8、聖痕の正体
最初にそこを見つけたのは、森の中を歩いている時だった。
確か、今からちょうど一年ぐらい前だ。
またこっそり動物達と戯れていた所を、お父様に見つかってこっぴどく叱られ、無理やり花畑エリアへ連れてこられていた。
厳しい父が嫌いになっていた。
なんで自分にあんなに激しく叱るのか、訳が分からなかった。
きっとお父様は自分のことが嫌いなんだと、思う。
だってそうじゃなきゃ、あんなに激しく叱るはずない。
そんなことを考えてたからか、道に迷ってしまった。
一緒に来ていた島民ともはぐれてしまい、途端に心細くなる。
そんな時に、茂みに影にぽっかり空いた穴を見つけたのだ。
特に意味もなく中を覗こうとして、バランスを崩して穴の中に落ちてしまう。
「だ、誰っ!?」
広い洞窟に、声が響く。
穴から落ちて頭をぶつけた私は、朦朧とした意識の中でその声を聞いた。
「ちょ、ちょっとあなた、怪我してるの!?」
声が近寄ってくる。
じんじんと頭が鳴っているのを感じながら、意識を手放した。
「あなたは…だれ?」
「えっと…まず、そっちから名乗って」
次に目を覚ました時、頭の痛みは鳴りは潜め、代わりにずんぐりと重かった。
落ちた穴の下にあった洞窟。そこにいた年上の彼女に手当されたのだと、ぼんやりと思った。
「…私は、アンナよ。アンナ・コンボボロ・エルーシア」
「その氏族名…あなた、今の島主の娘?」
「うん、そうよ。あなたの名前は?何で洞窟に住んでるの?」
意識がはっきりとしてくるうちに、目の前の彼女のことが気になってきた。
「…私は、レイナ・イルーシア。ここに住んでいるのは…まあ、昔から、そうだったから…」
その時の彼女は、私に氏族名を教えてくれなかった。
「昔から…?」
「そう。えっと…私、花守だから」
「花守…花守さま?」
「うん…その花守」
信じられなかったけど、なぜか信じてしまえた。レイナと言った彼女が、自分とそれほど歳が離れてないと思ったからしれない。
実際は、そんなことなかったのに。
「あなた、島主の娘なら…親が心配しているかも。ここ…外につながっているから…送ってあげられる…」
「…いい」
拒否した。
不思議そうな目を向けてくる彼女へ、まっすぐな視線を向ける。
今は、自分が嫌いな父様のことなんか考えたくない。
そんなことよりも、自分と歳の近い子に出会えたことが嬉しかった。
「…あの」
いつもお仕事ばかりで、誰とも遊べなかった。
歳の近い子達も、自分の仕事で忙しくて。
だから、花守さまなら。
私の些細な願いを叶えてくれると思った。
「…私の——」
その時彼女の顔に浮かんだ、苦しそうな表情の訳を、私はついぞ知らなかった。
———
「ごめん…ごめん、なさい…」
僕は目の前の光景を、唖然と眺めていた。
自分の掌に乗った少女が、それより何十倍の体躯を持つ巨大な怪物を謝らせている。
目の前の災竜、名はレイナ・ドラメル・イルーシアと言った。
どうにも、アンナちゃんが来てから威勢が弱い。
先程まで花畑を荒らしていたとは思えない。
彼女は一体、何が目的なのだろうか。
「…うん。分かったらいいよ」
かなり弱腰になってしまったレイナを見て、居た堪れなくなったのか、アンナちゃんが語彙を弱める。
「それで、なんでこんなことしたの?」
僕の方をチラッと見てから、アンナちゃんは聞いた。
賢い子だ。僕がどうして君を連れて来たのか、しっかり理解している。
彼女が暴れていた理由を聞き出したい。
しかし、同じ災竜の自分が行ったらまたギルギの時のように、先手で仕掛けられるかもしれない。
だから、彼女と関わりのあるアンナちゃんを中間に置いた。レイナと言った彼女が、これ以上暴れないように。
「…それは」
アンナちゃんの疑問に、レイナは窮した。
少しの間沈黙が続き、やがてボソリと呟くように。
「…死にたく、なかったから」
「…え?」
どういうことなのだろうか。意味が分からない。
僕の困惑に、彼女は驚いたように目を見開いた。
