5、災竜アドルオ 1
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず叫んだのはダックさんだった。
いつも冷静な彼が取り乱すほど、モルガイさんの言葉は衝撃だった。
血牙の紋章という聖痕は、アドルオ・ル・ケイとメムリット族が呼ぶ災竜が持っている。
そこまでは、まあ分かる。元々予想していたことだ。
けれど案内できるとは。
村の裏手に、いつも居るとは。
「今の口振り、災竜…あなた達の言葉でグオーシャがこの村にいると」
「正確には裏手のオン・ネルイ…人間語で祭壇跡、ですかな…に、いらっしゃいますが」
「それは、一体どういう…」
その時だった。
ゴオオという音が、住処の外で鳴り響いた。それが、何か巨大なものが風を切っている音だと、一瞬ののちに気づく。
気付けた理由は、単純。散々見てきた災竜達も、同じ音を立てていたからだ。
それが、意味するものは。
私は住処の外に駆け出した。気づく余裕はなかったが、カイとエルギオ。ダックさんもついてきていた。
果たして、村の中央に降り立った、巨大な影。
「…あ…」
その体は、木々を遥かに越すほど大きい。
その全てを覆っている銀色の鱗が陽光を反射して光っていて、綺麗だと他人事のように思った。
そして、瞳の色は金にも、橙にも見える琥珀色。
現れた災竜のその色合いは、どこか隣に立つエルギオのようだと思った。
「モルガイさん。またロキが時間外に…おや」
凛とした、透き通るような声。それでいて男のものだと分かるような、力強さも内包した声。
銀色の災竜はモルガイさんに話しかけ、その途中で私たちに気づいた。琥珀色の瞳が細められる。
「…これは…」
ダックさんが零したのを、どこか遠い事のように聞く。
信じられないようだったけれど、不思議と今までの災竜のような、恐ろしさは感じなかった。
その姿を、素直に綺麗だと思ったからかもしれない。
「アドルオ様。こちら、今先方来られた聖女様達です」
モルガイさんが、私たちを災竜に紹介する。
何も言えず、気付けば小さく会釈していた。目は、銀の災竜から離せない。
「これはこれは…よくこの島まで来て下さいましたね」
純白の角が生えた頭が、私たちに降ろされる。銀色の光が私たちを覗く。
思わず後退りしたのは巨大なものに近づかれたからで、決してその災竜に恐怖を感じたからじゃない。
「…色々聞きたいでしょうし、とりあえず場所を移しましょう」
呆然の私たちに気づいた災竜は、苦笑しながらそう言った。
その時、災竜が見覚えのあるメムリット族が咥えていたことに、私はようやく気付いた。
———
私たちは、村の裏手に来た。
ここが、メムリット族達の言葉で祭壇跡だとされるところなのだろう。
異質さをこれでもかと醸し出した石造りの建造物が、森の中にぽっかり空いた穴のような草原に、幾つもそびえ立っている。
その光景に、私たちはしばし言葉を失った。
けれどずっとそうしてもいられない。
私たちを飛び越えて、巨大な生き物が風を立てて草原に降り立った。
村からここまで、ひとっ跳びで来たのだろう。それほどの大きさだった。
銀の災竜。
アドルオと、モルガイさんは呼んでいた。
私たちは今から、彼について色々と聞かなければならない。
メムリット族の真実やら何やらで、頭の中はすでに破裂しそうだったが、そこはなんとか耐えるしかない。
「…さて、まずはしっかりとした名乗りからした方が良いですよね」
草地に座り込んだ災竜が、口を開かず声をかけてきた。
…コンボボロ島でのエルギオに対してもそうだったけれど、やはり『心話』というのはあまり慣れない。
私たちはその声に頷いて、災竜の正面に座った。村に来た時に彼が咥えていたロキも、歩いて私たちの後ろをついてきていて、同じように座った。
災竜は、全員が座ったのを確認してから名乗った。
「改めて、私は災竜のアドルオ。メムリット族との契約で、この島を守護しています」
災竜が頭を下げて上げる。
それがお辞儀だと、少ししてから気づいた。
「あなた方が聞きたいことは、なんとなく分かります。…なぜ、災竜がメムリット族と共にいるか、ですよね?」
私たちが静かに頷く。
ロキが静かにそっぽを向いて、モルガイさんがやれやれといったふうに小さく息を吐いた。
「…そうですね。端的に言えば先ほど言った通りです。私は、メムリット族と契約していまして、彼らを守る代わりに彼らは私を守ってくれているのです」
アドルオ…さんが説明するのを私たちは静かに聞いている。
なにか口を挟むのさえ野暮だと思ってしまうほど、男のはずの彼の声を綺麗だと思った。
「…詳しく説明するには、モルガイさんに補足してもらうこと必要でしょう。頼めますか?」
「そうじゃなあ…どこから説明したものか……遥かな過去では、ワシらは島々を転々としていたらしいのじゃ」
アドルオさんが視線を向けたのを受けて、モルガイさんが口を開く。
