9、それぞれの想い 2
つんとした朝霧の匂いを感じて、私は目を覚ました。
外を真っ白に染めた霧が、入り口から少し中に入り込んできている。
この島の辺りは、特に朝霧が強いのだとメーレンさんが言っていたはずだ。
なんとなく首を回して気づく。
そのメーレンさんがいない。確か昨夜はダックさんの隣にいたはずだったが、今はその寝床は空になっている。
起き上がって、まだ寝ているみんなを起こさぬようにそっと宿を出る。
白い霧の世界で、メーレンさんは近くの倒木に座っていた。
「メルリさん。おはようございます」
私に気づいたメーレンに、挨拶を返す。
何か考え事をしていたようだ。
「なにしてたんですか?」
「いえ、なんとなく起きてしまって…少し、整理していたのです。現状を」
ある意味もっともなことだ。
メーレンさんは元々この島の採掘人であっただけで、私たちの空船長でしかない。
私たちの目的の、その前提すら知らないのだ。
「驚きだったと思いますよね。災竜とか、聖痕とか」
「あ、いえ。エルギオさんの事は知っていましたよ」
瞬間、思ってもいない事をあまりに自然に言われて、見事に固まった。
「え……知ってたんですか?」
「はい。コンボボロ島に着く前に、話していた内容を盗み聞きしてしまいました」
遅れましたがすみませんとメーレンさんは謝ったが、それどころではない。
エルギオの重大な秘密が、知らない内に仲間や島主以外に漏れていたのだ。
「黙ってて、くれたんですね」
コンボボロ島で、エルギオのことでトラブルは起きなかった。
それはつまり、私たち以外に知っていた人が、全員口を閉じてくれたからだ。
メーレンさんも、その一人で。
「……ええ、まあ。ヒラ様の命令でしたので…」
少し、何かを言い淀んだようだったが。
ともかく、ヒラさんには頭が上がらない。
ケイオール島で目的を達成したら、一度ハーマレー島に戻るのもいいだろう。そこで改めて、彼とその義妹にお礼を言いたい。
「ありがとうございます…!」
「いえ。これがあなた達を乗せた、空船の船長としての役目ですから」
旅の最後まで、船員と船長は一心同体なのだと言った。
それが頼もしくて、本当に嬉しくて、私は彼が困惑するほど頭を下げた。
それほどまでに、本当に嬉しかったのだ。
朝日が昇って、朝霧を掻き消していく。
宿を振り返ると、ダックさんとカイが揃って起き出した所だった。
ペミーも彼らに並んで、伸びをしている。
エルギオは朝に弱いから、まだ寝ているはずだ。
「じゃあ、いきましょうか」
「はいっ!」
私とメーレンさんは倒木から立ち、起き出してきたみんなの所へ向かった。
新しい一日が、始まる。
———
日が昇り、ケイオール島に昼の活気が溢れ出す。
私たちは、なるべく昨日と同じように過ごした。
エルギオはアドルオさんと特訓。
ダックさんとメーレンさんは古文書の翻訳と分析。
私とカイとペミーは、村を回ってロキを探した。けれどもいくら探しても、ロキの姿は見えなかった。
村の中にはいないのかも知れない。
アドルオさんが彼を育てたのも、村に馴染めなかったからだったはずだ。
「村以外じゃ…どこを探せってんだよ?」
カイが憂鬱そうに呟いた。
ロキの捜索を一旦中断して、宿に戻ってきた時だった。
その時に私は、言おうとしていた事を意を決して言った。
「話は変わるけどさ…カイは、どう思っているの?」
「どう思うって…何を?」
「その、アドルオさんのこと」
彼の瞳が大きくなる。
フェキシフト島の生き残り。災竜への憎しみで、私の旅に同行してきた彼。
その彼は今、災竜をどう思っているのか。
「…災竜はな、今でも許せねぇよ」
酷く長く感じた沈黙の後、カイはそう切り出した。
俯いて、ここでないどこかを眺めながら。
「エルギオの秘密を知って、ドラメル族の悲劇を知って。レイナの後悔を知って、アドルオさんの優しさに触れて。正直、心ん中はめちゃくちゃだ」
自分の心情を語っていく。正確ではなくても、確実に。
ぽつぽつと呟く言葉は、微かに震えている。
「それでもな…どうしても、許せないもんは許せないんだ。すまん。こればっかりは、どうしようもない」
「カイ…」
言葉もない。
死が身近にある事を思い知って。目まぐるしく変わる状況の中で、決断できるようになって。
