7、溝に降る雨
エルギオが立ち上がれるようになったのは、それから二日後だった。
私たちはその間、大人達にどう説明するかを、話し合っていた。
まず、ドラメル族の事。
次に、彼らの力の事。暴走の事。
そして、エルギオが母親から託された使命の事。
到底信じられる事じゃないけど、皆んななら信じてはくれると思った。納得してくれるかは、分からないけど。
「ミィ…」
「…大丈夫だよ。ペミー、心配してくれてありがとう」
ペミーはこの二日間、私達と一緒にいてくれた。
エルギオの秘密に最初に気付いたのは、恐らくペミーだ。ペミーはムロリメロ島にいた時から、エルギオに対するあたりが強かったから。
多分、空船の中で初めて彼に会った時から、彼が災竜である事を、動物の本能的な感覚か何か感じたのだろう。
なのにペミーは、ネイケシア島での事件があった後は、私とエルギオが一緒にいる事に特に反発しなかった。
それどころか、いつもと変わらず私についてくれている。
その優しさが、とても嬉しい。
「来たぞ、エルギオ」
ダックさんの声で、私は思考を切った。振り向くと、ダックさん達が私とエルギオがいる部屋に、入ってきていた。
カイの姿は無かった。
「カイは?」
「…まだ、飲み込めていない様だ。後で俺から言っておこう」
同様の疑問を抱いたエルギオの質問に、ダックさんは単調に応えた。
私たちは、避難所になっていたハーレ機関本部を離れて、空読み塔の中の部屋に移動していた。
万が一にも、誰か無関係の人に漏れないようにする為だ。
彼らが私たちの所に来る。
私とエルギオも、立ち上がった。
「私たちを呼んだという事は、話せる様になった、という事で良いんですわね?」
「急がせはしません。ゆっくり話してくれていいですよ」
ローラさんとヒラさんの優しさに頷いて、エルギオは私の一歩前に出た。
深呼吸一つ。
彼の話を補足する役目の私でさえも、重い緊張が体中に走る。
彼の負担は計り知れない。
「えっと、じゃあまずは——」
エルギオはゆっくりと、彼ができるなるべく全てを話し始めた。
一族のこと、竜の力のこと、彼自身の目的のこと。
私は機を見て、みんなにとって分かりにくい所を、補足して説明した。
秘密を打ち明けることが、こんなに怖くて腹の底を寒くするものなのかと、思いながら。
———
カイルス・フェキシフトは、塔の外で蹲っていた。
赤らんだ目を震わせながら、斜め下の地面を見つめている。
不意に背後に、誰かの気配が現れた。
振り向かずとも、それがダック・ボンデールのものだと分かった。
「…カイ」
「……なんだよ」
無感情な声に応える。
彼にとっては精一杯遠慮したつもりなのだろうが、側から見ると無遠慮に話しかけた様に聞こえる。
遠慮したつもりだと分かったのは、単に自分が彼と共に過ごした時間が長いから。
分かっている。
分かってはいるのだ。
ダック・ボンデールは不器用だということ。カイルス本人も、分かってはいるのだ。
「メルリ達から話は聞いた。エルギオは、災竜で間違いはない」
「…分かってるよ。んなこと」
「だが、人間の敵ではない、と彼の話を聞いて私は判断した」
「…分かってるって」
エルギオが人間の敵かどうかなんて、話を聞かなくても分かる。
ムロリメロ島を復興する時、彼の人々への態度は真摯だった。
そんな理由付けをしなくても、彼はいい人だ。だから、敵にはならないはずだ。
「だから…彼を、責めないでほしい」
——いや、そもそも問題はそこじゃない。
ダックは、それを分かってない。
「は」
カイルスには、ダックの無理解を責める資格はない。
不器用だと言ったが、それは彼も同じだった。
言わなければ、分かるわけない。
「…エルギオはさ、いい子だから。…その、弟みたいに思ってたんだ」
話し出したカイルスに、その内容も相まってダックは眉を顰める。一体彼は、何を言おうとしているのかと。
「背も、俺より低いし、歳だって…俺と同じか、一つ下ぐらいだろ?」
彼の実年齢は分からないが、14ぐらいだろうと、カイルスは初めて会った時に思ったものだ。
