14、花束 1
それは突然だった。
何の予兆もなく、人間の時の私より少し幼いくらいの少女が、惰性で塞がなかった穴から落ちてきた。
「ちょっ…えっ!?」
慌てて人間の姿をとった。
落ちてきた少女は傷を負っていたが、命に別状は無さそうだった。
なんとなく見過ごすことができなくて、傷の手当てだけでもした。
地上に運んであげようとも思ったが、人に見られたくなく迷っている内に目覚めてしまった。
「あなたは…一体何なの?」
目覚めた彼女は、好奇心に目を光らせて私を質問攻めにした。
島主の子供、グレンの子孫だと気づいて、すぐに返そうと思った。
彼との約束を、彼の子孫のせいで破らせたくなかった。
なのに。
彼女は私にこんなことを言ったのだ。
「私の、友達になってくれませんか?」
彼が、グレンが私に言ったことと、全く同じこと。
不意に胸に痛みが走って、顔を歪める。
彼が私にとって大きな存在であったことに、私はその時ようやく気付いた。遅すぎるほどに、いまさらに。
そして同時に、その声に応えてはいけないと直感で悟る。
なのに、私は。
「——分かった」
グレンという、私が手放した陽だまりと似た彼女の手を、私は取ってしまった。
苦しくなることが、分かっていながら。
アンナと名乗った少女は、島主の娘とは思えぬほどやんちゃだった。
私が島中の動物のことを知っていると知ると、すかさず質問攻めにしてきた。
動物が好きなのは嫌ほど分かったが、同時に彼女にはその知識がなかった。
知識もないのに、その愛ゆえに危険なこともあった。
「レイナちゃん!この子、気分が悪そうなんだけど…!」
「さ、産卵期の綿鹿…!?あ、危ないよ…っ!」
流石に肝が冷えた。
しかも、その綿鹿をなんとか出産させてからは、何度も産卵期の綿鹿を連れて来るようになった。
「この洞窟、私だけの秘密の基地にしようよ!」
「…まあ、何でもいいよ」
彼女と関わるのは疲れたが、辛くはなかった。
彼の、グレンの子孫だからという理由以上に、人と関わるのが楽しかったからかも知れない。
どちらにしろ、陽だまりのような彼女と関わる内、自然に笑えることが増えたのは確かだった。
そんな、ある日。
口を滑らして、夜には地上に出ていることを知られてしまった。
「もしかして…レイナちゃん!?」
彼女は夜になってから、あろうことか島主の屋敷を抜け出してきた。
その結果、もう意味がないと分かっていながらも花や命を守っていた竜の姿を、見られてしまった。
「は……」
叫ばれると思った。
泣き喚かれると思った。
運命の日を待たずに、今ここで殺されても仕方がないと思った。
なのに彼女は、目を輝かせて。
すっごくかっこいいなんて言った。
子供の無邪気さで、当たり前のように受け入れてくれた。
「すごいすごい!だから花や動物を守れるのね!」
「う、うん……」
震えるほど嬉しかったが、それ以上に胸の中は針に刺されたように痛んだ。
その時に悟ってしまったからだ。
死ぬ運命にある私を、彼女が受け入れてしてしまったことの意味を。
…とっくに受け入れていたはずの運命から、逃げたくなる理由ができてしまった。
あの情報通の彼から、聖女によってギルギ(戦闘狂)が殺されたいう情報が届いた。
あのギルギが殺されたのだ。そんな相手に、私が敵うはずがない。
私は聖女に殺されるのだと、直感で分かってしまった。
(離れよう…彼女から…私はもう、誰とも関わるべきではなかった…)
陽だまりのような彼女を、手放すことに決めた。
聖女は私を殺そうとするだろうけど、私も死にたくない。
きっと、血みどろの戦いになるだろうから、それに彼女は巻き込めない。
(でも…)
彼女に何も言わないわけにはいかない。
機を見て、全て説明しようとも思ったが、それを決意するまでには、かなり悩んだ。
それでも決めたのだ。彼女の前から姿を消そうと。
もう一度手に入れてしまった陽だまりを、今度は自分から手放すのだと。
そう思って、準備を進めていた。
なのに。
準備が終わり、彼女に全てを打ち明けられるその直前に、彼らは来てしまった。
(何で今なの…今でなければ、手放せたのに…っ!)
そこから先は、ただただがむしゃらに動いて。
好いていたものを、自ら壊して。
一番巻き込みたくなかった彼女を、巻き込んで。
そして、いま、こうして。
———
「アンナ、ちゃん…ごめんね…」
嗚咽を漏らしながら言う。もうそれしか言えない。
ただただ、自分を呪いたい。
「ごめんじゃ…ないよ…」
同じく涙を流しながら、彼女は言う。
「わたし…お母さんが、死んじゃって…悲しかった時に、レイナちゃんに会ったの…」
それは私が知らなかった、彼女の真実。
後ろで、彼女の父の島主が、目を見開いたのが見える。
「レイナちゃんは、優しくて…私の、お姉ちゃんみたいで…本当に楽しくて…だから…!」
泣き崩れそうになるのを必死に堪えて、彼女は涙を拭く。
そして、彼女が私に、本当に言いたかったことを言う。
「私…本当は、言いたかったの…!」
それは、謝罪じゃなくて。
ごめんじゃなくて。
「ありがとう…って……!」
赤く腫らした瞳で、そう言って笑った。
ああ。
わたし、本当にだめだな。
だってそう言われて、初めて気づいたのだから。
今になって、最後の最後で気付いたのだから。
私が花や動物や、そして人を好いていたように。
人も、グレンも、アンナちゃんも、私を好いてくれていた。
こんな、自業自得の死に際に。
誰も望んでない別れの時に、ありがとうと言ってくれるほどに。
小さきものへの想い人は、小さきものの想い人でもあった。
自分の命が、終わろうとしているのが分かる。強固な竜の体も、大部分を抉られて血を流されて、もう限界だった。
私はそっと、アンナちゃんへ手を伸ばした。
小さくて柔らかい頭が、殆ど感覚の残っていない指先に触れる。
彼女の体が一瞬強張るも、彼女はすぐに私の爪先に触れた。
「——」
鋭い息を吐いて。消えそうになる呼吸を整えて。
彼女が、彼女が泣き崩れたいのを抑えて言ったのだ。
だから、私も言わなければ。
「私も……ありがとう…っ」
一人ぼっちだった、遥かな私の時間に。
ちびだった私の、後悔ばかりだった人生に。
陽だまりを手放した私に、もう一度、ほんの少しだけど、暖かさをくれた。
「会えて…あの時、君と会えて…よかった……っ!」
四肢から感覚が消えていく。
体中を、無機質な寒さが覆っていく。
それは少し怖かったけど、同時に何故か安心できた。
—ああ。こんな私でも、普通に死ねるんだな。
「……っ!レイナちゃんっ!!」
小さな彼女が、堪らなくなって私に飛びついた。
それさえ、薄れる意識の中で、しっかりと感じられたかどうか。
風が吹く。
花畑の花弁が舞う。
そこに、もう居ないはずの彼が見えて。
それが幻影だと分かってしまって。
—あなたの夢、最後まで叶えられなかったけど…まあ、いいよね
彼を目を見開いてから、呆れたように微笑んだ。
—まったく、君は本当に真面目すぎるよ
本当にその通りだと思えて、私は小さく笑った。
—泣いている。彼女が、泣いている。
泣かないで。泣かないで、私の陽だまり。
私が愛した、小さな。
小……さ、な———。




