9、空読み様
「貴方、ちょっと出ない?」
朗らかな日差しが、窓の外から差し込んでいる。暖かなある日の午後、ローラ・ハーマレー・ネネリアは、自分の夫を本部の外へ連れ出した。
寡黙な夫は静かに手を繋ぎ、ゆっくりと森の中を歩く。
夫は、小さな頃から、島全体の地理を父親に叩き込まれていた。だから迷うことはなかった。
「日差しが暖かいわねぇ」
「…ああ、そうだな」
夫の低い声が響く。
その瞳は、午後の日差しも森の木々も、私さえも見ていない。
見ているのは、ただ自分の島の未来。
ホラ・ハーマレーは、病的なほど自分の島のことを想っていた。
「…全く、貴方という人は」
本当にバカ真面目で、笑ってしまうくらい。
初めて会った時、彼の許嫁としてこの島を訪れた時は、しっかり者の兄の後ろに隠れていたのに。
「そんなに島主の責任を、感じることはありませんわ。今は、隣に私がいますので」
ここは、世界最大の島だ。それの半分でも統治する彼の肩には、どれだけの責任がかかっているか、自分ですら正確には分からない。
「…すまない。だが、優しい君がこんなものを背負う必要は…」
「あら、お望みとあらば、鬼女でも何にでもなれますわよ?」
せめて、貴方の肩の荷物を。妻として、その半分でも背負えるように。
幼い頃から、母親に叩き込まれた自分の見せ方一つで、演じることはできる。
そう微笑みかけると、奥手な夫は、顔を私から逸らして言った。
「…そんなもの、お前には似合わん」
「…え」
恥じらいの混じった惚気に、笑いと困惑が混じって硬直する。次の瞬間には、笑いが勝って噴き出した。
「あ、あははは!」
ああもう、この人は本当に不器用なんだから。
でもだからこそ、好きになったわけで。
「…あんまり、豪快に笑うな…」
「だって…だって…!ははは!」
日の差し込む森の中。
それは、いつかの日にあった、夫婦水入らずの時間だった。
———
カイと和解した二日後、ローラさんの部下が、私たちに報せをくれた。
曰く、復興終了の目処がなんとか立ったので、聖女の本来の目的を果たせるようになった、という事だった。
聖女の、私たちの本来の目的。それは、聖女の存在を予言した、ハーマレー島の空読み様に会うことだ。
聖女を予言したくらいなら、私たちの最終目的、災竜を倒す方法なんかも知っているかもしれない。
もし知らなくても、この後の旅に関わるなんらかのヒントを得られるかもしれない。
どちらにせよ、空読み様に会うのは絶対だった。
「三人とも、もういいのか?」
「うん。ありがとう、ダックさん」
空読み様を呼ぶには、本来ハーマレーの二人の島主が必要だが、今回は有事ということで、ホラさんの代わりをローラさんが請け負った。
二人の島主が、空読みの使徒という人に請願すると、空読み塔の最上階の扉が開かれる。
そして、その奥に空読み様はいる。
請願を受け取りに来た空読みの使徒達は、真っ白なローブで顔や頭まで隠して、布の間から眼光を覗かせていた。
一瞬、この人達は人間じゃないのかもと思えるほど、異質だった。
「つきましたよ、最上階です」
「…私は、ここにくるのは初めてですわね」
そうして、私たちは空読み塔の最上階まで来たのだった。
この辺りは、ギルギと闘っていたエルギオが、気絶する寸前に守ったという。
空読み様が闘いに巻き込まれていたら、どうなっていたかわからない。
扉が開く。
中から、明るい光が流れ出した。
「…この先に、空読み様が」
「カイ、メルリ、エルギオ。ペミーも、気を引き締めるように」
カイとダックさんの緊張が、声からも伝わってくる。
「ペ、ムム…」
「…メルリ」
みんなが私を見ている。最初の言葉を、私に委ねるように。でも、不思議と肩は重くならなかった。
「…よし、行こう!」
一息をついて、そう宣言した。それと同時に、足を踏み出して部屋へと入った。
明るい光に包まれたと思った次には、私たちは広い部屋にいた。
塔の最上階は、この部屋だけのようだ。
部屋に壁はなく、代わりに一面窓がはめられていて、島の風景が見える。天井には、空のような風景の絵が飾られている。
そして、部屋の奥の一段高くなった座に、一人の老人が座っていた。
「よく来たのぅ、運命の聖女よ」
私達が老人を見つけたのと同時に、部屋に低い声が響いた。
低いが、どこか抜けた声だ。
「あなたは…」