あの時彼は、自分が幼い対抗心を抱くほど、あんな若そうな見た目で、自分よりしっかりしていた。
「だから…その、エルギオといるの、楽しくて…」
同年代の同姓だからだろうか。彼とカイルスはよく馬が合った。
弟のように思っていたのと同時に。
仲間だと思っていたのより、前提として。
貴重な、自分と近しい友達だった。
「だから…えっと…」
自分は何を言いたいのか。
自分は何を言おうとしているのか。
カイルス自身が分からなくなってくる。
「でも、あいつの秘密を知ってさ…分かんなくなって」
今、自分は感情に任せて言葉を発しているのだと、カイルスは自覚する。
その着地点すら明らかになっていないのに、ただ思い浮かんだ言葉を並べている。
「あいつといるのは楽しいし、一緒に旅したい。…でも、災竜は確かに家族の仇で…」
言葉を話しながら、カイルスはようやく自分の感情が見えてきた気がし始める。
彼の瞳が潤んだ。
「だから…分かんねぇんだ…」
ああそうか。
自分は分からないのか。
エルギオへの友情と親近感。
災竜への殺意と憎悪。
その二つの板挟みになって、迷っているのか。
「ダックさん…俺、どうすればいいんだ…?」
「……」
絞り出したようなカイルスの言葉に、ダックは暫く瞑目する。
それが考えている、彼なりに迷っているからだとは、感情を昂らせたカイルスは分からない。
分からないから、感情に任せて嗚咽を漏らす。
泣いてしまう方が、楽になれると感じながら。
「…どうしたら……」
しばらく、カイルスの啜り泣きの声が響いた。彼の声が収まった頃、ダックの口から言葉が漏れた。
「どうしたらいいか、なんて俺も分からん」
「…え」
投げたような答えに、カイルスは困惑する。
別に答えを求めた嘆きでは無かったのだが、それでも分からないと言われるのは、突き放されたように彼は感じた。
「俺だって大いに悩んだ。エルギオは、俺にとっても大事な仲間だから」
「……」
殆ど無口のダックが、珍しく自身の内を吐露するのを、カイルスは困惑しながらも聞いていた。
「…エルギオの目的は、災竜を滅ぼすコトらしい」
「…!」
二人から聞いた事情を思い出しながら、ダックは言葉を続ける。
「彼と私達の目的は一致している。ならば、彼を突き放すのは得策じゃない」
災竜を倒すという目的が同じであるという理屈の面において、少なくとも自分達はエルギオと居ていいのだ。
そういう事を、ダックは口下手ながら彼なりに伝える。
「————おれ…」
口を開いても、続く言葉は出てこない。
自分は。自分はどう思っているのか。
エルギオと、どうありたいのか。
少しの間、カイルスは嗚咽を抑えて静かに考えていた。
ぐちゃぐちゃの自分の心と、向き合っていた。
やがて、カイルスは静かに立ち上がった。
「…俺、エルギオに謝らねぇと」
まだ涙で潤んだ瞳で。
きっちり整理できてない頭で。
どこか、吹っ切れたとも言えない様な顔で。
ただ、何かに突き動かされる様に。
「…ありがと、ダックさん」
そう言葉を言い残して、カイルスは空読み塔へと入っていった。
その様子を、ダックはじっと見つめ、そして小さく息を吐いた。
上手にカイの背中を押せなかった事を、自分の不器用さを、後悔しながら。
***
雨取り溝、というものがある。
そもそも雨というのは、島々のさらに上空。上雲と呼ばれる雲から大量の水滴が落ちる事だ。
大抵の島では、作物が育つほどしか降らないが、家々が流されるほど多く降る地域も、存在する。
その様な地域では、降った雨が通る道として、雨取り溝と呼ばれる小さな溝が、島中に張り巡らされている。
私的な意見だが、この雨取り溝。
理解し得ないもの同士の確執の隠喩として、用いることができるのではないだろうか。
であるならば、カイルス・フェキシフトとメルリ達の間にも、この溝があると表現できるのではないか?
だとするなら、カイルス・フェキシフトが泣いたことを、こう表現できるのではないだろうか。
彼は、彼らの間にできた雨取り溝に、雨を降らせたのだ、と。
…やはり、少し格好つけがすぎるだろうか?




