10、少女と災竜 2
赤い小さな災竜がエルギオに襲いかかったのを見て、私とカイは色を失った。
「災竜が…なんで!?」
「説得できなかったのか!?」
島にいた人たちは、殆どが避難を終えている。全員が、私たちが歩いてきた通路を渡って、港の方へ逃げている。
島主親子の姿がなくて混乱が起きたものの、少なくとも娘の方は無事だという私たちの報告で、一先ずの混乱は収まった。
(エルギオ…!)
その娘の方の安否が、分からなくなってしまった。花屋敷に近いここからでは、エルギオのいる所は遠い。
アンナちゃんがどうなっているのか、見えないのだ。
「…くそ…っ!」
横でカイが舌打ちをした。
目を向けると、彼は無念そうな声で呟いた。
「俺たちじゃ…何もできない…エルギオに頼りっぱなしだ」
胸に氷を入れられた様に、心臓が跳ねた。
災竜という、災いという怪物の前では、人間は余りにも無力だった。
「…それでも、やれるだけの事はやってみよう。エルギオの様子を時々確認しながら、私たちは逃げ遅れた人がいないか探そう」
何も思いつかないが、指を咥えて何もしないよりかは、マシなはずだ。
呟いたような私の言葉に、カイは重く頷いた。
———
大きく振りかぶられた前足を、後ろに跳び引いてかわす。
数秒の沈黙の後に、次は鋭い爪が目の前に迫る。
首を振ってそれもかわした僕は、感じていた違和感の正体に気づいた。
(遅い…)
見てから、或いは見る前にでも避けられる。
ギルギの奴とは大違いだ。アイツのは、感じてすぐ避けなければ致命傷を負っていた。
「さっきから、避けてばっかで…反撃して、来てよ…!」
荒い息を吐きながら、レイナが叫んだ。
大きく距離をとってから、それに答える。
「君を、傷つけたくないんだ!」
「まだ…言ってる、の…!?」
そこで気づく、彼女とギルギの違い。
彼女はこの島で、何年も花守として生きてきたのだろう。ならば、何かを殺した事はあっても、闘った事は無いはずだ。
対して、ギルギは殺すことを、戦うことを好んでいた。
それ故の戦闘技術。それ故の戦闘経験。
詰まるところ二人の差はそこにあるのだ。
先にギルギに辛勝した僕にとっては、彼女の攻撃はひたすら遅く感じていたのだ。
(でもそれは…彼女のせいじゃない…)
そもそも災竜には、天敵となる様な存在はいない。
故に、殺すための経験と技術はあっても、闘うためのそれらは普通はないのだ。
寧ろ、ある方がおかしい。好む方が狂ってる。
『おい、俺が変態みたいな言い方するなよ!』
頭に浮かんでしまったギルギの幻想が、その評価は心外だと抗議した。
首を振って、無駄な思考を割く。
「いい、加減にっ…!」
意識をレイナに集中しろ。
何か、何かあるはずだ。彼女が生きたまま、聖痕もダックさんも取り戻す方法が。
最初は同族を滅ぼすことが目的だった。それなのに、今はそれとは真逆のことをしようとしている。
でもそれは仕方のないことだと、敢えて自分を正当化させる。
初めて、初めて言葉が通じたのだ。
そして、彼女自身も生きたがっているのだ。
だから、ここで無感情に彼女を殺すのは、絶対にしてはいけない。
少なくともメルリは、メルリなら、なんとかして彼女を救おうとするはずだ。
僕が、その優しさに憧れた彼女なら。
(だが…)
彼女自身も、方法は知らない。
だから花畑で暴れて、僕に殺されようとしたのだ。
それでも死にたくないから、一生懸命に抗っているのだ。
このままでは、埒が開かない。
(仕方ない。一度、取り押さえる——!)
