3、再会
雲が窓の外を流れていく。
涼しそうな外とは違い、空船の一室には重い沈黙が包んでいる。
聞こえるのは、自分の口から流れるかつての記憶。
「…そうして、私はネイケシア島に流れ着いたの」
私は島に来てから彼のことを、エルギオのことを誰にも話さなかった。
けれどここからの旅では、ダックさんもカイも、ぺミーでさえただの家族以上の存在になる。
いつまでも秘密にしておくわけにはいかない。どっちにしろ話しておかなきゃいけなかった。
「と、ここまでが私が憶えている中で、一番最初の記憶です」
そう言うわけで、私は彼らにエルギオのことを話した。
もちろん他人には聞かせられないから、空船の中の、自分達に充てられた部屋の中でだけどね。
カイはとても衝撃を受けた様だった。ぺミーも、なんとなくだけど分かる。
ダックさんは…表情がちょっと固いぐらいで、よく分からない。
「じゃ、じゃあ…そのエルギオって子は…」
「もう、生きておらんだろうな」
「ちょ、ちょっとダックさん!はっきり言い過ぎ!」
「ペム!ペム!」
「……むぅ」
カイとぺミーから抗議されて、ダックさんが少し顔をしかめる。
分かる人はわかるけど、あの表情は困っているのと、間違えた自分への嫌悪を表している。
彼は他人にも自分にも厳しい。
「あはは、大丈夫だよカイ。もう十年くらい前だし」
「そーは言ってもよう、だってメルリ、その話聞いたらお前の旅って…」
そうだ。
彼はそこにちゃんと気づいてる。
気づいてくれている。
「…そう。私が旅立ちを決めたのは、災竜を倒したいのは彼の、エルギオの為でもあるの」
「守ってくれた者への、せめてもの餞、か」
目覚めたばかりのなのに、彼は私を守って死んでしまった。
それは、私が彼を死なせたのも同然だ。
記憶喪失の私ならともかく、彼はもっと報われるべきだった。
だから、せめて彼の魂が救われるように、私が災竜を倒さなくちゃいけない。
決して綺麗な理由じゃない。
むしろ、すごく個人的な理由だ。
島の人たちの、世界中の人々の期待を、裏切っていると言っても過言ではない。
「……よかった」
「えっ?」
「はい?」
「ミィ?」
ダックさんの言葉に、一同が困惑した。
目で疑問を投げかける。
何が良いんですか。むしろ自分勝手で褒められたものじゃないのではないか。
「…お前の旅の理由が、お前だけのものだからだ」
返ってきたのはちょっと難しい言葉だった。
けれどそれで、ああなるほどとカイは納得した。
私はまだよく分かんないだけど。
えっと、それってつまり?
「えっと、メルリが個人的な理由で旅に出てくれた事、その事こそがダックさんは嬉しいってことだよな?」
カイが噛み砕いて説明してくれる。
くれるのだけど。
「…なんで?」
本気で意味が分からなかった。
途端にダックさんが渋い顔をして、カイが分かりやすくズッコケた。
ペミーも呆れたように低く鳴いた。
なんだこの反応。
「だ!か!ら!」
半ギレでカイが叫ぶ。
そんなに怒らなくても良いのに。
「メルリが、誰の頼みでもなく、自分がしたいと思って旅に出た!ここまではオーケー?」
「お、おーけー…?」
「で!自分の意思を持っているってことが、ダックさんは嬉しいわけ!」
「そうだ、自らの意思で選択する者は強くなれるからな」
言い切ってゼーハーしているカイに続いて、ダックさんが補足してくれた。
全部理解できたわけではないけど、褒められているのはとりあえず分かった。
「え、えっと…私そんなに強くないけ」
続きを言おうとした瞬間。
船が大きく揺れて、私たちは思いっきりすっ転んだ。
「うわぁ!な、なんだ!?」
「…何か、あったのだろう。船員に話を聞こう」
カイが叫ぶ。
反対に、ダックさんは驚いた様だったけど、それでもまだ冷静だ。
「と、とりあえず部屋を出よう!」
