3、命と花の島 2
風に乗って花の香りが飛んでくる。同時に、動物たちの鳴き声も聞こえてくる。
この島ならではの光景の中、私たちは助けた少女アンナと一緒に、道を歩いていた。
彼女の片手はしっかりと綿鹿の角を握っている。
「…私、お父様から花畑の世話をするよう言われているんです。でも私、花より動物の方が好きで」
島主の娘が、どうして道の途中で獣に襲われていたのか。
私が聞いたその疑問に、彼女は一つ一つ答えていた。
私たちより幼く、整った可愛らしい見た目に反して、しっかりした子のようだ。
島主の子として、次期島主としての教育を施されているのだろう。
「だから、いつもこっそり牧場の方に行っていたんですけど。今日はこの子が変で」
そう言って、横を歩く綿鹿を、角を持っていない方の手で撫でる。
綿鹿が、気持ち良さそうに高く鳴いた。
「変って?」
「…足を、怪我しているな」
「えっ?」
カイがアンナへ投げた疑問に、ダックさんが横から答えた。
確かに綿鹿の四本の足のうちの一つが、少し引きずっているように見えた。
エルギオが近づいて、引きずっている足をよく見て言った。
「…本当だ。赤く腫れている。よく気づきましたね、ダックさん」
「突進態勢の時に、違和感があってな」
そんな事、私たちは気付く余裕すらなかった。
視線を綿鹿から戻したアンナちゃんが、本題を続ける。
「治してあげたくて、牧場からこの道へ出そうとしたんです」
牧場とこの道を分ける木製の柵には、所々行き来するためのゲートがある。
さっき綿鹿が暴れていたのは、そのゲートの一つの近くだった。
「その時まで角は持っていたんですけど、風で揺れたゲートが尻毛に当たってしまって」
「尻毛?」
「綿鹿の尻の辺りの毛のことだ。逆立っているから、衝撃を与えてはいけない場所だ」
そんな場所にゲートが当たってしまい、暴れてしまった。
と、後は彼女が言わなくても分かった。
「…この先に、動物医療用の小屋があります。獣医さんも常駐しているので、そこまで届けるつもりです」
そう言い終わらないうちに、道の先に小屋が見えた。小屋は、柵を跨ぐ形で半分を牧場に、半分を道に出していた。
どちらからも出入りできるようで、今回みたいに道に出てしまった動物を、牧場へ帰す為のものでもあるのだろう。
「…あの、本当に色々ありがとうございました」
小屋の入り口まで来た所で、アンナちゃんは片手で綿鹿の角を持ちながら頭を下げた。
「島主の娘なら、ちょうどいい。私たちは今島主に会うつもりだった」
アンナちゃんの謝罪を受け入れた後に、ダックさんが口を開いた。
「…お父様に?」
「そ、そうなの。だから、先に行って私達のことを、あなたのお父さんに伝えてもらえないかな?」
ダックさんが何を言おうとしていたかを察して、私が先に口を挟む。
「いきなり赴いたら、迷惑をかけると思うし」
一応は聖女である私が、少しは話を進めたい。
彼に、全て抱っこにおんぶは嫌だった。
「それはいいけど…この子は」
「その綿鹿なら、俺たちが見ておくから。獣医もいるんだろ?なら大丈夫だから、な?」
カイが助け舟を出す。
いつの間にかペミーを抱えたエルギオが、無言で頷いて同意を示した。
ペミー、いつの間にエルギオと仲良くなったんだろう。
「…分かりました。それじゃあ……ぁ」
お願いします、という言葉が出る前に、アンナの口から小さな声が漏れた。
彼女の視線が、私たちを外れて遠くを捉える。
牧場の反対側、花畑の方。
振り返ると、花畑の中に花をいっぱいに抱えた少女が立ち尽くしていた。
アンナと同じ赤みがかった髪を短く切り揃え、薄桃色の瞳を大きく見開いている。
観光客か何かだろうか。
私の視線に気付いたその少女は、慌てた様子で近くの木々の中へで走り去っていった。
視線を戻した時、アンナちゃんの様子は変わっていた。どこかそわそわしている。
「……どうしたの?」
「…あ、いや、何でもないです。じゃあ、この子をお願いします」
何も無げに取り繕って、アンナちゃんは綿鹿の角をダックさんに預ける。
そして、振り返りもせずに運営部への道を走り出した。
急ぐ必要はないのだが、何か焦っているように思えた。
「…?」
私が感じた違和感は、どうやらエルギオやダックさんも感じたらしい。
ダックさんはアンナちゃんが向かった道の先を、エルギオは彼女がみていた少女が居た場所を、それぞれ眺めていた。
「ペムゥ…?」
どうやら、ペミーも違和感に気付いたようだった。
と、降りた静寂にカイの声が響いた。
「さ、さっさと小屋に入ろうぜ。いつまでも外にいたら、それはそれで迷惑だし」
「…そうだな」
ダックさんとカイが、小屋の扉を開けて綿鹿を中に入れた。
中から、獣医と思しき人の声も聞こえてきた。怪我した綿鹿は、獣医が治してくれるだろう。
…突然やってきた私たちに関しては、ダックさんが説明してくれる。
いつもすみません。頼みます、ダックさん。
こういう時は、まず私が最初に入って説明すべきなのだが、私は小屋には入らなかった。
「…エルギオ?」
「ミィ…?」
私とペミーの声がエルギオへ向く。
彼の様子が、いつもと違うことに気付いていたからだ。
彼は、先程見た少女が居た花畑を見ていた。もう少女の姿は見えない。
しかし、彼はそこをじっと見ていた。彼の瞳が不穏に煌めいた。
「あの子は…」
呟いた彼の声に、心臓がドクンと跳ねた。
不穏に煌めいていた瞳のまま、エルギオは小さく何かを呟いている。
が、小さく首を振って、彼は瞳の不穏な光を打ち消した。
「…多分、気のせいだ。何でもないよ」
エルギオはそう言って笑い、小屋の中に入っていく。
私もそれに続いたが、胸の中に小さな不安が芽吹いていた。
獣医さんが綿鹿の怪我の処置を終わらせた頃、見知らぬ島民が私たちを呼びにきた。
島主の命で、私たちを迎えにきたという。
島民に連れられて、治療小屋を離れ島の運営部へと向かう。
コンボボロの島主と、対面する時だった。
———
何ということか。
ついに来てしまった。この時が。
ついに来てしまった。あの人が。
太い木が生えた所で、私は走るのをやめた。
木の幹に体を預けて、地面にずり落ちる。
肩で息をしていて、肺が痛い。
両手で顔を覆う。
何で。なんで今なのか。
もう少し早くか、もう少し遅くに来てほしかった。
なんで。なんで今来てしまったのか。
「ああ—」
声にならない声が漏れる。
とっさに隠れたせいで、持っていた花も全て落としてしまった。
だって仕方がないじゃないか。
「どうして—」
多分、あそこにいた聖女一行全員に見られた。
しかもなぜか、その中にあんな奴がいるなんて。
「アンナ、ごめんね…」
声に漏れるのは、謝罪の言葉。
あの時私を見つけてしまった、どこまでも清らかな彼女。
私は木の幹に寄りかかった姿勢のまま、絶望にうちにしがれていた。
「死にたく、ない…」
どうしようもない恐怖が、胸を駆ける。
それに抗うように本能が暴れ出すのを、理性で必死に抑える。
同時に、自分の異質さ否応なくを思い知る。
どうして。
どうして今なのか。
今でなければ良かったのに。
今でなければ全てうまく行っていたのに。
今でなければ。
今でなければ。
——今でなければ、手放せたのに。




