0 プロローグ
しばらく毎日更新です。よろしくお願いします!
夢見の聖女・メローレアは、その日も神殿の一等高い場所に、ひとり立っていた。
見下ろせば多勢の民たちが神託を聞こうと集まり、敬虔な眼差しで身を寄せ合っている。
彼らの中には遠い領地から、あるいは国境を越えて別の国から何日もかけて、自分をひと目見るためだけに旅をしてきた者もいるだろう。
そんな彼らに近寄るため一歩踏み出したメローレアを、天窓から差し込む陽光がまばゆく照らし出す。
繊細な装飾が施された真白の聖衣がするりと床を滑る。
ずっと神殿に篭っているがゆえに、彼女の肌は抜けるように白く、ベールから流れ落ちる豊かな黒髪との対比が、宗教画に描かれた女神を思わせる。
近寄り難いほどの神々しさ。しかし民の一人ひとりと目を合わせようと視線を滑らせる水色の瞳は優しげで、慈しみに溢れている。
それを見た群衆は自然と聖句を口にし、ある者は涙を流しながら両手を合わせた。
メローレアはそんな民たちに向かって、厳かに口を開く。そうして下された予言に、群衆はどよりと騒めいた。
──聖女。
この大陸に住まうすべての娘たちは、十四歳になると聖女検査を受け、そこで聖女としての資質の有無を判別されることになっていた。
資質を認められた者は、基本的には神殿に入り、生まれ持った聖力を使って人々の怪我や病気を治癒させることを生業とする。
国の端に位置するような辺鄙な地域でも数十人は聖女を抱えているし、大国の王都ともなれば、巨大な白亜の神殿を作り、そこに千人余りの聖女を擁する。
聖女とはそれほどにありふれた存在だった。
ただ一人、特別な"夢見の聖女"であるメローレアを除いては。
メローレアが生まれたのは、エルヌム王国と呼ばれる大きくも小さくもない国の、貴族とは名ばかりな下流貴族の家だった。
仲の良い両親に愛情を持って育てられ、お金持ちではないけれどお金に困るほどでもない、そんな普通に恵まれた環境で、ずっと平穏な人生を歩むのだと思って疑うことなどなかった。
ところが、十四歳で受けた聖女検査で、"夢見"の能力があることが判明したのだ。この瞬間から、メローレアを取り巻く環境は一変した。
エルヌム王国の王都神殿に迎えられ、周囲の重い期待を一身に受けながら、十年以上にわたって責を果たし続けることになったのだ。
"夢見の聖女"
そう崇められる、至高の存在。
夢見と呼ばれる特殊な能力で、未来の出来事を夢に見る。夢見の聖女が予知夢を見れば、それは必ず現実となる──そう信じられていた。
未来を見て、予言を下し、国を導く。
人々はメローレアを盲信した。彼女の豊かな黒髪に、神秘的な水色の瞳に、神々しい立ち姿に、国の安寧を見た。
この方さえいればこの国は安心だ、と。
メローレアは懸命に努力した。
うだるように暑い日も凍えるように寒い日も、禊と祈りを欠かすことなく聖力を蓄えた。国の安寧のために一つでも多くの夢を見ようと最善を尽くした。
戦争。大規模な事故。事件。おびただしく積み重なる死体と腐臭。
終わりの見えない長い物語──誰もがそれを"夢"と呼ぶけれど、メローレアにとって"夢"はいつだって"現実"と同じ質量で年若い彼女を襲った。
あまりにも生々しいそれらは、メローレアを毎晩のように苛み、恐ろしい夢をたくさん見るせいで、身体が眠ることを拒むようになった。眠りたくても眠れない病だ。
ずっと眠れないと、体力が限界に達して気絶して。そしてまた恐ろしい夢を見る。
辛かった。けれどメローレアはそんな中でも、役目を投げ出そうとは思わなかった。
能力を通して一人でも多くの人々を救う仕事は、他の誰にも代わることのできないものだから。
国を導くことは、夢見の聖女として恵まれた環境で遇されている自分の責任だから。
──何より、自分を育んでくれた母国に平和をもたらすのは、メローレアの望みであり、喜びでもあったからだ。
「私はエルヌム王国の夢見の聖女、メローレア・サン・レーヴ。愛するこの国を良き未来へと導く者」
その誇りと矜持を頼りに、たった一人で夢見の恐怖と戦い、数えきれないほどの予言を成した。
***
(それなのに、どうして?)
