7、竜の一族 1
音が遠ざかっていく。
視界の色が反転しているようだ。
「僕、災竜なんだ」
その言葉が頭の中で反響して、身体中色々な所にぶつかりながら、染み込んでいく。
「……は?」
そんな言葉しか漏れない。
その時、女性の死体が突然灰のようになって消えだした。
エルギオの口についていた血まで、まるで最初から無かったように。
「詳しいことは…後ででいい?」
エルギオは私から視線を逸らしてそう言った。
私はそれに、首を小さく縦に振った。
それ以外のことなんて、できる余裕はなかった。
数分後——
カイやダックさん達が追いついて、避難所に向かうことになった。
何が起こったのか、状況を確認する為だ。
と言っても、誰も起こったことを正確には理解できていなかった。
避難所は、島の内側にある山の麓にあるらしかった。
大抵空岸沿いに現れるとされる災竜に、対応するためだろう。
避難所へと向かう間、私とエルギオに会話はなかった。
「うーん、でもどうゆうことなんだ?災竜同士が殺し合うって」
「恐らく、同族だからと言って、奴らは仲間同士ではないのだろう」
私達の沈黙から気まずいものを感じ取ったのか、カイが砕けた口調で疑問を呈した。
それに、流れるようないつも通りの態度で、ダックさんが答える。
「エルギオはどう思うよ?近くにいたんなら、なんか分かんない?」
私とエルギオが沈黙を破らなかったからか、たまらずカイがエルギオに聞いた。
自然と、彼の方へ視線が動く。
「さあ…。そもそも、災竜が二体なんて僕も初めて見たよ」
「まあ、そうだよなぁ」
当たり前のように、嘘を絡めて。
エルギオは、事も無げに笑った。
胸がズキっと痛んで、私は目を伏せた。
ダックさんやペミーからの心配の視線を痛いほど感じながらも、私は俯いていた。
そこからは忙しかった。
まず、避難所に集まっていた人たちに、何が起こったのかを話した。
当然混乱を起こしたし、最初は信じてさえもくれなかった。
当然だろう。
災竜が二体現れて闘って、負けた方が死んで、勝った方もいつも間にか消えた、なんて、普通は信じられない。
逃げ遅れた人たちが証言してくれて、一応信じてはもらえた。
納得してはもらえなかったけど。
そしてその日は避難所で一泊した。
といっても、島民全員が寝られるほど部屋もなく、大きくもない部屋に、大勢の人が雑魚寝する羽目になった。
何処からか聞こえる啜り泣きと共に、長い夜を明かした。
翌朝からは、島の復興を手伝った。
まず、鎮魂の儀を行った。
死者が数えきれなかったため、簡易的なものだったけれど。
建物を直したり、食料を分け合ったりと、休まる暇もなかった。
その間もエルギオは、何事もなかったように振る舞った。
心身ともに怪我を負った人へ、優しい言葉をかけて。
人当たりの良さで、島の大人達にも気に入られ出して。
まるで自分は、何でもないただの子供のように。
(痛い…)
胸のズキズキが、消えない。
彼が笑うたびに、苦しいほど主張してくる。
時間が経ち復興作業に追われるうちに、地に水が染み込むように、痛みは鳴りを潜めた。
しかし、痛み自体は消えなかった。
そのまま、三日の時が流れた。
その時、復興作業がひと段落し、私は災竜が島を襲う前に寄った店の入り口に座って、休んでいた。
不意に足音が近づいて上げた視線に、真剣な顔のエルギオが映る。
「その…ちょっと、来て欲しい。話したい事が、あるんだ」
胸がズキンと大きく鳴った。
鳴りを潜めていた痛みが、瘡蓋を剥がすようにぶり返す。
私は酷い顔をしていたのだろう。
エルギオは顔を顰めて、何も言わずに歩き出した。
少ししてから、私はゆっくりと彼の後についていった。
「ごめんね…忙しくて、中々話せなくて」
やって来たのは、数日前と同じ島の端。
崩れた瓦礫は片付けられて、今はもう何も無い。
「えっと…訳分かんないと思うから…一から説明したいのだけど…」
