7、花守の正体 2
——数分前——
坂道を登っていく大きな背中を、なんとなく複雑な気持ちで見つめる。
そう言えば、こうやって彼と二人きりになるのは、久しぶりだった。
それも仕方がない、最近彼…ダックさんとは微妙な関係になっているからだ。
ハーマレー島で殺人事件が起き、その末に災竜が暴れて有耶無耶になっていたが。
自分とダックさんは、主に自分の発言が原因で気まずくなっていた。
(…でも、ダックさんはいつも、俺にだけ特別厳しいからな)
思えば昔からそうだった。
ダックさんは、自分に対して叱ることがメルリより多い。
叱られて然るべきな時はともかく、何かと当たりが強いと思う。
(…メルリやエルギオには、甘々だもんなぁ)
実際にはメルリに対しても厳しい時はあるが、自分からすればエルギオへのそれと変わらない。
なんで自分だけが、と思ったことはある。
けれどそれより、拾ってもらって、育ててくれた恩もある。
それにギルギが暴れた時も、自分を守って重い怪我をして。
(…なんで)
暗い考えが、胸をよぎった。
叱られるような事を多くして、メルリやエルギオのように落ち着きもなくて。
有事に怯えて動けなかった自分を、彼は拾ってくれたのか。
考えすぎなのは分かっているが、思考は止められない。
そのうちに、坂を上り切って空岸沿いに出る。
そのまま花屋敷に向かう間も、ダックさんは一言も喋らなかった。
なんとなく話しかけづらくて、粛々と彼の後を追う。
今の彼は、さっきアンナちゃんへ叱ったばかりなのだ。
よく叱られている身として、今の彼がどう思っているのか分からない。
そんなこんなで、花屋敷の入り口まで戻って来た。
「島民って…誰を呼ぶつもりなんだ…?」
流石に聞かねばまずいと思って、意を決して口を開く。
「島主に聞いて、丁度良いのを連れて来させるつもりだ」
「あー…」
これ以上ないほど、今では最適な解。
自分では、考えすらもしなかった。
感心する自分の横で、ダックさんが扉を叩く。
しかし、初めて来た時はすぐに使いの島民が出たのに、今度は来ない。
それどころか、扉の向こうから物音ひとつ聞こえないようだ。
異変を感じて、ダックさんの顔が顰められる。
ノブに手を回すと、扉はあっけなく開いた。
中は不気味な程に静かだ。
「グレムさん、どうしたんだ…?」
不安を感じる自分の声が、静かな屋内に響いていく。
「分からない…だが、何かが」
起こったのだろう、と言う前に、扉の向こうの玄関に異変が起こった。
入り口から一番遠くにある扉が、周りの床や壁ごとぐわんと歪んだのだ。
そして次の瞬間、何か巨大なものが壁ごと扉をぶち破って飛んできた。
一瞬だった。動けなかった。
気づいた時には、ダックさんの歪んだ顔が目の前にあった。
「…ふ……」
「ダックさん…?」
屋敷の奥から飛んできたものは、巨大な腕で。
その広い掌は、ガッチリとダックさんを掴んでいて。
ダックさんは自分を庇って掴まれていて。
それら全てを理解した時、屋敷の奥から怪物が現れた。
………。
……………。
走った。
ただ、来た道を戻って走った。
後ろも振り返らずに、がむしゃらに。
「—すまねぇが、お前が必要になっちまった」
自分を飛び越えて、花畑に降り立った災竜。
その手に、彼が捕まっているのが見えて。
「…まだ、生きてる、と思う…」
災竜への恐怖より、ダックさんを失う事への恐怖が勝って。
それでも自分は、結局エルギオに頼るしかなくて。
「…くそ」
花畑で暴れる災竜をメルリ達と見つけた時の、溢れた声と顰めた顔。
何も出来ぬ自分の不甲斐なさを、どこまでも呪っていた。
——現在——
「…ダメだよ!レイナちゃん!!」
アンナちゃんが叫んだ言葉の意味を、その瞬間は理解できなかった。
しかし、それを聞いた災竜が明らかにこちらを向いて動揺したのを見て、大まかに察してしまう。
恐らくレイナとは、あの災竜、というか、あのドラメル族の名前。
