15、剣の王子のレクイエム〜序曲
見覚えのある、かつて自分の全てだった世界。
じっと、忘れられない二つの顔を見つめる。今度こそ、離さないために。
「父さん、母さん…」
無言でこちらを見つめる二人の名を呼ぶ。
二人はそれにはなにも返さず、無表情のままゆっくりこちらに歩き出した。
「ごめん…俺…」
二つの足音を拒絶するように、意味のないことを言った。
ごめんなさい。結局自分は、死んでしまったのだと、そんな事を。
「カイルス」
捲し立てるような自分の言い訳を、父親の声が遮った。
気づくと彼は、掌ぐらいのボールを持っていて、それをこちらを放り投げて来た。
慌ててそれを掴む。休日にいつもやった、遊びのように。
『——もらった。
不器用な、自分の父から。』
「あんまり、無茶をしてはダメよ。私たちの子供なんだから、忠告しても意味はないでしょうけど」
母親が、諭すような諦めたような声で言った。それでもどこか、それは嬉しそうで。
母親の腕が僕を包んだ。それは、少し温かくて、少し冷たい。
言いつけを破って裏の森で迷った、あの日のように。
『——もらった。
心配性な、自分の母から。』
「……」
何も言わない僕を見て、両親は顔を見合わせて少し笑った。
「無理にとは言わない。私たちは君の心を尊重している。けれど」
「…あなたは、それで良いの?」
胸の奥で、何かがちりちりと動いた気がした。
———
懐かしい走馬灯の中で、自分は再び蹲っている。
気づくと両親の姿はなく、別の二人の姿が現れていた。
どちらも、決して忘れられない顔だ。
「…ゾルガ…レナ……」
妹と使用人の名を呼ぶ。
妹がずいと使用人を見上げた。使用人は呆れたように息をつき、口を開いた。こちらには、歩んで来ずに。
「カイルス様」
「……」
何を言われるのか分かっている。けれど、それはもう今更すぎる事だ。
だから、体を縮こませて、耳を塞いで聞こえないようにする。
「…弟を、不出来な弟を、教育してやってください」
なのに。耳を塞いだのに、ゾルガの声は心に沁みるように入り込んできた。
同時にゾルガは微笑んだ。それはあの日最後に見たのと、変わらぬまま。
『——もらった。
家族のような、使用人から。』
「兄様。兄様が繊細なのは知っています、私もそうですから。でも、だから」
妹がそう言いながら抱きついて来た。
母親と同じ、優しく柔らかい腕。それはもう、子供っぽいからと震えていない。
「頑張ってください、兄様」
僕が辛い時、苦しい時に彼女はこうやって僕を慰めてくれた。だからこの暖かさは、自分の為のもので。
そしてそれは、全てを失う最後の瞬間まで抱いていたそれと、何一つ変わらぬまま。
『——もらった。
妙に頑固な、妹から。』
「…みんな」
震える声で、溢れるものを押さえ込む僕に、二人は問いかける。
「何かをしろとは言いません。けれど、カイルス様はどうしたいのですか?」
「…兄様は、自分が何をしたいか、もう分かってるでしょう?」
胸の奥で燻っていたものが、バチンと爆ぜた。
———
「辞めてよ…みんな…」
父が、母が、妹が、使用人が。皆が何をしようとしているのか、良い加減察して拒絶した。
だって結局殺されたかもしれない自分に、その資格はないのだから。終わってしまった存在に、意味はないのだから。
「…ばか。まだ、終わってないわよ」
聞こえて来たその声に、体が強張る。
「…そうだな。まだ、お前がいるだろ、カイ?」
声のした方を向く。
自分とあまり背丈の変わらぬ、二人の友人の姿。
「…ガルア…モモ……」
声が震える。涙が溢れそうになる。今のこの時間が、永遠に続いてほしいと思ってしまうほど。
情けなく、幼子のように泣き喚きたいと、思ってしまうほど。
「カイ。そんなもん持ったまんま震えてんじゃねぇぞ、カッコ悪いぜ?」
ニヤけながらガルアが指し示した自分の手元を見て、驚く。いつの間にか、剣を握っていた。
しかもそれは、ここにくる直前、屍人を斬っていた剣だった。
「それにさぁ、お前、俺より強いんだからさ」
ニヤケを納めたガルアが、真面目な視線を向ける。そして。
「勝てよ。俺にくらいな?」
そう言って、笑った。
『——もらった。
何かと競い合った、友人から。』
「約束、したでしょ?やり返すって」
モモの、年頃の少女特有のあどけない声で、無理に大人びた言葉が響いた。
そうだ、自分は約束した。地獄を生き延びて、いつかアイツにやり返すのだと。
「…でも、僕は」
「だから言ってるでしょ。まだ終わってないって」
剣を持っていない方の手を、胸に当てる。確かに、心臓の鼓動を感じた。
この命は、まだここで生きている。まだ死んでいない。
「だから…」
モモはそこで不意に言い淀んだ。
顔を歪めて、何かに耐えるように唾を飲み込んだ。何か、伝えたいことがあったのに、それを我慢したかのようだった。
「だから…っ」
言いたい事を、伝えられなかった本当の気持ちを、最後まで押し込んでモモは泣きながら笑う。