エルギオが、明らかに取り繕っているとわかるほど明るい声を出す。
私はそれに答えるべきなのだろうけど。
「……」
次の言葉が出なくて、なんとなく重い沈黙が降りる。
正直、実感がないし全く信じられない。
いや、いや。そうじゃないんだ。
信じられない訳じゃない。
あの状況から見るに、信じるしかない。
だから、胸がズキズキするのは、別の理由。
「えっと…長くなるけど、良い?」
視線を上げると、彼の瞳が揺れているのが見えた。
「……良いよ」
胸の痛みを一度無視して、口を開いた。
彼が災竜とはどう言う事なのか。
なぜ災竜になれるのか。
なぜ、それを私に言おうと思ったのか。
色々と聞きたい事が溢れていたからだ。
それは、胸の痛みを無視してでも聞かなければならないものだと、なぜか強く思ったからだ。
「えっと…まず、僕の出自についてからね。僕の本名は、エルギオ・ドラメルって言うんだ」
言ってなかったよね、と彼は続ける。
彼の姓は知らなかった。今まで、気になったことすらなかった。
そもそも、ドラメルという性すら、聞いたこともない。
「昔、ドラメル族っていう一族がいたんだ」
「ドラメル、族…」
それなら、エルギオはかなりの地位なのではないかと、他人事のように思う。
一族の名になっているのだから、ドラメルは恐らく氏族名だ。
氏族名は、島主を継いだものやその直系がつける事を許される、特別な名のことだ。それらは普通、性と名の間につけられる。
苗字として使うのは、古くからの島主の直系だけだ。
「氏族名は、昔は一族全員がつけていたんだよ」
私の思考を読むように、エルギオが捕捉する。
それは関係ないのでとりあえずいいとして。
「それじゃあ、エルギオはドラメル…島?の島主なの?」
「まあ、そんな感じ…島というより、一族だったけど」
好奇心が勝ったのか、胸の痛みが緩くなっていく。
今はそれより、彼の話す事を聞いてみたかった。
「それで…そのドラメル族がどうしたの?災竜と関係あるの?」
「うん…彼らは当時はまだ小さい一族だったんだけど、太古の昔から空想上の生き物である竜を祀っていたんだ」
「空想上って…」
当時は空想だったんだよと、エルギオが捕捉する。
そもそも、竜なんて恐ろしいものを祀るなんて信じられない。
「それで…ある時、一族の長の子が、彼らが信じていた竜の神から、力を授かったんだ」
「力…?」
「うん…竜に、なれる力…」
すうっと足の先から、冷たいものが這い上がってくるような気がした。
私は今、とんでもないものに触れようとしている。
そう、本能で感じているのかもしれない。
「竜の神は言ったんだ。『其方らの日頃の献身を称え、この力を授ける。決して、私利私欲のために使ってはならない。』って」
どうして。
どうして人間に、竜になれる力などと強大すぎるものを授けたのだろう。竜の神とやらは。
「ドラメル族は、その教えを守って、竜の力を良いことに使っていたんだ」
例えば、大量物資の輸送。
例えば、事故や災害の復興など。
エルギオは、見て来たように指を折って例を挙げていく。
「ドラメル族は、たちまち多くの島から重宝されるようになったんだ」
災竜の力を労働力にできるなら、確かにどこの島も欲しがるだろう。
エルギオの語り草のせいか、昔のことだというのに情景が浮かんだ。
「彼らもそれを喜んで、力をくれた竜の神に感謝していた。竜の神との約束も守っていたんだ」
エルギオは、そこで一旦区切った。
そして次の瞬間には、彼の瞳に暗いものが浮かんでいた。
「ある時、までは…」
胸が、さっきまで違いドクドクと酷く脈打っている。
緊張で手足の先が震えている。
本能で察してしまう。
どう考えても、私は今から災竜の誕生秘話を聞こうとしている。
良いことに使われていた竜の力が、どうして災いになったのか、という事を。
一息をついて、エルギオは語り出す。
遥か過去、ある一族の繁栄と。
その、滅亡の行く末について。