メローレアは物々しい断頭台の前で、何百回何千回と同じ疑問を繰り返す。
眼下に集まる群衆からの、突き刺さるような視線と罵倒。そのどれもが自分を非難するものだ。
「どうして、どうして。こんなことに……」
メローレアの呟きを聞き咎めたのか、目の前の兵士が忌々しそうに舌打ちした。
そのさらに向こう、ひときわ高いところに設置された謁見台で、国王が一歩進み出る。
メローレアが夢見の聖女として認められた時、祝ってくれた姿が昨日のことのように思い出せるのに、今の彼の表情は憤怒に染まっている。
「聖女メローレア。おまえは夢見の聖女を騙り、度重なる根拠のない讒言で国を混乱に落としめた。その罪、死を持って償ってもらおう」
その言葉に、息が止まるほどの衝撃を受ける。
「いいえ、……いいえ! 私は正真正銘、夢見の聖女です。一度たりとも嘘をついた事などありません!」
「肝心の予言が、ほとんど当たらなかったであろう。なにが夢見の聖女だ、馬鹿馬鹿しい!」
「それは、夢見によって未来が変わったから──」
悪い事が起こると予言があれば、それに対して対策がされる。結果、それは起きなくなる。
(そうするために努力してきたのに、それが駄目だったの?)
「夢見の聖女が見た夢は、必ず現実になる。そう言い伝えられてきたことは、おまえも知っているはずだ。だから我らは、悪夢が現実になる前提であらゆる政策を打ってきたのだ。
それがどうだ。お前の見る悪夢はまったくと言って良いほど成就しなかった。もはや言い訳など聞きとうない。──この偽物を連れて行け!」
「陛下、どうかもう少しだけ私の話を聞いてください! っ、陛下……!」
近づいてきた兵士が、メローレアを力ずくで断頭台へと引き摺っていく。
身体に掛けられた鎖が擦れて、肉が破れ、そこここから出血する。
夢見の聖女としての品格を保つためにと、どんなに忙しくても大切に手入れしてきた艶やかな黒髪が、泥にまみれて、千切れていく。
「誰か、だれか!」
必死で視線を巡らせれば、この国の王子が目に入った。彼はメローレアの婚約者でもある。
政略的な婚約ではあったけれど、定期的に会話を交わし、少しずつ親しくなっていたはずだ。
「殿下──」
縋るように手を伸ばす。
しかし王子は、微動だにせず凍りついた視線で、ただこちらを見下ろしていた。
メローレアは、ふっと身体から力が抜けるのを感じた。
(私は、私は……)
酷い夢で精神的に疲れ切って、病を患って、それでも聖力を上げるための修行に励み、身体すらもボロボロになって。
毎日働き詰めで、他の同じ年頃の女の子のようにお洒落や恋を楽しむことすら一度もなかった。
それでもただ、愛する国と臣民を全力で守ってきた。
そうまでして守った全てのものが、今、自分を拒絶している。理不尽に死にゆく自分を嗤っている。
「私の人生は、何だったの」
血の匂いのする腐った木に無理やり押し付けられ……そして、ドッと鈍い音がして、視界が回って……。
***
そして、目が覚めた。
「──隠さなければ」
汗みずくになって飛び起きたベッドの上で、今日まさに"夢見の聖女"として認定される予定だったメローレアは、運命を覆すことを固く決意したのだ。




