4、ふしぎな少年
「えーっとつまり、こいつ…この子がメルリの言っていたエルギオ…で、間違いないんだな?」
顔をしかめながらカイが言った。
困惑していた船員達に、彼が私の関係者だということを説明して、部屋へと連れてきた。
「う、うん。そうだけど…カイ、どうしたの?」
なんだろう、さっきから機嫌が悪そうだ。
「どうしたもこうしたもねぇよ。そんなにガッチリ固めやがって…」
「そろそろ離れてやったらどうだ。彼も困っている」
カイの恨めしそうな言葉の後に、ダックさんの注意が入った。
私は今、エルギオを抱きしめている。
といっても彼の方が身長も肩幅も小さいので、私が彼を抱き込んでいる形だ。
「えっと、メルリ?彼らもそう言ってるし…」
「でも…」
エルギオも頼んでくるが、私は渋る。
離したくなかった。
離して仕舞えば、また居なくなってしまうと思ったから。
またあの優しい笑顔を最後に、会えなくなってしまうと思ったから。
「…メルリ、たのむ」
「……」
そんな真剣な顔で言われたら、離すしかない。
私は渋々、彼の癖になる暖かさから手を離した。
———
「えっと、あなたがダックさんで、あなたがカイさん…」
「ミー!ミー!」
「あっと、ぺミー…くん?で、あってる?」
数分後。
私以外初対面だったエルギオに、各々自己紹介をした。
エルギオはすぐにみんなの名前を覚えられたようだ。
と、突然ダックさんがエルギオに向かって言った。
「俺はダックで構わんぞ、エルギオ」
「え…ダックさんがそんなこと言うの初めて見た」
彼は、年下の人に呼び捨てをされるのを嫌う。
ほぼ家族みたいな私たちでさえも、”さん”付けなのはそのせいだ。
ともかく、彼が自分から呼び捨てを許すなんて、カイの言う通り初めて見た。
「当たり前だ。彼はメルリの命の恩人なのだぞ。家族を助けてくれた。それだけで、感謝してもしきれん」
あっさりとそんなことを言った。
その理屈はわかるけど、命の恩人とかちょっと違うくない?
そもそも私はその部分に負い目を感じて、この旅に出たようなものなんだし。
「…まあそうだな。こいつがいなけりゃ、メルリは死んでたんだし」
ちょっと考えてから、カイも納得したようだった。
納得してないの、私だけか。
「会ったばっかだけど…ありがとな、エルギオさん」
「エルギオでいいよ。それに、メルリは僕を起こしてくれたんだし、お互い様だよ」
「お前いい奴だなー!」
カイがエルギオに飛びつく。
さっきまで機嫌悪そうだったのに、もう仲良くなったようだ。
彼はホントに人懐っこい。
でも、エルギオも嫌そうじゃないし、この二人って意外と気が合うのかも。
「にしてもすげーなエルギオ。メルリを守って、それで災竜から逃げれた、なんて」
「…色々運が良かったんだよ、僕は」
早速遠慮をなくした物言いになるカイに、エルギオは少し迷って答える。
その返答が、私には少し変に思えた。
記憶の中の彼は、私を慮った時以外に言葉に詰まることはあんまり無かった。
記憶の中の彼は……
そこではじめて、あれ?と思う。
改めて、彼を見る。
記憶の中の彼と、ほとんど変わらぬ姿と背丈。
あの時から10年経ったのに、ほとんど変わらぬ——
「…ねえ、エルギオ」
「なに、メルリ?」
私を呼ぶ声も、記憶の中の、10年前と変わらない。
だからこそ、私は気付いてしまったその問いを口にする。
「…この10年、どこで、何をしていたの?」
だって変じゃないのか。
彼の見た目はまるで、この10年一切成長していないかのようだ。
そんなのは、絶対におかしい。
私は、真剣な顔をしていたのだろう。
それを受け止めたエルギオも、真顔になった。
そして、少しの思案の後に答えた。
「…まあ、色々とね」
少しだけ、下を向いて。
