19、サイレント・ガーディアン
ロキは、それしかなかったのもあるが、距離を置かれていた自分と関わってくれた。
同じ言葉を話すようになって、同じ景色を見るようになって。
気付けば自分は、彼のために動くようになった。一挙一動、彼に合わせて動くようになった。
(これは…)
どこか達観したような彼の言葉も、その中に見え隠れする年相応の子供らしさも。
絶景に対して、純粋にはしゃぐ様も。雨に打たれて風邪をひき、完全に弱っている様も。
(これは、違う…)
ロキの全てを、忘れたくないと思った。遥かに小さい動きまで、見逃したくないと思った。
彼が何で笑い、何で悲しむのか知りたくなった。
(これは、庇護欲じゃない…)
彼のために、自分は生きるようになった。
自分はどうしてこの感情を知らなかったのだろう。遥か昔に、妻子はいたのに。
それが何なのか知っていながら、何を怖がっていたのか自分はその感情を無視していた。
「アドルオ!またお腹の下に入って良い?」
「良いですけど…あなたは本当に、私の腹が好きですね…」
「だってアドルオ、あったかいんだもん!」
そんな中途半端なまま、彼との擬似的な家族の日々が続いた。こんな日が、ずっと続いていけば良いのにと、弱気になって思ったこともあった。
永遠などない事は、分かっていたつもりだったのに。
「…今から6年後、災竜を滅ぼす聖女が現れるだろう。そして聖女は、そなたらの聖痕を求めるだろう…ってね」
突然この島を訪れた彼は、そんな預言を自分に伝えた。
腹の辺りに咄嗟に隠したロキにも、聞かれてしまった。
「…おっと忘れてた。もう一個あったんだ」
「……なんですか。また預言ですか」
早く立ち去って欲しかった。
彼は、自分がメムリット族を守っていることは知っていたようだったが、ロキのことは知らないはずだ。
何故だか同族に、彼のことを知られたくなかった。
「いや。こっちはちょっと個人的な…まあ、ただのお節介だよ」
そういって、彼は自分に小声で耳打ちして来た。
「あんまり、メムリットと関わんない方がいいよ。僕らと彼らは寿命が違うんだから、深く関わった分泣きを見るのは、君だよ」
それは、腹に隠した彼のことを見透かしているような言葉で。
あなたには関係ないと、珍しく激情してしまった。
その後も自分は、少しの間その言葉の衝撃から立ち直れなかった。
「アドルオはどうするの!死ぬ運命ってやつを…う、受け入れるの!?」
いつしか、守ると誓った彼が泣き叫ぶ。預言を聞かれて、聞き流せるほど彼は弱くなかった。
彼の言葉を聞いて、自分は改めてどうしたいか胸に問うてみる。
当然、死にたい生き物なんていない。生きれるなら、生きてゆきたい。
けれども、それでも情報通の彼の忠告が耳に残った。
自分と彼は、寿命が違う。いつまでも一緒にはいられない。
…結局まとまらず、ロキにはそれっぽいことを言って終わった。
「聖女が来るまでは6年あります。その間に、やりたいことをしましょう。何かありますか。できる範囲ですが、答えてみせるつもりです」
自分で言ってて恥ずかしい。なんだそれ。
そんなの、ただ逃げてるだけじゃないか。
運命からも、ロキからも。
けれども仕方ない。ロキが辛そうな顔をするのを、見てられなかったのだ。
最後の時ぐらい、彼には笑っていて欲しかったのだ。
けれど。
「アドルオ、俺、強くなりたい」
彼はそう答えた。
自分に負けないくらい、強くなりたいと言った。
それは。
血筋とか、強者とか、そんなことを理由にしていたけれど。
「…分かりました」
本当は、自分を、殺してあげるために。
分かってしまうと、もう何も言えなかった。彼の提案を了承する自分の顔は、さぞ歪んでいただろう。
自分は、ロキからも、自分の運命からすらも逃げたのに。
ロキはそれでも向き合ってくれた。
自分が恥ずかしくなった。彼を育てた身として、親として自分がすべきことは。
「…戦闘中に、考え事をしてはいけませんよ」
「…アドルオは、何も考えてないの?」
「……そういう話ではないです。揚げ足を取らないで」
ただ、彼の願いに全力で応えることだった。
彼は少しずつ、けれども確実に強くなっていった。
このままいけば、いつか本当に自分を殺せるかもしれない。
「…ぷっ、あははははっ!」
恥ずかしさを感じながらも、ロキの笑顔からは目を離さない。
時間制限のついた日々だからこそ、一瞬一瞬を忘れたくなかった。
時間切れだ。
ついに聖女が島にやって来た。
そこで自分は、彼女ら命を差し出すことにした。
ロキの願いに応えたいのも本当だったけれど、彼に親殺しをさせたくなかったのも本心だった。
そして、紆余曲折あって。
今、死にかけの自分は、目の前で崩れそうなロキをただ見つめていた。
自分が死ぬのだと察して、まず悔しさが溢れた。
結局、かつて自分が何を守っていたのかという問いの答えは、見つからなかった。
けれどまあ、それはもう別に重要じゃなかった。
「—ロキ、絶好の機会でしょう…?あなたの、本当にやりたいこと…」
その言葉だけで、君は察せてしまう。
小さい体が、恐怖と覚悟の板挟みに震えている。
それに手を伸ばしたい。抱きしめてやりたい。
(ああ…)
少しずつ、少しずつ強くなっていく君を、もうちょっとだけ見たかった。
自分は駄目な親だった。結局、君に親殺しをさせてしまうのだから。
「アドルオは、あったかいね」
なのに。
ロキは、私の体に触れて、そんな事を言った。
体温のない、鱗だけのこの体に。
涙が溢れた。この島に来てから、もしかしたら近衛兵に任命されたあの日から、流したことのない涙だった。
「——っロ、キ」
ああ、自分はこんなにも弱くなってしまったのか。これじゃあ近衛兵失格どころか、何も守れないじゃないか。
けれどなぜだろう。それでも良いと思った。
「あなた、も……」
その先は、言葉にできなかった。けれど聡明な君は静かに頷いた。
今になって、今になって願ってしまったのだ。
運命も、君の親殺しも、受け入れていた筈なのに。
ペミーという彼の言葉で、彼の記憶を聞いたせいで、願わずにはいられなかったのだ。
(わたしの……ねがい、は……)
最後に、何よりも大事な。
温かい君のぬくもりを、感じたい。
「……おやすみ、アドルオ…」
死ぬことも出来ず、惰性で何百年も生きてしまった、死に損ない。親を亡くし、誰も拒絶した、イーリスの誇りの残骸。
孤独な二人の命は、迷いと決断の末に、お互いのぬくもりに出会えた。
「——っ」
あらゆる感覚が、消えていく。
音も色も、味も匂いも。君に触れられている感覚すら、消えていく。
その暗黒の中で、自分は小さく笑ったのだろう。
(ああ……あったかい…なぁ………)
昏い坂を滑り落ちていく。
その最後まで、君のぬくもりを感じながら。