そしてアンナちゃんとあのドラメル族は、お互いを知っていた。
こんな所だろうか。
「…っ!メルリ!多分この子は、あの災竜と知り合いだ」
辿り着いた結論を、メルリにぶつける。
彼女もなんとなく分かっていようで、全身から驚きを表しながらも頷いた。
「それなら、あの災竜を止める為に、彼女の協力が必要だ」
メルリの瞳に恐怖が宿る。
すぐ横から、カイが彼女の肩に手を置いた。
何かを耐えているような苦しい顔で、カイはメルリに首を振る。
「…大丈夫。この子の安全は保証する」
「…分かった」
震えながらも、その瞳に強い光が宿る。
彼女は自分を弱いと言ったが、土壇場ではこうゆう強さと優しさを持っている。
十年前、それに自分は救われたのだから。
「…アンナちゃん。今から、一緒にあそこに行きたいんだ」
災竜を睨んでいた少女に話しかける。
困惑の色が瞳に写ったのを無視して、少女を背負う。
「…うわぁ!」
「少し…目を瞑っててくれるかな?」
語りかけるように言うと、少女は少し迷った後に頷いて目を閉じた。
「じゃあ…行ってくる」
「頼むぜエルギオ…ダックさんを」
カイの縋り付くような目に頷いて、僕は災竜の方へ走り出した。
(いつものように…竜の力を引き出す…)
胸の内がドクンと鳴る。
想像するのは、炎。
いつもは体の奥に潜めている炎を、意識して引き摺り出すように。
ずるずると、ぐるぐると。
途端に、胸の内から手足の先へ、燃えるような感触が広がっていく。
同時に自分の体と意識が大きくなっていく。
目線が段々と上がってゆき、気づけば四肢は真っ白な脚へ。
いつの間にか飛んでいた意識を手繰り寄せる。
そうして、自分が巨大な獣になっている事を自覚した。
(アンナちゃんは…よかった。無事にいる)
自分の広い背中に、虫がいるような感覚がある。
どうやら彼女は、落とされずに済んでいたようだ。
竜の力を使う瞬間だけは、一瞬だけでも自分の意識がなくなるので、周りがどうなったのか把握するのが遅れるのだ。
(さてと…)
眼前に意識を向けると、自分を見て怯えているらしい災竜がいる。
ギルギのことを思うと、その姿は少し意外だ。
喉の辺りに、力を込める。確か、やり方はこれで合っているはず。
「君は…レイナ、と言う名前なのか?」
まずは状況を確認したい。
『心話』を使うと、相手の災竜は驚いたようだった。
「…あなた、それ使えるんだ…」
相手から言葉が返ってきた。
夜の奏蟲のような、凛とした声だった。
それから、どうやらギルギのような相手ではないことが分かって、とりあえずホッとする。
「…質問に答えて欲しい。君は、レイナという名前なのか?」
「質問…うん。私の名前はレイナ・ドラメル・イルーシア。竜名は…リトル・ラヴァー」
質問にも答えてくれた。
これなら、どうやら対話で解決できそうだ。
彼女が、今現在どれくらいの被害を出しているかによるが。
「答えてくれてありがとう。…君と、対話がしたい」
言いながら、背中に感じる小さな命へ、ゆっくり腕をあげる。
慎重に、傷つけないように。
察しがいい。虫のような感覚の彼女が、指に乗っかったのを感じた。
ゆっくりと慎重に、腕を前に持ってくる。
僕の掌の中で、少女が僕の爪にしがみついているのが見えた。
落ちないように、掌の上まで移動させる。
「…っ!レイナちゃん!」
床…というか僕の掌の毛…の感触を確かめていたアンナちゃんが、彼女を視認して声を上げる。
レイナが、少女を見つけて一歩後ずさる。
「アンナちゃん…」
「花を傷つけちゃ、だめでしょう!守っているんじゃなかったの!?」
「それは…」
アンナちゃんが声を上げるたびに、レイナの声が弱くなっていく。
花を守っている、とは。
「そんなんじゃ、花守失格だよ!」
「……ごめん」
小さく驚く。
花守さまとは、レイナのことだったのか。
二人の関係は、思っている以上に複雑なのかもしれない。
ダックさんの現状を何がなんでも知りたいが、今はアンナちゃんに任せるしかない。