何かに耐えるように、何かから逃げるように。
私も目を伏せた。
はぐらかされた。
その事実が私に、ある種の確信を抱かせた。
彼は、エルギオは何かを隠している。
「ま、言いたくないなら言わなくていいんじゃねーの?」
なんとなく静まった部屋に響いたのは、カイの声だった。
「無理に言う必要もねーし、それに…」
こともなげに軽く言う。
伏せた目をカイの方へ向けると、彼は少し微笑んでから、笑みを消して言った。
「…言いたくねえ秘密や過去なんて、みんな持ってるもんだしよ」
後を絶たぬ、というほどでもないが、無くならない災竜被害。
そのせいで安定する気配のない、島々の経済。
いつ災竜が現れるか分からない中で、島間を行き来するだけでも、正直命懸けだ。
生まれてから今まで、何事もなく平和に過ごせている人なんて、多分どこにもいないかもしれない。
カイは特にそうだし、もしかしたらダックさんだって。
「ま、その話はいいや。エルギオ、俺からも聞きたいことがあるんだ」
閑話休題。
カイが話題を変える。
彼自身、今の話題はあまり触れたくないのだろう。
私も、彼への疑念を振り払う。
疑念よりも、今は生きて再会できたことの方が嬉しい。
「エルギオ…お前、俺たちと来たいか?」
「うん、もちろん。というか、一緒に行っていいんだよね?」
エルギオが、うなづいてから逆に聞く。
その時彼が、一瞬迷ったように思えたのは、私の思い違いだと思いたい。
さっきの疑念は振り払え、私。
「もちろんだよ!これからよろしくな!」
「よ…よろしく、カイさん」
「カイでいいよー!」
カイがエルギオに再び抱きつく。
ああもう、エルギオが苦しそうでしょ。
ともかく、私もエルギオの同行に異論はないし、ダックさんも反対する様子ではなさそうだ。
流れるように、彼の同行は決定した。
「えっと…これからよろしく、みんな」
カイに抱きしめられながら、エルギオが言った。
部屋の中の空気は穏やかになった。
私は、二人のじゃれ合いを笑いながら見ていた。
ダックさんも、何か言いたげな目をしながらも、何も言わずにそれを見ていた。
だから、ただ一人…いや、ただ一匹妙に静かなペットに、私たちは気づかなかった。
『まもなく、ムロリメロ島でございます〜。到着後、十五分間停泊いたします〜。繰り返します…』
船内に広話(ある場所にいる人全員に聞こえる遠話)が流れる。
それを聞いて、私たちも部屋を出た。
この空船は今から、ムロリメロ島という場所停泊する。
その間、主に食べ物などの必要な物質を買い溜める予定だった。
「…よし。行こう」
ここからだ。
ここからが、旅の幕開けだ。
もう戻れない、決意の旅の。
私は、決意を新たに深呼吸を一つついて、船の出口へ向かった。
———
部屋を出る時、エルギオは部屋の中から呼び止められた。
呼び止めたのは、メルリでもカイでも、ダックでもない。
「ムゥ…」
「君は…ぺミー、くん?どうしたんだい?」
エルギオは、自分を呼び止めた小動物に向き直る。
ぎこちないが、なるべく優しい声で、声を掛ける。
怖がらせないように。
「ムムゥ…ミィ…!」
それでも、いやそれだからか、小動物は強めに鳴き返した。
まんまるの目を鋭く釣り上げて、小さな体には不釣り合いな牙を剥いて。
「…大丈夫だよ。君の家族に手は出さない、約束する」
「ミィ…」
優しくするのは効果なしと考え、エルギオは今度は真摯に答える。
それでも、ぺミーはまだ警戒していた。
そう、ぺミーはエルギオのことを警戒している。知らない人間だからか、それとも、本能的にか。
警戒を解かぬまま、ぺミーは彼の横を過ぎて言った。
船内には、エルギオだけが残された。
「難しいなぁ…」
去っていく小さい姿を見送って、彼が小さくつぶやいた。
どこか諦めたような、苦しい声だった。