旅立ちのときより遥かに成長した彼でも、その憎しみは変えられない。
なぜならそれが彼の原点だから。
今の彼を動かす、原動力だから。
「…まあでも、中にはいい奴もいるんだな、ぐらいは思えるようになってるよ。俺が憎むべきは、フェキシフトを滅ぼした奴だけだってね!」
最後に、彼はそう言ってはにかんだ。
災竜という集への憎悪から、特定の災竜という個への憎悪へ。
根本は変わらずとも、その性質は変わり出している。
それがわかって、私も微笑んだ。
「…うん。分かった。ごめんね、突然聞いて」
「別に、いいってことよ。さ、ロキの捜索に戻ろうぜ」
そう言った時に、宿の入り口にペミーが現れた。
彼は、私たちが真面目な話をすると察すると、距離を置いてくれたのだった。ペミーは本当に、察しがいい。
私とカイは立ち上がって、ロキの捜索を再開した。
———
結局、ロキは見つからなかった。
捜索範囲を広げて、村の周りの森も探してみたけれど、痕跡一つ見つからなかった。
村や祭壇跡から、離れたところにいるのかも知れない。
夕方になると、各々が宿に帰ってきた。
ダックさんとメーレンさんの古文書翻訳は、少しずつ進んでいるようだった。
メーレンさんが、港に停めている空船から専門書を持ち出して来たからだそうだ。
明日にでも、解析が終わりそうだった。
一方で、エルギオとアドルオさんの特訓は難航しているようだった。
ギルギやレイナが持っていた能力が、エルギオはどうやっても開花しないのだという。
「…我々の能力は自然開花なのですが、エルギオ様のような族長直系のものは、遺伝開花なのです」
エルギオの能力について、アドルオさんはそう言っていた。
自然開花の能力は、血が繋がっていても全く違う性質になるのだ。一方遺伝開花の族長直系の能力は、ほとんど変わらぬ性質を持っているという。
そして、能力の遺伝にも特定の条件が必要らしい。
「直系の能力は、その親が死ななければ遺伝されないと聞きます。恐らく、エルギオ様の能力が開花しないのは…」
アドルオさんはその先を濁したが、誰もがその先を察した。
親が死ななければ遺伝しない。
つまり、エルギオの親は生きている。
全ての元凶、エライル・ドラメルは、まだこの世界のどこかに居るのだ。
いくつかの雑談の後、アドルオさんは去っていき、私たちも床についた。
けれど私は、全然寝付けなかった。
エルギオの父、エライル・ドラメルについて、私は彼の言葉からしか知らない。けれどそれだけでも、少なくとも悪感触な人物だった。
その彼がどこかで生きている。
もしかしたら、聖痕を探す私たちに襲いかかってくるかもしれない。
そう思うと、胸の下あたりが寒くなった。
エルギオが、そっと寝床を抜け出したのに気づいた。
彼が宿の外に出たのを見計らって、私もそっと寝床を抜け出す。
外に出ると、夜の闇の中に佇んでいた彼は、すぐに私に気づいた。
「…起こしちゃった?」
「ううん。私も、寝付けなくて」
歩いて彼のように並ぶ。月が東の夜空で輝いている。
「……父さんは」
ふと、彼は口を開いた。
「僕のこと、どう思ってたんだろうって。そう考えちゃったら、寝れなくて」
「それは…どうして、そう思ったの?」
「父さんが生きてるって、知ったからなのもあるけど…ロキとアドルオさんの話を聞いてさ」
メムリット族と災竜。体の大きさが絶望的に違う二つの種族が、親子のような関係を築けてしまった話。
それがより、彼に親のことを思い出させたのだろう。
「私もそうだなあ…」
「親のこと?」
「うん。でも、私はそもそも覚えてすらいないんだけどね」
10年前。空船事故で失った、両親の記憶。後に死んでしまったと聞かされた、覚えていない父と母。
「祖母とか…祖父とかは、いなかったの?他に身内は?」
「だめ。事故より前の記憶は、本当に何も覚えてないの」
もし私にも祖父母がいて、もしまだ生きていて私を探していたとして。探す術もないし、私は彼らを覚えていないのだ。
もし会えたとしても、悲しませるだけだろう。
「…そっか」
エルギオはそう言ったきり、無言で空を見上げた。月が夜空を昇っていく。
私も、彼の視線を追って空を見上げた。
夏の夜の空気を感じながら、私とエルギオはかなりの間そうしていた。