「勝手に諦めんじゃ、ないのよ」
その手で、その剣でやり返すのだと。
崩壊の夜と同じような、激励の言葉。
『——もらった。
背中を押してくれる、友人から。』
胸の奥で弾けた火種が、ぱちぱちと燃え広がり出した。
———
震えを抑えて、両手で剣を握る。
ここがなんなのか、皆んなが何故いたのか、なんとなく分かった。分かっていた。
「ここは、僕の記憶だ。そう、なんだろう?」
出した結論を、現れた最後の影に投げかける。
『そうだ。この景色も、彼らも、お前の記憶が作り出した物だ』
最後の影。分からないはずもない、自分の姿のそれは、感情のない声で肯定した。
「じゃあ、みんなの言葉は」
『お前の記憶が、彼らが言いそうな事を言わせていただけだ。死した魂が、黄泉返る訳ないだろう』
「そっか…」
それはちょっと寂しかったけれど、同時にちょっと嬉しかった。
「俺、ずっとダメダメだったよな」
自分の記憶に、そう笑いかける。
今ではもう遠い記憶のように、思い出せる。
ダックさんが、自分を庇って死にかけた事。攫われた事。咄嗟にメルリを庇って、今度は自分が死にかけた事。
そんな自分と、どうして皆んなは旅を続けてくれるのだろうと、思ったこともあった。
「挙句、復讐に先走って、エルギオも巻き込んで。それからようやく立ち直ったと思ったら、今度は屍人を前にして、動けなかった」
『…そうだな』
記憶は辛辣に肯定してくる。それも自分の気持ちだと分かるから、特に嫌ではない。
「でも」『だからこそ』
声が重なった。
記憶は一瞬驚いたように見えたが、一息つくと再び無表情に戻っていた。
『…分かっているなら良い。言え。今、自分がどうしたいのかを』
「——もらったんだ。みんなから」
家族から、友人から。
何も言わずとも、他の島民からも、きっともらっていた。
言葉を、気持ちを、温度を。
「…だから、それを全部持って、生きたい。ダメダメでも、生きていきたい」
滅んだ自分の世界だったもの。それらから託された全てを抱えて。
自分はここにいるのだと。フェキシフトは、カイルス・フェキシフトはここに居るのだと、叫ぶのだ。
それが、生き残った自分ができる事だから。
『…ならば、復讐を終わらせろ。そして初めて、お前の鎮魂は始まるのだから』
「鎮魂、か…そうだね。みんなの分まで、生きないと」
生きることで。
皆が笑えなかった、泣けなかった、苦しめなかった、楽しめなかった分を生きることで、その魂に安らぎを与えられるなら。
「じゃ、行ってくる。俺の復讐を終わらせないと」
記憶は今更、復讐の是非には聞いてこない。何故ならそれは、これまでの二年の自分がして来たことの全てだから。
今の自分の全てだから、善悪を問う段階ではとうにない。
でもまあ、少なくとも、エルギオを巻き込んでしまったのは悪かったと思う。
「……えっと、色々ありがとう。みんなの記憶を、見せてくれて」
誰だかわからないけれど、素直に感謝を述べる。
自分の記憶は、少し俯いた。
『—私には、見せることしできない。それを受けてどう動くかは、君たち次第だ』
記憶の世界が、蜃気楼のように消え出す。その中で、剣をしっかりと握って自分の記憶に笑いかける。
「…行って来ます」
『……ああ。行ってこい』
消えていく影が、最後に笑った気がした。
——聖女と竜を頼むと、そんな言葉を残して。
———
ガキィンと、甲高い音が響いた。
屍人が振り下ろした剣が、弾かれて遠くに飛んでいく。それをしたのは、紛れもなく自分の剣。
「カイ…っ!」
メルリの安堵の叫びが聞こえる。
それを横に、僕は体が動くままに、剣か導くままに剣先を踊らせた。
「……」
次の瞬間、群がって来ていた二十近い屍人が、全て真っ二つに割れていた。
一瞬遅れて、屍の体が斬れる軽い音が響く。
「なっ…!?」
「カイっ!?」
アゴルとダックさんから、戸惑いの声が上がる。
肉眼では追いつけぬ、音より速い一閃。それを成した自分の腕を見る。
そしてその力の源泉の、胸の奥で燃える炎を見据える。
(これは、『祝福』…?)
と言うより、起こした結果の有り得なさから見て、正確には『加護』だろう。名をつけるのなら、『剣の加護』辺りか。
「しっ!」
余計な考えを首を振って払い、短い声と共に群がる屍人を一閃する。
その間に、直感で気づいた。
この剣は、ただ体を斬るだけではない。それにかけられた『屍操の加護』まで、一息に。
「なんだと…!?」
一度僕に斬られた屍人が復活せず、狼狽するアゴルへ、剣先を向ける。途端に数十の屍人が現れるが、記憶を断つ剣の敵ではない。
「…アゴル、お前がそこまでしてこの島を滅ぼしたいなら、それもそれに応えよう!」
そして軍事島の、剣の島の王子は宣言する。
「俺の名は、カイルス・フェキシフト!屍操の王アゴル。フェキシフトの島主として、お前を倒す!」
自身の鎮魂の歌の、その序曲を奏でるために。
復讐を終わらせて、その先を生きるために。




