7、ロキ・イーリス
息を呑む。
彼は、アドルオさんは、今何と言ったのか。
もう、人間の体に戻れない、と?
「戻れない、なんて…そんな、一体どういう…?」
「確かなことは分かりませんが…恐らく、私自身がこの竜の体を、自分の体だと認識してしまったのでしょう」
認識一つで、この竜の体はどうにでもなる。なってしまう。
改めて、腹の底が寒くなったような気がした。
「さて、気を改めて…あなたも知っているでしょうけど、我々には個体ごとに特別な能力が備わっています」
影が差した顔を戻して、アドルオさんは講釈を再開する。
個体ごとの特別な能力。災竜が持っている超常的な力だ。
例えば、ギルギが自身の血を操れたように。
例えば、レイナが自身の内側にあらゆる物を収納できたように。
「もちろん私も…まあ、ただ壁を張れるだけですが、持っています。そして、あなたも」
ドクンと心臓が鳴る。
当然、自分にも彼らのような能力が宿っているはずだ。
けれど、自分はそれを知らない。
「あなたが知らないのも無理はありません。本来、力の詳細と竜名の贈与は十六歳にならないと行われませんから」
「じゃあ僕の能力と竜名は、覚えていないのではなく、元々付けられていなかった…と?」
少し胸が痛むが、仕方のないことだ。
僕が眠らされたのは、まだ十にもならない頃。十六の年を迎えたのは、ここ数年のことだ。
「ええ。ですが力自体は備わっているはずです。どのような力なのか、色々試していきましょう」
「…そう言えば、アドルオさんの竜名は何なのですか?」
興味本位で聞いてみる。彼は微笑んで答えてくれた。
「サイレント・ガーディアン…静かな守り人、という所でしょうか」
そう言って、休憩は終わりだと言わんばかりにアドルオさんは動き出した。
僕も迎撃の体勢をとる。竜同士のぶつかり合いが、再開した。
———
太陽が奈落に沈んでいく。夜が来る。
その頃になってようやく、二体の災竜は地上へと降りてきた。銀と白の巨体が、祭壇跡の草地にゆっくりと降り立つ。
どちらも傷だらけだったが、特に傷が多いのはエルギオの方だった。それだけで、二人の実力差が分かる。
「今日はこの辺りにしておきましょう。あなた方も、目的のものは見つかりましたか?」
降り立って早々、アドルオさんが言った。
一方エルギオは荒く息をついているだけで、酷く疲れているのが分かる。
「うん。アドルオさんのいう通り、祭壇を色々調べてみたよ。結果、古い文書が幾つか見つかった」
エルギオと特訓に出る前、アドルオさんは私たちに祭壇の調査を依頼していた。
曰く、彼がこの島に来てすぐの頃に、祭壇辺りに色々と覚え書きを隠していたらしい。数百年も前の事なので、正確にどこに隠したかは本人も覚えていなかった。
それでも、何かしらの役には立つだろうという事で、私たちに調査を頼んだ。
「そうですか!中身は何と?」
「それが…古代の文字で書かれていて読めなくて、今みんなで頑張って翻訳してるの」
「そうですか…すみません、私が内容を覚えていれば」
「い、いや…アドルオさんが謝ることはないですよ」
本人も中身は覚えていなかったのは、辛い事だ。
まあ、覚え書きというのだから、本当にちょっとした事だったのかもしれない。それなら覚えていなくても無理はない。
「ところで…私はともかく、エルギオ様がお疲れのようなので、治療師を呼んで休ませてあげて下さい」
「あ、はい!」
見ると、エルギオは人の姿に戻っていた。それでも受けた傷はそのままで、見るからに痛々しい。
私は息を整えている彼に駆け寄った。
メムリット族にも『治癒の祝福』を使える治療師がいた事は、驚きだったがおかしいことではなかった。
『祝福』が、人間限定のものだとは、誰もどこでも言っていない。ただ、私達が勝手にそう思い込んでいただけだ。
ともかく、エルギオはその治療師に傷を治してもらい、モルガイさんが私たちに充ててくれた村の空き家で横になった。
これから、この家にメーレンとペミーもも入れた六人で、寝泊まりする事になる。
少し狭苦しいが、不快ではなかった。
「そういえば、あなたに聞きたい事がありました。今、聞いても?」
「…なんでしょうか?」
空に星が瞬き出した頃、ダックさんが不意にアドルオさんに言った。
彼は家に入れないので、家の前に座り込んでもらっている。
首を限界まで下ろして、家の入り口に顔を近づけてくれる。まだこの感覚には慣れない。
「ロキ・イーリスという者についてです。初めて会った時、君は彼を咥えていました。あなたは、彼とはどのような関係なのです」
そういえば。
ペミーの血筋を知った瞬間襲いかかってきて、彼を死に損ないだなんて侮辱したメムリット族。
私やエルギオはなんでそんな事をと気になっていたが、カイは彼を嫌っていた。
大事な仲間が侮辱されて、怒らずにいられるかとカイは言っていた。
私もそれには賛成だが、それ以上に彼には何か理由がありそうだった。
そして、ロキについてモルガイさんは話したくないようだった。
「ああ…そうですね。彼にとっては不服でしょうが、話しておいだ方が良いかもしれません」
そう言ってから咳払いを一つして、アドルオさんは彼について話し出した。
———
「十年と少し前の事でしょうか、モルガイさんが彼を連れて来たのです」
「彼曰く、ロキは他のメムリット族に馴染めず、村で孤独を味わっていたようです」
「そして、それを見かねたモルガイさんは、同族でない私ならとダメ元で連れて来たのだそうです」
ロキとの出会いについて話すアドルオさんは、どこか楽しんでいるようだった。いつもより、声のトーンが高い。
「私の元に取り残された彼は、最初はただ震えるばかりでした」
「彼が警戒を解いて私に懐くまで、それなりにかかったと思います」
「思い切って『心話』を使っても、恐る恐る返してくれた時は、飛び上がりたくなりました」
アドルオさんの瞳が、懐かしさを孕みながら遠いところを見通す。
そこに私は、何か見知ったものを感じて。
けれどもそれは、直ぐに消え去った。
「私と話すようになって、最初は縮こまっていた彼も少しずつ笑うようになりました」
「それが私には、嬉しかったのです。本当に」
「そして…ある時彼自身の口から聞いたのです。…生まれてすぐ、両親を亡くしていた事を」
話を続けるうちに、アドルオさんの口角が上がっていく。どこか悲しみを帯びながら。
堪らなくなって掛けようとした言葉を、隣のダックさんが発した。
「ちょっと、待ってください。アドルオさん…あなたのロキについて話す時の態度…あなたは、彼を…」
彼は、改めて驚いたように息を呑んだ。
「ええ…自分が言うのもなんですが…」
困ったように。耐えるように。諦めるように。
「私は彼を、ロキを…息子、のように、思っていたのかもしれません」