なんだ。
なんだか彼女と自分の間で、情報が錯綜している気がする。何かが噛み合ってない。
「…どういう、ことだ?」
「どういうって…あなた、探しているんでしょう?」
僕の疑問にも、普通に答えて来てくれた。
どうやらアンナちゃんの仲介の役割は、功を奏したようだ。
それにしても。
「探しているって…」
今の自分が、自分たちが探しているものといえば、一つしか思いつかない。
「…『小さな花畑』」
弾かれたように、歩を一歩進める。ズシンと予想以上な振動が響いた。
あまりこういう事はしたくないのだが、興奮がそれを許さない。
「知っているのか、聖痕のありかを!?」
体を乗り出して聞く。掌のアンナちゃんが、そのせいで起こった揺れを指につかまって耐える。
いけない。彼女を傷つけでもしてしまったら、レイナが何をするか分からない。
「あなた…もしかして何も知らないの…?」
レイナの瞳が広がる。それに僕は首を下げて肯定する。
彼女の気配が、突然固いものを帯びた。
「…聖痕は、『奇跡』が刻まれたもののこと。『奇跡』は知っているでしょ?」
レイナの口から、ボロボロと言葉が溢れる。
普通の人ではできない妙技、治癒だったり、俊足だったり、剣だったりの名が付くそれらは、『祝福』と呼ばれる。
神が無作為に人に与える妙技が『祝福』であるなら、神が特定の人にだけ特別に与えるものを『加護』という。
そしてそれより上位、神が直々に人に与える神の権能そのもの、だとされているものが『奇跡』と呼ばれるものだ。
聖痕とは、『浮遊の祝福』が刻まれた空船の浮遊石のように、『奇跡』が刻まれたものの事だという。
「…だが、それと君が死にたくないのとは、なんの関係が…」
「関係も何も、そのまま。私たちのこの力は——」
言いながら、彼女は片足を上げる。
私たちの、この力。ドラメル族の竜の力は、竜の神から授かったもの…。
まて。
神から、授かった?
だとしたら、それはどう考えても。
「—『竜の奇跡』と、そう言われるもの」
今まで、自分の力がどんなものなのか、全く知らなかった。
ただ使えて、それがあまり使ってはいけない事を悟って。
名前が付けられていることすら、知らなかった。
あるいはギルギとかなら、知っていたのかもしれない。
でも今はそこではない。重要なのはそんなことではない。
「…では、『奇跡』が刻まれた聖痕というのは…」
聞きたくないと分かっていながらも、聞いてしまう。
返ってくるのは、予想通りの言葉。
対話で解決を試みようとした自分が、絶対に聞きたくなかった、言葉。
「…『奇跡』は私たちの心臓に刻まれた。聖痕は、私の心臓」
声が出ない。叫びたいのに、喉が詰まってしまったようだ。
「…付けられた名は、『小さな花畑』」
アンナちゃんの顔に、不安が浮かぶ。
やめろ。それ以上聞きたくない。
「…あなたが先に進むには、私を殺して心臓を抉り出すしか、ない」
死にたくないと言った彼女は、だから暴れた。
それに対して対話がしたいと言った自分の、救えない愚かさを思い知った。
———
ハッと目を覚ました時、ダック・ボンデールは自分が何処にいるのか分からなかった。
覚えているのは、巨大な何かに捕まれたこと。
自分の隣にいたカイルス・フェキシフトを庇って。
「……」
彼は無事だろうか。
彼だけではない。メルリは?ペミーは?エルギオは?
立ち上がって、見渡す。
暗い。ぼんやりとしか、周りが見えない。
自分の体を探る。どうやら、何も取られていないようだ。
腰にぶら下げた緊急用の小物入れを弄る。もしもの時のためと、持っておいてよかった。
手触りで、小型の携行燈を見つける。
手探りでつまみを回すと、『光の祝福』が刻まれた中身が、ほんのり光る。
と、目の前に自分以外のもう一人がいるのを見つけた。
そして、その顔立ちと髭には見覚えがある。
「…島主?」
この島の島主たるグレム・コンボボロ・イルーシアが、倒れていた。