走って部屋を出る。
と、慌てたような船員が廊下にいた。
勢いのまま、叫ぶように声をかける。
「どうしたんですか!?」
「お、お客様。大丈夫でございます。な、何かにぶつかっただけでございます」
慌てたような見た目と違って、意外としっかり状況を説明してくれた。
小さな遠話機(離れたところにいる人と話せる道具)をつけていたので、船長から遠話でも入っていたのかも。と、遠話機が光って声を発した。
船長の声だろうか。
『職員全員に通達。ぶつかったものが何か分かった。人だ。繰り返す。当船は、宙に漂っていた人にぶつかった』
「え…ひと?」
「マジかよ……」
「ふむ…」
「ぺ…ペミ…」
「お客様、安心してくだい!何も危険では」
「大変!助けないと!」
船員が私たちを落ち着かせようとしたのを遮って、私は操縦室がある船首の方に走り出した。
「お、お客様!?」
「あ、おい!待てって!」
「ミーミー!」
船員が悲鳴を上げる。カイとぺミーが追ってきているのが分かった。
ダックさんは多分、船員を宥めているのだろう。
いつもこうだなぁ、とふと思った。
子供の時から、感情的になると周りが見えなくなってしまう。
こうやってそれを自覚してるのは成長したと言えるのだろうけど、行動自体はやっぱり止められない。
そんな私を、ダックさんはいつも後ろから助けてくれた。
それはありがたいけど、自分がまだ未熟なことを自覚してしまう。
そんなことを考えているうちに、甲板に出た。
数人の船員が縄を引っ張り上げているようだった。縄の先に件の人が繋がっているのだろう。
全速力でそこへ向かい、縄の垂れた部分を持つ。
周りの船員がギョッとしたけど、それどころじゃない。
縄を思いっきりひっぱる。
追いついたカイも手伝ってくれた。
ペミーも、大きな耳を縄に巻き付けて、引っ張ってくれる。
縄はあっという間に引き上がった。
縄の先に縛り付けられていたのは、私より少し幼い男の子だった。
真っ白な髪に黄色のメッシュを入れ、それらと同じ黄色と白色の服を着ている。
そして、死んだように眠っている顔は、恐ろしいほど整っている。
(あれ…?)
なんだか変な感じがした。
自分でもよく分からないけど、なぜか懐かしい感じがする。
どこかで、あった、よう、な———
男の子が目を開ける。
朝焼けのような、橙色の瞳。
「あっ——」
声が、自然に漏れる。
脳がバグって、硬直する。
男の子の瞳がこっちを向いて、その瞳孔が見開く。
そして。
「……メルリ?」
脳に酷くこびりついた声で、そう言った。
「…エル……ギオ?」
死んだと思っていた少年は、記憶の中とほとんど変わらない姿のまま、そこにいて。
そして、十年の間に成長した、私を見ていて。
「本当に…エルギオ、なの?」
上手く声が出せない。
自分の声が、まるで誰か知らない人の声のように響く。
白い髪も、黄色のメッシュも、日暮れを思わせる瞳の色も。
何一つ、変わらないまま。
「…メルリ…本当にメルリだ…」
甲板へと持ち上げられた少年の声が、困惑していたものから緩む。
そして、その口に笑みが浮かんだ。
「メルリ、生きてた…良かった……」
その言葉に、胸がグッと縮んた。
込み上げてくるものが熱くて、必死に我慢しないと溢れそうで。
生きてて良かった、なんて。
そんなの、こっちの。
私が、何年、君のために。
気付けば私は、横たわっていた彼の身体に抱きついていた。
周りの目など気にせず、溢れ出す感情に任せて泣いた。
「メルリ…?」
彼の声が、困惑の色を帯びる。
胸を占めるのは、安堵と懐かしさ。
「……私も、良かった…」
涙と鼻水で顔をグシャグシャにして、なんとか声を絞り出す。
十年胸の内に潜めていた暗い感情が、洗われていくような気がした。
私は、十年ぶりにエルギオと再会したのだ。