その内容が地続きじゃなくて、全員が困惑したが、モルガイさんはまあ待てと話を続けた。
「ワシらは定住するのが難しかったんじゃ。なにせ、一部を除いて弱かったからのう。だがの、ある時彼に会ったと言われているんじゃ」
「そして、私と彼らは契約を交わしたんです。私が弱い彼らを守る代わりに、この島に匿ってもらうという条件で」
それは、かなり危険な契約なのではないだろうか。もし誰かに見つかりでもしたら、世界中が大騒ぎだ。
静寂を恐る恐る破ってそれを聞いたカイに、モルガイさんはまあ焦るなと言って続けた。
「その為の採掘人じゃよ。島に来るウー…人間を絞ることで、アドルオ様を隠し通し易くしたんじゃ」
ふと、メムリットたちの村が傾斜にできていることに思い至る。あれでは、村の裏手にあるこの遺跡すら、入り口からは見えないだろう。
おまけに、村の方角以外の場所は山になっている。
それに、メーレンさんが言うには、採掘人が『浮遊石』をとる採掘場も、村の入り口より手前、遺跡からかなり離れたところにあるのだと言う。
そして、その採掘人すら、滅多に村に入れなかったと。
メーレンさんは、それはメムリット族を守るためだと考えていたが、実際はアドルオさんを守るためだったのだ。
「彼らのお陰で、この島に匿われてから数百年、一度も人間に見つかったことはありませんでした」
そう言って、アドルオさんは微笑む。
その、心から出たかのように思える笑みに、何故だか胸の奥がチクリと痛んだ。
「…事情の説明はこれくらいでいいでしょう。では、本題に入ります」
その痛みの理由は、すぐに分かった。
けれどそれは、自分でも信じられないものだった。
だって当たり前だ。
まだ出会って数分とも経っていない。
しっかり言葉を交わし合った訳でもない。
恩があるわけでも、特別な感情を抱いていたわけでもないのに。
「聖女様方、あなた達は……聖痕を、取りに来たんですね?」
私は、既に———
「アーコっ!!、」
突然、叫び声が上がった。
私の腕の中に居たペミーが、私と一緒に驚いた。みんなも驚いて、声の方を振り向いた。
モルガイさんとアドルオさんは、ただ目を細めた。
「…アドルオっ…なんで!」
見るからに、彼の状態は普通じゃなかった。
怒っているようで、泣いているようで。
多くの感情が混ざり合い、自身でもどうしていいのか分かっていないようだった。
「…ロキ」
モルガイさんが、叫んだ彼へ静かに言葉を投げかける。
ロキはそこでハッとしたように周りを見回した。
突然叫んだことへ、困惑状態の私たち。
「……っ!」
気まずくなったのか、私たちを見回したロキは走り去ってしまった。
「まっ…」
待って、とも言う暇もなく。彼の姿は森の中へ消えてしまう。
残された、衝撃と困惑の混じり合った空気。それを切り裂いたのは、モルガイさんだった。
「オホン…突然ですまぬが、彼のことは一旦忘れていただきたい」
「…えっ?」
「…色々と、事情があるんじゃ。察してくれ」
その様子は、心底悔しそうな。悲しそうな。
…あまり、詮索しない方が良さそうだ。いつかのカイが言っていたことだけど、誰にだって言いたくないことはある。
兎も角、私たちは頷いて話を本題に戻した。
「それで…さっきの言い方からして…やっぱ、俺たちが聖痕を探していることは、知っていたんです、ね…?」
カイが、恐る恐るとアドルオさんに口を開いた。アドルオさんに会ってから、カイはなんだか調子が悪そうだ。
その理由は続くアドルオさんの言葉で分かった。
「…そんなに恐れなくて大丈夫ですけど…はい、情報通の同族が居ましてね」
カイはアドルオさんを恐れている。
言われてみれば、それはそうだろう。彼が災竜としっかり話したのは、これが初めてだ。
言い当てられて、更にたじたじになっているカイはひとまず置いて。
「…情報通の、同族か。レイナさんも似たようなことを言ったよね」
私も思い至ったことにエルギオが言及した。
彼女…コンボボロ島の災竜のレイナさんも、情報通のドラメル族から私たちのことを聞いたと言っていた。
だから、これから会う災竜は、全て彼女のように敵対してくるのだと思っていたのだけれど。
「…ああ。彼女にはもう、会っていたのですね」
彼は、アドルオさんは、なんていうか、優しい。
だから私たちは、彼にどのような態度を向ければいいか、分からないのだ。
「…それなら、話は早いです。私は、彼女のように恐れてはいません。準備はできているので」
「…準備、ですか。一体何の?」
だから私は、既に彼を敵対するべき存在だと思えなくなっているのだ。
なのに、彼はそれすら知っているかのような笑顔で言った。
達観しているような、悟っているような、諦めているような。
そんな声で、言ったのだ。
「もちろん、あなた達に聖痕を渡す準備です。——死ぬ覚悟は、いつでも出来ていますから」
自分は、あなた達に殺されても良いのだと。