「そうそう。わしが空読みじゃよ」
そう言って、老人は手を振った。
使徒達と同じように、真っ白なローブを着ているが、白い髭に穏やかな笑顔を浮かべた顔は、隠さずにいた。
「ほれほれ、そんな遠くにおらずに、近うよれ」
「……」
もっと凄そうな人が来ると思っていた私たちは、気の抜けたような老人に、完全に出鼻をくじかれた。
少しして、大人達から硬直をといていく。全員が硬直から立ち直ってから、老人の前まで近づいた。
「…なんか、想像と違う」
「ほっほっ!よく言われる」
ボソッと言ったカイの言葉に、笑って老人は返す。カイがそれにまたびっくりして、固まった。
何というか、緊張感が無いというか。
だめだだめだ。
ここに来た目的を、忘れちゃいけない。首を振って、老人に話しかける。
「…あの!私たち、あなたに話を聞きに来たんです!」
「知っておるよ、聖女メルリ。ここからは、島の全てが見えてたからの」
そう言って、老人は壁一面の窓へ向く。そして、私たちの方へ視線を戻した時、何かに気付いたのか、目を見開いた。
「お?おおお…ほぉー予言の通りよな」
「予言!?まさか、新たな予言が…?」
老人の言葉に、ヒラさんが乗り出して聞いた。新しい空読みの予言が、来ていたようだ。
私たちも無関係じゃ無いし、本題じゃ無いけど気になる。
「まぁ待て。そう焦るな」
そう言うと、老人は咳ばらいをして、予言を話し出した。突然声色が厳格になって、思わず誰もが静かになる。
「…竜を滅ぼす聖女、運命の血筋の少年と、再び会うだろう…これ、半月ちょっと前に来た予言ね」
「運命の血筋の少年、って…」
誰もが視線をエルギオへと向けた。この中でエルギオだけが、災竜に関わる運命…ドラメル族の血を引いている。再び会うって部分も合ってる。
空読みの予言は、エルギオのことまで見ていたのか。
「ま、いーや。あんたらの本題は、これじゃ無いでしょ?」
「…あ、そうですわね。ほら、メルリ」
「…あ、はい。」
ローラさんに背中を押されて、私は老人ー空読み様に向き直る。
「えっと、あなたは私が竜を…倒す聖女だという予言を、授かったんですよね?」
「おおそうじゃ。我らを見守る神からの」
その返事に頷く。やっぱり予言された聖女は、私で間違いないようだった。
「では聞きます…私は、一体何をすれば?」
「ふむ…」
ずっと聞きたかったことだ。
私が竜を倒すと予言されたのはわかる。でも私は、ただの人間だ。一体どうすれば、その予言が真実となるのか。
予言をおろした張本人なら、何か分かるかもしれない。
「…知らん」
「……え?」
淡々ともれた声に、私だけでなく皆んながポカンとした。
知らないって、そんな。
愕然としている私たちに、空読み様は容赦なく言葉を続けた。
「わしはあくまで予言するだけじゃ。それをどうするかは、お主らしだ——」
ズ。
ズ、ズ、ズザ。
突然。
耳元で、紙を擦り合わせるような音が響いて。
視界が、世界が揺れた。
無理解。無意味。無感覚。
何もかもがなくなって、何もかもが溢れるような。
声を出せず、溶けていく世界を見ることしかできなくて。
ザ。
ザ、ズザ。
それは一瞬のうちに終わり、私の中に不思議な不快感だけを残した。
しかし、それが残したのはそれだけじゃ無かった。
「ア——」
誰もが、今の一瞬の出来事に硬直している中、空読み様の声が響いた。
老人は立ち上がっていた。
瞳のない、白目を剥いた状態で。
「…!?」
「あれは!?」
突然の豹変に、誰もが老人を見つめる中、再び老人の声が響いた。どこか無機質で、背中の底が震えるような声だった。
『…竜を、滅ぼすセイジョ。セカイを周り、三つの聖痕をアツめよ。さすれば竜のシマへのトビラ、開かれん』
まるで、広話機越しに話しているような、違う音が混じった声だった。
言いようのない恐ろしさが、身体中を駆け巡る。
『…一つ、小さな花バタケ。一つ、ケツガの紋章。一つ、剣のタマ柱』
恐ろしさの中で、ふと懐かしさが溢れる。声の中に、声の奥に、誰かを見たような気がして。
言い終えた次の瞬間、空読み様はだらりと崩れ落ちた。
「…っ空読み様!」
真っ先にヒラさんが駆け寄り、倒れる老人の体を支えた。ローラさんやダックさんも気がつき、カイや私もその後に続く。
明らかに変わった老人の様相。その奥に見えた、知らない人影を、誰もが無意識に払いながら。