気絶でもさせて、その後で落ち着いて解決法を考える。
しっかりと説得すれば、ダックさん達も解放してくれるはずだ。彼と頭を突き合わせれば、いい案が浮かぶかもしれない。
覚悟を決めた僕は、レイナへと飛びかかる。
レイナは両前脚で防御の姿勢をとる。それを片腕で弾いて、赤みがかったその身体を押し倒す。
「きゃっ!」
喉から絞り出したような高い声を無視して、彼女の四肢と尾を、自分の四肢と尾で固める。
これで彼女は動けないはずだ。
「…やっぱり、あなたには、勝てない」
彼女の低い声が響く。それで諦めてくれた事を察する。
「僕らの仲間を、解放してくれないか!彼らと考えれば、何かいい方法が浮かぶかもしれないんだ!」
彼女の四肢をガッチリと押さえたまま言う。そんなつもりはなかったのに、語気が強くて叫んでいるようになってしまった。
でも、そのお陰か僕の真剣さを彼女も感じ取ったようで、四肢から力が抜けたのが分かった。
「…あなたって…」
「その前に、聞きたいことがあるんだ」
何か言いかけた彼女を静止して、先にこちらの疑問をぶつける。
冷静になった今だからこそ聞けることだ。そもそも、根本から変だった。
「君はどうして、僕らの事を知っているんだ?僕らの存在も、聖痕を探している事も」
「……それ、言ってなかった、っけ」
呆れたような声。
どうやら落ち着いてくれたらしい。と言うか、四肢を抑えれて、勝ち目がないと判断したのだろう。
「えぇっと…ああ、そうそう。あなた達の言う…空読み?と同じで、私たちにも情報通がいるの」
その彼から聞いたのだと、レイナは言った。
「だから、私みたいに正気に戻った同族は…あなた達聖女一行のこと、知ってると…思う。彼が、何人の同族にあなた達のこと、話したか…知らないけど」
その情報は初耳だった。
つまりこれから出会う災竜の中には、こちらの事情を知っているということになる。時には、レイナのように生きたいがために襲ってくる者もいるかもしれない。
有益ではあったが、危険な情報でもあった。
「情報ありがとう。それじゃあ、ダックさんを…」
「……私がさっき言いかけた事、今度はしっかり、言うね」
解放してほしい、と言う前にレイナが口を開いた。
その瞳には、先ほどまでの光はなく、どこまでも曇って。
「あなたは——本当に、優しすぎるよ」
それに違和感を感じる間も無く、彼女の四肢に力が入った。
予想外の展開に彼女を抑えきれず、立ち上がらせてしまう。
そして次の瞬間、彼女は掴まれたのをそのままに、僕の腕を片方持っていた。
「だって、こんなに簡単に、騙されちゃうんだから」
呆然とする自分へと言葉を放ち、そして。
「でも——それが魅力、かも」
鋭い爪を生やした僕の腕を、彼女自身の首に突き刺した。
———
暗い、暗い世界に、不自然に花が咲いている。
その花は、周りから明らかに浮いていた。
無機質な壁とも床とも違う、そこだけ確かに暖かさを感じる。
そもそも、このような暗闇の中で、花が生きていけるものなのか。
「この花は…」
恐る恐る眺めるグレム・コンボボロ・イルーシアの前に出て、ダック・ボンデールはその花へ手を伸ばした。
なんの変哲もない、草の感触が触れた指から伝わる。
「…大丈です。本当にただの花ですね」
「そうですか…どうしてこんな所に花が?」
安心したグレムが投げかけた疑問に、ダックは首を振って答える。
分からないことが多すぎる。
ここはどこなのか。どうやったら外に出られるのか。最後に見た災竜との関係は。
そしてこの花は。
「グレムさん。この花がなんだか、知っていますか?」
彼は花畑の観光を生業にする、この島の島主だ。
花は花屋といったところか。
「ええ、分かります…これは、ヒヨクソウですね」
「ヒヨクソウ?」
「ええ…必ず二輪で咲く花です。種子の頃から、二つ並んで植えるのです。一輪だけだと、花を咲かす前に枯れてしまうので」
説明されてじっくり見てみても、本当になんの変哲もない花だ。
「なぜこの花が…」
ドサ。
再び思考に沈もうとしたダックの耳に、その様な音が入った。
二人して音の方を見る。暗くてよく見えないが、何かが落ちてきた様な音だ。
顔を見合わせて、音のした方へ向かう。落ちてきたという事は、上にも空間があるのか。
そんなことを考えていた時、落ちてきた人物のが見えて、二人同時に驚く。
一瞬の硬直の後、先に声をあげたのはグレムの方だった。
「…っアンナ!」




