりももっと私が気になっているのは……。確信はないのですが、実はあの毒に侵された人を治療した時、とても嫌な気配を感じたのです。普通の毒とは違う──まるで呪いのような」
本当のところ、メローレアには確信があった。
夢見の聖女時代に治療した患者に全く同じ症状の者がいて、その患者がまさに呪いを受けていたのだ。
その時の患者は国の中枢に近い貴族で、誰かの恨みを買っていた。
立場が立場なだけに、幸いにも国が死力を尽くして実行犯を割り出したため、呪いの種となった赤黒い石を手に入れることができた。
メローレアはそれを研究し、解毒剤の処方を作り出したのだ。
今回調達した薬草は、その患者に使用したのと同じ物。調合も同じにした。
そうして作った薬が効いたということは、今回の毒も間違いなく呪いなのだ。
「呪い、か」
難しそうな顔をするシュトルヒは、呪いという単語に馴染みがないのだろう。
「メローレア。神が尊ばれるこの大陸において、呪いは禁忌になって久しい。何百年も前に禁じられ、関連する書物は焼き払われ、もはや知識を得ることすら不可能に近い状態だ。それは知ってるね?」
シュトルヒの言うとおりだ。
歴史書を紐解けば、過去に呪いが行われたという記録はあるけれど、本当にあったことなのか疑わしく思う者も少なくない。
呪いとはそんな存在だった。
「それでも君は、あの毒が呪いだと思う?」
メローレアは少し躊躇ったけれど、結局頷いた。
嘘は吐けない。どこかでもう一度同じ手法が使われないとも限らないからだ。
ふたりの間に沈黙が落ちる。
(さすがに何を言い出すのかと思われたかしら。何の根拠もなく呪いだなんて。実際には根拠はあるのだけれど、それを言うわけにはいかない……)
メローレアが黙って俯いていると、急に頭の上に重みを感じた。
「シュトルヒ様?」
顔を上げれば、シュトルヒがメローレアの頭の上に手を置いていて、その手が左右にゆっくりと動いた。
(これはもしかして、撫でられている?)
突然の出来事に、メローレアはパチクリと瞬くことしかできない。
「分かった。神殿に伝えておくよ。信じない者もいるだろうけど、どんな可能性も初めから切り捨てるんじゃなく、視野を広く持つのは悪いことじゃない」
まさかの肯定にメローレアは驚いた。
「シュトルヒ様は本当に……柔軟な思考を持っている方なのだと、話すたびに驚かされます」
「柔軟か。そんな風に褒められたのは初めてだな」
「そうなのですか? 今のことだけではなく、例えば診療室で身分を隠して民と接されていることをとっても、ものすごく柔軟だと思いますよ。そのようなことをできる者は、王族・皇族どころか貴族にだって、滅多にいないはずです」
シュトルヒはメローレアの主張を興味深げに聞いていたが、ただし、と言葉を続ける。
「呪いの可能性は、あくまで伝えるだけだ。これ以降の領域で、僕やメローレアにできることはないということは理解しておいてほしい。犯人は神殿の上層部や王都の騎士たちが追ってくれてるから」
「ええ。それはもちろん……」
何事も専門家に任せるのが一番だと言う考え方は正しい。
怪我を治すならば聖女に任せるのが一番良いように、事件の犯人を追うのは騎士たちに任せるのが一番良い。なぜなら、早くて確実だから。
下手に首を突っ込めばかえって場を混乱させる結果にかりかねないことは、メローレアにも理解できた。
けれど、彼らが呪いなどという得体の知れないものを相手にするのは大丈夫だろうか……と考えて、メローレアはどうしてもソワソワした気持ちを抱えてしまう。
するとそんなメローレアを気遣ってかシュトルヒが「そうだ」と明るい声を上げた。
「明日、デートに行かない?」
「デ、デートですか!? どうしていきなりそんな話に?」
「明日は休日だろ? ちょうど気晴らしになると思うんだけど」
たしかに、シュトルヒの言うとおり明日は休日だった。ここ数日間休みなく仲間を看病し続けたため、神殿に見習いとして入って以来初めての三連休をもらうことができた。
メローレアの助手として働いているシュトルヒも同じく三連休。
だが、とメローレアは考える。
(お休みだからといって、そして診療室では身分を隠しているからといって、大国の皇子様とデートなんて許されるのかしら? あとから不敬罪になったりは)
「今回の事件が落ち着いたら、お礼をしてくれるって言ってただろ? もし気晴らしに理由が必要なら、僕へのお礼と思ってほしい。……それでも駄目かな?」
美しい紫色の瞳に乞うように見つめられて、言葉に詰まる。
「メローレア、お願いだよ。僕は他国から来たばかりで街に詳しくないから、貴重な休日を最大限に楽しむためにも、案内してくれると嬉しい」
シュトルヒの美貌のかんばせが心なしかグイグイと迫ってきていて、このままだとどこまで近づいてくるのかと考えたら、メローレアは軽くパニックになった。
パニックになって、とっさに言葉が口から飛び出てしまった。
「うう。もう、分かりました! 行きます。行きますから!」
瞬間、シュトルヒの瞳が成功とばかりに輝いた。……彼を拒むには人生経験が足りないのだ。自分のちっぽけさを噛み締める瞬間である。
「デートではなくて、街をご案内するだけですからね」
出会ってから何度目かの敗北を喫したメローレアは、負け惜しみのように訂正した。




