7、とある少年の世界
これは、今から二年ほど前の話。
カイルス・フェキシフトという少年がいた。
高い軍事力を誇る、フェキシフト島の島主の後継として、生を受けた。
彼は年相応の少年で、特に不自由なく過ごしていた。災竜蔓延るこの世界でも、比較的幸福に。
彼の住んでいたフェキシフトの島主の館。
そこには彼の両親と妹、さらには多くの使用人が住んでいた。
彼らのことを、カイルスは昨日のことのように思い出せた。
———
「カイルス。また上着を雑に脱いで!きちんと畳んで仕舞いなさいと、前も言ったでしょう!」
「俺が着るもんだからいいだろー。うるさいなー」
母親は、リリィ・フェキシフトといった。
彼女は、正直細かい人だった。
何かと小さいことを指摘してきて、その度に喧嘩になって、妹と父親に止められる。
大抵数日後には仲は戻っているのだが、その頃になると再び喧嘩する。
そんなことを繰り返す人だった。
「行ってきまーす!」
「行ってらっしゃい。裏山は危険だから、近づかないのよ」
「わ、分かってるよ」
家である館を出るたび、こんなふうに裏山には行くなと釘を刺され続けた。
普段は特に気にも留めないのだが、いつものように喧嘩した翌日にも、同じことを言われた。
誰が聞いてやるか、と思った。その時初めて、その忠告を無視した。
数時間後、その決断を後悔した。
足を踏み外して転び、暗い藪の中で夜が来てしまった。
心細くなって、なるべく声を押し殺して泣いた。大声で泣くのは、次期島主として、兄として情けないと思ったから。
「…ルス…っ!カイルスっ!よかった…っ!」
どれほど泣いたか分からなくなった頃、母親が探しに来た。
また小言を言われるのかと身構えた自分に、彼女は泣きながら抱きついた。
顔を歪めて、声を上げて。
「良かった…っ!よかったぁああ…っ」
見たことない彼女の様子に、自分も一緒になってまた泣いた。
声を殺さず、大声で。
今だけは、情けなくてもいいと思った。
その後、一緒に泣きながら家に帰り、泣き腫らした妹と父親に一緒に怒られた。
それから、いつものように喧嘩はしても、二度と彼女の忠告は無視しなかった。
———
「さてと…ここら辺でいいか。球、持ってきたかー?」
「うん。持ってきたよ、父さん」
父親は、エルメス・フェキシフトと言った。
彼は基本的に部屋に篭り、戦術やら何やら難しいことを考えていた。
感情を露わにしないわけではないが、常に遠くを見ているような人だった。
「投げるぞー!」
「うわっ…と、父さん、遠くに投げ過ぎー!」
それでも、仕事がない時は庭や公園で遊んでくれた。
遊んでいる時はよく笑った。
遊びついでに、いつものことをせがむ。
「ねえねえ!父さんの部屋、入ってもいい?」
「…。前も駄目と言ったろう。何がそんなに気になるのだ?」
「…ちぇっ。じゃあいいよー。あっ、そっち球行った!」
気にならないわけがない。
彼がいつも篭って色々している部屋。
そこには、かっこいい武器とか、わくわくするような戦術を記した書とか、そんな物があるのだろう。
気にならないわけがない。
遂に、彼の部屋にこっそり侵入してみた。
地図やら設計図やらの溢れた机に心躍った。
が、すぐに見つかって、これまでにないほどの雷を落とされた。
「…はぁ、全くお前は。そんなに、知りたいのか」
「……っ!うん!聞きたい聞きたい!」
怒りの後、彼は諦めたようにそう言って、考えていることを色々と聞かせてくれた。
それを聞いてはしゃぐ自分を、どこか沈鬱な目で見ながら。
彼が何を考え、何を思っていたのか、最後まで分からなかった。
———
「カイルス様。稽古の時間ですよ」
「えーもうちょっと!もうちょっと遊んでからでいい?」
「ダメです」
使用人たる彼はゾルガ・ユレンフトといった。
沢山いた使用人の中でも、特に自分の身の回りを担当していた。
そして、一日一回の剣の稽古をつけてくれる、師匠でもあった。
「ぎゃっ!」
「まだまだ、甘いですな。視線が泳ぎすぎです。どう動こうとしているのか、筒抜けですよ」
「じゃーどーすりゃいいんだよー…」
「それを考えながら、もう一戦行きましょう」
正直、稽古は厳しかった。
始めた頃は、終わるたびに吐いて、四肢が震えてろくに立てなくなるほどだった。
ゾルガはとても強かった。
「どこに行ったかと思ったら、こんな所にいたんですね!」
「まずっ…ぐえーっ!」
数年でいやでも剣を腕は上がり、もはやゾルガ以外の大抵の相手には勝てる程になった。
その頃に、彼の隙を見て稽古を抜け出した。
勿論すぐに見つかって大目玉を喰らった。
「さ、さっきと動きが違うっ…さっきまでのは手を抜いてたの!?」
「当たり前です!稽古なので!!」
彼は、ある時から怒る時に本気でぶつかってくるようになった。
下手したら大怪我すると察し、どうにか生き延びる方法を模索するようになった。
それ自体が稽古になっていたことに、後になって気づいた。
「ちょ、ちょっとたんま…」
「実戦に!たんまは!ありません!!」
「ぐわぁーっ!?」
地獄以外の何物でもなかった。けれど悪くはなかった。
稽古以外の時は、ゾルガは優しく接してくれていたからかも知れない。
血の繋がりはなかったが、家族のように思っていた。
———
「兄様、またゾルガさんの稽古を抜け出したんですか?」
「レナには関係ないだろー。お前もやってみればいいんだ」
妹は、レナ・フェキシフトといった。
母親に似たのか兄の真似か、はっきりとものを言うたちだった。
それでよく喧嘩になった。
「稽古は兄様に課せられた役目です。私とは関係ないですよ」
「…それは、そうだけどさぁ…」
何でも不正やら悪いことに敏感で、ちょっとしたことでもすぐに指摘した。
正直面倒な性格であることには変わりなく、同年代の子達とトラブルになることが何度かあった。
そして、その度に自分が仲裁した。
「兄様、私は…」
「…まあ、メンドクサイ奴だよ。それが分かってるなら、別にいいけど」
トラブルを取り纏めた後、いつも申し訳なさそうに後ろをついてくる。
彼女自身も、堅物さには気づいていたようだったが、直すのは難しそうだった。
そして、その性分はついに爆発した。
「兄様。私、いじめられました」
「は…え?」
突然そんなことを言ってきて、家族会議になった。
どうやらいつもの同年代とのトラブルから発展したようだった。
相手とその家族も呼んで事実確認した結果、今までの積み重ねが爆発したことが分かった。
「…違うことは違うのだと、言った方がいいのでは」
「…それでも、納得しない人はいるんだよ。ま、無理に関わらないことだね。お前とあの子は、水と油みたいだし」
そう説得したが、レナは最後まで納得できないようだった。
頭が固いというと、ぼんくらには言われたくないと返され、喧嘩になった。
…とまあ、そんなことがあってからは同年代の子とは絡まず、自分やその友達と絡むようになった。
「…兄様。最近、体調が悪いのです」
「え?大丈夫か!?何か病気なんじゃ…」
そんなある日、今度はそんなことを言ってきた。
両親も呼んで、細かく症状を上げてもらう。
曰く、友達の一人のことを執拗に考えてしまい、食事も喉を通らず、碌に睡眠もとれないのだという。
そして、一緒に遊ぶ時はその友達を目で追ってしまうと。
「………」
「…兄様?父さんも母さんも…。私、何か変なことを言いましたか?」
家族で大笑いした。
堅物な彼女の、初めての春だった。
——そんな、何処にでもいる、ありふれた家族だった。




